閑話:レオナルド視点 子ども時代の終わりに 1

 お人形のようにおとなしく待っています、と言うティナから離れがたい。

 近頃ティナから目を離すのが不安だとは自覚があったが、それがますます重症化している気がした。

 とはいえ、そんな個人の感情のままに動ける立場ではないという自覚もあるので、不安は腹の底へと押し込める。

 ティナの周囲には、護衛も番犬もいるのだ。

 精霊が相手でもなければ、そう簡単に遅れをとることはない。

 今日だってすぐにティナを取り戻し、誘拐は失敗に終わっているのだ。


 ティナをセドヴァラ教会へと残し、事態の収拾に向かう。

 怪我人の搬送や関係者の確保に奔走する黒騎士たちの合間を縫って、収穫祭の警備のために用意した天幕へと移動した。

 暴走する馬車から振り落とされた男たちを天幕に捕らえてあると、移動の合間に報告される。

 ジゼルが捕縛した二人の男は黒騎士が早々に引き取ったため、民たちも手を出さなかったが、最後に馬車から落ちた男は違う。

 黒騎士の伝令を漏れ聞いた民によって『女の子を誘拐した馬車が暴走している』という話が広がり始めていたせいで、ティナに馬車から落とされた男を見て、民たちは落ちてきた男が誘拐犯だとすぐに気付いた。

 そして、暴走する馬車のせいで何人もの怪我人が出ていたので、その怒りと憎しみは馬車から落ちた男へと向かってしまったらしい。

 黒騎士が捕縛に駆けつけた時には、誘拐犯は街の住民から袋叩きにあっていたようだ。

 馬車から落ちた際に負った怪我は、足と腕の骨折という軽いとはいえないが命に別状はないものだったが、恐慌状態に陥った民から集団で袋叩きにされるのは恐ろしい体験だったことだろう。


 ……まあ、ティナを誘拐するような奴に同情はしないが。


 むしろ俺がティナの感じた恐怖の分だけ誘拐犯を殴ってやりたいぐらいだ。

 俺が殴ればそれだけで息の根を止めてしまいそうなのでできないが、そのぐらいの怒りは感じている。


「団長、これが今回の誘拐事件の首謀者です、が……」


 なにやら言いにくそうな顔をする黒騎士に、顔をあげる元気もないらしい首謀者へと視線を向ける。

 薄汚れた金色の髪には見覚えがあり、僅かに眉を顰めた。


「チャドウィック第二王子を名乗っております。どこの世界に祭りの日に馬車を暴走させて女の子を誘拐する王子がいるってのか……」


 何人もの街の住民が怪我を負った事件を引き起こした男だ。

 こんな男が自国の王子だなどと、誰だって信じたくはないだろう。

 評判の悪い第二王子とはいえ、このような愚かな事件を起こす誘拐犯に自分の名を名乗られるのは気の毒だ、と続ける黒騎士に同意しかけ、正気に返る。

 気の毒だもなにも、目の前の薄汚れた金髪の男が、そのチャドウィック第二王子その人だ。


「黙って聞いていれば無礼であろう! 私の名はチャドウィックである。貴様等、私へのこのような乱暴狼藉が許されるとでも思っているのか!?」


 即刻縄を解け、と薄汚れながらも胸を張る誘拐犯ことチャドウィックに、とりあえずこの場にいるのは黒騎士ばかりなので、白騎士のように権力で抱きこむことは不可能である、と教えてやる。

