レオナルド視点 情報整理
きっちり二時間の仮眠から目が覚めると、考えてみれば昨夜から何も食べていない腹が空腹を訴えてきた。
そして、そんなことは同じ状況で桟橋の消火と調査に当たっていた黒騎士も承知の上で、他へと指示を出してくれている。
仮眠室を出て執務机に向かうと軽食が用意されていて、椅子へと座る時には湯気を立てるお茶まで用意されていた。
「……桟橋の消火に当たった者は?」
「順次人を送って入れ替えております。団長と一緒に消火に当たった者でしたら、今は全員仮眠中で、目が覚めたらすぐ食べられるようにと、食堂で料理人たちが軽食を用意しています」
「アルフは?」
「副団長はまだ戻られておりません。セドヴァラ教会水路で倒れた黒騎士たちは回収され、治療も終わりました。ティナちゃんの番犬は……少し難しい状況だそうです」
仮眠を取っている間に、各地での情報が報告書として纏められていた。
それら一つひとつへと目を通し、疑問に思ったことは言葉で説明を求める。
桟橋の火事については、俺が仮眠を取る前と大差のない報告だった。
九つある倉庫のうち三つが焼け落ち、舟の数が一艘足りない。
六人の遺体が発見され、そのうち四人は焼死体で、焼かれていなかった遺体は身元の確認も早く、すでに桟橋の管理人と倉庫番だと判っている。
一人だけいた女性の遺体は全裸で、これは火に衣服を焼かれただけとは考え難い。
首や手足の切り落とされた男たちの遺体には局部を失っている者もいたとのことなので、そういうことなのだろう。
遺留品は女性の遺体の口内から出てきた指と指輪、それから短い黒髪の山だ。
切り落とされた局部の燃え残りと思われるものも見つかっているが、男たちの指はみな揃っていた。
女性が指を噛み千切った犯人は、あの遺体の中にはいないのだろう。
……間抜けな犯人だ、と喜ぶところなのだろうな。
女性の首を切り落として自分の指を取り返そうとしなかったために、指輪という犯人へと繋がるかもしれない手がかりが残された。
手足を切り落として殺した男のうち、誰か一人の指を切り取って別の場所へと捨てるだけで犯人も焼け死んだと偽装できたはずなのだが、それもされていない。
犯人は余程の自信家かまぬけだ。
セドヴァラ教会の内部は、今は大荒れになっているらしい。
日本語を読めるティナが、セドヴァラ教会内から攫われたのだ。
その責任問題もあるのだろうが、聖人ユウタ・ヒラガの研究資料を読めるティナは、セドヴァラ教会としても失いたい存在ではない。
兄と離れて暮らしたくない、というぐらいの小さな我儘は言うが、それ以外は協力的に日本語を読むティナだ。
このまま良好な関係を築いていきたいと思っていたはずである。
攫って閉じ込めるような、得にならない真似はする意味がなかった。
……ジャスパーが見つかっていない、というのがセドヴァラ教会には痛いところだろうな。
ティナの護衛であるアーロンは水路の出口付近で発見され、今は治療中だ。
撒かれていた白い粉はどうやら神経を麻痺させる毒だったようで、もう少し発見と処置が遅れていれば呼吸もできなくなってアーロンは死んでいたらしい。
人間に比べて体も小さく、呼吸をするための口や鼻の位置が地面に近かった
毒を洗い流す等の治療は行ったが、このまま処置を続けるかは完全に俺個人の願いとなる。
俺が個人的に飼っている番犬の治療に薬師を割くよりも、倒れた黒騎士や、第二王子の起こした誘拐騒ぎで怪我を負った街の住民たちの治療にこそ薬師を宛てるべきであるとも判っていた。
ジゼルもまだ見つかってはいないのだが、セドヴァラ教会としてはティナを招いていたはずのジャスパーが見つからないことには身の置き場がないだろう。
ティナと共に姿を消し、遺体としても、追跡むなしく倒れた雄姿としても姿を見せないジャスパーは、考えたくはないが犯人である可能性もあった。
……まだジゼルが懸命にティナを追っていると考えるよりは、ジャスパーが追っている方が納得できる気がするのはなんでだ。
頼りなくとも白騎士であるジゼルの方を頼りにするべきなのだが、ジゼルよりもジャスパーの方が頼りになる気がする。
ジゼルなりに一生懸命職務に励んでいたとは認めるが、戦力としてはまるで当てにならないのが白騎士だ。
……チャドウィック王子については、アルフとアルフレッド様に丸投げでいいな。
その前に一発ぐらい殴りたい気はするが、俺がそんなことをすればチャドウィックが死んでしまうことは判りきっているので、チャドウィックについては書類を纏めるだけでアルフとアルフレッドへと丸投げを決意する。
纏められた報告書を読むだけでも殺意が湧くのだ。
チャドウィックについては、俺は関わらない方がいい。
……それにしても、どう育てたらここまで性格が歪むんだ?
