レオナルド視点 冬の砦めぐり
神王祭が終わると、例年通り俺は他三つの砦を巡ることになる。
今年はグルノール砦で祭祀を行ったので、回るのはメール城砦、マンデーズ砦、ルグミラマ砦の順だ。
ぐるりとイヴィジア王国の北西を巡ることになるのだが、毎年のことなので気にならない。
俺は砦の主だが、預かっているのは砦だけではないのだ。
ランヴァルドの言うことではないが、領地を持つ領主のような役割を担っているため、領民の暮らしぶりについても知っておく必要がある。
この冬の移動は、そういった意味では都合のいいものだった。
騎士団の運営資金を支える領民の顔を、年に一度とはいえ見て回ることができるのだ。
……まずはメール城砦だな。
ズーガリー帝国と国境を面するメール城砦には、レストハム騎士団が詰めている。
メール城砦にいるのならメール騎士団ではないのかと思うが、レストハム騎士団で間違いない。
これは二十年近く前にあった戦で国境線が変わったことが原因である。
現在は帝国領となっているアンハイムの向こうまでがイヴィジア王国で、その国境を守るレストハム砦があったのだが、戦に負けて領地を削られ、レストハム砦を守っていた騎士団は何代か前の王が避暑地として作ったヴィエンヌ湖ほとりのメール城を砦として使うようになった。
メール城を当時の王が砦を失ったレストハム騎士団に与えた理由は簡単だ。
新たな国境線がヴィエンヌ湖を中央で割るように引かれたため、メール城が王族の避暑地としては危険な場所になってしまったためである。
元が王族の城であったため、メール城砦は他の三つの砦に比べて広く、また外観にも趣向が凝らされていた。
一度ティナにも見せてやりたい、と雪を纏った美麗な外観の城砦に思考がそれるのを自覚しつつ、メール城砦の正門をくぐる。
滞在中の荷物を従卒に任せ、マントをグルノール騎士団の深紅からレストハム騎士団の濃緑に替えた。
「こちらが今年一年の報告書と団長の裁可が必要な書類になります。それと、こちらはグルノールへも報告書を送りましたが、ブロワ周辺の捜査報告書です」
他には、と収穫祭前後から冬にかけての国境を抜けた馬車や人間にまつわる書類が山のように積まれ、一年の不在を思い知らされる。
これと似たような作業が、あと砦二つ分残っているのだから、あまりのんびりもできない。
「先に国境付近での報告を済ませますか?」
「いや、ティナについては気になるが、先に溜まっている俺の承認が必要な書類から片付ける」
「では、そのように手配しておきます」
礼をして執務室を出て行くユルゲンを見送って、一年分の書類へと目を通す。
団長が常に別の砦にいるという特殊な条件から、三つの砦は副団長が他よりも強い権限を持ち、代われる仕事はすべて片付けてくれているのだが、どうしても砦の主以外では触れることができない案件というものはある。
急ぎの案件はグルノール砦まで使者が立てられることもあるが、それ以外はこうして冬にまとめて目を通すことになってしまっていた。
メール城砦もそうだが、俺の預かる四つの砦のいずれかで俺より強い騎士が現れない限りは、もうしばらくこの状況が続くだろう。
団長の印が必要な書類へと目を通し、一息つく頃には夜が明けてしまっていた。
軽食と仮眠を取って国境を守る門の様子を見に行くと、収穫祭から続く検問についての細かな話を聞くことができる。
……しばらく拠点をメール城砦に移したいな。
ズーガリー帝国と隣接する砦であるため、国境を行き来する旅人や商人の馬車を直接調べることができるのがメール城砦の魅力だ。
わずかでもグルノールより攫われたティナに近い位置にあるというのも捨てがたい。
いずれズーガリー帝国へとティナを迎えに行くことを思えば、すぐにでも動けるようメール城砦に拠点を移すというのは、なんとも魅力的な思いつきに思えた。
……とはいえ、アルフが動きやすいのはグルノールだしな。
グルノールの副団長を務めているのがアルフである、と考えて、頭の中でアルフとアルフレッドが入れ替わっていることに気が付く。
俺と付き合いの長い方のアルフレッドは、今は第三王子としてグルノール砦に出向してきたことになっている。
ティナの捜索にかかわる最高責任者として砦に君臨しているので、管轄違いの砦で動きが制限されることになるのは現在副団長をしている方のアルフだ。
アルフレッドがメール城砦へと移動してくることには、なんの制限も掛からない。
砦の主が俺だとはいえ、俺はただの黒騎士だ。
当然のことながら、王爵を持ち、今回の件について国王から一任されることとなった王子の発言力の方が強かった。
……ランヴァルド様がもう少し俺らしく振舞えるようになったら、移動してくるか。
ランヴァルドは王子として王都で生活していた時間よりも、市井に下りてからの時間の方が長い。
アルフレッドが黒騎士としてグルノールへ来た頃のように、周囲から浮くようなことにはなりそうになかった。
ランヴァルドを俺の身代わりに砦へ配置するとして、問題になるのはランヴァルド本人よりも見張りを兼ねて付けられているカールとライナルトの二人だろう。
あの二人がランヴァルドをつい王族として扱ってしまうため、ボロが出るとしたらあの二人からだ。
ズーガリー帝国側へと出国予定の荷車が調べられている様子を覗き、門番の騎士と兵士に軽く手をあげて挨拶をする。
仕事の邪魔をする気はないので、案内などは不要だと断った。
遠巻きにその仕事ぶりを観察させてもらったのだが、申請書類に不備があったり、荷車の見た目と積載量に違和感があったりする等、少しでも気になることがあれば徹底的に調べられている。
入国してくる馬車もだが、出国しようとしている馬車や荷車は特に念を入れられていた。
……これだけ入念な確認作業をしているのに、どこですり抜けたんだ?