 親切を施してやるいわれはないが、煩い口が閉ざされるのなら安いものだ。

 付け加えるのなら、チャドウィックが居直っている相手は、妹を誘拐されかけた兄である。


「ティナが誘拐されて、その誘拐犯が第二王子を名乗っていると聞いてきたのだが……」


「ティナは無事だ。誘拐犯ならこの通り、すでに捕縛されている」


 砦へも連絡が行ったらしい。

 天幕の中へと入ってきたアルフに、街の住民たちから制裁を受けたようだ、と続けながらチャドウィックの前を空けてやる。

 そうすると、アルフは腰を下ろしてチャドウィックの顔を確認した。


「……本当に第二王子だな。馬鹿だ、馬鹿だとは思っていたが、ここまでの馬鹿だとは」


「黒騎士風情が無礼な! 私を誰だと思っている!?」


「チャドウィック・クリストフ・グロリアーナ・アンゲラ・イヴィジア第二王子だろう? こんな顔が世界に二つもあるとは思いたくない。……先に言っておくが、黒騎士は白騎士とは違う。王爵と王族の区別はついているからな。現行犯で捕まった以上、これまでのように逃げられると思わないことだ」


 怒気を含んだアルフの声に、これはチャドウィックから引き離した方がいいのだろうか、と思案する。

 アルフは私情を挟むような人間ではないが、明らかにチャドウィックへの個人的な感情がみてとれた。

 個人的な感情を挟むことが許されるのなら、まず真っ先に俺がチャドウィックを殴りたい。


「クリスティーナがグルノールへと戻る際に、『クリスティーナと接触するためには王爵三人と、アルフレッド王子の許可がなければ、たとえ王族であっても罪に問われる』という取り決めが作られたことを知らなかったのか?」


「その許可ならば、当然取ってある。私がクリスティーナに会いに来たのは、王爵三人と第三王子の許可を得てのものだ」


 アルフレッドがチャドウィックに対して許可を出すとは思えない。

 チャドウィックの話に少しの違和感を覚え、眉を顰める。

 そんな俺の反応に気をよくしたのか、正義は己にあると言いたいのか、チャドウィックはアルフレッドから許可を取った仕組みを丁寧に解説してくれた。


「アンセルムがクリスティーナに会いたい、と言ったら簡単に許可が下りたぞ」


「アンセルム王子は第四王子だ。第二王子はアンセルム王子ではない」


「幼いアンセルムにグルノールまでの一人旅など、させられるわけがないだろう」


 チャドウィックの話を纏めると、こうだ。

 普段から自分に懐いているアンセルムが、ティナがいなくなって寂しがっていたので、助言を与えたらしい。

 ティナはグルノールの街へと戻り、会うためには王爵たちの許可がいる、と。

 あとは簡単だ。

 アンセルムは唆されるままに王爵三人から許可をとり、アルフレッドからも許可を取った。

 四人とも、未成年こどものアンセルムが本当にグルノールの街まで行けるとは考えもせず、気軽に許可を出したのだろう。

 そして、いざグルノールの街へと向かおうとするアンセルムに、保護者として自分が共に行ってやろう、とチャドウィックが親切めかして持ちかけた。

 一人旅に不安を感じていたアンセルムはチャドウィックの企みになど気付かず、これを素直に受けとって喜んだはずだ。


「……宿へ遣いを。本当にアンセルム王子がいるのか確認をして、砦へ保護を」


 砦へと保護する前の確認事項として、アンセルム王子の本人確認、ティナとの面会の許可が下りているかどうかなどを指示して黒騎士を一人宿へと送りだす。

 本当にアンセルムがグルノールの街に来ているのなら、ろくな護衛もなしに宿屋になど滞在させてはおけない。


「納得のいくまでアンセルムへと確認を取るがいい。その代わり、確認が取れたら王族わたしに対する不敬で貴様のその首を刎ねてやる」


「何を勘違いしているのかはわからないが、その話によると、クリスティーナへの面会を許されたのはアンセルム王子だろう。クリスティーナを攫った第二王子の有罪は覆らない。付け加えるのなら、アンセルムへもクリスティーナとの面会を


