レオナルド視点 コーディの報告とニルスの相談
城主の館からコーディ到着の報せが届き、アルフレッドと共に館へ移動する。
砦での仕事はアルフとアーロンに任せることになってしまうのだが、近頃は用事でもない限りは館へも帰っていないので、丁度いい機会だと追い出された。
ついでに自室のベッドでたっぷり休んでこい、と。
コーディにはラガレットの街から陸路で聞き込みをしながらグルノールの街まで来てもらう手はずになっていたのだが、指輪の紋章について知った今では無駄足を踏ませてしまったかと申し訳なく思う。
とはいえ、やはり情報は少しでも多く必要になるので、まったくの無駄足ではないはずだ。
一介の旅商人が砦に顔を出すなど緊張する、ということで城主の館を訪れたコーディは、同席するために紹介されたアルフレッド王子に驚いたあと、背筋を伸ばしていつかの礼を言った。
ティナ経由でムスタイン薬を融通してくれた王子の存在を、彼は忘れていなかったらしい。
コーディのような
「ラガレットからグルノールへ来るまでにいくつか検問がありましたが、不審な馬車は引っ掛かっていませんでした。途中の村で
コーディは思いの
俺が頼んだこと以上に自分で考え、気になったことを調べてきてもくれている。
お役に立てなかったようで、と頭を下げるコーディに、よく調べてきてくれたと礼を言って謝礼を渡す。
ティナの遣いでクエビアまで行ってもらった際の補填ができれば、と働いてもらったのだ。
成果はなくとも、謝礼は払う。
「レオナルド様、クリスティーナ様にお客様がお見えになっておりますが」
「ティナに?」
なんの成果もないのに、と謝礼を辞退しようとするコーディの手に皮袋を握らせていると、バルトがニルスを連れてやって来た。
ティナへの来客を俺のところへ連れてこられても困るのだが、ティナがいない以上は俺が相手をするしかないことでもある。
「お久しぶりです、レオナルド様」
「ああ、久しぶりだな、ニルス。また少し背が伸びたか?」
ティナは二年ぶりの再会となったはずだが、俺は時折グルノールへと顔を出していたため、ニルスと合うのは久しぶりという程度だ。
少年が青年に近づき、ぐんぐんと背が伸びていく時期に差しかかっているようで、成人したニルスの背はもうほとんど大人と同じぐらいになっていた。
「ティナに用があったようだが……?」
「はい。ティナお嬢さんが印刷する予定の、指南書の紙について報告があったのですが……」
そこまで言って、ニルスは口を閉ざす。
ティナに用事があって出向いた館に、ティナがいないとは思いもしなかったのだろう。
基本的にティナは、館から出ない生活をしていた。
ティナを訪ねてくる者にとって、館にティナがいないということ自体が珍しいのだ。
「あの、ティナお嬢さんは……?」
「ティナは……」
なんと伝えたものか、と考えて、一度言葉を区切る。
コーディは旅の商人ということで巻き込む気でいるが、ニルスはメンヒシュミ教会の学者見習いだ。
耳にした情報をばら撒くような性格でないことは知っているが、
何も知らせず、用件だけ聞いて帰した方がいい。
何も知らせない方がニルスのためだ、と思ったのだが、下心を持ってニルスには本当のことを話す。
ニルスは精霊の寵児だ。
精霊の寵児にしか判らない観点で、何かに気付いてくれるかもしれない。
……ティナに精霊の助けは期待できないらしいが、な。
ティナがズーガリー帝国内へと誘拐された、と聞かせると、ニルスとコーディは当然のことながら驚いた。
コーディの驚きがわずかに少ない気がするのは、国境を越えてからの普段よりも多い検問に、察するものがあったのだろう。
俺が情報を求めていた理由も理解できたようで、表情が引き締められていた。
「そんな
「費用については、ティナお嬢さんから先払いでお支払いいただいているので……」
費用の面では問題ない。
問題になるのは、届けられる紙の置き場だ、とニルスは言う。
ティナから先に支払いを受けているため、他の本の印刷には使いづらいし、だからといって倉庫に積んでおくには量が多い、と。
「なら館で引き取って、保管しよう。ティナが作ろうとしていたんだ。印刷にはティナもかかわりたいだろう」
