レオナルド視点 ティナの素描と気になる馬車

 ティナの護衛として一番体を動かしたい時に体を動かせないアーロンは、その苛立ちを情報の整理にぶつけた。

 多方面から集まる報告をすべて聞き、それらを一つに纏める。

 重要度の高いもの、逆に低いもの、気になるものや追加の調査が必要なものとで仕分け、俺の元へと上がる報告の順番までも整理してくれていた。

 西向きのアドルトルの紋章から、『ティナはどうやら西の帝国へと攫われたらしい』というひとつの方向を示すと、アーロンの口からは精査された西方面からの報告が出てくる。


「今は収穫の季節なので、ズーガリー帝国へと向かう馬車は食料を積んだ荷馬車が多くなっています。あの国は昔から農耕に力を入れて収穫を上げることよりも、他所から奪ってくることを選びますからね」


 奪うと言っても、平時は商人が他国から食料を買い込んで帝国内で商売をするぐらいだ。

 兵を挙げて奪いに来るのは大飢饉の年ぐらいで、ここ数年はおとなしいものだった。


「検問の数は例年の倍以上に増やしてありますし、国境での取調べも厳しくなっています。一度馬車からすべての荷物を下ろして床下も調べているようです」


 ズーガリー帝国から入って来てまた出て行く人数に変化はなく、二重底の床下から食品が出てくることもあったが、荷台に乗り切らなかった申請にも記載された荷物であったり、関税を逃れようとしての犯行であったりとさまざまだ。

 人間を商品としている商人は、今では荷を隠さない。

 二十年ほど前よりイヴィジア王国でも条件付とはいえ合法になったため、隠して連れ去る必要がなくなったからだ。


 商人や奴隷として運ばれて行く者たちの中に子どもの姿もあるのだが、ティナらしき背格好の子どもはいなかったらしい。

 髪や目の色を伝えて、似た背格好の子どもがいないかと探させるしかないというのが、少しもどかしかった。

 ティナの顔を知る騎士をすべての検問へと配置できれば、多少変装を強要させられていたとしても見つけ出せる可能性が出てくるのだが、ティナの顔を知っている人間は国境のあるメール城砦には少ない。

 ティナがワイヤック谷に滞在していた頃に何人かの黒騎士と顔を合わせているはずだが、それだって五年も前のことだ。

 今のティナの顔を知っている黒騎士は、メール城砦にはほとんどいない。

 となると、グルノール砦から出向している黒騎士が頼りなのだが、こちらは数に限りがある。

 ティナが攫われた当初、どの方角へ犯人が逃げたのかすら判らず、周辺へとグルノール砦から黒騎士を配置したからだ。

 指輪に刻まれた紋章のおかげで犯人が向うであろう方角は判ったが、それまでに失っている時間が大きい。

 南や東に向わせた黒騎士を呼び戻したところで、ズーガリー帝国へと出国していく商人すべてを足止めすることは不可能なのだ。


「……ティナの素描デッサンをルグミラマ砦へと送ったのは、失敗だったな」


 舟が一艘消えていたことから、ルグミラマ方面が怪しい、と当初捜索に力を入れたのは東だ。

 ティナの顔を知っている黒騎士が少ないという意味では、ルグミラマ砦も条件は同じだった。

 むしろ、ティナを引き取った当初ワイヤック谷で顔を合わせた黒騎士がいるメール城砦よりも、ルグミラマ砦の黒騎士の方がティナの顔を知っている者は少ない。

 そう考えてティナの素描を伝令に持たせたのだが、西こそ力を入れて調べるべきだったのだと知った今では痛い失敗だ。

 ティナの顔をメール城砦の黒騎士へと伝えることが難しい。


「素描を増やすか」


「ティナ本人がいないのに、素描なんて描けないだろ……描けませんよ、アルフレッド様」


 素描が無いのなら、増やせばいい。

 アルフレッドの言葉は確かに正しいのだが、モデルになるティナがいなくては、どんなに腕の良い画家を連れてきたとしても、ティナを描くことは不可能だ。

 想像で描いたティナの姿が、ティナを探す役に立つとは思えない。


「いや、一人いるぞ。クリスティーナの素描を描ける人間が。王都でほとんど今の姿のクリスティーナをモデルに、クリスティーナの絵を描いて売っていた男だ。あれならクリスティーナが目の前にいなくとも、素描ぐらい描けるだろう」


 話に聞いただけではあったが、王都ではティナの姿絵が売り買いされていたらしい。

 それを不快に思ったティナが、せめて自分から許可を取って『ショウゾウケン』の使用料を払えと抗議し、許可を取りにきて堂々と絵を描いていた男がいたのだとか。

 名前だけはティナの口からも聞いているが、俺が直接会ったことはない。







 故人のはずの叔父には国とティナのためにキリキリと働いてもらおう、とイイ笑顔で去っていったアルフレッドが、両手に持てるだけ大量のティナの素描を抱えてやって来たのは翌日だった。