チャドウィックについての報告書には、事情聴取をした黒騎士とのやり取りが詳細に記載されていた。
ティナ誘拐に関する目的も、知ってみれば『おまえの頭は大丈夫か?』と心配になるようなものだった。
……日本語の読める貴重な転生者と承知で殺そうとする馬鹿が王族だなんて、思いたくないな。
チャドウィックは攫ったティナを犯して殺し、
ティナに対して個人的な恨みがあるわけでもなく、俺に対して攻撃を加える意図があるわけでもない。
では、長年苦しめてきたアルフとアルフレッドへの攻撃かとも思えば、それも違う。
チャドウィックはただ、父親であるクリストフの関心を自分へと向けたかっただけらしい。
クリストフが宝物のように扱うティナを傷つけ、殺せば、その怒りが自分に向くだろう、と考えての行動だったようだ。
聞けば聞くほど理解のできない行動だった。
この方法が上手くいったとしても、引ける関心は怒りだけで、チャドウィックに未来はない。
……さて、アンセルム王子の扱いはどうするかな。
アンセルムはティナに会っていないので、罪は犯していない。
ただグルノールの街までチャドウィックに唆されて来てしまっただけだ。
なんの問題もない、と街から出せばいいのだが、幼い王子に一人で王都まで帰れというのは少し難しい。
だからと言って、王子を王都へと送り返すために人員を割く余裕は、今の砦にはなかった。
収穫祭の片付けとチャドウィックの起こした馬車暴走事件の後片付け、桟橋の調査とティナの捜索のために隊を編成し、先の隊と入れ替わりで休憩を取らせたり、差し入れを指示したりとしている間に日が傾く。
夕刻には戻るといっていたアルフは歩きながらも報告書を書いていたようで、それを騎士に言付けると俺へ顔を見せることもなく仮眠を取り始めた。
アルフが目覚めるまでの時間を使って報告書へと目を通し、城主の館へ遣いを出してバルトに黒柴を引き取りに行かせる。
俺の犬のために薬師を一人拘束することは難しいので、処置が終わったのなら後は館で世話をすればいい。
もともとはバルトとタビサだけで管理してきた城主の館だ。
しばらくはまた二人で管理をしてもらって、黒柴の看病にはミルシェを当たらせればいいだろう。
……ミルシェを買ったのは偶然だったが、良い買い物だったな。
少なくとも、これでティナを無事取り戻した後で人と犬を天秤にかけ、黒柴を見殺しにしたという報告はしなくていい。
人も犬も、諦めたくはない。
「アーロンの治療も終わっていたよ」
報告書にしたためる時間のなかった報告は口頭で、と仮眠から目覚めたアルフと夕食を取りながら報告を受ける。
セドヴァラ教会の水路を戻ってきたアルフは、当然セドヴァラ教会の様子も確認してきていた。
「麻痺が酷くて、しばらくはろくに動けないだろう。息ができるうちに治療を始められたから、なんとか会話はできたが……容態としては指一本動かせない状態だ」
右目は失明している可能性がある、と聞けば、アーロンの白銀の騎士復帰は難しいかもしれない。
片目が見えないということは、手足の麻痺が取れた後でも尾を引きずる程の不利になる。
「アーロンによると、やはり外からの侵入はなかったようだ。侵入者自体に気が付かなかったと言っていた」
「……それでどうやって、ティナを追うことができたんだ?」
「外で待たせていたコクまろが騒いだらしい」
俺と別れた後のティナは、セドヴァラ教会で時間を潰そうとジャスパーの研究室に行った。
そこでの会話も、なんの変哲もないものだ。
以前ティナとミルシェが作った石鹸の乾燥がそろそろ終わるので、様子を見ていくかと誘われ、ティナはこの誘いにのった。
それでは、といつものようにアーロンが扉の外で警備に立ち、中の警備はジゼルとカリーサが担当する。
これもいつもどおりだ。
女性であるジゼルがティナの身近で警護をし、男性であるアーロンは少し離れて立つ。
本当に、いつもどおりだ。
扉の向こうからは、異変など感じられなかった。
しかし、外で吠え始めた黒柴の声が聞こえ、アーロンは中にいるはずのジゼルへと一声かけて外の様子を見に出る。
玄関扉を開くと、外で待っていたはずの黒柴が中へと飛び込んできたそうだ。
真っ直ぐにジャスパーの研究室の扉の前に移動した黒柴に、犬を外へ出すことよりも中の様子が気になった。
扉の前を離れると一声かけはしたが、ジゼルからの返事を聞いていないことに気が付いたのだ。
確かに守っていたはずの扉を開けると、中にはティナどころかジゼルもいなかった。
