閑話:レオナルド視点 小さな淑女 8
離宮の主がグルノールの街へと帰る、ということで、離宮はその出立準備で忙しい。
俺もグルノールの街へようやく帰ることになるのだが、俺の場合は冬に一度帰っているし、その前にも買い取ったミルシェを置きに行ったりと何度か館に帰っているので、荷物は少ない。
ほとんど着替えぐらいのものだ。
……ティナの荷物は増えたけどな。
砦と王都を往復していた俺とは違い、ティナは二年間離宮で生活をしていた。
その間に増えた荷物に、持って帰るものと置いていくものとで選別に苦労しているようだ。
体の成長に合わせて着られなくなった服や季節はずれの服は処分することにしたようだが、いくつかはエルケとペトロナが欲しがったため、結局荷物は減っていない。
ティナは自分より体の大きなエルケたちには着ることのできない服だが、と不思議そうにしていたが、二人は商家の娘だ。
自分たちには着ることができない服とはいえ、その価値が解っていたのだろう。
二人が持ち帰りたいと選んだ服は、どれも王都で新たに作った服だ。
自分が着るためではなく、王都の衣装としてグルノールの街へと持ち帰り、実家の商売へと取り入れたいと考えてのことだろう。
……まだ成人もしていないはずなんだが、二人ともしっかりしているな。
特にペトロナの実家は、糸や生地も取り扱う商家だ。
王都で作られた最新の服など、商売の種にしか見えないだろう。
「……結構、荷物が増えてしまいましたね」
ごめんなさい、とティナがアルフへと謝っていたが、これはティナの責任ではないし、そもそも荷物はそれほど増えていない。
帰りの馬車は食料と人を運ぶ物で三台、荷物だけの馬車が一台だ。
王都へと来る時に馬車が三台であったために増えたように感じるが、アルフと共に秋冬の服として馬車一台分の荷物が届けられている。
それを足せば、二年の生活で荷物は増えているのだが、帰りの荷物も行きと同じだけということになる。
ティナはちゃんと減らせるだけ荷物を減らしているのだ。
……ティナの荷物は、実用一辺倒だな。
着替えと靴と帽子、獣の仮装のための飾りと、折りたたみ式だと言って炬燵を積み込んでいた。
逆に『カレーライス』と名付けた大きな黒い犬のぬいぐるみのような荷物になる置物は離宮へと置いていくことになっている。
「……ティナ、何をしている? ティナがちょろちょろしていたら、使用人が動き難いだろう」
おいで、と使用人に混ざって馬車へと荷物を運び込もうとしていたティナを手招く。
小さい体で動き回るというのも邪魔になるが、使用人としては主が自分たちに混ざって働いているというのは、実にやり難いものだ。
主は主らしく、少し離れたところで作業の監督をしているか、それすらも侍女に任せてお茶でも飲んでいてくれる方が、使用人としては気が楽でもある。
「これはわたくしの宝物ですので、自分で運びます」
「宝物?」
使用人の邪魔をしたいのではなく、自分の大切な宝物なので、自分の手で運びたいのだ、と言ってティナは中身が見えやすいようにと箱を掲げる。
見せてくれるようなので、と箱の中身を確認すれば、中にはバシリアから贈られたという宝石箱が入っていた。
断りを入れて宝石箱の蓋を開けると、中にはオレリアから貰ったレースのリボンと俺の
最近になって増えた物といえば、バシリアから贈られた揃いの耳飾りだ。
……そろそろ装飾品も喜んでくれるんだな。
以前は髪飾りなど、何を贈ってもまるで無関心だったティナが、バシリアから贈られた耳飾りは宝石箱にしまうほど気に入っているらしい。
宝石箱に収められているものは、すべてティナにとっての特別だ。
ボビンレースのリボンなどティナやカリーサが作った物もあるのだが、これは別の箱に収められていた。
「……クリストフ様からいただいたカメオは入っていないようだが?」
「あれはいつもつけていますから、箱へは入れていませんよ」
見てみますか? とティナは襟周りへと指を滑らせる。
そうすることで指の腹で鎖を捕まえ、スルスルと服の中から金のペンダントを取り出した。
爪を引っ掛けて開くと、中から俺の横顔が出てくる。
「
「レオナルドお兄様も、いつも身につけているのですか?」
「つけてるぞ」
ほら、と服の中から金のペンダントを取りだす。