「……いいえ、待ってください。ティナお嬢さんには申し訳ないことになりますけれど、中止ではなく、印刷してしまいませんか?」
ムムッと眉を顰め、ニルスが考え始める。
頭の良い子だと聞いているので、何かひらめくものがあったのかもしれない。
「ティナお嬢さんがズーガリー帝国へ誘拐されて、街の外は検問がいっぱい。コーディさんはサエナード王国から来た旅の商人で……ということは、旅をするコーディさんの協力が必要だ、とお考えになっているのですよね? 具体的には、帝国内へ送り込んで情報を得たい、と。でしたら……」
「……あ、そうか。本を商品にすれば……って、駄目か。帝国で本なんて、売りものにならない」
ニルスの言いたいことが判ったようで、コーディがパッと顔をあげる。
が、すぐに自分の思いつきの問題点にも気が付いたようで、後半の声は小さくなっていった。
遊戯盤のような娯楽商品が帝国内での売り物として疑問が残るように、本もまた娯楽の一種だ。
売れ難い商品であることに変わりはない。
「いいえ、売れないからいいんですよ。帝国でよく売れる食品では、すぐに商品がなくなってしまいますからね。コーディさんが旅の商人ということは、イヴィジア王国で仕入れたものを帝国で、帝国で仕入れたものをイヴィジア王国やクエビアで売っているのでしょう?」
帝国で仕入れた商品は、帝国内で売っても、あまり利益はでない。
わざわざ旅の商人から買わなくとも、近くの町や村で手に入れることができるからだ。
「故意に売れ難い本を商品にすることで、長く帝国内に留まるってことか……」
「とすると、先にイヴィジア王国内で広めて話題にしておくことも重要だな。ただの指南書では見向きもされず、そんな物を持ち込む時点で逆に目を付けられる」
アーロンが遊戯盤だけを載せた馬車を怪しいと睨んだのと同じ理由だ。
売れないと判っている商品を国内へと持ち込む商人など、怪しんでくれと言っているようなものだろう。
イヴィジア王国内で指南書を流行らせ、噂の指南書をいち早く手に入れたという体裁を整えてやれば、帝国内では売れ難いだろう指南書を商品として運び入れる不自然さはいくらか緩和できるかもしれない。
「……どちらにせよ、時間がかかるな」
「そこは諦めて覚悟を決めろ。国境を越えられた以上は、手が出し難くなるのは判っていたことだろう」
ジャスパーを警戒していなかったのは、ジャスパーが何年もかけてティナとその保護者からの信頼を得ていたからだ。
国外へと連れ出されてしまったティナを見つけ出し、安全かつ確実に取り戻すためには、こちらもそれなりの時間をかけるしかない。
「……国ぐるみの誘拐だったら、ティナを取り戻した後に滅ぼしてやる」
「難民が出て我が国の負担が増える。そこは首を変えるぐらいにしておけ」
物騒な方向へと流れ始めた会話を、イヴィジア王国内でボビンレースとその指南書を流行らせることは簡単なことだ、と言いながらアルフレッドが軌道を修正する。
そのための伝手はティナ自身が持っているし、自分も協力できる、と。
「……そうか。クリスティーナの
アルフレッドの中で指南書の印刷は決定事項になったようだ。
その先を考え始めた顔で目を伏せたかと思ったら、すぐに妙案が浮かんだようで顔をあげた。
「最終的にズーガリー帝国へと乗り込んでティナを取り戻すことを考えれば、帝国内に拠点が必要になってくる。……帝国の中にも、オレリアからレースを贈られた人間がいるかもしれない」
オレリアからボビンレースを贈られた人間。
オレリアがそれほどに気を許した相手ならば、必ずティナの力になってくれるはずだ。
妙な確信を持って断言するアルフレッドは、指南書の印刷を続行するどころか、数を増やす方向に計算をしはじめる。
ティナが先払いしている以上の金額は自分が責任を持って払う、と支払いの算段をつけ、予定外に増える紙の入手についてはラガレットのジェミヤンや商人であるシードルを頼る、とさらに先の話まで始めていた。
「……私の結婚も利用するか。王族の婚礼衣装にボビンレースを使えば目立つからな。いや、私の結婚は秋と父上に決められたから……遅すぎる。指南書の印刷は冬に終わるから……エラルドに犠牲になってもらおう」
「そこはフェリシア様に涙を飲んでもらう、ではないのか?」
