アルフレッド視点 フェリシアの婚礼 2

 春華祭までの数日は仕事をして過ごした。

 ソラナはグルノールの街へ置いてきたため、クリスティーナの離宮への用事は自分で足を運ぶ。

 ボビンレースを帝国へと早急に広めるための策として、ウルリーカには帝国へ運ぶボビンレースを織らせていた。

 その進行状況の確認をしてから、グルノールへの出向扱いになっている私の仕事を肩代わりしてくれている王爵たちの元へと顔を出す。

 驚いたのは、ディートフリートが王爵教育の一環として父親であるエルヴィスの仕事を手伝っていたことだ。

 知らないうちに王族として数えられることの義務と責任を意識し、それらを果たそうと考えるようになっていたらしい。


 ……ディートフリートも来年は成人だからな。


 数年前は教育の遅れが心配されていたが、王子としては年相応の教育がなされ始めているようだ。

 猫の被り物をしている点以外では、非の打ち所のない王子へと育ちつつある。

 エルヴィスはそろそろ婚約者を決めようとしているようだったが、これはディートフリートがやんわりと逃げる話題らしい。

 クリスティーナにははっきりとお断りされたと聞いているのだが、まだ諦めていないのだろうか。

 相手が悪すぎる。

 普通の少女であれば成長とともに兄離れもするだろうが、ディートフリートの初恋の君はクリスティーナだ。

 クリスティーナに兄以上の存在ができる未来など、想像できなかった。







 婚礼は王族でも平民でも、基本的に午前のうちに行われる。

 数日にわたる祭祀が行われるのは、我が国では国王か次期国王と決定している王爵の婚姻ぐらいのものだ。

 そのどちらも国と子孫の繁栄を願い、秋の収穫祭での婚礼となる。

 次期国王として最有力とされていたフェリシアの婚礼が春華祭にあわせて行われることについては、民に少なくはない落胆を与えてしまった。

 しかし、それすらもフェリシアは微笑み一つで吹き飛ばす。

 緊張で青白い顔をした花婿を甲斐甲斐しく世話する姿には、単純にフェリシアが秋まで待てなかったのだろう、という見方をする者も出始めた。


 ……フェリシア姉上の美しさは、とどまることを知らないな。


 心情的には婚約者であるアリエルが世界で一番可愛らしく、美しいと思っている。

 けれどフェリシアの美貌には、私の個人的な感想などすべてが吹き飛ぶ。


 圧倒的なまでに、ただ美しい。


 恋人に対する愛情という加点要素などものともしない。

 フェリシアに対しては美辞麗句を並べ立てることこそ野暮というものだ。

 ただそこにあるだけで美しく、花嫁衣裳を纏う姉は、これまで見てきた姉の微笑みの中でも一番に美しかった。

 そして、明日のフェリシアの方が、今日のフェリシアよりもさらに美しいのだということを、私は知っている。


 ……ボビンレースを宣伝したかったのだが、やはりフェリシア姉上には敵わないか。


 ベールでフェリシアの顔が隠れている間はベールの裾や花嫁衣裳にあしらわれたボビンレースへと視線を集めることができていたのだが、一度ベールの中からフェリシアの美貌があらわにされてからは、その美貌にばかり視線が向う。

 フェリシアの美貌に慣れた身内おとうとですらも目がいくのだから、他人ともなれば呼吸を忘れるのも仕方がないだろう。

 婚礼を滞りなく行なうために、今日の祭司は祖父であるエセルバートが務めている。

 王族の婚礼とはいえ、普段は法と秩序を司るソプデジャニア教会の司祭が婚礼の儀を執り行う。

 フェリシアの婚礼に限り祭司をエセルバートが務めているのは、フェリシアの美貌に司祭が呼吸を忘れ、倒れることが予測できたからだ。

 王女の婚礼を取り扱うはずだった司祭は多少不満そうではあったが、事前に花嫁衣裳をまとったフェリシアを見て意識を失っていたため、しぶしぶながら本人もこれを受け入れた。


