第10話 淑女教育の終了とグルノールへの帰路

 片付けの合間に突然の求婚事件が起こったが、お茶会自体は無事に終わった。

 このお茶会の様子を見てヘルミーネが合格点をくれたのは嬉しいのだが、お茶会の合格とともに私の淑女教育の終了も宣言されてしまう。

 

 片付け後のヘルミーネへの報告で、突然の淑女教育終了宣言に、驚いたのは私だけだった。

 

 隣に立つレオナルドを見上げたのだが、こちらは困ったような顔をして私を見下ろしている。

 ヘルミーネの言葉に驚いたというよりは、私の反応にどう宥めたものかと悩んでいる顔だ。

 このことから、レオナルドは私の淑女教育の終了が近いということを知っていたのだろうと判る。


「……突然のことすぎて、驚いています。ヘルミーネ先生」


「突然ということは、ございませんでしょう。ティナさんの淑女教育の終了は間近だと、他所からは見られていたのですから」


「他所から……とおっしゃいますと、エルヴィス様ですね」


 エルヴィスから私の教育の終了後にディートフリートの家庭教師として戻ってきてほしい、という話がきたとは聞いたことがあった。

 あれは将来的な相談でもなんでもなく、私の教育が終了間近であり、ヘルミーネの職が解かれると見越してのことだったのだろう。

 優秀な家庭教師であるヘルミーネを、次の家から教師の打診があるまで遊ばせておくのは勿体無いし、優秀と知っていて他所へと取られてしまうことも惜しいのだと思う。


「寂しくなります」


「家庭教師というものは、いつかは家から去る存在です。ティナさんもグルノールの館へと戻られるのですから、これは良い機会だと思っていますよ」


 理屈は解るのだが、納得はしたくない。

 例えばもう一年私の教育が延びたとして、グルノールの街へとヘルミーネも戻る。

 そうすると、一年後にヘルミーネが王都へ出てくるためには、時間と旅費と旅程の危険が付いてくるのだ。

 王都ここで教育は終了だと言うのなら、その方がさまざまな意味でも都合がいいのは判りすぎた。


「グルノールの館では引き続きカリーサが女中メイドとして仕えてくれるのですから、寂しくなどございませんよ」


 カリーサはナディーンほどの熟練ではないが、よく私を支えられる女中である、とヘルミーネは言う。

 カリーサによく相談をし、協力してレオナルドを支えていってほしい、と。


「カリーサと協力をして、グルノールの館を整えるとよろしいでしょう。使用人を少し増やして、タビサとバルトの負担も減らしてあげてください」


 もういい年ですからね、と続くヘルミーネの言葉に苦笑いを浮かべる。

 事前に話を聞いてはいたが、すぐには受け入れられそうにない。

 ぎこちない笑みを浮かべることしかできない私の頭に、レオナルドの大きな手が載せられる。

 気遣うように優しく撫でられる腕の動きに、ここで泣き出せば『淑女失格』とヘルミーネが淑女教育の終了を撤回してくれるのではないか、とも思ったが、できなかった。

 ヘルミーネと別れることは寂しかったが、だからといって彼女のこれまでの教育を無にはしたくない。


 グルノールへと発つ日までは、ヘルミーネと過ごす時間を増やした。

 教育の終了は宣言されてしまったが、まだまだ教わりたいことはあるのだ。

 教育終了宣言がなされたからといって、ヘルミーネは私の教師である。

 手紙を書いてもいいと許可は貰っていたので、すぐに関係が途切れることもない。


 ……早めにお嫁に行って子どもを産めば、その子の家庭教師として呼び戻せる、か。


 以前冗談交じりにヘルミーネが言ったことを思いだし、チラリとレオナルドへと視線を向ける。

 恋愛感情はともかくとして、この先の未来にも一緒にいてほしいのはレオナルドだ。

 だとしたら、レオナルドの嫁に納まって子どもを産むのが手っ取り早い。


 ……私に子どもを産まないでほしい、ってのは、あくまで王族の『希望』だしね。


 エセルバートにも言われたが、これは王族の都合からくる希望であって、命令ではない。

 その都合も、日本語を読める人間が出産という命がけの大仕事で死んでしまう危険があるからだ。

 ということは、私が聖人ユウタ・ヒラガの研究資料をエラース語に翻訳してしまえば、王族の都合も解消できる。


 ……あれ? 私、結構本気でレオナルドさんのお嫁さんになること考えてる?


 恋愛感情はわからないが、政略結婚や見合い結婚というものも世の中にはある。

 なにがなんでも相手に恋をしていなければ結婚できないということもないはずだ。

 私はレオナルドといたいし、レオナルドも妹を手放さなくてよくなる、とお互いにとって利点のある結婚でもあった。


 ……そのうち、もう少し真面目に検討してみようかなぁ?