アルフレッドにしては珍しく、考えを纏めながら口から出しているので、指摘もしやすい。
アルフレッドの結婚を待っていては遅く、フェリシアのお気に入りであるエラルドに犠牲になってもらうというのは、そのままの意味だろう。
秋より前にフェリシアの婚礼を整え、その婚礼の衣装にボビンレースを使って宣伝するということだ。
王族がボビンレースを婚礼のような祭祀で身に纏えば、貴族にはすぐにボビンレースが広がるだろう。
貴族が興味を持てば、平民に広がるのはあっという間だ。
貴族の需要を満たすために、平民が供給側に回って一斉にボビンレースを作り始めることになる。
「指南書を冬の間に印刷して、できたものから王都へ運ぶ。フェリシア姉上の婚礼は春に挙げてもらおう。春華祭は商業色の濃い祭りだからな。新しいものをお披露目するには丁度いい」
春先の春華祭で広くお披露目し、ボビンレースの認知度を上げると共に指南書を発売する。
春から夏にかけてじわじわと知名度をあげていき、秋のアルフレッドの婚礼でまたも王族がボビンレースをあしらった衣装を身に纏う。
国内にボビンレースを広げるのならば、これで十分だろう。
「帝国で話題に上らせるためには、もう一押し欲しい気もするが……」
もう少し何か欲しい気はするが、まずできそうなことから始めるしかない。
ティナとオレリアにはこんな使い方をするとは思われていなかったと思うが、オレリアの残したボビンレースには、ティナを取り戻すために利用させてもらうことにする。
ズーガリー帝国へコーディが怪しまれずに入国し、商売ができるよう、オレリアからレースを贈られた知人を見つけ出せるよう、指南書には役立ってもらう。
「……最低でも一年がかりか」
「今すぐおまえが単身乗り込むよりは短い時間で、確実にクリスティーナへ手が届くはずだ」
広大な帝国内を、俺が一人でティナを探し歩くのは不可能に近い。
知人からの手紙にあった西向きのアドルトルを紋章として使っていた亡国のあった地域を探しまわるだけでも、一年なんてものでは足りないだろう。
アルフレッドの言葉は正しい。
今はもどかしい気がしようとも、ティナを取り戻すためには十分な準備期間が必要になる。
「……しかし、ティナ抜きで指南書を印刷するにしても、手順やら何やらがわからんぞ。貴族向けのものはティナが王都のメンヒシュミ教会で印刷をしていたし、導師たちとのやり取りに同席していたはずのカリーサは死んだ」
「どこかに原稿があるだろう。それと貴族向けの本を参考に作業をすれば……ああ、居たな。なんだ、意外に役に立つじゃないか」
王都でティナと指南書を作った人間がグルノールに滞在中だ、とアルフレッドは笑う。
そんな人物がいただろうか、と考えて、王都でティナと滞在期間が被っている人物に思い当たるものが俺にもあった。
「……またランなんちゃら様か?」
「クリスティーナがショウゾウケンの使用料といって、解説図や表紙を描かせていたはずだ。印刷や印刷用の原稿の作り方も手伝ってもらった、と聞いている。役に立つだろう」
とはいえ、先日一晩中ティナの
なぜ拗ねているのかと聞いてみれば、ランヴァルドの望む情報をアルフレッドが出し渋っていることが原因なのだとか。
「働きに応じた報酬は大事だと思うぞ」
「私もそれは理解しているが、全部話すとまたどこかに行きそうだからな……あ、いや、今回は大丈夫か? 交渉はおまえに任せる」
うちの家系はなぜかおまえに弱いからな、と言われてアルフレッドが差している人物を考えてみる。
俺に弱い王族といえば、国王クリストフだろうか。
一介の黒騎士にしか過ぎない俺に対し、クリストフは過分なまでに配慮をしてくれる。
アルフレッドの妹姫たちについては、我が強すぎて思いだしたくもない。
「今回も軽く口説き落としてこい」
「王族を口説き落とした覚えなんて一度もないぞ」
クリストフからはろくに言葉を交わす前から可愛がられていたし、妹姫たちはむこうからやって来た。
こちらから声をかけた王族といえば、王子だなんて知らなかった当時は『アルフ』を名乗っていたアルフレッドぐらいだろう。
それらの誰も、口説いた覚えはない。
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