第9話 お茶会と求婚

 お茶会当日は、よく晴れた。

 夏の晴れの日ということで、少々眩しい。

 とはいえ、日本の夏のような湿度はないので、屋外でのお茶会も日差しさえ避けられれば快適である。

 庭には東屋もあったので、日除けには困らない。


 レオナルドにくっついて招待客へと挨拶に回る。

 今日のレオナルドは私の護衛ではなく兄だ。

 後ろではなく横に立っているので、くっつきやすくて便利である。

 一つ残念なことがあるとすれば、いつもどおりの白銀の騎士の制服姿であることだろうか。

 たまにはおめかしをしたレオナルドが見たい気もする。

 お茶会のドレスコードを獣の仮装にすることには成功しているので、レオナルドの頭には黒い犬耳がついていた。

 私の獣耳は猫耳のことが多いのだが、今日はレオナルドとお揃いということで黒い犬耳である。


 セドヴァラ教会の薬師の一団の中にバルバラの姿を見つけ、挨拶をした。

 私にできることは日本語を読むぐらいなので、薬師たちには本当に世話になったと思う。

 なにしろ、調薬については素人なんてものではない。

 いくら処方箋レシピどおりに作ったと判っていても、それを投薬実験することには躊躇いしかなかっただろう。

 そこで一度は踏む二の足が、薬師という調薬を生業としている者たちを間に入れることで省略された。

 おかげで二年という短い時間で、失われた聖人ユウタ・ヒラガの秘術が三つも復活できたのだ。


「……また何か復活させる時は、声をかけてほしい」


「グルノールの街に戻るんだろ? 私もそちらへ移ろうかな。そうすれば、成人を待たなくとも秘術の研究が続けられる」


 薬師たちの間では『二年後の成人』と期待されているものを、『日本の成人年齢である』とやんわり訂正して回る。

 二年と七年では大きな開きがあるので、本気でグルノールへの移動を検討し始める者もいた。


「無事の快癒をお喜び申し上げます。このたびの神王からの呼び出しでは、大変な目に合われたのだとか……」


「精霊に攫われたのは神王の気まぐれですから、メンヒシュミ教会のせいではありません。どうかお気になさらないでください」


 精霊の攻撃を受けて以来、メンヒシュミ教会の女性導師には顔を合わせるたびに詫びられている。

 私が怪我を負ったのは、誰の責任かと突き詰めて考えれば精霊の八つ当たりでしかないので、メンヒシュミ教会の導師が責任を感じる必要も、私に謝る必要もない。

 そう何度も伝えているのだが、この導師にはそうですかと割り切ることはできないようだ。

 もしかしなくとも、私の髪が短くなってしまったのが罪悪感を刺激するのだろう。

 傷は跡も残らず綺麗に消えたが、短くなった髪は確かにあの攻撃があったものだと示すものになってしまっていた。


 ……私はあんまり気にしていないんだけどね? 髪の長さぐらい。


 少し頭が軽くなって、動きやすくなったぐらいだろうか。

 さすがに丸坊主にされれば悩みもするし、恥ずかしくて外へは出られないだろうが、まだセミロングだ。

 周囲が気にする程、私は気にしていない。


 いつまでも謝られていては空気が悪くなってしまう、と話題を変える。

 ボビンレースの指南書を印刷した時は世話になった、とお礼を言えば、導師には追加を印刷しないのかと聞かれた。


「クリスティーナ様が印刷された本は、すぐに売れてしまったのでしょう? どこから噂が流れているのか、我が教会へと問い合わせが来るのでございます」


「あれはわたくしが欲しかったのと、フェリシア様へとお渡しするものとして、装丁に凝りましたからね」


 フェリシアと懇意にしている貴族へと販売され、すでにフェリシアの元にも在庫はない。

 私はというと、フェリシアが良い値段で買ってくれたため、装丁で遊んでしまったのだが足は出ていない。

 それどころか、蓄えが増えてもいた。

 同じ装丁で追加を作るのは手間がかかるが、最初の目的はボビンレースを広めたいと思って作った指南書だ。

