第6話 事情聴取と筆談

 目が覚めると、知らない部屋のベッドに寝かされていた。

 ここはどこだろう、と首を巡らせて周囲を確認しようとしたら、喉がツキリと痛む。

 少し頭を動かすだけでも痛むのだから、この怪我は結構厄介だ。


 声を出して人を呼ぶわけにもいかず、ベッドの中で腕をパタパタと動かす。

 動かすたびにチクチクとした痛みがあるのだが、誰かを呼ばないことにはどうにもならないのでしかたがない。

 ベッドへと腕が落ちる音が聞こえたのか、衣擦れの音が聞こえたのか、少し待つと天蓋を開けて侍女が顔を出した。

 見覚えのない顔の侍女だったが、彼女は私の世話を任されているのだろう。

 私が目を覚ましたと知ると、侍女は背中へとクッションを詰め、私の体を起こしてくれた。


 ……あ、手当てされてる。


 体を起こしたことで自分の体が確認できるようになったのだが、服から出ている肌には白い包帯が巻かれているのが見える。

 ついでに言うと、コヨルナハルの衣装も白いネグリジェへと着替えさせられていた。

 少しの休憩のつもりで意識を手放したのだが、もしかしたら結構な時間を眠っていたのかもしれない。


「クリスティーナ様が目覚められたことを報告に行ってまいります。何か必要なものがございましたら運ばせますが、何かございますか?」


 クッションの高さを調節し、掛け布の皺を伸ばした侍女がそう言ってくれたので口を開きかけ、またもツキンと痛んだ喉に口を閉ざす。

 反射的に喉を押さえようと持ち上げた手まで痛んだので、踏んだり蹴ったりだ。

 喉に触れたことで判ったのだが、喉にも包帯が巻かれていた。

 葉で覆われてはいたが、葉の下にも異常があると、手当てをした薬師には判ったのだろう。


 しゃべることはできなかったので、こちらもやはり痛むのだが、腕を動かして文字を書くジェスチャーをする。

 喉に巻かれた包帯のおかげで、侍女も私の要求はすぐに理解してくれた。

 何か書くものを用意する、と言って侍女は天蓋を出て行く。

 一瞬だけ開かれた天蓋の向こうに、白銀の騎士が数人並んでいるのが見えた。

 もしかしたら、私に対する見張りかもしれない。

 なんといっても、国王以外は基本的に立ち入らないはずの『精霊の座』への侵入者だ。

 私とわかった上でも、放置はできないのだろう。


 ……そういえば、勢い余って『精霊の座』を壊しちゃったはずなんだけど……怒られる、かな?


 一応は精霊と昔の王様が遭遇した場所だ、といういわくが付いていたはずだ。

 いすではなく棺だという真実を知ってしまえば、逸話自体怪しいものだと思えるのだが、そんなことはクリストフたちには関係がない。

 大事な国の宝を壊してしまったのかもしれないのだから、怒られる可能性はある。


 ……神王様の指示だったんだけど、説明したら許してくれないかな?


