レオナルド視点 ランヴァルドの背後

 ……あ、これはマズイ。


 特にどうこうと言うわけではないのだが、ランヴァルドという人物を紹介され、相対した瞬間に自分の中でなんらかの線引きがなされる。

 これ以上はこの人物と係わり合いになってはならない、と頭の中で警笛が鳴り、自分としては非常に珍しいことだと思うのだが、出会ったばかりの人物に対して『苦手』だという感情が芽生えた。

 この他人に対して『苦手』だという感情が湧く時は、女性に好意を寄せられ、付き纏われている時が多い。

 初対面の、しかも男性に対しては滅多に持たない感想だ。


 しかし、相手に対して苦手だと思ったのは俺の側だけらしく、対面したランヴァルドは黒い目をわずかに見開くと、すぐに表情おもてへと喜色を浮かべる。

 一番近い顔を挙げるのなら、アルフを前にしたアルフレッドだろうか。

 今は二人が入れ替わっているというか、当人たちに言わせれば本来の立場に戻ったということなので落ち着いているが、以前のアルフを前にして喜色満面でくっついていたアルフレッド王子と、今のランヴァルドは同じ顔をしていた。

 

 表情から読み取れる感情は、『喜び』と揺るぎない『好意』だ。

 

 一瞬だけ『戸惑い』も混ざった気がしたのだが、気のせいだったのかもしれない。

 初対面の挨拶をして名乗り終わるやいなや、ランヴァルドは大きく両手を広げて抱きついてきた。

 まるで旧友と親交を深めるかのような歓迎っぷりに、そんな抱擁を受ける覚えもないのでランヴァルドの身内であるはずのアルフレッドを身代わりにしてみる。

 アルフレッドはクリストフで慣れているのか、愛情表現過多な叔父に対し、容赦をしなかった。

 片手でガッチリとランヴァルドの額を掴んで引き剥がすと、見張りとして呼び寄せた白銀の騎士二人へ、ペイッとランヴァルドを投げ捨てる。

 カールとライナルトの二人は難なくランヴァルドの体を受け止めるのだが、受け止められたランヴァルドはまるで懲りていなかった。

 体勢を整えるやいなや、再び俺へと両手を広げて突進してくるランヴァルドに、今度はアルフレッドの前に出たアルフが足払いをかけて床へと押し倒す。

 以前のアルフであればさすがの慣れた対応だと賞賛を贈るところだったが、やっているのはアルフレッドとして対応されていた側のアルフだ。

 二人の入れ替わりが完璧すぎて、アルフとアルフレッドが入れ替わっていることに気が付いている者は俺とランヴァルドぐらいだった。


「……ランなんちゃら殿、男同士とはいえ、初対面でいきなり抱きつこうとしたら嫌がられますよ」


「その辺は年頃の娘でも、息子でも同じです。親父ウゼェってなるのが普通です」


「まさか、対面するなり抱きつきにいくとは思いませんでした」


「さすがはクリストフ様の実弟ですね。猪突猛進にもほどがあります」


 左右から二人のアルフレッドに窘められ、ランヴァルドは己の行動を振り返ったらしい。

 咳払いをして立ち上がると姿勢を正し、再び両手を広げかけて、思いとどまった。


「あー、こうして対面するのは初めてだな。レオナルド……レオナルドというのか? 名前が違うだろう。母親が付けた名前はどうした?」


 黒い目をキラキラと期待に輝かせ、まだハグを要求するかのように持ち上げられたランヴァルドの両腕に、俺はというと戸惑いを隠せない。

 ランヴァルドの表情からして初対面のいい歳をした男に対するものではなかったし、発言が不穏だ。

 俺の母親など、王族であったランヴァルドとは縁もゆかりもない人間のはずである。


 ……うん? なんで『レオナルド』が親の付けた名前じゃないって、知っているんだ?