 装丁の質を落とし、平民に手が出せる値段の本を印刷する予定ならある。

 もしかしなくとも、フェリシアはそのために本の代金を多めに支払ってくれたのだろう。


「グルノールへ戻ったら、あちらのメンヒシュミ教会で装丁を落とした平民でも買える値段の物を印刷しようと思っています」


「では、でき上がりましたら個人的に一冊買わせてください。わたくしも始めてみたいと思っていたのです」


「うれしい。ぜひ、ボビンレースに挑戦してみてください」


 女性導師と別れると、今度はケーキを自作できるテーブルを眺めるゴドウィンへと挨拶をする。

 ゴドウィンには、料理人に指示をして組み立てる程度のケーキ作りであっても、自分でケーキを作るという光景が珍しいようだ。

 面白いことを考えたな、と苦笑いを浮かべているのだが、私には混ざりたそうな顔に見えるのだが、気のせいだろうか。

 テーブルには子どもが多いので、近づき難いのかもしれない。

 あとでレオナルドにでも挑戦させて、男性でも参加しやすい空気を作った方がいいだろう。


「あれはディートフリート王子だな」


「え?」


 ディートフリートの挨拶など受けただろうか、と改めてケーキ作りをしているテーブルを見る。

 たしかに、なんだかすっかり見慣れてしまった猫の頭部を被った少年が、バシリアの助言アドバイスを受けながらケーキを作っていた。

 意外に可愛らしい好みをしているのか、選んだスポンジ台はピンク色をしている。


「……よくあの猫の頭の下がディートフリート様だとご存知ですね」


「一部では有名だな。……そして、あちらの猫がクリスなる大猫だ」


「聞かなかったことにしておきます」


 ディートフリートとは少し離れて、一人で三つのケーキを作っている大人がいる。

 猫の頭部を被っているため顔は見えないのだが、三つのケーキは三人の妻への土産だろう。

 今日は来ないという約束だったはずなのだが、顔が見えなければ良いと考えたのかもしれない。

 残念ながら、フェリシアを通じて知り合った私の交友関係には杖爵が多い。

 杖爵ともなると、立ち居振る舞いだけで猫の被り物の下がクリストフだなんてことは判ってしまうようだ。


 ……まあ、レオナルドさんを『さくら』にしなくても、男性が参加できそうな雰囲気にはなったみたいだからいいか。


 ゴドウィン様もいかがですか、とケーキ作りのテーブルを勧めたら、少し困ったような顔をする。

 興味はあるが、アレと同じことをするのには抵抗があるのだろう。


「男の人も参加して大丈夫ですよ、という雰囲気を作りたいので、ご協力いただけますか?」


「……そういうことであれば、仕方がない。協力させてもらうとしよう。クリスなる大猫では、逆に周囲が近寄り難くなっているようだからな」


 ゴドウィンをテーブルへとエスコートすると、別れ際に「何かあったら遠慮なく連絡しろ」と言われた。

 私には恩があるので、必ず手を貸す、と。

 ありがとうございます、と礼を言って、大きな猫が悪さをしないよう見張りを頼んでおいた。


「ずっと離宮に滞在していたから、改めて招待されるというのは、なんだか不思議な気分ね」


「フェリシア様には、本当にお世話になりました」


 今ならケーキ作りのテーブルに王族が揃っていますよ、とお勧めしたら、軽く頬を抓られる。

 ケーキ作りには興味があるが、あの二人と同列に語られたくはないらしい。

 全裸と猫の被り物で、どちらがましかと言えば後者な気がするのだが、今のフェリシアは創作物の悪役のような際どい衣装とはいえ、服を着ている。

 際どい衣装の美女と猫の被り物をした祖父と孫であれば、いい勝負であろう。


「痛いれす……」


「あら? 今何か失礼なことを考えている顔をしていたと思ったのだけど?」


 ……さすがです、フェリシア様。するどいね。


 抓りやすい頬ね、と今度は白い指でぷにぷにと頬をつつかれる。