 許してくれるといいな、という希望を胸に、できるだけ体を動かさないようにして侍女を待つ。

 筆記用具でもない限りは、誰とも会話ができないのだから仕方がない。


 できれば紙より何度も消して使える塗板こくばんがいいな、と思っていたところ、用意されたのは塗板だった。

 さっそく白墨チョークを握って侍女にお礼を言おうとしたら、やっぱり腕が痛んだ。


 ……あ、わかった。紙より塗板だったのは、腕が痛むたびに下ろしていたら、シーツにインクが付くからだ。


 ついでに言えば、白墨はそのまま書けるが、ペンは使うたびにインクをつける必要がある。

 今の私では、ペン先にインクを付けるだけでも痛む腕に悶絶していたはずだ。


 ……うん、王城の侍女は優秀だね。







 薬師とその助手から手当てをした箇所についての説明や注意点を聞いていると、早歩きとわかる足音がして扉の開く音がした。

 視線だけで音の方向を見ると、足音の主はこちらへと近づいてきているらしく、一瞬だけ天蓋が揺れたかと思ったら何か大きな音がする。

 ひそめられた声がポソポソと聞こえたかと思うと、天蓋の向こうからはソラナの声が聞こえてきた。


「クリスティーナお嬢様、ソラナです。入ってもよろしいでしょうか?」


 声を出すことはできなかったので、目だけで頷いて薬師の助手に天蓋を開けてもらう。

 すぐにソラナが天蓋の中へと入ってきたのだが、その奥にはレオナルドの顔が見えた。

 ソラナは簡単に私の姿を確認すると、髪を背中へと流したり、襟ぐりの皺を伸ばしたりと私の身だしなみを整える。


「レオナルド様に入っていただいてもよろしいですか?」


 うん、と頷きかけて、また喉が痛む。

 本当に一瞬の隙で痛むのだから、今回は手ひどい目にあったと思う。


 ソラナからの了承が出て、レオナルドが天蓋の中へと通される。

 クッションを背もたれにしてベッドに横たわる私を見たレオナルドは、無表情になった。

 怒りも喜びも、何もない。

 息を飲み込む音が、妙に大きく聞こえた。


「……何があった、ティナ」


 抑えられた怒りの滲む声音に、レオナルドへと両手を伸ばす。

 腕の傷がズキズキと痛んだが、こんなものは一瞬のことだ。

 少し痛いのを我慢してレオナルドへと抱きつけば、あとは動かずにいればいい。


 伸ばした腕がレオナルドへと受け入れられたので、安心して力を抜く。

 倒れこむようにレオナルドの腕の中へと迎え入れられれば、ホッと体から緊張も抜けていった。


「痛かったか? ごめんな」


 少し納まりのいい姿勢を探して身じろぎ、レオナルドの腕が傷に当って痛みに眉を寄せる。

 私の不注意だったのだが、なぜかレオナルドが謝った。

 これならどうだ、と腰へと回されたレオナルドの腕が傷口に当たって再度痛む。

 傷口に物があたらないように、と腕と体の間にクッションが差し込まれた。


「それで、何があった? また精霊に攫われたのだろう? 突然姿が消えたから、驚いたぞ」


 私の無事を確認するように、レオナルドの手が私の腕に触れる。

 怪我の具合を見ているのだということはわかるのだが、地味に痛くて眉を寄せた。

 そうすると、私が痛がっているのが判ったようで、レオナルドも私の腕から手を離す。

 傷の具合は気になるのだが、私が痛がることはしたくないのだろう。


 ソラナに視線で塗板を取ってもらい、白墨を握る。

 文字を書くだけでも痛むのだが、会話ができないことにはどうにもならないので、そこは我慢だ。


「治る前にしゃべると、話せなくなるかもしれない……と、神王に、言われた? また神王に会ったのか?」


 レオナルドの問いに、うんと頷きかけてまた喉が痛む。

 本当に私は学習というものをしない。

 喉の痛みに思い切り眉をひそめると、気遣うようにレオナルドが怪我をしていない額を撫でた。


 ……精霊に嫌われたみたいだから、簡単には攫われなくなったみたいだ、って話は、治ってからの方がいいね。


 少なくとも、この場には人が多い。

 神王はあまり人に話すなと言っていた気がするので、今は告げない方がいいだろう。

 白墨を握るだけでも傷が痛むのだから、私だって余計なことは言いたくない。


「何があったんだ? 今までは精霊に攫われるようなことがあっても、怪我をして帰ってくることなんてなかっただろう」


 今回は髪まで切られて、とレオナルドが私の髪を梳く。

 朝は腰まであった髪なのだが、今は不揃いに短くなっている。

 綺麗に長さを揃えようとすれば、今回は思い切り短く切るしかないだろう。


 痛み止めを、と薬師に求めるレオナルドを止める。

 痛みが抑えられるのは嬉しいが、それではうっかり傷が塞がる前にしゃべってしまう可能性があった。

 痛いのは嫌だが、今のままの方が私には都合がいい面もある。







 ソラナと侍女に手伝われて服を着替える。

 とにかく、いろいろな人が事情を聞きたいと思っている状況で、ネグリジェ姿では保護者レオナルド以外には会うこともできないのだ。

 不揃いになってしまった髪も、ソラナに切り揃えてもらう。

 これはおかっぱ頭にでもしなければならないかと思っていたのだが、ソラナは横の髪を顎の高さで一度切り揃え、段をつけることで少しでも長く残せるようにと考えてくれたようだ。