爪で開いて中を見せてやると、中から出てきた自分の横顔に、ティナははにかんだ笑みを浮かべた。
「レオナルドお兄様は、本当にシスコンですね」
「しすこん……?」
咄嗟にティナの言葉の意味が解らず、瞬く。
ティナの口から知らない言葉が出てきたのは久しぶりだ。
また日本語だろうかと確認すると、英語の『シスター・コンプレックス』の略だと教えてくれる。
英語と判れば、俺にも意味が判った。
「……ティナの兄貴はシスコンじゃないぞ。どちらかというと、ファミリー・コンプレックスだ」
ティナが妹だから大切なのではなく、家族だから大切なのだ、と言い直す。
手元で庇護している
妹だから大切なのではなく、ティナが弟だったとしても大切だ。
「シスコンでもファミコンでも、どちらでもいいのですが、レオナルドお兄様はこの病気を治しませんと、お嫁さんが来てくれませんよ」
「……それは薄々感じている」
宝石箱の蓋を閉めると、ティナは他にも自分の手で運び込みたい宝物を見せてくれた。
俺の贈ったボビンレースの道具一式と、ハルトマン女史に贈られた裁縫箱、今年の誕生日の贈り物である化粧箱と、女の子の持ち物に相応しい装飾的な飾りつけがなされた物の中に、飾り気のない小さな鉢が二つ混ざっている。
「この鉢は? これもティナの宝物か?」
そもそもこんな
どんなものであってもティナの宝物として紹介されている物だ。
それを俺が否定しては不味いだろう。
「この鉢は今年の春華祭と昨年の春華祭で、レオナルドお兄様が贈ってくださったエノメナの鉢です」
花はもう枯れてしまったけど、鉢は残りますからね、と笑うティナが可愛くて嬉しい。
俺としてはエノメナの花を選んで春華祭に配達されるよう手配しただけなのだが、花が終わったあとの鉢までティナが大切にしてくれているとは思わなかった。
ティナはただの鉢を宝物にしているのではない。
俺が贈った鉢を大切にしてくれているのだ。
……来年からは鉢も自分で選ぼう。
そんなことを考えたのは、ティナには一生秘密だ。
帰路の馬車の中で、ティナはハルトマン女史と別れ少し寂しそうにしていた。
これを見かねたカリーサが、ティナのリボンにハルトマン女史の使っていた香水を少しつける。
ハルトマン女史の香水は、家庭教師が身につけていただけあって、香りは清楚に柔らかく、大輪の花のような艶やかさはない。
淑女がちょっとしたお洒落として香らせるものに相応しく、これから香水を使うようになる少女が最初に触れるものとして相応しいようにも思えた。
ティナもそう感じたのか、単純にハルトマン女史を思っているのか、香りのつけられたリボンは髪へではなく手首へと結んでいる。
頭の後ろからほのかに香るより、好きな時に手首のリボンから匂いをかぎたいようだ。
「その香りが気に入ったのなら、大瓶で買うか?」
「必要ありませんよ。今はヘルミーネ先生がいなくなって寂しいから使いますけど、コクまろがいますからね」
化粧箱へは小瓶につめた何種類かの香水を入れたため、今使っている香りはすぐになくなってしまうだろう。
そう考えて大瓶で香水を買うかと聞いてみたのだが、ティナは足元の
臭いに敏感な犬がいるため、あまり香水を使うのはよろしくないだろう、と。
……これが自分から積極的に香水をおねだりするようになったら、嫁入りが近い気がする。
今はまだ黒柴を理由にしたり、自分にはまだ早いといって遠慮するティナだが、いつか大人になれば香水を求めるだろう。
俺自身はまだ早いと思っていたのだが、ティナへ化粧箱を贈ったのもそのためだ。
ハルトマン女史の助言を受けての贈り物だったが、ティナが少しずつ化粧を覚えていくためには、今ぐらいの年齢でよかったのだろう。
このあたりの意見を聞かせてくれたはずの母親が、ティナにはいない。
そういった意味では、本当に良い家庭教師を選んだと思う。
……いや、ハルトマン女史はアルフの紹介だったけどな。
ついでに言えば、一度家庭教師という看板に騙され、ティナにはとんでもない家庭教師を付けたことがある。
あれは本当に失敗だった。
……ディートフリート様の申し出には驚いたが、これからはああいう話も増えてくるのだろうな。
先日のディートフリートからティナへの求婚を思いだし、眉間に皺を寄せる。