 ……エラルドもなんとかなりそうだな。


 エラルドは時折隣に立つフェリシアを盗み見ているのだが、呼吸を忘れて気絶することはなさそうだ。

 花嫁を見つめすぎて時々言葉を忘れそうになるのだが、フェリシアは慣れた様子でこれを補う。

 これならよい夫婦になるだろう。


 ……エラルドは顔で侮られるが、白銀の騎士だからな。


 可憐に見える容姿でどれだけ侮られようとも、エラルドは白銀の騎士だ。

 文武ともに、一定水準以上を身に付けている。

 少し気が弱いところもあるが、一度これと決めれば貫く胆力の持ち主でもあった。

 フェリシアとの結婚については踏み切れないところもあったようだが、夫婦になってしまえば腹を括るだろう。

 フェリシアは王の伴侶としては足りないと見ていたようだが、私の身に何かあった時にはやはりフェリシアが次代の王で、その伴侶にはエラルドが相応しい。

 私はそう思っている。


 ……フェリシア姉上も、これでやっと一息つけるだろう。


 思えば、フェリシアは幼い頃から周囲の期待に応え続けてきた。

 イヴィジア王国は何代か男児が王位を継いできたが、本来は女児が跡継ぎとして望まれる。

 現国王のクリストフは子だくさんで王女も多かったので、次代こそは女王なのだろうと期待されて育てられたし、フェリシアにはその期待に応えられるだけの能力もあった。

 フェリシア自身が人の期待に応えることを是とする性格をしていたため、自身の好みと王の伴侶に相応しい人物とで、長く夫を選べずにいたのだ。


 ……エラルドでも、王の伴侶は務まるはずなのだけどな。


 そもそもとして、白銀の騎士は女王の伴侶として求められる資質を叩き込まれた集団である。

 一時的にでも国政を預かれるだけの学を修め、いざ戦になれば女王の代わりに前線へと立ち指揮をとる武力を身に付けていた。

 実力のみで選ばれるために平民出身の者が多く、下手に影響力のある家名を背負っていないという意味でも王女や女王の伴侶として都合がいい。

 砦を預かる黒騎士が周辺領地の統治まで任されているのも、同じような理由だ。

 王族が王爵を得るための課題として数年の領地経営を求められるように、いざ女王の伴侶として国政に携わることになった時に必要となる経験を積ませるためのものでもあった。

 仮に王族が黒騎士の一人として砦の主を数年務めたとすれば、その者はすぐにでも王爵を得ることができる。

 それだけの力を身に付けている、と誰もが認めるからだ。


 ……まあ、エラルド本人の自信のなさと、信仰心が強すぎるのが問題かもしれないが。


 エラルドの主張としては、自分などが女神フェリシアを妻にいただくなんて恐れ多い、とのことらしい。

 フェリシア本人がエラルドを気に入っているので、遠慮をする必要などなにもないと思うのだが、姉に対する信仰心が強すぎるとどうにも人間じぶんが女神の夫になど、と考えてしまうようだ。

 女神が自分から「お嫁さんにしてください」と言っているのだから、諦めてただ降ってきた幸運を甘受しておけばいい。







 王城内での婚礼の儀が終わると、花嫁と花婿を民へとお披露目するために貴族街と内街を屋根のない馬車で回る。

 平民の結婚は新居で執り行われるために馬車でのお披露目などは当然ないのだが、今回は王族の婚礼だ。

 婚礼の儀は王城で行なわれ、民へのお披露目に街を回り、最後に夫婦が暮らすことになるフェリシアの館へと戻ることになっていた。

 普通は楽団などを除けば新郎新婦だけが馬車でお披露目に回るのだが、今回は私とアリエルも別の馬車で行進パレードに加わる。

 一度は婚約破棄という形をとった私たちにとっては、復縁したと民へ報せる場となり、また次代の王が誰なのかと宣言する意味合いもあった。

 収穫祭での婚礼が一般的だというのに、これまで次期国王として最有力とされていたフェリシアが春華祭に婚儀を行い、同年の秋にその弟が婚礼を控えているのだ。

 これほど解かりやすいものはないだろう。


「綺麗な花束を贈ってくださり、ありがとうございました」


 アリエルをエスコートして馬車へと乗り込む。

 アリエルが腰を下すのを待ってから隣へ座ると、ひそめられた声でお礼を言われた。

 春華祭の花をありがとう、と。

 それから、贈りすぎである。館の玄関ホールと部屋が花で埋まってしまった。来年からは加減をしてくれ、というお叱りの言葉もいただく。


「アリエルも、刺繍のハンカチをありがとう。勇ましい馬だったよ。随分刺繍の腕をあげたね」


「ケルベロスです。馬ではありませんわ」


「……ところで、数が合わないのが気になったのだけど」


「数、ですか?」


 アリエルの縫った図案は、どうやらケルベロスだったらしい。

 てっきり勇ましい馬だと思って褒めたのだが、逆に怒らせてしまったようだ。

 これは不味い、と話題を変えるために、刺繍についてではなく、刺繍された贈り物の数について触れてみる。

 生真面目なアリエルならば、春華祭のために刺繍された私への贈り物がハンカチ一枚なわけがない。

 私だって何年も表立っては贈れなかった春華祭の花をこれでもかと贈ったのだ。

 アリエルならば、アルフとしての私と婚約を破棄して以来、毎年律儀に刺繍をしてくれていたとしても不思議はない。


「アリエルのことだから、最低でも十五枚は幻想生物の刺繍が作られているはずだと思うのだが……」


「幻想生物などではありません。……馬や猫の刺繍もありましてよ」


 そんなに新しいハンカチが欲しいのならば、後で館へと届けさせる、といってアリエルは顔を逸らす。

 やや気の強そうな顔立ちをした才色兼備の我が婚約者殿は、なぜか刺繍だけは致命的に苦手としている。

 その一点において完璧ではない彼女を、私はとても愛おしいと思っていた。

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