第10章 閑章 ケルベロスの追跡

レオナルド視点 悪夢の翌日

※しばらく基本レオナルド視点になります


■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ 


 国境沿いにある各砦へと伝達を出し、桟橋の倉庫を焼いた犯人の逃げ道を塞ぐ。

 ティナが攫われたという予感めいた物はあるのだが、まだ確定はしていない。

 女性の焼死体がカリーサであるという直感もあるが、これだってまだただの直感だ。

 セドヴァラ教会へとティナを迎えに行ったはずのアルフが戻れば、これらの勘がすべて間違いで、ティナとカリーサは温かいベッドの中にいるという報せをくれるかもしれない。


 ……今回ばかりは、勘が外れてくれるといい。


 そんなことを考えながら、倉庫の焼け跡から拾える限りの情報を集める。

 消火に追われていた時点で、一歩どころではなく出遅れてしまっていた。

 このうえ遺体の残してくれた情報を見落とし、みすみす犯人を取り逃すわけにはいかない。


 片付けと情報収集を同時に行いながら、砦へも遣いを出す。

 アルフからの報せはまだ届かないが、だからといって待ってばかりもいられない。

 昨夜から続く作業で疲れの出てきた者もいるので、少しずつ人を入れ替えて休憩を取らせる必要もあるだろう。


「団長、桟橋の管理人の妻だそうです」


 そういって案内されて来たのは、少しふくよかな女性だ。

 朝早くから桟橋を走り回る黒騎士に驚いているのか、しきりに周囲を気にして落ち着きがない。


「あの、私が何かしましたでしょうか? それに、この黒騎士の数は……何かあったのですか? 私は夫に朝食を持って来ただけなのですが……」


 朝食と聞いて、女性の持ったかごの中身を確認する。

 少しでも温かさを保つようにと布の巻かれた水筒と、薄いハムの挟まったパンが収められていた。

 本当に、ただの朝食だ。

 今回の事件に、管理人の妻が関わっているということはなさそうだった。


 管理人の妻を地面へ寝かせた遺体の元へと案内し、顔の確認をさせる。

 焼死体とは違い、桟橋の管理人も、倉庫番も、顔の判別はすぐにできた。


 ……カリーサは、顔のほとんどが潰されていたな。


 固く口を閉ざし、中に犯人の物と思われる指を隠していたカリーサは、犯人が自分の指を取り戻そうとしたのだろう。

 酷く殴られて鼻は曲がっていたし、頬骨は砕かれていた。

 それでも証拠になる犯人の一部を確保し、火事の中でもそれを守りきっている。

 カリーサは出来すぎた女中メイドだ。

 最後の最後まで、ティナを守ろうと犯人に抗っていたのだろう。


 ……首ごと持っていかれなかっただけでも、よしとしよう。


 おかげで犯人に繋がる手がかりは俺の手元に残されている。

 焼死体の中には胴と頭が離れている者もいるので、そこまで残虐な行為に及ぶのは、という躊躇いが犯人にあったとは考えられない。

 犯人はやろうと思えばカリーサの首ごと自分の指を取り返すこともできたはずだ。

 それをしなかったということは、できない理由があったのだと思う。


 ……火を先につけ、予想以上に火の回りが速かったのか?