ティナは一縷の望みも残さないようキッパリと断っていたが、いつかは誰かの申し入れを受ける日がくるだろう。
兄である俺はその日に備え、ひたすら鍛えるしかない。
そんなことを考えていたら、ティナに呼ばれた。
馬車の中では護衛として扉の近くにいたのだが、こっちに来て、とティナから呼ばれるままにテーブルへつく。
アルフと
「……それは、私が聞いてもいい話なのか?」
真面目な相談と聞いて、アルフが眉を寄せる。
家族間の相談ごとならば、自分は聞かない方がいいだろう、と。
しかし、そんなアルフをティナは引き止めた。
「ヘルミーネ先生が、レオナルドお兄様は当てにならないので、アルフレッド様にまず相談なさい、とおっしゃられていました」
だから一緒に相談に乗ってください、とティナは言う。
「ハルトマン女史の言った『アルフレッド』はアルフの方だと思うんだが……」
ティナのアルフへの全幅の信頼が妬ましくて、つい横槍を入れてしまう。
アルフレッドの振りをしているとはいえ、ここにいるのはアルフだ。
間違ってはいないのだが、なんだか微妙に面白くない。
「ヘルミーネ先生はどちらのアルフレッド様も『アルフレッド』と呼んでいたので、大丈夫です」
「いや、たしかにハルトマン女史はどちらも『アルフレッド』と呼んでいたが、『王子』と『様』で使い分けていただ……痛っ」
ペチッとティナに太ももを叩かれる。
くだらないやり取りはいいから、まずは話を聞け、ということだろう。
最初からアルフを交えた相談など、どんな内容かと思って聞いてみれば、ティナは俺の嫁になることを考え始めたらしい。
自分が俺の嫁になると言ったらどう思うか、と聞いてきた。
これまでも何度か冗談でそういう話にはなったが、今日は『真面目な相談』と先に言われている。
これはティナなりに、真面目に考えての相談なのだろう。
……となると、俺も俺なりに真面目に考えなくてはな。
真面目に、ティナが自分の嫁になることについて考えてみる。
今はまだ少女といった年齢のティナだが、いつかは大人の女性に成長していく。
そのティナの横に伴侶として並ぶのが、どこの馬の骨とも判らない男ではなく、俺ということになる。
そして、俺の横に伴侶として並ぶのもティナだ。
「単純に考えれば、ティナを手放さなくていい、と嬉しいが……」
本当に、単純に考えるとこうなる。
ティナが俺のところへと嫁に来るのなら、生活としては今と変わらない。
他所へと嫁に行かず、ティナがずっと俺の元にいてくれることになるのだ。
こんなに嬉しいことはない。
「……では、レオナルドお兄様はわたくしがお嫁さんでいいですか?」
ティナの青い目で真っ直ぐに見つめられ、提案としてはすぐにでも飛びつきたいのだが、理性の部分がそれを押さえつける。
ティナから覚える違和感に、アルフもまた同じことを感じているようだ。
僅かに眉を顰めると、なぜ突然そんなことを言い始めたのか、とティナの言葉へと補足を求めた。
「レオナルドお兄様のお嫁さんになろうと思った理由ですか? 一つはヘルミーネ先生を呼び戻す方法として有効で、もう一つはディートフリート様に求婚された時に思ったのです。レオナルドお兄様の方がいい、って」
後半は嬉しいのだが、前半はなんだろう、とさらに説明を要求すると、ティナはハルトマン女史を呼び戻す方法についてを語り始める。
自分が子どもを産めば、その子どもの家庭教師としてハルトマン女史を雇えるのではないか、と。
ハルトマン女史が冗談交じりにそんなことを言ったらしい。
……つまり、ハルトマン女史の影響か。
転生者であるティナは、大人のような考え方をする子どもだと思っていたのだが、変なところで実に子どもらしい発想をする。
まさかハルトマン女史の冗談を真に受けて、本気で俺との結婚を検討し始めるとは思わなかった。
「この先、誰に求婚されたとしても、おそらくはレオナルドお兄様と比べて考えて、レオナルドお兄様の方がいいと思うのだろうな、と考えました」
俺が嫁を見つける気配もないし、丁度いいだろう、というのがティナの考えだ。
俺たちは兄妹でお互いに依存しすぎており、恋人などできそうもない、と。
「ティナはレオナルドが好きか?」
「好きですよ」
アルフの問いに、ティナは少しの迷いもなく答える。