 フェリシアほどの美女ともなれば、何をされても御褒美としか感じないのが恐ろしい。


「犬の鼻は人間より信頼できるから、どんな時でもコクまろを離さないようにね」


 これは離宮へと毒物が持ち込まれた時の話をしているのだろう。

 ヴァレーリエは疑われ、遠ざけられるだけで済んだが、スティーナは騙されたとはいえ私へと毒を盛った罪で実家の領地から出られない身となってしまった。

 直接毒を離宮へと持ち込んだ女中は、その日のうちに毒をあおって死んでいる。


「アルフたちは、今あなたにつける護衛の選定で忙しくしているようよ」


「護衛といえば、フェリシア様はお気に入りの騎士とはどうなっているのですか?」


 具体的に言うと、今日のエスコート役の彼です、と白銀の騎士の制服を着た明るい金髪の青年を示すと、彼を振り返ったフェリシアは小さく首を傾げ、茶目っ気たっぷりに口の端をあげた。


「どうにもならなくてよ。アルフが父上の跡を継いでくれるのなら、わたくしは気に入った相手を選ぶことができるけど、そうでないのなら王配に相応しい者を選ぶしかないわね」


「なるほど、ここで『自分が王配に相応しい男になります!』と言えたら、彼がフェリシア様の旦那様になられるのですね」


 これは親交を深めておいた方がいいだろうか、と金髪の騎士を見上げると、騎士は困ったように頬を赤らめた。

 現在玩具にされている金髪の騎士は、なんというのか、とにかく可憐だ。

 男性なのに、可憐だ。

 これはフェリシアが気に入るわけである。

 ついでに言えば、レオナルドとは真逆のタイプにも見えた。

 国の将来を見据えればレオナルドが王配に相応しく、フェリシアの個人的な好みとしてはこの金髪の騎士を気に入っているのだろう。


「……アルフレッド様も独身ですね」


 普通、王子さまと言ったら幼い頃から婚約者がいて、年頃になれば直ぐにでも結婚するものなのではなかろうか。

 そう考えて、思いだす。

 アルフレッドにも婚約者はいたはずだ。

 元・アルフの婚約者という、実に微妙な立場の婚約者が。


「あの子も、どうするつもりかしらね」


 アルフの元婚約者は、今でもアルフレッドを待って誰とも結婚をしないでいるらしい。

 結婚適齢期が、と焦っているのは彼女の父親だけなようだ。


 金髪の騎士を煽るだけあおって、フェリシアを見送る。

 ソフィヤとミカエラが来たとレベッカが耳打ちしてくれたので、そちらへと挨拶に向かう。

 ソフィヤの隣にはアリスタルフがいたのだが、そのさらに隣にはベルトランがいた。

 来たければくるがいい、と少し意地悪な誘い方をしたのだが、本当に来たらしい。


 ……これは、一言ぐらい声をかけなきゃ、あとでアルフさんに怒られそうだね。


 ぎゅっとレオナルドの腕へとしがみつき、顔を隠して深く溜息をはく。

 ベルトランと対峙することは避けて通るわけにもいかないので、少し気合を入れる必要があった。


「こんにちは、ようこそおいでくださいました、ミカエラ様、ソフィヤ様。アリスタルフ様はあちらで盤上遊戯ボードゲームなどいかがですか?」


 アリスタルフは盤上遊戯が強い。

 そう知っているので、盤上遊戯の用意してあるテーブルへとアリスタルフを誘う。

 ミカエラのお茶会以来ディートフリートに付き纏われているらしいアリスタルフには、男の子の友人が増えたようだ。

 アリスタルフの姿を見て寄ってくる男の子の中に、ディートフリートもいた。


 ……そういえば、被り物をしてるディートって、どうやって他の子と意思の疎通をしてるの?


 あの被り物をしていると、音が中にこもって声が聞き取り難いのだ。

 それとも、私とだけまともな会話ができていないだけで、友人たちとは普通に話しているのだろうか。

 そう思ってずんずんとアリスタルフの元へと歩いてきたディートフリートを見ていると、ディートフリートはむんずとアリスタルフの腕を掴み、リバーシ盤の用意されたテーブルへと引っ張っていった。