 そんなことを考え始めて、ふと気が付く。

 以前は一日離宮から出ない予定である、と伝えれば自分の仕事をしに離宮から出かけて行くこともあったレオナルドなのだが、ここしばらくはずっと一緒だ。

 ずっとヘルミーネの傍から離れない私と一緒に、離宮へと引き籠っていた。


 ……とりあえず、レオナルドさんのこのべったりは、私が目の前で精霊に攫われたせいだってのはわかる。


 目の前から消えたかと思ったら、発見時には傷だらけで髪まで切られていたのだ。

 保護者としては、過保護にもなるだろう。

 レオナルドの心がもう少し落ち着くのを待ってから、お嫁入りについて相談してみることにした。







 グルノールへの移動用に、と用意された馬車は王都に来た時と同じ物だ。

 六頭の馬に引かせる大きな馬車で、馬車の中は貴人の部屋といって間違いない豪華な作りをしている。

 旅程での料理人や護衛の休む場所を兼ねて前回は全部で三台の馬車での旅程だったのだが、今回は残念ながら一台増えてしまっていた。

 荷物は厳選に厳選を重ねたつもりなのだが、服やお土産が結構場所を取るのだ。


「長い間お世話になりました。留守の間のことはお任せします」


 玄関へと並んだナディーンや侍女たちへ別れの挨拶をして、ヘルミーネへと向き直る。

 私の教師を辞めたあとはディートフリートの教師になることが決まっているヘルミーネは、私を見送ってからディートフリートの離宮へ移ることになっていた。

 今日別れるまでが、私の家庭教師だ。


「ヘルミーネ先生にも、大変長らくお世話になりました。先生に教えていただいた淑女としての心構え、礼節は忘れません。今後のわたくしに正しく活かしていきたいと思います」


 これでお別れか、と感情のままにハグをしたかったのだが、淑女の笑みを浮かべて思いとどまる。

 ヘルミーネは私に淑女としての振る舞いを身に付けさせるための教師だ。

 別れの挨拶は、淑女として振舞った方が喜ばれるだろう。


 そう思っていたのだが、意外なことにハグはヘルミーネの側からもたらされた。


「ほっ!?」


「素が出ると奇声を発するのは直りませんでしたね」


 クスクスと笑ったために揺れるヘルミーネの肩がすぐ目の前にある。

 あまり見ることのなかった至近距離のヘルミーネからは、かすかに良い香りがした。

 この香りは知っている。

 レオナルドが贈ってくれた今年の誕生日プレゼントの中にあった、香水の匂いだ。

 香水なんてまだ早い、と少し尻込みして香りを確認しただけなのだが、ヘルミーネと同じ香りだったらしい。

 これはリボンにでも付けておけば、ヘルミーネと別れたあともしばらくは寂しさを誤魔化せそうだ。


「よく学んでくれました。貴女は少しお転婆なところもあるなかなか手ごわい生徒でしたが、鍛え甲斐のある生徒でしたよ」


 グルノールへ戻ってもお元気で、と言葉が続く。


「貴女は長旅のあとは必ず寝込むのですから、カリーサの言うことを聞いて、早めに休みを取るのですよ。困ったことがあったら、まずアルフレッド様へご相談なさい。ドゥプレ氏では少々心もとないですから。春華祭が過ぎたからといって、獣の仮装は解かないほうがよろしいでしょう。それから……」


 まだ何か注意しておくことがあったはずだ、と考え始めたヘルミーネに、思わず笑ってしまう。

 ヘルミーネは私の家庭教師だったはずなのだが、言うことがなんだか母親みたいだ。

 お母さんみたい、と思って、ヘルミーネの体へと腕を回す。

 先にハグをしてきたのはヘルミーネなので、私がハグをしかえしても怒れないはずだ。


「先生、本当にお世話になりました」


 大好き、と思いを込めてハグをする。

 そのまま深呼吸をしたら、優しい香りが鼻腔をくすぐった。







 ヘルミーネの体から離れ、レオナルドのエスコートで馬車へと乗り込む。

 行きにヘルミーネと使っていた寝室は、今回はカリーサと使う予定である。


 ……あれ?


 馬車の中で女中が控えている場所へと目をやったのだが、そこにいるだろうと思っていたソラナの姿がない。

 ソラナはアルフレッドの女中なので、私がグルノールへと戻れることになってアルフレッドへと返還されることになったのだが、アルフレッドの女中として同行はしないらしい。


「ソラナは一緒ではないのですか?」


「ソラナには仕事を任せたからな。王都に置いていく」


 当然といった顔で隣に座るアルフを見上げ、首を傾げる。

 実はアルフだと知る前であれば、ここで『アルフレッドはなぜグルノールへとついて来るのだ?』と突っ込んで頬を抓られていただろう。


 ……一緒に帰らないと、アルフさんも困るもんね?


