アルフレッド視点 フェリシアの婚礼 1

 攫われたニホン人転生者の捜索があろうとも、王族の婚礼とあれば、それでなくとも実の姉の結婚ともなれば、さすがに欠席をするわけにはいかない。

 換え馬を使うほどの急用ではなかったが、馬車を使うほどのん気に旅程を楽しむ余裕もなかったので、グルノールの街からはそのまま馬でやって来た。

 春先とはいえまだ雪の残る山道もあったので、夜はおとなしく町の宿屋を利用する。

 急ぐ旅程ではあったが、火急の用事ということでもない。

 用事が終われば、帰りも同じように宿を取りつつグルノールへと戻る予定だ。


「帰還のご挨拶にまいりました、母上」


 貴族街にある館で休息と身だしなみを整え、早速王城へと生母エヴェリーナのご機嫌伺いに顔を出す。

 クリスティーナが復活させた解毒薬を飲んで以来、体調を崩すことはなくなったようだ。

 チャドウィックを排除できたことも大きいだろう。


「お顔の色も良いようで、安心いたしました」


「心配してくれてありがとう。少しずつ体力を取り戻そうとしているところよ」


 もうしばらくしたら公務に復帰できそうだ、と微笑む母の頬が少しふっくらとしている。

 以前はほとんど枕から頭を持ち上げられない生活で、げっそりと痩せてしまっていたのだが、外見的にも健康を取り戻せそうでなによりだった。


「クリスティーナの捜索はどのような具合かしら? 何か進展していて?」


「どうやらズーガリー帝国へと連れ出されてしまったようだ、ということまでは掴めましたが、はっきりとした行方まではまだ……」


 明日にでも、とは言えないが、確実に取り戻すべく動いている。

 エヴェリーナにはそう答えておいた。

 すぐにでも取り戻したいのは、誰でも同じ気持ちだ。

 一番この気持ちが強いのは、兄であるレオナルドである。

 そのレオナルドを『焦るな』と抑え付けているのだから、私が勇み足を踏むわけにはいかない。

 まだどちらの方角へと連れ攫われた、ということが判った程度だ。

 クリスティーナを確実に取り戻すためには、多少誘拐犯たちを泳がせておく必要もある。


 ……クリスティーナは頭の良い子だから、犯人を刺激せずに脱出の機会を狙っているだろう。


 クリスティーナについては、今にも飛び出して行きそうなレオナルドほどは心配をしていない。

 悪戯を仕掛けるような幼い行動を取ることもあったが、基本的にはよく考えてから動く少女だ。

 下手に犯人を刺激し、自分が被害を受けるような真似はしないだろう。

 従順な捕虜として振る舞いながら脱出の機会を窺うか、助けを待っておとなしくしているはずだ。


 ……クリスティーナに対して心配することがあるとすれば、好機を見つけて一人で脱出を図る可能性が捨て切れないぐらいか?