 ついでに言えば、以前の名前は母親が付けたものと断定されていた。

 今の『レオナルド』という後から付けられた名前だけなら物語にもなっているので知っている可能性はあるが、それにしたって前の名前を母親が決めたと断定はできないはずだ。


 ……ああ、これか。


 対面した瞬間に覚えた苦手意識の正体がわかった気がする。

 対面直後のものはただの直感で、今は予感に変化した。

 ランヴァルドは俺の母親を、もしかしたら父親を知っているのだろう。

 もしくは、そのどちらかにとても近い位置にいたのだ。

 ティナからは俺に似ていると聞いていたのだが、こうして正面から見るランヴァルドの顔は、確かに俺とよく似ている。

 アルフとアルフレッドのようにそっくりというわけではないが、俺とランヴァルドは全体の雰囲気が似ているのだ。


 ……たしか、ランヴァルド様が病死したのは十八年前だから……?


 享年は十六歳ぐらいだったと思う。

 これだけ雰囲気が似ているのだから、俺が騎士として王城へ上がるようになってすぐにクリストフから目をかけられるようになったのは、仕方がないことだったのかもしれない。

 喪った弟と似た雰囲気の、喪った年齢に近い俺が目の前に現れたのだ。

 病弱だったと記録に残るランヴァルドとは違う健康な俺を見守ることは、弟が生きていればと傷心のクリストフを癒すのにも一役買っていたことだろう。


 ……年齢的に、さすがに父親ということはないと思うが。


 これだけ似ているのだから、父親であるエセルバートかその妻の血筋に俺の父親はいるのかもしれない。

 背中に嫌な汗が流れる。

 弟妹のことは気になったが、母親のことは考えないようにしてきた。

 父親など、最初からいないものと思っている。

 そのどちらかに手が伸ばせそうな存在が、目の前にいた。


 じっと何かを期待する顔で見つめてくるランヴァルドに、居心地が悪くて喉が渇く。

 母親のつけた名前など知らない、と怒鳴り返したい気はしたが、聞かれたことには答えておいた方がいいだろう。


「レオナルドは、名付け親が付けてくれた名前です」


 王城から出た後のランヴァルドが何処でどのようにして生きてきたのかは判らないが、物語にまでなった俺の半生もそれほど有名なものではなかったらしい。

 そういえば、ティナも俺の名前など知らなかった。

 もっとも、ティナの場合はメンヒシュミ教会もない村に生まれたので、娯楽の一種である物語など嗜んでいなくとも不思議はない状況だったのだが。


「……レオナルドは親に売られて奴隷にされるところを、白騎士に助けられて王都の孤児院に預けられた子どもです」


 説明するのが面倒だと思っていたら、アルフレッドがランヴァルドへと代わりに説明をしてくれた。

 簡潔に事実だけを語っているのだが、アルフレッドの言葉には自分で聞いていてわずかな違和感が混ざっている。

 アルフレッドには自分の生い立ちを話したことがあるので、物語のように脚色されたものではないのだが、何かが引っ掛かった。


「……そう考えれば、確かに『レオナルド』は後から付けられた名前だったな」


 親に付けられた名前など、奴隷として売られた日に失くしている。

 売られた先で付けられたものは名前ではなく、商品を管理するうえで必要になる品名だ。

 男児、健康。

 売られた俺の商品名が、これだった。


「本当の名前はなんという?」


「忘れました」


 本当は覚えているのだが、わざわざ口に出すのも嫌で会話を打ち切る。

 本当の名前など今後も使う予定はないし、どこにでもある平凡な名前だ。

 俺にはサロモンに付けてもらった立派な名前があるので、今更本当の名前など名乗るつもりはない。


 そんなことよりも、なぜ自分の本当の名前などに初対面の人間が興味を持つのか、ということの方が不思議だった。


 ……いや、そういえばランヴァルド様は、最初からおかしかったよな?


