第18話 三度目の正直

「……なぜ第二王子がこのような場所で、このような真似を?」


 王子が誘拐事件を起こすなど、世も末だ、とアーロンの横へと移動して呟く。

 扉の外を見てみると、すでにそれなりの速度が出ているようで、飛び降りたら擦り傷程度ではすまなそうだ。

 よくて重症、普通でも悪くても死亡だろう。

 生きて馬車から降りるためには、馬車を止める必要がある。


「父上が大切に囲っている宝だというのに、王都にいる間は顔を見ることもできなかったからな。私自らこうして顔を見に来てやったのだ」


 喜べ、と人を無理矢理攫ってきておいて、その手段についてまるで恥じる様子もないチャドウィックに、不気味なものを感じる。

 子どもがそのまま大人になったような顔つきもそうだが、言葉が通じなさそうで気味が悪い。

 善悪の判断が社会から大きくはずれ、諭しても聞かず、謝れと言われればその場では謝るが何が悪かったのかは理解せず、何度も同じことを繰り返す。

 見ただけでも判るチャドウィックの性格は、こんなタイプだ。


 ……まともに付き合って矯正しようと頑張ると、いつの間にかこっちが疲弊していって破滅させられる奴だ。


 早々に見切りをつけて関係を絶つのが一番の正解と言える。

 チャドウィックの行いが今まで放置されているのも、そのためだろう。

 誰もこれに付き合って疲弊したくないのだ。

 何かやらかせば身分を剥奪するなど処分もできるのだが、証拠だけは綺麗に隠してきたのか一切の尻尾を掴ませなかったとも聞いている。

 これまでそれで上手く好き勝手できてきたため、妙な自信をつけてしまったのだろう。


 ……まあ、私の誘拐に失敗した時点で、終わってるけどね。


 これはもう、どんな言い訳もできない現行犯だ。

 あとは私が無事レオナルドの元へと戻れば、誘拐犯としてチャドウィックを裁くことができる。

 目の上の瘤が取れたと、アルフレッドも喜ぶことだろう。


「まさか王子などという責任ある立場にいる方から、このように乱暴な手段で招待されるとは思いませんでした」


「それについては手違いがあったようだな。私は『速やかに招待せよ』と命じたはずなのだが、乱暴な方法になってしまったようだ。あとで彼等は叱っておこう」


 ……まず私に『ごめんなさい』だと思うんだけどね。


 あくまで誘拐の実行犯を『叱る』のであって、私への謝罪はないらしい。

 これは不味い意味で『本物だ』と思っていると、チャドウィックは顎を上げた。


 ……あ、これ私、今見下されてる? 見下すためにふんぞり返るアホとか、初めて見た。


 小話かなにかで聞いた町民と侍の話を思いだす。

 屋根の上の町民に話しかけた侍が、町民が侍を見下ろすのは何事か、と屋根の上の町民を叱り、町民は空を見上げて答え、侍は地面に向かって町民に話しかけるという滑稽話だった気がする。


 ……あれをリアルにやる人いたんだ。


 私を見下ろしたければ立てばいいだけだと思うのだが、馬車でそんなことをすれば頭を打つ可能性もあるので、好意的に受け止めてそのあたりは冷静なのだろうと思っておくことにした。