 妙に冷静なところもある少女なので、短慮は起さないと信頼しているが、それでも千載一遇の機会をみつければ、誘拐犯の元から逃げ出しかねない大胆さも持っている。

 変なところでは勇気とお転婆を発揮するのだ。

 それだけが心配の種でもあった。


 ……無事にひょっこり帰って来てくれるだけなら歓迎するのだが。


 ズーガリー帝国からクリスティーナが一人で帰ってくることは不可能だろう。

 純粋に距離がありすぎて徒歩では数ヶ月かかるし、距離以外に山も谷も森もある。

 着替えさせられた形跡があったということは、ティナが出かける際にいつも首から下げていた黒猫の財布も取り上げられたであろう。

 たとえ財布の中身が取り上げられていなかったとしても、子どもの小遣い程度の金額でズーガリー帝国からグルノールの街までの旅費としては足りなすぎる。


「そうそう。フェリシアのところへも顔を出しておきなさい」


「やめておきます。フェリシア姉上は、今が一番忙しい時期でしょう」


 クリスティーナについての不安を少し吐き出すと、エヴェリーナが話題を変えるようにフェリシアの名前を出してきたので、これに乗っておく。

 クリスティーナについては心配だったが、王都へはフェリシアの婚礼を祝うために来たのだ。

 レオナルドではないが、クリスティーナの名を連呼しているわけにはいかない。


 邪魔にしかなりませんよ、と肩を竦めてエヴェリーナの提案に苦笑いを浮かべる。

 フェリシアを祝いに駆けつけたわけだが、フェリシアの婚礼については我ながら無理をいたという自覚があった。

 どのようなお叱りも受ける覚悟はあったが、無理を強いた婚礼までの日取りが、王族の婚礼としては短すぎるのだ。

 せめて準備の邪魔だけはしたくない。


「フェリシア姉上からの苦情は、式が終わってからたっぷり聞くことにします」


「そんなことを言って、式が終わればすぐにグルノールへと戻る予定なのでしょう?」


「……わかりますか?」


わたくしは貴方の母親ですよ。息子が考えていることぐらい判ります」


 新婚旅行と称したフェリシアにグルノール砦まで乗り込んで来られたくなければ、式の前に機嫌を取っておきなさい、とエヴェリーナに背中を押されてフェリシアの離宮を訪ねる。

 王爵を持ったフェリシアは私と同じく貴族街に館を持っているのだが、婚礼の準備で忙しいということで、しばらくは離宮暮らしとなっているようだった。

 貴族街と王城の往復時間が無駄だ、と考えたのだろう。


 ……いや、違うな。館が贈り物で溢れて非難してきたのか。


 侍女の案内で離宮の応接間へと移動する間に目に入ってきたのだが、玄関ホールは婚姻の決まったフェリシアへの贈り物で埋まり、廊下や客間までもが贈り物の箱に占拠されているようだ。

 離宮がこの様子なら、離宮より手狭な貴族街の館は簡単に贈り物で埋まったことだろう。


 ……普通なら、他の男のものになることが決まれば、贈り物の数は減りそうなものだが。


 そこがフェリシアの、フェリシアたる所以か。

 婚姻が決まったところで、フェリシアの人気が衰えることはなかった。

 むしろ、普段は貢ぎ物を控えている信者も、めでたい婚礼祝いの贈り物ぐらいはいいだろう、とそれぞれが贈れる最高の品物を用意しているようだ。


「……相変わらず美しいですね、フェリシア姉上」


 否。

 相変わらずどころか、ますます美しくなっている気がした。


 増え続ける贈り物の目録に目を通しているフェリシアは、わずかに疲れた顔をしているように見えるのだが、そんな顔も我が姉ながらまた一段と美しい。

 フェリシアの信者はその女神の美貌のとりことなった者たちなので、たしかに伴侶を得るぐらいでは人気に陰りなど訪れるはずもなかった。

 女神フェリシア人間じぶんの間にあるものなど最初から信仰心のみであり、信仰対象の女神の夫に収まりたい信者にんげんなどいない。

 ならば、夫になる人間の男へは嫉妬が向かないのか、とも思うのだが、フェリシアの夫となるエラルドは可憐な美女といった顔立ちの中世的な美男子だ。

 フェリシアと比べれば誰でも見劣りするが、横に並べて見苦しい男ではない。

 そういった意味でも、フェリシアの夫に対する嫉妬は湧かないのだろう。


わたくしが美しいのは太陽が昇ってまた沈んでいくように、夜が明けて必ず朝が来るように、自然なことよ」


「フェリシア姉上は、五十年後も同じことを言いそうですよね」


「当り前だわ。歳を重ねるということは、老いて醜くなるということではなくてよ。貴方だって、五十年後のアリエルを醜い老婆だなんて思わないでしょう?」


「思いませんね」


 間髪いれずに返し、そのあとで五十年後の婚約者の姿を想像する。

 美しくみずみずしい肌をしているのは今だけかもしれないが、顔に皺が刻まれて肌の張りを失ったとしても、彼女は彼女だ。

 その皺の一本いっぽんまでもが愛おしく、ともに歳月を重ねていけることが今から楽しみでもあった。


「……このたびは、無理な日程でのフェリシア姉上の婚礼を決めてしまい、申し訳ございません」


「どうせ早いか遅いかの違いしかなくてよ。かまわないわ。……期間があればあっただけ、エラルドがぐずぐずするだけだもの」


 むしろ逃げる間も与えず、決定事項としてだけ通達したのは良い手だった、とフェリシアからは上機嫌な微笑みをいただき、その背後に控えた花婿予定の白銀の騎士エラルドは今にも倒れそうな青白い顔をしている。