 アルフレッドではないが、我が国の王族が俺に対しておおむね好意的であることは珍しくない。

 この顔のおかげかクリストフには目をかけられているし、フェリシアも好意的だ。

 その下の妹姫二人にはいろいろ思うこともあるが、エセルバートにも、と好好爺とした前国王の顔を思いだし、ふと気がついた。


 ……そういえば、俺がいた孤児院にエセルバート様が来たのは、なんだったんだ?


 思い返してみれば、ドゥプレ孤児院にエセルバートが浮浪者の格好をして現れたことがある。

 ふらふらとおかしな場所で顔を合わせる人物であったため、あれこそ偶然であろうと思っていたのだが、ランヴァルドの顔と俺の顔になんらかの繋がりがあるのだとしたら、それにエセルバートが関わっている可能性もあるのかもしれない。


 ……いや、ないな。俺がドゥプレ孤児院に預けられたのはただの偶然だ。


 サロモンは当初故郷の街へと俺を帰そうとしてくれたのだが、俺が家には帰りたくないと言ったのだ。

 子どもを売る親の元に戻るより、孤児院に入った方がいい、と。

 それで故郷の街ではなく、王都にあるドゥプレ孤児院へと預けられた。

 ランヴァルドかエセルバートのどちらかが俺の母親と知人であったとしても、その子どもが王都にいるなんて判るはずがない。


「俺の名前など、どうでもいい。ランなんちゃら様には協力していただきたいことが――」


「ああ、わかった。レオが望むのなら、俺はなんでも手伝ってやろう」


 すべてを言い終わるより先に、ランヴァルドの口から了承の言葉が出てきて瞬く。

 アルフレッドの様子からは口説き落とすのに苦労するかと思っていたのだが、一瞬だ。

 内容も聞かずに了承されて、俺としては助かるのだが不気味でもある。

 そう思ったのは俺だけではなかったようで、見張りを兼ねて付けている護衛の白銀の騎士二人も驚愕を浮かべた顔でランヴァルドを見つめていた。


「……アルフレッド様からは、少し拗ねているようで、交渉には骨が折れるだろうと言われていたのですが?」


「うん? なんだ? 条件を付けてほしいのか? そうだな……」


 ならば、と最後まで言う前にアルフがランヴァルドの襟首を掴む。

 死んだことになっているとはいえ、仮にも王族に対してとっていい態度なのだろうか、とは少し気になったが、護衛の二人が何も言わないのだから、これでいいのだろう。

 左右を護衛で固められたランヴァルドが送り込まれるのは、ニルスの待つメンヒシュミ教会だ。

 メンヒシュミ教会への道すがら、アルフがこれからの予定について説明してくれるのだろう。







「……聞いていた印象と、随分違う方だったな」


 指南書の印刷についてはランヴァルドとニルスに任せ、アルフレッドとグルノール砦へと戻る。

 雰囲気が似ているという評判どおりの顔をしていたが、アルフレッドが言うように拗ねて面倒だという印象はなかった。

 難航するかと思っていた『お願い』には、すべてを話し終わるより先に了承の言葉も貰っている。


 ただ、これ以上近づきたくないとも思っていた。


 ランヴァルドの背後には、これまで考えないようにしてきたものが潜んでいる。

 そんな予感がするのだ。


 執務机に向って報告書の山へ目を通していると、ランヴァルドからの提案を持ってアルフが戻ってきた。

 ランヴァルドへとティナの不在時に指南書を印刷することと、その使い道について話したところ、いくつかの作戦の修正案を付けられたそうだ。


「指南書もそうだが、レースの実物もあった方がいい、か」


「たしかに、クリスティーナも貴族向けの指南書を作った時にはボビンレースでしおりを作っていたからな。ボビンレースは実物があるのとないのとでは、印象が大きく変わるだろう」