 いずれにせよ、僅かとはいえ犯人に繋がる手がかりは残された。

 今すべきことは、取り乱さず、焦らず、慌てず、冷静に一つひとつの手がかりを拾い上げていくことだ。







 夫の遺体と対面した妻が落ち着くのを待って、昨夜からの様子を聞く。

 何か異変はなかったかと数日遡って聞いてもみたが、特におかしな話は出てこなかった。

 桟橋の管理人は桟橋が閉鎖される夕方から朝方まで管理人小屋で過ごし、昼間は倉庫番や桟橋を使う商人たちがいるため家に戻って睡眠をとる。

 そんな生活をしているので、夜に帰ってこないこと自体は異変でもなんでもなく、いつもどおりのことだと思っていたそうだ。


 昼近くになると、ようやくアルフが桟橋へと現れた。

 馬にも乗らず、徒歩で来たと判る疲れの浮かんだアルフの顔に、思わず眉を寄せる。

 徒歩であることもおかしいが、歩いて来た方角がそもそもおかしかった。

 グルノールの街から来るのなら背後から現れるはずなのだが、アルフは川のある正面から姿を現したのだ。


「これはどうなっている? 何があったんだ?」


「倉庫が三つ焼け落ちた。うち一つには焼死体が四人分、他に桟橋の管理人と倉庫番が殺されていた。……おまえの方は何があった? ティナを迎えにいったはずだろう」


「セドヴァラ教会からティナの姿が消えた。逃走経路として使われたと思われる水路を追ってきたら川に出て、足跡を追って来たのだが……」


 足跡を追って出た桟橋の騒ぎがこれなのだから、やはり二つの事件は繋がっているのだろう。

 二つが繋がって判ったことといえば、最悪の事態が起こっているということだけだ。

 ティナがセドヴァラ教会から姿を消してしまっている。


「おまえと別れた後、そのままセドヴァラ教会へ行ったんだ。研究室の方にいると事前に聞いていたのでそちらへ真っ直ぐ向かったのだが……誰もいなかった」


 ティナどころかアーロンも黒柴コクまろもいない、言付けも残されていないという状況を不審に思い、ティナの行きそうな場所を探した。

 近頃はミルシェに手伝いをさせながら石鹸を作ったという話を聞いていたので、その石鹸を乾燥させている部屋かと思って場所を移動し、ジャスパーの研究室へと入ったらそこには香水の匂いが立ち込めていたらしい。

 明らかに異常な強さの匂いに、犯人が香水をつけていたというよりは、番犬の追跡対策に撒かれたものだろう、というのがアルフの見解だ。

 香水の部屋を抜けた先にもティナたちの姿はなく、これは本当におかしいぞ、と人手を求めて一度部屋を出て、薬師と黒騎士を連れて再び部屋に戻る。

 薬師たちによると水路が引かれているということで、水路の入り口へと入ると周囲には白い粉が撒かれていたらしい。

 チャドウィックのおかげというのも変な話だが、薬物に対して過敏なまでに気を使うアルフは咄嗟にハンカチで鼻と口を覆い、ことなきを得た。

 薬師たちも、何かおかしな粉があればと似たような対処をしたため無事だ。

 しかし、咄嗟の対処にまで頭が回らなかった黒騎士は、この粉の餌食になってしまったらしい。


 粉の上に犬と人の足跡を見つけた黒騎士たちはそのまま足跡の後を追い、しばらくして倒れた。

 情けないことに、歩き回ることで舞い上がった粉を吸い込み、次々に倒れていったそうだ。

 黒騎士たちへの対処を薬師に任せ、水路を少し進んだところで黒柴が泡を吹いて倒れているのを見つけた。

 人であれば手で口や鼻を覆って対処もできたが、犬の足では対処のしようがなかったのだろう。

 粉の上に足跡が残っていたことを思えば、黒柴の足にも、アーロンの足にも粉は付着していたはずだ。


 黒柴を残して水路を進むと、今度は出口付近で倒れているアーロンを見つけた。

 水路の出口まで侵入者を追うことに成功したが、そこが限界だったらしい。

 意識ははっきりしていたが、手足が思うように動かないようで、なんとか這ってでも進めないものかと足掻いていたようだ。

 追いついて来た薬師にアーロンを任せ、アルフだけで足跡を追い、川を遡り、昼近くになってようやく桟橋へと辿りついたとのことだった。


 こちらの様子は、と聞かれたので判っていることだけを話す。

 声に出してアルフへと話していく過程で、少しだけ俺の中でも整理が付き始めた。


「遺体の一つはカリーサだと思う」


 これといった証拠はないのだが、カリーサだとしか思えない。

 戦力的には役に立たないという意味ではジゼルの可能性の方が高いのだが、これだけは確信があった。

 あの遺体はカリーサである、と。


「カリーサが残してくれた犯人の物と思われる指と指輪なんだが……」


 血まみれでよく見えなかったため、指輪の血は綺麗に洗い流した。

 金でできていると判る指輪は、カリーサが指ごと噛み切る時に歯があたったのか、紋章部分が少し歪んでしまっている。

 それでも、歯型を無視してどのような意匠だったのかを読み取ることは可能だった。


「西を向いた鳥の紋章だな。このくちばしの形は……アドルトルか? アドルトルといえばサエナード王国に多い紋章だが……」


 サエナード王国といえば、昨年戦でイヴィジア王国に大敗している。

 その嫌がらせとして今回の事件を起こしたという可能性も、考えられないことではない。

 考えられなくはないのだが、昨年の傷が癒えるどころか、新たな恐怖を刻み込まれたばかりだというのに、ここでさらに俺の恨みを買うような真似をする馬鹿が生きているとも思えなかった。