 アルフも同様の姿だったので、副団長の館に拘束中のランなんちゃら氏は一晩中素描を描き続けたのだろう。

 一度礼を言いに行った方がいいかもしれない。


 ……それにしても。


「よく描けているな。実にティナらしいティナだ。そのままティナだ。ティナにしか見えない。ティナだな。ティナだ。ティナだろう。俺のティナは可愛いな。三十六枚目のちょっと拗ねた顔とか最高にティナだ。八枚目の上目遣いのティナとか、これだよ、俺の視界に入るティナは常にこんな感じだった。嗚呼、ティナだ」


「……そんなにクリスティーナが恋しいなら、一枚ぐらいおまえが持っておくか?」


 ティナティナと連呼していたら、アルフレッドに心配されてしまった。

 絵とはいえ、久しぶりのティナに少々羽目を外しすぎたらしい。

 ティナの捜索のために用意した素描なのだが、一枚懐にしまっておけ、と一番のお気に入りの十二枚目のティナを差し出されたのだが、アルフレッドの言葉に甘えたい気はしたが、そっと十二枚目のティナを素描の山へと戻す。


「確かによく描けた素描だが、俺が取り戻したいのは本物のティナだ。俺が素描を懐に入れるのは、捜索の邪魔にしかならないだろう」


 魅力的な提案ではあったが、唆してくれるな、と軽くアルフレッドを睨んでおく。

 俺が素描を懐へとしまわなければ、その分だけティナの素描を持って捜索に黒騎士があたれるのだ。

 俺の懐へ確保するよりも、今はティナの捜索に使うべきだった。


「……でも、無事にクリスティーナを取り戻した暁にはすべての素描を回収しよう、とか思っているだろう」


「当然だ。俺の妹は可愛い。こんなに可愛いティナの素描なんて、ばら撒いたままにしておけるか」


 ティナの可愛い顔を知った求婚者が列を成す、と冗談めかして口にする。

 求婚者など、いくら列を成したところで蹴散らしてやる、というのは冗談ではなく本気だ。

 俺より弱い男にティナを嫁にやることはできない。


「団長、アーロン殿が至急お知らせしたい報告があると……」


 アーロンに付けてある従卒のアルノルトに呼ばれ、仮眠室を覗く。

 西方からの報告を中心にまとめていたアーロンはアルノルトに指示をだし、アルノルトは指示された報告書を山の中から抜き出していく。


「クリスティーナはすでに国境を越えているかもしれません」


 まずは報告書をどうぞ、とアルノルトから手渡された報告書へと目を落とす。

 日付別の入出国した人間の名前と目的、持ち出された商品とその関税、馬車の特徴や気になった人物の特徴の覚書が綴られた三種類の書類だ。


「先日も話したように、今の季節に帝国で売れる商品は食品が主流です。もちろん、食品だけではありませんが……帝国へ運ばれる商品としては、少し疑問の残る商品を運んでいる馬車がありました」


 帝国へと出国していった馬車に、盤上遊戯ボードゲーム盤を三十個載せたものがあったらしい。

 食品の重要が高いズーガリー帝国へ商売に行く人間が、遊戯盤を商品として運ぶことは少し珍しいことだ。

 まったくありえない話とまでは言わないが、あの国では食うにも困る平民が大勢おり、盤上遊戯のような娯楽はあまり一般的ではない。

 商品として持ち込んだとしても、買い手の数が限られているのだ。

 アーロンがこの馬車の仕入れがおかしい、と目を付けたのは、この馬車の商品が遊戯盤『のみ』だったことが理由である。

 数ある商品のうちの一つとしてならば遊戯盤を仕入れることもあるかもしれないが、食品などの他の商品の仕入れがなにもなく、遊戯盤だけを商品として帝国へと運んでいる、というところが不自然だった。