 いつから入れ替わっていたのかは判らないが、黒柴コクまろの反応を考えればジャスパーと聖人ユウタ・ヒラガの研究資料を持ち帰ったあの時だろう。

 黒柴はアルフレッドとして振舞うアルフの言うことをちゃんと聞いていた。

 訓練されて戻ってきた今でも同じ反応をするかは判らないのだが、初対面のアルフレッドに黒柴は警戒するような素振りを見せている。

 あの時はアルフレッドの存在を知らなかったため、私はてっきりアルフレッドがアルフだと思い込んでしまったのだが、黒柴はちゃんと見分けていた。


 そんな黒柴は、私と同じ馬車だ。

 残念ながらエルケとペトロナは使用人用の馬車に乗っている。

 これは王城を出るまでは、という話にもなっていた。

 王城を出て、さらに王都を出れば、あとは馬の休憩に馬車が止まった時にこちらの馬車へと私の遊び相手として呼び込む予定だ。


「……やっとグルノールの街に帰れますね」


「国境か王都かといえば、王都の方が安全なのだが……」


「王都は変な緊張が多いので、落ち着きませんよ。レオナルドお兄様はお仕事で私を置いていってしまいますし」


 女中がいるせいか、アルフはアルフレッドのままだ。

 そのせいか、レオナルドは私の護衛に徹していて雑談へは混ざってこない。

 アーロンとジゼルは馬で馬車に併走していて、時々レオナルドと交代することになっていた。


 グルノールへの帰路は、快適なものだった。

 行きとは違って見知らぬ地へ向うという緊張はないし、エルケとペトロナという遊び相手もいる。

 同乗者はアルフレッドではなくアルフであったし、アルフレッドの女中の他にカリーサもいてくれるのだ。

 移動中はずっと馬車の中に閉じ込められているという閉塞感はあったが、それだけだ。

 食事時には眺めのいい泉や丘の上で馬車が止められ、黒柴と遊んだり、景色を楽しんだりとした。

 昼のうちは馬車にエルケとペトロナを呼んで盤上遊戯ボードゲームをして遊び、それに飽きたら刺繍や読書をして過ごす。

 たまにレオナルドの乗る馬へと乗せてももらった。

 一人で馬に跨がれるようになったのは、背が伸びたのだと思いたい。

 友人たちよりは遅い気がするのだが、私も少しずつ成長しているのだ。


 行きにワイヤック谷へと行く為に少し滞在した町につくと、カリーサの手紙をマンデーズの館へと送る。

 引き続きカリーサをグルノールの館で雇用する、という報告を書いた手紙だ。

 他には私信としてナパジ料理のレシピなどが綴られている。

 サリーサには良い土産になることだろう。


 手紙の返信を待っている間に、少人数だけで再びワイヤック谷を目指した。

 アルフがオレリアの墓参りについて来るというのなら判るのだが、アルフレッドがついて来るのは意外だ、と前回は思っていたのだが、アルフレッドはアルフのために前例を作っていたのだと思う。

 アルフレッドとしてこの場にいるアルフが「自分も行く」と言い出した時に、アルフレッドの護衛は驚きも、不思議そうな顔もしなかった。

 前回も行ったのだから今回も、と自然に考えたのだろう。


 ……アルフレッド様は、アルフさんには有能な気遣いさんだね。愛が空回ってることが多いけど。


 二年ぶりのオレリアの墓は、綺麗に整えられていた。

 以前は大きな石が置いてあるだけの墓だったのだが、今は周囲の墓同様に削られた墓石がある。

 オレリアの名が刻まれた墓石を指で撫で、この二年の報告をした。


 ……聖人の秘術はなんとか復活できそうだから、安心してください。あと、オレリアさんが教えてくれたボビンレース。広がってほしいから、指南書を作ったよ。


 ボビンレースの指南書といえば、王都では少し面白いことになっている。

 オレリアがこの世界へと持ち込んだボビンレースの技術ということで、指南書にはオレリアについても少し記載した。

 そのせいかオレリアは、ワイヤック谷の賢女という名の他に、オレリアンレースをこの世界へと持ち込んだ転生者としても名を広めはじめている。

 ちなみに『オレリアンレース』というのは、いつの間にかフェリシアの信者たちが呼び始めた呼称だ。

 糸巻ボビンレースではそのまますぎて華がない、とオレリアの名を冠することにしたらしい。


 ……あ、今嫌そうな顔してるオレリアさんが浮かんだ。絶対迷惑そうな顔してる。


 勝手に変な名前をつけるな、と眉を寄せたオレリアを想像し、クスリっと思わず笑みが出る。

 それから、オレリアの墓の前で笑えるようになったのだな、と二年の歳月を感じた。

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