 ……なるほど。あれならしゃべらなくても意思は通じるね。


 私とバシリアを引っ張り回していた頃となにも変わっていないように見えるのだが、相手は男の子だからか、案外上手くいっているようだ。


 ……そして気まずい。


 ジッとこちらを見てくるベルトランの気配を感じ、レオナルドの腕を持ち上げて腕と脇の間へと体を滑り込ませる。

 なにか話しかけなければ、とは思うのだが、何を言ったらいいのかが判らなかった。

 憎まれ口なら簡単に出てくる自信があるのだが、いつまでもそれではいけないということも判っている。

 そして、レオナルドとベルトランの視線が私へと集まっていることも、ヒシヒシと感じた。


「……ベルトラン様も、ゆっくりしていったらいいですよ」


 たっぷりと考える時間を与えられ、やっと出てきた自分の言葉に、自分でがっかりする。

 もう少し可愛げのある言葉が言えないものかと思うのだが、これではバシリアと大差ない。

 バシリアには素直になれないながらもデレているという可愛らしさがあるが、私の場合は素直さも可愛らしさもない、ただの天邪鬼だ。


 自分で自分に落第点をつけつつ、これで義理は果たしたぞ、と撤退を開始する。

 レオナルドの脇から抜け出て腕を引っ張ると、ベルトランへはさっさと背中を向けてエセルバートやシェスティンへの挨拶に向かった。

 一度も振り返ることはできなかったので、可愛げのない私の言葉を聞いたベルトランがどんな顔をしていたかは知らない。







「……疲れました。淑女の皆さんは大変ですね」


 最後の招待客を見送り、ホッと一息つく。

 今日一日お茶会を開催しただけでこれだけ疲れたというのに、淑女は自分や家族の誕生日にお茶会を開き、庭の花が綺麗に咲いたといってはお茶会を開き、素敵な布が手に入ったと言ってはお茶会を開くのだ。

 彼女たちは存外タフな生き物なのかもしれない。


 お茶会会場としていた夏の庭では、すでに使用人たちが片付けを始めている。

 私にも手伝えることがあるだろうか、と玄関へ入ろうとしたところ、横合いから猫の被り物をした少年が飛び出してきた。


「わっ!? ディートフリート様。……何をしているのですか?」


 びっくりしたのは私だけで、レオナルドも黒柴コクまろも平然としている。

 少し離れた場所に待機するアーロンには見え見えだったのだろう。

 私の護衛でうろたえたのは、ジゼルだけだ。


『……ん!』


 くぐもった声ではあったが、久しぶりにディートフリートの声を聞いたな。

 そう思っていると、目の前へと青い花の花束が差し出される。

 前世で見たネモフィラの花に似ているが、この世界での呼び名は知らない。


「えっと……、くれるのですか? ありがとうございます」


 なんだかくれるようなので、と青い花束を受け取る。

 花束を贈られる心当たりなどないので、今日は何の日だったかな、と記憶を探るが、特に該当するものはない。

 ではなんだろう、と考えていると、今度は黄色とピンクでストライプ模様が作られたケーキが差し出された。


「ケーキもくれるのですか? あれ? これはお茶会で作っていた……あれ?」


 ディートフリートの差し出してきたケーキへと視線を落とし、そこに書かれていた文字を読んで目が点になる。

 読み間違えただろうか、と確認の意味を込めてレオナルドを見上げたら、レオナルドがいつもとは真逆な意味で外に出せない顔になっていた。

 この顔で睨まれれば、アリスタルフやソフィヤあたりは心臓発作で死んでしまうかもしれない。

 そんな凶悪な顔をしているのだが、私へと向けられたものではないし、ディートフリートは猫の被り物をしているし、でまるで効果はなかった。


『……にしてやってもいいぞ』


 くぐもって最初の方は聞き取れなかったのだが、『結婚してください』と書かれたケーキとあわせれば、ディートフリートの言いたい言葉は判る。

 言いたいことは判ったので、こちらもはっきりと答えた。


「……猫の被り物をして、ろくに会話もできない旦那様なんて嫌です」


「……っ!」


 言葉は聞き取り難いのだが、息を飲む音はよく聞こえる。

 さすがにはっきり言い過ぎたかとは思ったが、オブラートに包んでも答えは同じだ。


 はっきりとお断りされたディートフリートは、いつものように走り去るかと思っていたのだが、今日は少し違った。

 猫の頭を抱えてしばらくなんらかの葛藤を繰り返し――私からは奇妙な踊りに見えた――ディートフリートの中で決心がついたのか、ゆっくりと猫の被り物を脱ぐ。


 中から出てきたのは、恐ろしいまでの美少年だ。

 綿毛のようにふわふわとした金髪と、キラキラと輝く青い目をしている。

 まだ少し幼さは残っているのだが、もう二・三年もすれば正統派イケメン王子さまに成長することは間違いないだろう。


 ……この顔が普段は猫の被り物の下に隠れてるとか、もったいないよ……っ!