 どちらにせよ、私の思考を占めるチャドウィックの評価はあらゆる意味で『馬鹿』の二文字だ。

 現在進行形で踏んではいけない猛獣の尾を三本ぐらい踏んでいる。


「ところでクリスティーナよ。私が王子と知ってなぜ名乗らん? 無礼であろう」


「誘拐犯に名乗る名前なんてございませんよ」


 膝がズキズキと痛んだが、アーロンの脇へと隠れてチャドウィックを睨む。

 言葉を交わすだけ無駄に思えるので、早いところ馬車から降りたい。


「誘拐だなどと、人聞きの悪い。私はおまえを私の馬車へと招待してやっただけではないか」


「その言い訳が通じるかどうかは、アーロンとレオナルドお兄様にお任せします」


 聞いていた通りの困った人間だな、と呆れて溜息も出ない。

 エセルバートやクリストフの破天荒さとは真逆で、性質の悪い『困った』さんだ。


「……やっぱり、飛び降りるのは無理そうですね」


「おまえ、またとんでもないことを考えていたな」


 外の様子を見ながら呟くと、私の発言に危機感を抱いたらしい。

 アーロンの腕が伸びてきて、私のお腹へと回される。

 私が飛び降りないように、と取り押さえているのだと思う。


「でも、早くこの馬車から降りてレオナルドお兄様のところへ戻らないと、今度は人間に攫われたのかって、家から出してもらえなくなりそうです」


「それは……あるかもしれないな」


「でしょう?」


 そんな話をしていると、チャドウィックが壁をノックした。

 それが合図だったようで、外の景色が流れる速度が増す。

 チャドウィックの相手をアーロンに任せて馬車の外を見ていると、早い速度で駆け抜ける馬車に、周囲の人間が悲鳴をあげて脇へと避ける様子が見えた。

 どう考えても、すでに暴走馬車だ。

 収穫祭で普段より人通りが多かったため、馬車の被害に合う者も多い。


 ……あ、黒騎士。


 通りの向こうでこちらを指差している黒騎士の姿を見つけ、胸に小さな勇気が湧く。

 怯えておとなしく誘拐されてやる必要はない。

 馬車の外では救出の段取りが確実に進んでいるようだ。


 ……お、お願いだから、レオナルドさんには何も言わないでぇええええええ!?


 確実にレオナルドのトラウマが悪化する出来事に、場合ではないと判っていても心配になる。

 街に出て人攫いにあった、だなんて話がレオナルドの耳に入れば、レオナルドの社会人生活は終わる。

 一日中私の横に張り付いているか、私を連れて砦へと出勤しはじめることだろう。

 なんとしてでも無事にレオナルドの元へと戻らなくては。


「掴まれ」


 ぬっとアーロンの首が差し出されたので、そこへ腕を回そうと手を伸ばす。

 緊張から固まっていた手に、まだ皿焼きの詰まった袋が握られていることに気が付き、勿体無い気はしたがチャドウィックの顔面に向けて袋を投げ捨てた。

 袋を持ったままではアーロンに掴まれないのだから、仕方がない。

 無事にレオナルドの元へと戻ったら、レオナルドのトラウマから気を逸らすためにおねだりをして買い直すのもいい手だと思う。


 ……私、まだ子どもでよかった! 体格小さめでよかった!!