ならば薬品の置かれている奥の部屋か、と続く扉に手をかけたら鍵がかかっている。
これはおかしいと扉を蹴破ると、部屋の中にはキツイ香水の匂いが充満していた。
おそらくは番犬の鼻を利かなくさせることが目的だろう、というのはアーロンもアルフと同じ意見だ。
……ティナが
こうなってくると、本当にジャスパーが怪しくなってくる。
グルノールの街でティナが仔犬を飼っていたことを知っている人間は限られているし、その仔犬が成長して番犬になったと知っているのは極少数だ。
黒柴は王都にいる間にティナの番犬として引き渡されたので、番犬対策をされていたとなると、その極少数の内の誰かということになる。
そして、ジャスパーはティナに番犬として黒柴が引き渡されるその場にいた。
「香水の匂いはするが、やはりティナたちの姿はなく、アーロンはさらに奥にある作業部屋へと進んだ。ここは行き止まりになっていて、続きの部屋にいなかったのならこの部屋にいるはずだったのだが……」
「そこに水路へ続く入り口があったのか」
「正確に言うのなら、水路へと水を流すための出口だな」
あとはあまり真新しい情報はない。
ティナを追ったアルフが見た光景をなぞるだけだ。
水路へと続く扉の向こうには麻痺を起こす毒が仕掛けられていて、アーロンはこれをまともに被ってしまった。
白銀の騎士に対し、真っ向勝負では敵わないと事前に毒物を用意していたのだろう。
黒柴もほとんど同じだ。
どんな薬物かと臭いを嗅いだのも悪かったかもしれない。
……聞けば聞くほど、ティナの周囲についてよく調べての行動だな。
少なくとも、チャドウィックのような成り行き任せの犯行でないことだけは確かだ。
番犬と白銀の騎士を出し抜き、一日が経とうとしているのにティナが連れ去られた方角すら俺たちは判らずにいた。
僅かに毒物が目に入り、かすむ視界と次第に自由が失われていく体をおしてアーロンは水路を進んだ。
僅かに聞こえる足音を頼りに進んだのだが、やがて倒れ、そこにアルフが現れた。
アルフとはそこで会話をしたようなのだが、アーロンはそれを夢と思っていたようだ。
気が付いたらセドヴァラ教会へと運ばれ、治療を受けていたとのことだった。
「……これだけ対策をしての犯行だ。ティナに用があって攫ったとみて間違いはないだろう」
「そこだけが救いだな。ティナ自身に用があるのなら、ティナの命だけは保障されるはずだ」
セドヴァラ教会からティナを攫うような人間がある用事といえば、ティナに日本語を読ませたいのだろう。
ティナに他人から狙われるような能力があるとすれば、日本語を読めるということぐらいだ。
これはティナから奪えるような能力ではないので、犯人はティナを連れ去ることはできても、殺すことはできない。
「ジゼルとジャスパーの足取りがつかめないことが気になるが……」
「足取りがつかめないことを思えば、両方、あるいはどちらかが犯人を手引きした可能性がある。ジゼルはともかくとして、ジャスパーが犯人でないのなら、何か私たちに手がかりを残しているはずだ」
ここでもやはりジゼルは話題にのぼらない。
ジゼルが一緒であっても、犯人たちに判らないよう手がかりを残すことなどできるとは思えないし、彼女なりにティナを追いかけているにしても同じことだ。
それほど彼女の能力には期待をしていない。
そして、その逆にジャスパーは薬師であり、薬師の中でも学者と呼ばれる、より頭を使う仕事を選んだ男だ。
知恵は普通よりも回るはずなので、犯人の様子を見ながら必ず用意されるティナの捜索者へと手がかりを残さないわけがない。
「……ジャスパーが手引きをしたとしたら、目的はなんだ?」
ティナとジャスパーの仲は良好と言っていい。
読ませたい日本語があったのなら、それをそのままティナへ見せればよかったはずだ。
ティナを攫って良好な関係を壊す必要など、どこにもなかった。
「まだジャスパーごと攫われたという可能性は残っているが、ジャスパーと考えてもいいだろうな。……準備がよすぎる」
黒柴対策と思われる香水はともかくとして、白銀の騎士対策と思われる麻痺毒が用意されていたことがおかしい。
毒などそう簡単に用意できるものではなかったし、取り扱いも慎重になるはずだ。
少なくとも、毒を扱える者が水路を使っていたことは間違いない。
ジャスパーは薬師で、薬も毒も扱い方は同じだ。
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