俺を好きだと答えることに、なんの照れも戸惑いもなく、あたり前の顔をして、ただの事実としてだけ返答しているのがよく判る顔だ。
アルフもこれに気がついたのだろう。
少し質問を変えた。
「……それは異性として?」
「え? それはわかりません。でも、レオナルドさんが一番好きです」
世の中には政略結婚や見合い結婚があるのだから、結婚に恋愛感情など必ずしも必要なものではないはずだ、と続けたティナの唇をアルフが指で摘まむ。
ティナの可愛らしい唇が
「いらいれすよ!」
「でも、言ってはいけないことを言ったのは解っただろう?」
「言ってはいけないこと、ですか?」
アルフの手を払い、ティナが首を傾げる。
なにか言ってはいけないことを言ってしまったために口を閉ざされたことは理解できたのだが、その内容については心当たりがないのだろう。
それはそのはずだ。
ティナの発言で不味かったのは、アルフに対してではない。
俺に対してなのだから。
チラリと思い浮かんだ面影に、一度深く息を吐く。
ティナはアルフに気を取られているため、俺の表情になど気がつかないだろう。
アルフがティナの注意を逸らしてくれている間に、思いだしてしまったものを記憶の底へと沈める。
「……ティナが、ティナが俺を一番好きだと言うのは、まだ恋を知らないからだ」
深呼吸をしたおかげか、思ったよりも平静な声が出た。
「今は好きな人なんていなくても、ティナはこれから大人になっていくんだ。いつかはそんな男が現れるかもしれないだろう?」
その日が来た時に、ティナに裏切られたとは思いたくない、と続ける。
今はティナの狭い世界では俺が一番かもしれないが、いずれティナの世界は広がるだろう。
新しく出会った誰かに恋をして、子どもの頃にした
そう、裏切りだ。
ただの子どもとの口約束でしかない『お兄様のお嫁さんになる』という言葉を、俺は絶対真に受け、期待する。
妻や実子、家族というものに対する執着と憧れは、きっと誰よりも強い。
それを裏切られれば、たとえ
運はわりと良い方だと思うのだが、女運だけは最悪だという自覚がある。
ティナには、可愛い妹のままでいてほしい。
俺と相性最悪の大人の女になど、なってほしくはない。
「……わかりました」
ティナは時折何かを言いかけて口を開き、また閉ざす。
それを数回繰り返したあと、少しだけ沈んだ声でこう言った。
自分の申し出が断られたのは、自分の将来を思ってのことと、俺の心を守るためでもあるのだな、と。
変なことを言ってごめんなさい、と小さく詫びるティナに、ひらめくものがある。
……ティナは、誰かから聞いたんだな。
二年も王都に住んでいれば、噂話ぐらいは聞こえてくるだろう。
結婚にまつわる話で、俺が一度手酷い裏切りを受けたことがあると。
「ティナが大人の女性になって、その時に俺を異性として好きになってくれたら、その時に改めて求婚してくれ」
俺は待ちたくないし、待っている間にまた裏切られたくはない。
前回は待たせている間に裏切られたわけだが、そんな違いは些細なものだ。
少し沈んでしまったティナを慰めようと、わざと明るい声を出す。
おそらく情けない顔をしているだろう俺を見て、ティナは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「レオナルドお兄様は、わたくしが異性として好きですって言えるぐらい、頑張ってわたくしを惚れさせてください」
はにかみ笑顔のティナがいつもどおり可愛いのだが、今日は横からアルフが余計な合いの手を入れる。
それは、俺には難しい注文ではないか? と。
……そんなことは、おまえに指摘されなくてもわかっている!
わかってはいるのだが、言い返せないので内心でだけ反論しておく。
ティナが『カッコいい』と思うものと、俺が『カッコいいだろう』と思うものは、どうにも致命的なズレがあるようなのだ。
俺が俺の異性としての魅力とやらで、ティナを惚れさせることなど、万が一にもないだろう。
少なくとも、ティナが大人になるまでの数年程度の時間では不可能だ。
情けないことに、そんな自信だけはあった。
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