この馬車が怪しい、とアーロンが気づいたように、ティナを載せていたと思われる馬車は堂々と国境を守る門を抜け、ズーガリー帝国へと出国していっている。
出入国する際に申請のあった書類も残されているので、道なき道を抜けて不法に国境を越えたわけではない。
……床下や座席の確認もしているようだが。
それでもティナは国外へと連れ出されてしまっている。
馬車に隠されて連れ出されることを警戒はしていたが、完全な対策とは言えなかったようだ。
……奴隷商人の隠しについては、人攫いが多かった頃に国境を守っていた黒騎士の方が詳しいか?
二十年ほど前に現れたニホン語の読める転生者は、その価値を知らない人間にズーガリー帝国へと売られてしまった。
そのことから、同じ過ちを繰り返さないように、と当時はまだ現役で国王をしていたエセルバートが苦渋の決断として、条件付での人の売買を認めている。
他国へと売られるぐらいなら、まず自国へと売るように、と。
エセルバートの狙いとしては、まず国へ売りなさいということだったのだが、人の売買が合法になったことに違いはない。
それまで隠れて人を攫っていた奴隷商人は堂々と商品として運ぶようになり、隠しに押し込められて運ばれる人間が減ったことだけは喜ばしいことだった。
少なくとも、狭い場所へと押し込められ、圧死する人間は減ったはずだ。
しかし、隠す必要がなくなったことで、国境を守る黒騎士の勘も鈍ったのかもしれない。
おそらくは現役の黒騎士には気づけないような場所へと、ティナは隠されていたのだろう。
……二十年以上前に黒騎士だった人間となると……ベルトラン殿か?
条件に合うすぐに思いつく人物は、ティナの祖父であるベルトランだった。
彼が現役の頃が、一番ズーガリー帝国との間に諍いがあった時代だ。
……他に当時黒騎士をしていた者といえば、ラガレットの
シードルの経営する宿泊施設が、警備員に黒騎士を引退した者を雇っていたのを覚えている。
彼らに話を聞けば、何か気づくこともあるかもしれない。
ラガレットの街で引退した黒騎士たちに声をかけてみようと決めて、道すがら町や村の様子を見つつマンデーズ砦へと移動する。
少し寄り道になるのだが、ワイヤック谷へと寄ってオレリアの墓にティナを見守ってくれるよう祈っておいた。
俺には杖を振り回して悪態をついていたオレリアだったが、ティナのことは気にいっていたようなので、きっと迷惑そうな顔をしつつもティナを守ってくれることだろう。
マンデーズ館では、イリダルとアリーサに改めてカリーサの死を伝えた。
当初遺体の身元の確認はできていなかったのだが、サリーサの到着で遺体の
俺が勘でカリーサだと思った遺体は、やはりカリーサだったのだ。
イリダルたちの反応は、サリーサとさほど変わらないものだった。
悲しむのも褒めてやるのも、ティナが帰ってからだと言って、感情を心の奥へと押し込める。
例年通りに俺を迎え、砦での仕事を支えてくれ、恨み言など一切洩らさなかった。
「フェリシア様が纏うことになられたボビンレースは、すでに王都へ送ってございます。アルフレッド様の婚礼用のボビンレースは少し追加を作っておりますが、こちらも春の終わりにはご用意できます」
「……もう一つ作っているようだが?」
婚礼衣装に使えるボビンレースを三着分など、随分早く用意できたものだと思ったのだが、もともとはティナの花嫁衣裳に、と作っていたらしい。
それを急遽必要になったそれぞれの花嫁へと送ることになったのだが、イリダルの見せてくれるボビンレースの他にも作業中と判る大きめのレースが織られている。
まさかボビンレースの引き取り先が決まったため、新たにティナのための花嫁衣裳を作り始めたのでは、と聞いてみたのだが、今織っているものはティナのためのものではないとのことだった。
「アルフレッド様からの別口注文?」
「はい。なんでも宣伝効果抜群の方へ贈るので、今できる最高の物を用意せよ、とのご指示でした」