 アーロンの首へと腕を回した途端に、アーロンは行動を開始した。

 私を捕らえようと腕を伸ばしてきたチャドウィックの胸を蹴り、馬車の奥へと押し込める。

 そして器用に扉を閉めたかと思ったら、馬車の側面を移動して御者台へと移動した。

 私の体がもう少し大きかったり、大人だったりしたら、私を支えながら暴走する馬車の側面を移動するだなんてことはできなかっただろう。


 御者台についたアーロンは御者を蹴り落とし、馬の手綱を奪う。

 落とされた御者は気の毒な気がしたが、どのみち人攫いの一味だ。

 誘拐された側の私が心配する必要はない。


「これを持っておけ」


「これって……鞭ですか?」


 御者台に腰を下ろすと、馬に使うものだと思う鞭をアーロンから手渡される。

 アーロンは馬で併走してきた黒騎士と打ち合わせをはじめ、この暴走している馬車を停める場所を探しているようだ。


「ひゃわっ!?」


「ふがっ!?」


 そうこうしているうちに背後で物音がし、チャドウィック王子がぬっと横から顔を出したので、驚いて鞭を振り回した。

 狙ったわけではないが、額に鞭が当たり、チャドウィックの手が馬車から離れる。


「あっ!」


 と思った時にはもう遅い。

 目が合ったチャドウィックとお互いに目を丸くして驚き、次の瞬間にはチャドウィックは後方へと落ちていった


「う、運がよければ重症っ!!」


 思わず先ほど考えたことを叫び、姿勢を正す。

 まさか私まで馬車から落ちるわけにはいかないので、あとは真っ直ぐに前を向いた。







 黒騎士の誘導で馬車を路地へと停め、迎えに来たカリーサの胸へと顔を埋める。

 膝の擦り傷は痛んだが、おっぱいは偉大だ。

 力いっぱいカリーサにハグをしていると、少しずつだが心が落ち着いてくる。

 その代わりのように、誘拐されかけたという恐怖がやっと頭に辿りついたようで、足はガクガクと震え始めた。

 馬車の中では冷静でいられたのだが、安心した途端にやってくる恐怖は厄介だ。


「ティナ、無事かっ!?」


「レぇオぉー」


 報告を受けたのか、通りの向こうからやって来るレオナルドの姿を認め、我ながら情けない声が出た。

 駆け寄って思い切りハグをしようと思ったのだが、一歩踏み出しただけで痛む膝が地味に憎い。

 なんだか近頃は怪我をしてばかりだ。


「膝を擦り剥いてるな。ここからならセドヴァラ教会が近いが……」


 止める間もなく抱き上げられて、片腕を椅子代わりにしてお尻が安定する。

 そのまま断りもなく女の子のスカートを捲るレオナルドに、膝を見たかっただけだとは判るのだが、顎を拳でグリグリとえぐってやった。


「レオナルドお兄様、いくらなんでも女の子のスカートを捲るのは非常識ですよ」


 痛いようにわざと骨が当たるよう拳を動かして、レオナルドのスカート捲りに制裁を加える。

 いつもと変わらないレオナルドの行動へとツッコミを入れている間に、私の震えも治まってきた。


 ……私、十三歳なんだけどな。そろそろどころじゃなく、抱っこなんて年齢じゃないんだけど。


 先ほども暴漢にひょいっと持ち運ばれたばかりだ。

 私はもう少し重くなった方がいいのかもしれない。


 まあいいや、と地面へと下ろしてもらってスカートを直す。

 膝の血が付きそうで気になるが、兄の抱っこで膝を丸出しにしている方が十三歳としては嫌だ。


「誘拐犯はどうした?」


「副団長が確保に向かっております。途中で振り落とされた御者は白騎士が捕縛しているところでした」


 誘拐犯の捕縛はほぼ終わっている、ということでレオナルドは私をセドヴァラ教会へと連れて行くことを優先したらしい。

 片足を引きずるように歩いていたら、再びレオナルドに抱き上げられた。

 今度はスカートを捲ってこなかったので、そのまま抱き運ばれることにする。

 馬車へと投げ入れられた時の打ち身と擦り傷が、地味に痛いのだ。


「ジゼルはお仕事をしているみたいですね」


「……まあ、彼女にできる範囲で頑張ってはいるようだな」


 レオナルドの元へと運ばれてくる報告を聞きながら、この場にいないジゼルの様子を知る。

 スタートダッシュで出遅れたジゼルは、馬車が走り出した後に黒柴コクまろが痛めつけた男を捕縛し、警備のため街角に立っていた黒騎士へと引き渡していたらしい。

 馬車が動き出したのを見たカリーサは、一番近くにいた警備の黒騎士へと私の誘拐を知らせ、黒騎士の包囲網を作り上げた。

 チャドウィックが馬車から落ちた頃には、ジゼルは御者の男を捕縛していたようだ。

 アーロンの活躍については、馬車の中にいた私が一番よく知っている。


 レオナルドに抱き運ばれながらセドヴァラ教会に到着すると、捕縛した御者を黒騎士に引き渡したというジゼルが追いついて来た。

 馬車から落ちたチャドウィックについては、ジゼルが縄をかける前に黒騎士が捕縛し始めていたようだ。

 それで自分にできることはなくなった、と私を追いかけてきたらしい。


「大盛況ですね」


「どこかの馬鹿が馬車を暴走させたからな」


 セドヴァラ教会の扉をくぐると、収穫祭だというのに患者で溢れていた。

 待合室の椅子も空いていない、と立って周囲を眺めていると、後からあとから人が増えていく。

 どうやらこれは本当にチャドウィックの引き起こした誘拐未遂が原因らしい。

 馬車に撥ねられた者や、逃げまどって転び、擦り傷を作った者などが、怪我人として続々と運び込まれてきていた。


 ……この状況にチャドウィックが運び込まれて、『王子だから』って理由で治療が優先されたら微妙。


 チャドウィックの引き起こした事件なのだ。

 たとえ重症であったとしても、彼の治療は後回しにしてほしい気がする。