 とにかく昨年の戦では、あと数年で嫁に行ってしまうかもしれないティナから八ヶ月間も引き離された、という恨みを込めて念入りに叩いておいたという自覚がある。

 自分の命が可愛ければ、もうしばらくは俺の前に立とうだなどと考えないはずだ。


「団長、管理人の息子が数えたところ、桟橋に繋がれた舟の数が一艘足りないそうです」


 夫の遺体の側で泣いている母親に代わり、父親へと食事を届けにいって戻らない母親の様子を見に来た息子を立ち合わせて調査を続けている。

 桟橋の管理人の息子は、管理人の息子というだけあって、桟橋に普段泊められている舟の数を把握していた。

 その日に到着する予定の船の数や、逆に出て行く船の数を把握してくれていたので、普段の桟橋との違いを探すのに非常に有益な存在だ。


「……舟で逃げたのか?」


 そう思った瞬間に足が前に出たのだが、アルフに肩を捕まえられた。

 まだだ、と。


「落ち着け。舟で川を移動するといっても、どこへ行ったかまでは判らないだろう」


「川を下ればラガレットかティオール、越えてもサエナード王国だ。すぐに追いつける」


「川を下ったと見せかけて上流に行ったとも考えられるだろう。とにかく落ち着け」


 少しでも早くティナを取り戻したいのは判るが、情報が足りなすぎる。

 今すぐに動き始めるのは、逆に見落としが出て危険だ、とアルフは言う。

 俺にだって、そのぐらいは判る。

 判るのだが、じっとしていることもできそうになかった。


「確実に舟で川へ逃げたのなら追いかける必要があるが、今はまだ可能性だけだ。ティオールの街とラガレットへと遣いをだして、検問を設ける方がいい」


「なら、その遣いは俺が務めよう」


「砦の主が使いっぱしりをするのか? 寝言は寝ながら言うものだ」


 ド阿呆、とアルフの目が細められる。

 呆れられていることは判るのだが、自分でも恐ろしい程に落ち着かない。

 これまでは場を任せられる相手アルフがいなかったために自分を律し、桟橋の調査に留まることができていたが、任せられる人間が来てしまったからには、任せられる人間に任せてティナを探しに走りたい。

 いつだって仕事を優先し、それを許してくれてもいたティナだったが、ティナは以前俺にこう言ったことがある。


 ――いつか、何か本当に困った選択を迫られた時に、何をおいても私を選んでくれたらいいですよ。


 当時の俺は「何をおいても、は約束できない」とティナに答えたのだが、今がその時な気がする。

 頼りになるアルフもいるので、砦には俺の代わりがいる。

 俺が砦を放り出しても、俺が騎士という職を失うぐらいだ。

 が、ティナの代わりはいない。

 ティナか自分の職かと天秤にかければ、傾くのはティナの載った皿だ。

 俺が仕事を優先していられたのは、ティナが安全な場所にいることが絶対条件だった。


「よし、判った。おまえが砦の主になればいい。俺はティナを――」


 砦ごとアルフに丸投げしてティナを探しにいく。

 そう最後まで言う前に、頬をアルフに張り飛ばされる。

 周囲の黒騎士が何事かとこちらを見てきたが、アルフはお構いなしだ。


「寝言は寝てから言うものだ、と言ったばかりだぞ。少し頭を冷やして来い」


 ティナを取り戻すためには俺が一人で飛び出していくよりも、俺は砦の主として働き、他の騎士たちを手足として使う方が成功率は高い、とアルフは言う。

 妹の捜索という個人的な理由で騎士の手など借りられるか、との反論は、ティナの転生者という特殊な生い立ちが補ってくれる。

 むしろ、ティナは国の宝ともいえる日本語を読める転生者だ。

 黒騎士どころか白銀の騎士を使ってでも探しだし、取り戻す必要がある。

 そこに個人的すぎる感情があろうとも、ティナを取り戻すことは公的な仕事として扱われるものだ、と。


「団長殿は一度砦の仮眠室で休んだ方がいい。……連れて行け」


「は!」


 俺の方が団長なのだが、という呟きはアルフと両脇を固める黒騎士に黙殺される。

 今の俺には隊を任せておけないというアルフの判断だろう。

 俺だって理性ではそう思っている。

 今の俺は、冷静さを完全に欠いている、と。


「消えた舟を追う人選は任せておけ。おまえは砦に戻って二時間仮眠を取り、そのあと食事を取れ。頭が冷えたら捜索隊の編成と集めた情報の報告をする。私は見落としがないか、水路から戻る。成果報告は夕刻あたりだ」


「……わかった」


 すまないな、と小さく詫びると、ようやくアルフは少しだけ表情を弛める。

 それから、こういう時は『ありがとう』か『後は任せる』でいい、と言って馬の尻を叩かれた。

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