 顔だけ見ればこの婚礼に不満があるように見えるのだが、エラルドは別にフェリシアの婿になるのが嫌なわけではない。

 他の信者同様、フェリシアの美貌のとりこであるという自覚を持ち、またこの少々自信家な性格を込みでフェリシアを女性として愛せる稀有な人間だった。

 足りないのは、自分こそがフェリシアに相応しい男である、という自信だけだ。


「マンデーズからオレリアンレースが送られて来たわ。見事なものね。あの複雑な糸巻ボビンレースを、たった数年でここまで見事に織れるようになったのだから。クリスティーナの作ってくれたリボンも可愛らしいけど、こちらのレースは格段に腕が良いのがわかるわ」


 オレリアがワイヤック谷へと籠らなければ、今頃は国の産業の一つとして根付いていたかもしれない。

 惜しいことをしたものだ、とフェリシアは軽く目を伏せる。

 オレリアがセドヴァラ教会へと売られなければ、ボビンレースは産業としてこの地に根付いていたかもしれない。

 その代わり、聖人ユウタ・ヒラガの秘術はもっと早くに途絶えていただろう。

 クリスティーナが見つけ出されるまでの空白期間は長い。

 オレリアの訃報からたった一年で秘術復活の目途がたった現在の状況こそが、奇跡に近いのだ。

 そして、その奇跡もクリスティーナが連れ攫われたことで暗礁に乗り上げてしまっていた。


「オレリアは谷に籠ってしまいましたが、クリスティーナが引継ぎ、こうして指南書という形にしてくれました。これから我が国の産業の一つとして根付かせていきますよ」


 そのための、フェリシアの婚礼である。

 王女の婚礼衣装にボビンレースを使ったとあれば、国内ではこれ以上ないという宣伝効果が見込めるだろう。


「クリスティーナのために私がオレリアンレースを纏うのは構わないけど、アリエルへはちゃんと謝っておきなさい。女性にとって花嫁衣裳というものは、何年も前から用意していたはずの想い入れのある衣装なのだから」