 今生の私の髪質はふんわりとしているので、パッツン姫カットにはならないのだが、後ろ髪の長さとしてはレオナルドに引き取られた頃ぐらいになった。


 ……自分で歩くとあちこち痛いですからね。これは合法です。


 十歳になった日に私を抱き運ぶことを禁止したはずなのだが、今は歩くのも辛いので、と十三歳にして兄に抱き運ばれている。

 これは仕方がないことだ、と自分に言い訳をしながら楽をさせてもらった。

 気のせいではなく、レオナルドも満更ではない顔をしているので、私たち兄妹はこれでいいのだろう。


「……こうも頻繁に攫われては、警護する方としては困るのだが」


 頭の痛そうな顔で私を迎えてくれたのは、アルフとティモンだ。

 アルフは私の事情を、ティモンは『精霊の座』へと私が現れたことについての事情聴取だろう。


 クッションで調整された椅子へと腰を下ろし、テーブルとお腹の間にもクッションを入れてもらう。

 とにかく洒落にならない数の切り傷があるので、傷口が硬い物にあたることは避けたかった。

 先ほどは塗板を用意してくれたのだが、ここでは紙とペンだ。

 塗板は消せるので何度も使えていいのだが、白墨の先が太いため、どうしても太文字になり、字も大きくなる。

 短い『はい』か『いいえ』程度の質問ならいいのだが、会話をするには不向きでもあった。

 そのための紙とペンなのだろう。


 私の書いた文字をレオナルドが読み上げることでティモンの質疑に応じ、私が『精霊の座』へと突然現れた経緯を話す。

 昨年は話の途中であったことを神王が気にかけ、続きを聞くために今年も現れたのだ、と。

 話の流れで『精霊の座』へと向かうことになり、そこでの会話についてはみだりに話していいことか判らないため、ティモンへは答えられない、とも伝えておく。

 『精霊の座』が本当は何であるか、は本当に極少数にしか話さない方がいいと思うのだ。

 ティモンに話すかどうかは、私が決めることではないと思う。


 一通りの事情聴取が終わると、アルフの番だ。

 アルフはアルフレッド王子としてここにいるので、国王の代わりに私の話を聞くことになる。

 ティモンへは聞かせられない、といった話を見張りのいる場で聞くためには、と私の隣へと移動してきて紙に文字を綴る。


 ――それで、みだりに話さない方が良い内容というのは?


 優美な文字でそう綴られて、しばし考える。

 お互いに筆談であれば、確かに文字を読める範囲にいる人間以外には会話がもれない。

 しかし、この場合は紙に書かれた文字が残ってしまうのだが、と指摘すると、会話の終わりに紙を燃やすので心配はない、と教えてくれた。


 アルフもアルフレッドも、私にとっては信用のできる大人だ。

 神王が信頼できる者へは助力を願ってもいい、と言っていたことも、アルフとレオナルドになら話してもいいだろう。


 ――神王様にあまり言いふらさないようにと釘を刺されたのですが、精霊に攻撃を受けるほど嫌われました。精霊の加護は失われたそうなので、これからはそう頻繁には攫われないと思います。


 私としては安心してください、と聞いたままを書いたつもりなのだが、『精霊に攻撃を受けた』という部分で横のレオナルドの気配が変わり、『加護が失われた』というあたりで逆隣のアルフがこめかみを押さえた。

 アルフはいつもどおり頭を抱えているだけなのだが、レオナルドは精霊へと怒りを向けているのだろう。

 人間こちらからは手出しができない精霊あいてなので、怒るだけ無駄だし、私が怖いのでやめてほしい。


 ――そのようなことが判るのか?


 長い沈黙のあと、ようやく理解してきたらしいアルフが持ち直した。

 文章としては短いのだが、相変わらず優美な文字だ。


 ――失言をして、精霊を怒らせました。


 神王の判断なので、これは間違いがないだろう。

 八つ当たりだと神王は言っていたが、怒りは怒りだ。

 恨まれているとも聞いた気がする。


 ……全部正直に言ったら、また心配かけそうだしね。怒らせたことだけ伝えておこう。


 怪我を負った経緯についてひとしきり説明すると、労わるように頭を撫でられたのだが、頭を撫でられることで動いた首にツキンと喉が痛む。

 痛みに眉を寄せた私に、アルフの手は慌てて引っ込められた。


 ――それと、これは相談なのですが。


 そう前置きをおいて、『精霊の座』の正体と、神王から頼まれた内容をアルフへと相談する。

 各地に存在する『精霊の座』と同じような物を破壊するように、と。

 棺は全部で六つあるようで、そのうちの一つが『精霊の座』で、私が破壊した、とも書いた。

 しっかり『精霊の座』の破壊は神王の意思であり、私が故意に引き起こしたことではない、とも主張しておく。


 ――神王の棺に関しては国王陛下へと相談したあと、神王領クエビアへと送った方がいいな。


 神王の世代交代を取り戻すためならば、クエビアは喜んで協力してくれるだろう、というのがアルフの考えだ。

 クエビアは神王をなによりも尊ぶ習慣の残った土地なので、神王のためであれば国宝の破壊ぐらい厭わないし、各地の教会の総本山である神殿があるため、各国への影響力もある。

 先日イヴィジア王国へと粉をかけて見事な大敗を喫することになったサエナード王国などは、イヴィジア王国からも圧力がかけやすいようだ。


 ……これはアルフさんの発言なのか、アルフレッド様としての発言なのか。


 腹黒いと言うべきか、心強いと言うべきかは、少し判断に困るところだ。


 これで話は終了だ、と言ってアルフは筆談の並んだ紙を手元へと引き寄せる。

 先に話していたように紙へと火をつけると、燃える紙を皿の上へのせた。

 完全に紙が燃え尽きるのを待って、ソラナの用意した水差しを皿の上へと傾ける。

 皿に広がる水流で、黒い燃えカスと化した紙はボロボロに崩れた。


「クリスティーナはまず離宮に戻って、絶対安静だ。筆談では限界がある。早く怪我と喉を治せ」


 ……治せ、と言われて治るものでもありませんけどね。


 とはいえ、離宮へ戻って寝込んでいい、という気遣いは正直ありがたい。

 体中が痛くて、クッションを挟んでいようとも、体を起こしているのが辛いのだ。

 早く離宮のベッドへと横になり、傷口が塞がるまでジッとしていたい。


「怪我が治ったら、もう一度話を聞かせてもらうぞ」


 クエビアへと連絡を入れるのは、そのあとになるのだろう。

 そう言って、アルフはティモンを連れて部屋から出て行った。

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