 遊戯盤も供給が少ないという意味ではある程度の値は付くだろうが、三十個の遊戯盤の売り上げなど、国境を越えて買い付けにくるだけの価値は低い。


「身なりのよい主人と使用人、その御者か。富豪の商人の買い付けと言い切れなくはないが……」


「国境を越えての商品の仕入れにしては、身軽すぎる気もするな」


 出国する商品の記載された報告書から、商人の入出国の際に作られた商人たちの名前と外見的特長の覚書へと目を移す。

 主人の容姿は金髪に緑色の瞳と覚えのない色合いをしているのだが、使用人として記載されている男の色合いには覚えがある。

 ただの偶然という可能性もあるが、茶髪に紫の目というのは、ジャスパーと同じだ。

 背格好もジャスパーと一致するが、髪の長さは違う。

 ジャスパーは髪を三つ編みにしていたが、報告書にある使用人の髪は短かった。


「二重底のある馬車だったが……床下も調べたようだな」


 結果的には何も出てこなかったようだが、床には帝国製馬車の特徴とも言える二重底の仕掛けがある馬車だった。

 荷物をすべて下ろしての確認作業中に打ち付けられた床下を発見し、蓋となっている床を剥がして床下を確認した、と報告書にも記載されている。

 何も入っていない二重底の床板を打ち付けてあるのはおかしい、と黒騎士が問い詰めた経緯や馬車の主からの返答もあった。

 馬車の主曰く、二重底の床については自国の恥ずべき悪習であり、そう思っているからこそ自分が使うことはないという意思表示のために床へと釘を打ったのだそうだ。


 結局、二重底も座席の下の空間を調べても、ティナどころか税を誤魔化そうと隠して持ち出そうとしている商品もなかった。

 アーロンの嗅覚には怪しい、と引っ掛かった一向だったが、申請書類に不備はないし、馬車からは何も出ていないしで、国境を越えてしまっている。


「これは本当に……すでに国外へと連れ出されていると思った方がよさそうだな」


 検問は異変に気付いたその日のうちに伝令を出して張っているが、ここまで何も引っ掛からないというのはおかしい。

 悔しいがすでに国外へと連れ出されたと考え、いつまでも国内にばかり目を光らせず次の手を考えた方がいいだろう。


「そうだな。そろそろ国内を捜索するよりも、攫われたクリスティーナの行方と奪還方法を考えた方がいいだろう」


「俺は一度メール城砦へ行って、直接話を聞いてくる」


 俺には子どもの頃に奴隷として運ばれ、国境を越えた経験がある。

 馬車についても、報告書を読むより本物を見た方がなにか気付くこともあるかもしれない。

 そう思っての発言だったのだが、メール城砦へはアルフによって使者が立てられることになった。

 メール城砦の主も俺なのだが、グルノール砦から俺が今離れるのもあまり得策ではない、と判断してのことらしい。


「気付いたことがあるのなら、ここで言え。おまえは騎士団を預かる主なのだから、身軽にふらふら出歩くな。手綱クリスティーナのないおまえを野放しにはできん」


「いや、しかし……」


「黒騎士を手足として使える立場にいるのだから、おまえが動くよりも先に手足を使え、手足を」


 俺は砦の主なのだが、と呟いた言葉は、アルフレッドの自分は王子である、という言葉に叩き伏せられる。

 もしかしなくとも、いざという時に俺の手綱を握るため、アルフレッドは本来の身分を明かしたのだろう。

 なにか思いついたことがあるのか、と問い詰められたので、手のひらを大きく開いて見せる。


「親指の先から小指の先ほどの幅があれば、人間を隠して運ぶことはできる。二重底ではなく三重底だったとか、座席の椅子部分ではなく背宛部分に空間を用意しておくだとか」


「こんな幅で人間が……いや、クリスティーナは子どもだ。かなりキツイが、隠せないことはないか」


「奴隷商人にとって、奴隷は人間じゃないからな。昔は詰められるだけ積めていたぞ」


 ふと思いだしたことを付け足すと、一瞬だけアルフレッドの顔が歪む。

 俺の過去など有名な話だが、子どもが親に売られて奴隷にされるという話には、アルフレッドも思うことがあるのだろう。

 軽く目を伏せて息を吐いたかと思ったら、すぐに普段の顔に戻っていた。


「おまえの過去といえば、一つ確認したいことがあった。……おまえは親に売られて奴隷になりかけた、ということだったよな?」


「ああ。……なんだ、今更? 物語ほんにもされている、有名な話だろう」


 孤児から白銀の騎士になった、ということで俺の過去は立身出世物の娯楽活劇として物語になっている。

 物語の中の俺は姫君と結婚して『めでたし、めでたし』で終わっているのだが、そこだけは著者の創作だ。

 姫君との結婚話自体はあったが、見事に流れて現在も俺は独り身である。

 現実は物語のように『めでたし、めでたし』で終わってはくれない。


「少し気になることがあったから、その確認をしただけだ。……そういえば、物語の方のおまえは人買いに攫われたことになっていたな」


「そうだったか? まあ、子ども向けの内容だからな。親に売られた子どもにするよりは、人買いに攫われたことにした方がよかった、とかいう配慮じゃないか?」


 物語という体裁をとっているため、モデルは俺だが、あの物語の主人公は俺とまったく同じ道を歩んでいるわけではない。

 姫君と結婚したこともあるが、親に売られたか人買いに攫われたかという差もあり、親友のフレッドが実は王子だという読者の意表をつく要素も含まれていた。


 ……いや、アルフは実際に王子だったのか。今思えば。


 なんとなく気恥ずかしくて、ティナの視界に入らないようバルトにあの物語は書庫へと片付けさせたが、無事にティナを取り戻せたら教えてやるのもいいかもしれない。

 事実と脚色の混在する物語には仕上がっているが、人攫いの手から主人公の少年を救い出してくれる騎士がいた。

 サロモンは白騎士だったのだが、物語の中では白銀の騎士である。

 ティナの父がモデルになった登場人物がいるのだ。

 ティナが知れば、喜ぶかもしれない。


 ……喜ぶか、それとも驚くかな。


 反応に困って固まるティナを想像し、久しぶりに口元が緩む。

 ティナの困惑する顔を想像して笑うなど、相当焼きが回っている証拠だ。


 ……早くティナを取り戻したい。


 切実に、そう願う。

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