「……オレリアンレースで機嫌が直るといいのですが。私としてはアリエルの可愛らしさを最高に引き立てるものを選んだつもりです」


「それはそれ、これはこれ、というものよ」


 フェリシアはこう言うが、ボビンレースを持ち込んだせいで花嫁衣裳のすべてがダメになるわけではない。

 ボビンレースは、あくまで装飾の一つだ。

 最初の意匠とは変わってしまうが、もとから予定していた意匠を活かすことは十分に可能だった。


 ボビンレースを急遽取り入れることになったのはフェリシアも同じなのだが、フェリシアは婚礼の日付すらも私が突然用意した。

 何年も前から用意していた花嫁衣裳など存在しておらず、ボビンレースを取り入れた意匠を最初から作れるので、この点では仕立屋も気が楽であっただろう。

 ただし、今度は意匠を仕上げるまでの時間が足りなすぎるという意味で、悲鳴をあげていたのだろうが。


「国中に広めるにはいい宣伝方法だと思うけど、帝国に興味を惹かせるには少し弱い気がするわね」


「それについては、帝国でも無視できない方へとオレリアンレースを贈る予定です。現在作れる最高の物を、マンデーズの街で作らせているところですよ」


「あら、アルフ。悪い顔をしていてよ」


 フェリシアの白い手が伸びてきて、両頬を包み込む。

 そのままムニムニと頬を捏ね回されて、どうやらフェリシアの言う『悪い顔』はほぐれたようだ。

 私としては『悪い顔』などではなく、どこへでも出せる微笑を浮かべていたつもりなのだが、姉の目には違って見えたらしい。


「それで、今度はどなたを巻き込むつもりかしら?」


 実の姉と長年待たせた婚約者との婚礼をろくな準備期間もなく、また間を空けずに連続して行なおうだなどと言い出す弟だ。

 次に巻き込む相手を把握しておきたい、とフェリシアが考えるのも無理はない。

 多少の無茶ぐらいはフェリシアが微笑むだけで解決するが、今回巻き込もうとしている相手はフェリシアの手には負えないだろう。

 この話に乗ってくれるかどうかは、相手の温情に賭けるしかない。


「クリスティーナの持つ人脈を、最大限に利用させてもらう予定です」


「クリスティーナの最強の人脈といえば、やはり精霊や神王かしら? どちらも神話の時代の……」


 精霊も神王も、どちらも神話の登場人物たちだ。

 クリスティーナに言わせれば、神王はまだ実在しているようなのだが、私は会ったことがない。

 さすがに神話の登場人物ともなると、知名度はあっても私が個人的な交流を持ち、ボビンレースを宣伝してもらうことは不可能だった。

 フェリシアもそれに気がついたからこそ、言葉を区切ったのだろう。

 神王にボビンレースの宣伝は頼めないが、神王に近しい人物がまだ存在している。


「確かに、神王領クエビアの仮王に纏っていただければ、オレリアンレースは大陸中に広がるでしょうね」


「神話の終わりに神王が姿を消して長いですが、信仰そのものが失われたわけではありませんからね」


 神王に連なる血の一族。

 そのうちの、現代でもっとも尊い者とされる仮王がボビンレースを身に纏えば、あとは勝手にボビンレースの需要は生まれるだろう。

 敬虔な信徒たちがボビンレースを求めるはずである。

 そして、神王領クエビアに近いことから、ズーガリー帝国の北部に住む民の信仰はあつい。

 都合のいいことに、レオナルドが『知人』から届いたという情報にあった、古い王国のあった地域にも近かった。


「……クリスティーナはあまり離宮から出かけない子だったけど、おかしな人脈を持っているのね」


「知らないうちにとんでもない知人を作ってくるから、とレオナルドが館から出したがらなかったのも、よく解かる気がします」


 珍しく外に出て祭りに参加したと思ったら、神話の神王と知り合ってくるような少女だ。

 保護者あにとしては、気が気ではなかっただろう。

 王子である自分から見れば妥当ではあったが、平民の視点からクリスティーナを見た場合には、王族や白銀の騎士何人もと顔見知りである、というだけでもおかしな人脈を持っているように見えるはずだ。


「神王といえば、お祖父じいさまの領地であるグーモンスで、別の『精霊の座』が発見されたそうよ。クリスティーナから話を聞いてすぐに出てきたのだから、『精霊の座』の破壊は本当に神王の御意思なのでしょうね」


 クリスティーナの捜索に全力を注げ、ということなのだと思うが、新たな『精霊の座』の発見については何も知らされていなかった。

 フェリシアの簡単な説明によると、発見された『精霊の座』は早速破壊を試みられたようなのだが、破壊どころか傷一つ付けられずにグーモンスでは困っているようだ。


「クリスティーナからは簡単に壊したと聞いていたはずですが……?」


「私もそう聞いていてよ。クリスティーナにしか壊せないのかしら?」


 クリスティーナが『精霊の座』こと神王の棺を破壊したという話は私も聞いている。

 経緯やどのように棺が壊れたのかまでも、クリスティーナ本人から聞いた。

 特にどのようにして壊した、と意識していたわけではなかったようだったのを覚えている。


「……クリスティーナにしか壊せない、ということはないはずです。クリスティーナがすべて壊せなければ、その次の代に任せるような話もあった、とクリスティーナが言っていましたから」


 クリスティーナから聞いた神王の話では、『精霊の座』はクリスティーナでなくとも壊せるはずだ。

 普通に考えて腕力のないクリスティーナに破壊できたのだから、大人に壊せないはずはない。

 グーモンスで見つかったということは、祖父やその供、それでなくとも腕力自慢の黒騎士や白銀の騎士も近くにいたはずである。

 クリスティーナの力で壊せるものが、壊せないはずはない。


 ……何か、クリスティーナが気づいていないだけで、方法やコツがあるのか?

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