 ……ま、そんなことはできないんだろうけど。


 せめて重傷者の中でも一番あとに回す、ということができないものだろうか。

 そんなことを考えていたら、奥から顔を出したジャスパーに手招きをされた。


「ジャス……ぱぁっ!」


 招かれたので、と一歩足を踏み出して膝が痛む。

 奇妙な悲鳴をあげることになってしまった私を、見かねたレオナルドが再び抱き上げた。


 ……や、違う。いつもどおりのレオナルドさんに見えるけど、これアレだ。


 館へと帰ってくるたびに私の側から離れなくなる、精霊に攫われたことが由来のレオナルドのトラウマだ。

 やはり今日の誘拐未遂は、レオナルドのトラウマを刺激しまくってくれている。


「いやに患者が増えてるんだが、おまえ何か知ってるか?」


 レオナルドにジャスパーの元へと運んでもらうと、待合室の様子について聞かれた。

 どうやらジャスパーは薬師として顔を出したのではなく、いつもより騒然としているセドヴァラ教会に異変を感じて顔を出したようだ。

 兄に抱き運ばれる私を見て怪訝そうに眉を顰め、膝を押さえる私に遠慮なくスカートを捲った。


「擦り剥いているな」


「レオもジャスパーも、女の子のスカートを無言で捲るのやめてください」


 相手がレオナルドであれば制裁も加えるが、ジャスパーが相手となると加減が判らなくて何もできない。

 私にできることといえば、女の子なのですから考慮してください、と注意をすることぐらいだ。


「かくかくしかじかで、街が大変なことになっています」


「かくかくしかじかでは何も伝えたいことが伝わってこないぞ」


 ただ、私が治療を求めてセドヴァラ教会へと来たことだけは伝わったようだ。

 裏へ回れば治療してやろう、と言われたので有難くジャスパーの研究室へと続く玄関に回る。

 一度建物から出てきた私に、外で待っていた黒柴が付いてくる。

 怪我人や病人の多いセドヴァラ教会へと犬を連れ込むのは気が引けたので待たせていたのだが、さまざまな薬品のある薬師たちの研究室へも犬は近づけない方がいいだろう。

 入り口を移動しただけで、黒柴はまた外で待つことになった。







 打ち身の様子も見るので、とアーロンとレオナルドは部屋から追い出される。

 傷口を綺麗に洗って消毒すると、清潔なガーゼと包帯で膝の手当ては終わった。

 下着姿になって打ち身の様子を見てもらったのだが、こちらは今のところは異常がなく見えるが、今夜あたりから鬱血した血液で肌の色が変わってくるだろうとのことだった。

 刺激臭のする軟膏を塗られて、それが服に付かないよう包帯を巻かれて治療は完了だ。


 薬の説明をカリーサが受けている横でジゼルに手伝ってもらって服を着る。

 途中でポケットに入れた焼き栗が落ちて、そういえばチャドウィックのせいで皿焼きが台無しになってしまったということを思いだした。


「お待たせしました」


 服を着たので締め出されていたレオナルドの元へ戻ると、レオナルドは懲りずに私のスカートを捲って殴られる。

 適切に治療がなされたと確認したかったのだろうが、それにしたって一言ほしい。


「女の子のスカートを捲るとか、レオナルドお兄様は痴漢ですね」


「こらこら、痴漢は酷いだろう。俺はただティナの怪我が気になって……」


「いくら妹のスカートだからって、ほいほい捲るのはどうかと思います」


 うりゃ、とトドメにレオナルドの足を踏んで、スカート捲りについては不問とする。

 今日はあまりレオナルドを私の元に引き止めておいてはいけないと、私にだって判っていた。

 ティナ、と改めて名を呼ばれて顔をあげると、レオナルドが表情を引き締めている。

 近頃は束縛が激しいとアルフは心配していたが、レオナルドは公私をちゃんと分けてトラウマを発揮していた。

 私の側にいるのは、私的な時間だけだ。

 騎士としてのレオナルドは、妹から目を離すのが不安だなどと情けないことを言って仕事に出かけることを嫌がったりはしない。

 きちんとトラウマを理性で押さえつけ、騎士団長としての職務についていた。


「俺は街の様子を見てきたり、誘拐犯の取調べに行ったりとするが……」


「大丈夫ですよ。カリーサたちも、コクまろもいるので、一人で帰れます」


「それはそうなんだろうが……」


 自分が不安なので、迎えに来るまでセドヴァラ教会にいるように、と言われてしまう。

 もう一歩たりとも自分のいない時に外を歩かせるのは怖いのだそうだ。


 ……チャドウィックめ……またレオナルドさんに余計なトラウマを植えつけてくれやがりましたね。


 これは一発殴るぐらいの仕返しは許されるのではなかろうか。

 そんな物騒なことを考えつつ、それでレオナルドが安心するのなら、と了承する。

 近頃はセドヴァラ教会というよりジャスパーの研究室へと顔を出すことが増えているので、時間を潰せるものは揃っているのだ。


「それじゃあ、俺が迎えに来るまで、良い子で待っているんだぞ」


「わたくしはいつでも良い子ですよ」


 怪我をしているのだから、おとなしく過ごすようにと続き、今にも小言の始まりそうなレオナルドの背を押す。

 大きなレオナルドの体は私が押した程度では動かないのだが、どう考えても仕事と報告が待っているのだから、いつまでも私に引っかからせておくわけにはいかない。


「お人形のようにおとなしく待ってますから、早く迎えにきてくださいね」


 いってらっしゃい、と私に押し出されたレオナルドは、まだ何か言いたげな顔をしながらも街へと戻っていった。

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