 グルノールにいたのだから、許可など出しようがないだろう、と言ってアルフは口の端をあげる。

 アンセルム王子は、いったい誰の許可を取ってきたのか、と。


 これにはさすがのチャドウィックも口を閉ざした。

 ティナへの面会許可の有る無しで、チャドウィックの扱いは大きく変わってくる。

 この場合は、許可を出した人間が重要になってくるのだ。

 アルフレッドへ許可を取ったつもりで、アルフから許可を取っていたのだとしたら、王族間の決まりを破ってティナに接触したことになる。


 ……いや、ここにいる『アルフ』はアルフだけどな。


 アルフであって、アルフレッドではないが、何か考えあってのことだろうと判るので、アルフの言うに任せる。

 実際にアルフとアルフレッドが入れ替わって行動をすることはあるのだ。

 起こりえない行き違いではない。


「クリスティーナの護衛の数が増やされる前に、とでも思ったのか? 残念だったな。それを見越してアンセルムに許可を出したのだろう」


 ようやく現行犯で捕まえたぞ、とアルフは暗い笑みを浮かべる。

 おまえはアルフとアルフレッドの策に嵌ったのだ、と。

 これまでのように切れる尻尾などないのだから、覚悟をしろ、と。


「クリスティーナの様子はどうだ?」


「馬車に投げ入れられたので、膝を擦り剥いていました。打ち身も酷く、少し腕を持ち上げるだけでも痛そうにしていました」


 アルフがアルフレッド王子として振舞っているので、こちらも少し言葉を改めた。

 話を合わせるぐらいは、俺にだってできる。


「ほう……クリスティーナに怪我をさせたのか。それはまた……罪状が増えるな」


 収穫祭で人通りの多い道で馬車を暴走させて怪我人を出し、国の宝ともいえる日本語の読める転生者を誘拐して怪我を負わせ、そのような愚行を行ったのがこの国の王子である。

 今日の罪状だけでも、身分の剥奪は間違いないだろう。

 刺繍絵画一枚に金貨五千枚を支払った王女とは、逆方向に性質が悪い。


「まさか王族にこんな愚行を犯す馬鹿がいるだなんて、国民に知られるわけにはいかないからな。即刻、王籍から抜いて裁いてやろう」


 ティナの扱いについては、王族内ではアルフレッドに一任されている。

 取り決めを破った王族への対応も、すべてアルフレッド次第だ。


「さて、王族ですらない無職の男が起こした負傷者多数の馬車による暴走事件、王族の名を騙る馬車、未成年者の誘拐未遂……他にも話してもらうことはたくさんあるからな。ここには最終的に庇ってくれるグロリアーナ様も、そのつまにほだされる父上もいない。覚悟をしておけ」







 砦の牢へと移送されるチャドウィックを見送り、天幕に戻って口を開く。

 チャドウィックの扱いについて不満はないが、言っておかねばならないことがある。


「アルフレッド様と互いに承知で入れ替わるのはまだしも、おまえが王子を名乗るのは不味いだろう」


 チャドウィックに対して『王族を騙る』と言っていたが、アルフ自身が同じことをしている。

 あとでアルフレッドと口裏を合わせることは可能かもしれないが、あまり褒められたことではない。


「それなら問題はない。私がアルフレッド・クリストフ・エヴェリーナ・アンゲラ・イヴィジア第三王子だからな」


「は?」


「私たちがいつから入れ替わっていたと思う? 王都の使用人も側仕えも……誰も私とアルフレッドが入れ替わっていることには気が付いていなかったが、おまえと出会った頃にはすでに入れ替わっていた」