「王族の婚礼衣装以上の宣伝効果なんて……」
アルフレッドはいったい誰にボビンレースを送るつもりなのだろうか。
なにも聞いていないぞ、と問い質したい気はしたが、アルフレッドはアルフレッドで考えて行動してくれているのだ。
手回しのよいアルフレッドの回した指先に、今回はたまたま俺の目が届いたのだろう。
詳しい話はグルノールへと戻ってから聞けばいい。
こちらの方は夏の初めには完成する、というアルフレッドへの伝言を預かってマンデーズの街を後にする。
残るルグミラマ砦へと向う途中でラガレットの街に寄り、シードルの元へ顔を出して引退した黒騎士へと声をかけてもらっておくことにした。
すぐに人を集めてもらうことはできないので、今は声をかけてもらうだけだ。
先に声をかけておいてもらえば、ルグミラマ砦へと行って帰ってくるだけの時間で都合のつく人間へは声をかけ終わっているはずだ。
ルグミラマ砦は、他の砦と比べて砦の主の承認が必要になる案件が多い。
昨年の冬はルグミラマ砦で過ごしたので、本来ならば他の砦より仕事が少ないはずなのだが、戦のあった砦だ。
少ないどころか、むしろ仕事は多かった。
「団長さま、ちょっと珍しいお友だちが来ておりましてよ」
ルグミラマ砦も国境に面しているため、出入国する旅人や商人の荷物検査は行われている。
メール城砦に比べれば少しだけ軽い確認作業ではあったが、それでも通常より厳しいものになっていた。
黒騎士たちの邪魔をしないように門の様子を見回っていると、
ルグミラマ砦滞在中に俺を名指しで訪ねてくる人間とは珍しいな、と応接室へと移動すると、部屋の中では二人の男が待っていた。
「コート! 珍しいな、おまえが直接来るなんて」
「誠意を見せる必要がある時には、俺が直接動く方がいいからな」
「そちらの肉は、どうやらまだ塩漬けにはされていないようだが……」
数年ぶりの友人と握手を交わし、その背後に控えた目深く外套を被る男へと視線を移す。
塩漬けにして送ると聞いていたのだが、まだ首と胴体が繋がっていた。
「……俺としては塩漬けにして送りたかったのだが、おまえが望むかどうかを考えて、直接聞きに来た。誠意を見せろと言うのなら、この場で塩漬けにする」
「片付けの手間を増やすな。そんな
俺がこう答えることなど承知で、生かして連れて来たのだろう、ととぼけた笑みを浮かべた友人を睨む。
すぐに正確な情報を寄こさなかったウィリアムには腹も立つが、首を刎ねたところでティナは取り戻せない。
友人がわざわざウィリアムを生かしたまま連れて来て、首を刎ねなくてもいいと俺から言質を取ろうとしているぐらいなのだから、生かしてやればなんらかの見返りがあるのだろう。
アルフレッドあたりに言わせれば、友人は貸しを作っておいて損のない相手だ。
俺としては食べることもできない塩漬け肉など、多少溜飲が下がるぐらいで、あとの使い道はなにもないので、受け取っても困るだけだった。
「おまえの妹について、なにか俺に手伝えることはあるか?」
「ズーガリー帝国に逃げ込んだようでは、おまえに頼ることはないと思う」
ティナ救出について、友人の力を借りる必要はないはずだ。
どうしても、と何かを探すのなら、コーディの移動に際して融通を利かせて欲しい、といったことぐらいだろうか。
ズーガリー帝国を商人として探ってきてくれるというコーディは、神王領クエビア側から帝国を出て、サエナード王国を抜けて再びイヴィジア王国へとやって来ることになっている。
普段は商売をしながら一年かけて回る旅程を、春の終わりにはイヴィジア王国へと戻ってこようとしてくれているため、サエナード王国側の国境でおかしな動きをしている商人だ、と止められる可能性もあるかもしれない。
何かあったら頼らせてくれ、と言って友人と別れる。
帰り際、ウィリアムが物言いたげな顔をしていたが、無視した。
今更詫びの言葉など聞いても何にもならないし、腹が立つだけだ。