「オレリアのレースは普通のレースより精緻せいちで繊細だからな」


 レースだけなら、少し衣服に気を使える家では珍しくない。

 俺には編み方などさっぱり想像もできないのだが、ティナの服にも以前から使わせている。

 ところが、これがオレリアのボビンレースとなってくると、俺でも違いが解るぐらいに精緻で複雑なものになってくる。

 ティナに言わせれば、レースを編むよりは織るらしいのだが、この説明ですらも俺には違いがわからない。

 ボビンレースは、実物があった方が絶対的に解りやすいだろう。


「……しかし、栞より見栄えの良い物がいい、か」


「大々的に広めようと思えば、たしかに指南書へ栞を付けるだけよりは『ボビンレースとはこういうものである』と解りやすく、かつ見栄えのする複雑な完成品を飾っておければいいのだろうが……」


「見栄えのする複雑な完成品、か」


 栞より複雑で見栄えの良いボビンレース、と考えて最初に思い浮かんだのはオレリアのリボンだ。

 オレリアに教わって作り始めた指南書なので、最高級の出来栄えのボビンレースといえば、それはもちろんオレリアの作ったものだろう。

 オレリアの遺品としていくつも送られて来たので、ティナの宝物庫と化している屋根裏部屋を探せば見つかるかもしれない。


 ……いや、さすがにティナの留守中にオレリアのレースを持ち出したら、ティナが烈火のごとく怒り狂うのは俺でも判るぞ。


 オレリアの手がけたものには手が出せない。

 となれば、他に現在一番複雑で見栄えの良いボビンレースを作れる者といえば、オレリアからボビンレースを教わったティナとカリーサだ。

 そのどちらも、新たにボビンレースを作ることができない場所にいる。


「……そうか。マンデーズ館だ。マンデーズ館のイリダルたちも、ボビンレースを作れたはずだ」


 カリーサがマンデーズ館へとボビンレースを持ち帰り、そこで腕を磨いていた。

 嘘か真が、家令であるイリダルまでボビンレースを織れるようになった、とティナのために付け襟を作って送ってくれたことがある。


「オレリアのレースは持ち出せないが、イリダルたちが織ったものなら、ティナもそれほど怒らない……いや、新しく作らせることもできる」


「新しく作る……となると、王都にも何人か作れる人間がいるかもしれないな。クリスティーナは姉上を通じて指南書を広げ、お茶会でボビンレースを教えてもいたはずだ」


 カリーサほどに早く、複雑なものを作れる人間はまだいないだろうが、ティナが作っていたような、初歩的なリボンぐらいは作れる者がいるかもしれない。

 ボビンレースを広げていくにしても、現物がないことには話にならないのだ。


 マンデーズ館へと新しいボビンレースはないか、オレリアの作ったレースとそうでないものを分けるためにグルノールへ来てほしい、と手紙を書く。

 カリーサの死については少しだけ悩んだが、簡潔に事実だけを綴った。

 俺が直感でカリーサだと思った遺体は、顔の判別が難しくて結局断定はできていないのだ。

 カリーサの姉妹である二人のうちのどちらか、もしくは赤ん坊の頃から育てたイリダルであれば、黒子の位置などから遺体がカリーサ本人であるかどうかの確認もとれるだろう。


 ……王都といえば、エルケとペトロナもボビンレースを始めていたな。


 エルケは指南書の有用性の確認、といってボビンレースを始めるのが遅くなっていたので頼れないかもしれないが、ペトロナには声をかけてみてもいいかもしれない。


 指南書の印刷についての話が纏まると、コーディはイヴィジア王国内で新たな流行が生まれそうだという噂をばら撒きにズーガリー帝国へと向った。

 商品として食品を持ち込むとなれば、冬を控えたこの時期は帝国の国境が越えやすい。

 噂をばら撒きながら帝国内で商売をし、様子を仕入れつつも神王領クエビアへと抜け、来年の春にまたイヴィジア王国へと寄ってもらう算段になっている。

 その頃には指南書の印刷も終わっている予定なので、まずは国内へ指南書を運ぶ手伝いをしてもらう予定だ。

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