 驚く程の美少年である。

 そうは思うのだが、私はフェリシアの女神の美貌で目が慣れていた。

 衝撃はあったが、それだけだ。

 思考を奪われる程にディートフリートの顔に見惚れる、ということもなかった。


「お、おまえが望むのなら、僕の妻にしてやってもいいんだぞ」


「レオナルドお兄様より弱い人は嫌です」


 今度はさすがに聞き取れたぞ、と変なところで感心しながら、やはりすげなくお断りする。

 気のせいでなければ、王族からのなんらかの申し出には断ってばかりいる気がした。


「……レオナルドより強くなるから!」


「レオよりですか?」


 うーん? とここに来てようやく少し考えてみる。

 私が普段から提示している結婚の条件は、レオナルドよりも強い人、だ。

 これは妹を溺愛しているレオナルドが安心して私を送り出せる男性、という意味でふるいをかける言葉でもある。


 ……将来的にディートがレオナルドさんより強くなるだなんて思えないんだけどね?


 それでも、と可能を踏まえて考えてみる。

 ディートフリートがレオナルドより強くなったとして、ディートフリートの嫁になりたいかと問われれば答えは『ノー』だ。


「……例えレオがディートより弱くても、わたしはレオの方がいいです」


 レオナルドと結婚したいのかと聞かれれば、『わからない』としか答えられないのが情けないところだが、この先も一緒にいる人と考えた場合には、レオナルドがいい。

 というよりも、レオナルドと離れて別の家庭を築くということが、考えられないのだ。

 私の未来には、レオナルドに一緒にいてほしい。


 ……うん? あれ?


 思考が変なところへ着地したぞ、と気がついて、自覚した。

 私は多分、レオナルドより強い人がいたとしても、レオナルドがいいと思うだろう。

 私はレオナルドが大好きなのだ。


「……わたしの兄至上主義ブラコン、ついに取り返しがつかないレベルに!?」


 嫁にも行かずに兄とずっと一緒にいたい、というのはさすがに不味いだろう、と慌ててレオナルドへと縋りつく。

 貴方の妹は病的なまでのブラコンです、と切々とレオナルドへと訴えたら、レオナルドはいつも通りの意味で外へと出せない顔になり、背後からは涙声と走り去るディートフリートの足音が聞こえた。

 途中で一度べしっと転んだ音がしたのは、また猫の被り物を被ったためだろう。

 あれを被っていると、きっと視界はよろしくない。


「そうか。ティナは俺がいいのか。じゃあ、本当に『お兄ちゃんのお嫁さん』になるか?」


 断るにしても、断り方というものがある。

 ディートフリートには少し悪いことをしただろうか、と走り去って行く背中を見つめていたら、レオナルドに抱き上げられた。

 こちらはこちらで、デレデレしっぱなしだ。

 我が兄ながら、情けない顔をしている。

 少しはしまりのある顔をしてほしかったので、私を嫁にする場合の避けて通す気のない条件を突きつけてやった。


「わたくしは自分の夫、もしくは恋人が娼館へ通うのは許しませんし、二十歳まではお嫁にいく気はありませんよ」


 私が成人するまでの残り七年を禁欲できるのなら結婚しましょう、と言って淑女の笑みを浮かべてやる。

 憎らしいことに、この条件には早々に白旗を上げられたので、私は早くブラコンを卒業した方がいい。

 未来のいもうとと現在の娼婦せいよくとを天秤にかけて、私を選ばなかった兄に未来は無い。

 シスコンをこじらせてお嫁さんなど捕まらなければいいのだ。

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