殴ってウィリアムの中の罪悪感を和らげてやるほど俺は優しくないし、余裕もない。
ウィリアムの首を繋いだことで、友人にも貸しができた。
自分の軽はずみな行動で
俺が今は見逃すという選択をしたところで、戦の引き金となったウィリアムには自国での立場などないのだ。
いっそ塩漬け肉になっていた方が楽だった、と何年か後に気付くだろう。
ルグミラマ砦での仕事に一区切り付くと、予定していた通りにラガレットの街へと立ち寄る。
先に連絡を入れていたため、シードルの宿泊施設には引退した元・黒騎士たちが集まってくれていた。
奴隷商人が荷車へ人間を隠して運んでいた当時に国境を守っていた元・黒騎士たちは、実に多くの経験をしてきたようだ。
床下が二重にされていることなど序の口で、馬車や荷台の形からすべてを疑ってかかるぐらいで丁度いい、というのが彼らの認識だった。
俺の基準だった『手を開いた親指と小指の先までの幅』は少し広すぎるらしい。
男の手では広すぎて、女性の手で測ったぐらいの幅でも人が隠されていたそうだ。
当時は少しでも隙間があったら人が詰められていると思え、というぐらいの基準で馬車や荷車を改めていたのだとか。
荷車は隠せる場所が限られているのだが、一見貴族が乗るような馬車は特に注意が必要だったらしい。
馬車のデザインとして屋根が三角になっているのだが、中から見たら天井は平らになっている。
おかしいと思って天井の板を剥がしたら、中から攫われた女性が出てきたことがあったのだとか。
他にも、横から見たら普通の車高の馬車だったのだが、車輪の下までかがんで覗き込めば底の中央だけ謎の出っ張りがあり、おかしいと車内に入って床板を外せば二重底どころか三重底になっていた、等の話も聞けた。
俺が体験した以上に、ズーガリー帝国の奴隷商人は狡猾だったようだ。
二十年前でこうなのだから、今はもっと手口が巧妙化しているだろう、というのは元・黒騎士たちの言だった。
隠す必要がなくなったからこそ、国境を守る黒騎士たちが油断している可能性もある、と。
……たしかに、天井は俺でも見逃しそうだ。
俺の時は堂々と荷台に乗せられていた。
けれど、荷台に乗せられない分の人間たちは二重底へと詰められていたはずだ。
なまじ自分が二重底で運ばれる奴隷たちを見ていたせいで、天井という馬車の上部にまでは頭が回っていなかった気がする。
ラガレットの街からまた町や村の様子を見ながらグルノールの街へ戻ると、指南書の印刷が完了したという報せがメンヒシュミ教会から届いた。
春華祭に行われるフェリシアの婚礼にあわせて王都で広めることを考えると、このまま荷造りを開始した方がいいかもしれない。
王女であるフェリシアの婚礼ということで、アルフレッドが一度王都へと戻ることになる。
その荷物の一部に、王都で広める予定の指南書を積ませてもらった。
ティナと移動する際は王族の旅に相応しい豪奢な馬車で移動していたのだが、今回はまたすぐにグルノールへと戻ってくる予定であるため、アルフレッドも身軽な馬での移動になる。
王都にある大きな店へと事前に数冊融通する程度なので、手荷物に紛れさせる程度の数で問題はない。
その代わり、アルフレッドの護衛として移動する白銀の騎士の荷物へも指南書を紛れ込ませた。
王都へと送る第一陣はアルフレッドに任せるとして、他はニルスとサリーサに任せる。
コーディにズーガリー帝国へ運ばせる分は確保しておくとして、イヴィジア王国中へ配本するためにはニルスの持つ伝手を使った方が早い。
次々に仕分けられ、各地へと送られていく指南書の詰まった木箱を見つめていると、ようやくティナを取り戻すために動き出したという実感が湧いてきた。
まだズーガリー帝国へと怪しまれずに人を潜り込ませ、ティナの行方を探すための下準備でしかないのだが、本当にようやくだ。
……地味だが、必ずティナを取り戻すぞ。
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