 真実、自分がアルフレッド王子なのだから、なんの問題もない、とアルフは言う。

 自分がアルフレッド王子であり、俺と出会った頃にはすでに入れ替わっていたのだ、と。


 最初にアルフとアルフレッドが入れ替わったのは、遊びだったらしい。

 今とは違い、いつでも一緒にいたよく顔の似た二人はお互いに入れ替わる遊びを思いつき、実行した。

 そして、そのせいでアルフとして振舞っていたアルフレッドが毒を受けることになってしまった。

 もとから影武者として育てられる予定だったアルフレッドは、アルフの役に立てたのだから、と自分が毒を受けたことを喜んでいたそうだ。

 そのあともアルフの食事へと毒が盛られることが続き、両親とアルフレッドが相談をして、アルフとアルフレッドは非公式に入れ替えられた。


「おまえに付けられてグルノールへと来ることになったのは、搦め手が苦手なおまえの補佐もあるが、物理的に距離を取らせたかったのもあるだろう」


 何から距離を取りたかったのか、といえばチャドウィックだろう。

 かの元・王子は、とにかく評判が悪い。


 ……それにしても、アルフがアルフレッド王子で、アルフレッド王子が影武者だったのか。


 奇妙な関係だとは思っていたが、アルフレッドがアルフを庇護対象にしていると思えば、多少は理解できなくもない。

 サエナード王国との間に戦が始まろうとしている国境へと自ら出向き、アルフを王都へと『王子』として送るというのも、おかしいと言えばおかしかった。

 真実を知ってしまえば、なんということはない。

 自国の王子を危険な国境から安全な王都へと下げただけだ。


「王族のアレコレは俺にはわからんが、実はアルフが王子で、王族を騙っていることにならないのなら、俺はそれでいい」


「……おまえは本当に、割り切る時はスパッと割り切るよな」


「おまえに対して今さら改まるのもおかしいし、アルフはアルフだからな」


 アルフが実は王子だった、と言うのなら、王都のアルフレッドが出した許可は無効になる。

 そして、アルフがグルノールで「自分こそが王子である」と名乗ったとしても、それが真実であるのなら問題はない。

 それだけだ。


「それで、おまえはこれからどうするんだ?」


「目の上の瘤が今回処分できることになったからな。いろいろ片付いたら王都に戻って、待たせている幼馴染を迎えに行くかな」


「……うん?」


 待たせている幼馴染という言葉に、違和感を覚えて眉を寄せる。

 アルフの幼馴染といえば、アルフと婚約をしていたはずが、父親が一方的にその婚約を破棄し、アルフレッドとの婚約を整えたという話があった。

 しかし、アルフの方が実はアルフレッド王子だったとするのなら、この婚約者を取り替えた話もまた違った話になる。


「アルフの婚約者がアルフレッド様の婚約者になって、そのアルフが元はアルフレッド王子で……?」


「世間の無責任な噂は面白かったな。おまえも覚えがあるだろう?」


「世間の噂なんぞ、思いだしたくもない」


 自分の結婚にまつわる話は、当時王都で面白おかしく広がった。

 中には真実に近いものも混ざってはいたが、ほとんどは身勝手な憶測だ。

 姫君の腹の子の父親は俺だ、というものまで当時はあった。


 しかし、アルフとアルフレッドが元から入れ替わっており、そこへ婚約者が取り替えられたというのなら、アルフの婚約にまつわる話はまた印象が変わる。


「おまえの婚約者殿は、最初から最後までおまえの婚約者だったんだな」


「義父上には悪いことをしたと思っている。いつか私が王都に戻ると信じて、権力に目が眩んで娘の婚約者を変えた男という悪評を背負ってくださっているのだから」


 世間ではアルフからアルフレッドへと心変わりしたと言われている幼馴染も、なんということはない。

 最初からアルフを想っていることに変わりはないのだ。


「レオ、女心は意外に信用できるぞ」


 数年ぶりの呼ばれ方に、思わず背筋を伸ばす。

 アルフから最後に『レオ』と呼ばれたのは、正式に白銀の騎士となる前日だったはずだ。


 アルフの婚約者は、婚約者に捨てられた娘と誹りを受けても、ひたすらにアルフが迎えに来るのを待っていた。

 それが少しだけ羨ましい気がして、しかし頭を振ってそんな思考を追い出す。

 彼女からの仕打ちはたしかにいろいろとアレではあったのだが、心変わりが無かったとしても、彼女と上手くやっていけた気はしない。

 結婚なんてこんなものか、と思って受け入れそうになってしまっていただけだ。

 ティナという家族を得て、思う。

 俺が求める家族は、彼女とでは作れなかったはずだ。

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