第5話 神王の棺

「おまえが精霊の恨みを買ったのは、精霊たちが隠したかったことを暴露したからだ」


 すぐに思い当たるものがないことを言われ、しばし瞬く。

 首を傾げて神王を見つめると、神王は今にも泣き出しそうな顔をして唇を引き結んでいた。

 大人の男性のこんな顔を見るのは初めてで、ひどく動揺させられる。

 自覚はないのだが、彼にこんな顔をさせたのは間違いなく自分のはずだ。

 申し訳なさで胸がいっぱいになり、こちらまでつられて泣きたくなってきた。


「ありがとう、ティナ」


 なんとか慰められないものだろうか、と内心でだけ焦っていると、神王は私へと礼を言う。

 神王に名前を呼ばれたのは、初めてな気がした。

 泣きそうな顔をさせてしまったというのにお礼を言われ、私としてはさらにわけがわからない。

 困惑するだけの私に、神王は蒼い目を伏せて腹部や足の切り傷の様子を見始める。

 放置してもいい浅い傷と、治療が必要な深い傷があるようで、深い傷には葉で手当てがされた。


「おまえは、誰も俺に伝えることができなかった真実を言ったのだ」


 辛いが必要な情報だった、と神王は重ねて礼を言う。

 私が神王に告げたことなど、神王の両目は揃っている、ということぐらいだ。

 それのどこが伝えづらい真実なのだろうか、と考えて、なんとなく気付きもした。


 ……恋人に預けたはずの片目が神王様にあるってことは、恋人に目印は付いていないってことだもんね。


 これでは神王も、かつての恋人を探しようがない。

 両目の揃った神王しか私は知らないので、失われたはずの片目が神王の元へと戻ったのは、ここ数年の話ではないはずだ。

 神王は、もうずっと前から無駄な努力を続けてきたのだろう。

 神王の周囲にいる精霊たちは、それを承知で神王へ真実を伝えなかった。


 ……神王様に、こんな顔をさせたくないから、精霊たちは黙っていたんだ。


 本当に泣き出しそうな、苦渋に満ちた顔をしている神王に、自分の失敗を知ってしまえば精霊たちの気持ちがわかる。

 こんな顔をさせたくないからと黙っていたことを、うっかり人間の子どもが神王へと伝えてしまったのだ。

 それは八つ当たりの一つもしたくなるだろう。


「そんな顔をするな。おまえが泣く必要はない。俺が辛い思いをすると、周囲せいれいが隠してきた情報だ」


 むしろ教えてくれて助かった、と弱弱しい笑みを浮かべ、神王が私の頬を撫でる。

 初対面での無表情など、完全に失われていた。

 目の前の男は神話の中の存在などではなく、恋人を探し疲れた一人の人間だ。


「確かに辛い真実だが、いずれは知らねばならなかったことだ。……昨年おまえが突然戻されたのは、精霊の仕業だな」


 これを聞かせたくなくて妨害したのだろう、と神王が教えてくれた。

 私のせいでも、神王のせいでもなかったようだ。


「……そうか。あれはもう本当に、世界のどこを捜してもいないのだな。存在そのものが失われている。あれに与えたはずの俺の目が戻っているということは、生まれ変わりを見つけても意味がない」


 この世界では、死んだ人の魂は死の神ウアクスの治める地まで長い旅をし、そこで魂の清めを待つ。

 神王の付けた目印が戻ってきてしまったということは、捜していた女性の魂は綺麗に洗い清められ、同じ魂であっても神王の知っている人とは別人になってしまっているのだろう。

 見つけ出すまでに、時間がかかりすぎたのだ。


「俺が知りたいと願ったばかりに、おまえには悪いことをしたな。俺のせいで、精霊の恨みを買ってしまった」


 ……え? 私って、これからも精霊に攻撃されるんですか?


 神妙な顔つきでとんでもなく不吉な言葉を吐く神王に、思わず縋り付いてしまう。

 八つ当たりと言ったからには、一度限りの攻撃かとも思ったのだが、これからも攻撃を受けるというのは困ってしまう。

 今回はその場で神王が精霊を止めてくれたし、手当てもしてくれているようなのだが、次もこうとはいかないだろう。

 精霊が毎回神王のいる場所で私に攻撃を加えてくるとは限らないのだ。


「勘気に触れはしたが、精霊たちも解ってはいるのだ。いずれ真実を告げねばならないことだったと。それを精霊じぶんたちに代わり果たしてくれたのがおまえだ。今のような酷い攻撃は二度と行わせはしないが、昨年のようなことはなくなるだろう」


 ……昨年、ですか?


「精霊に俺を呼ばれただろう」


 そういえば、と思いだす

 昨年はアルフとメンヒシュミ教会から来たという正装の男の諍いにうんざりとしていたところで、精霊に攫われた。

 異世界の魂である精霊の寵児を、政治利用することは許さないと、神王自身が言っていたはずだ。

 精霊が神王に助けを求めないということは、昨年のように突然精霊に攫われることがなくなるということかもしれなかった。


 ……それはそれで、私の保護者たちが喜びそうな気がしますね。


 精霊による誘拐は、騎士で周囲を固めようと防げるものではない。

 突然姿を消すことになるので、保護者たちが心配しているのだ。

 姿を消すこと自体がなくなるのは、たぶん一番いい。


「精霊の加護を失うことをそう受け止めるのなら、それで良い。ただ、これは周囲へは知らせるな」


 ……なぜですか?


 もう精霊に攫われないそうですよ、と保護者に伝えるのはよくないことなのだろうか。

 レオナルドたちの心労を思えば、神王のお墨付きで誘拐が行われなくなるようだという話は、今すぐにでも戻って聞かせてやりたい言葉だった。


「精霊の横槍が入らないとなれば、欲を出す人間もいる。人間というものは、欲深い生き物だからな」


 ……精霊の寵児に手を出したら、精霊のしっぺ返しを喰らうかもしれないから、自衛のためには黙っていろ、ってことですね。


 わかりました、と頷いて、一つだけ確認をする。

 あまり広めない方がいいということは理解できたが、さすがに保護者へは伝えておいた方がいい気もするのだ。


 ……レオナルドさんには言ってもいいですか?


「その者が秘密を守れると思うのなら、言えばいい。……そうだな、精霊好みの正直者だ」


 この男なら大丈夫だろう、とレオナルドへと視線を向ける神王の横顔を覗き見る。

 泣き出しそうな気配は引っ込んだのだが、今度は無理に感情を押さえつけているようで、最初の頃のような無表情に近い。


 ……大丈夫ですか?


 ずっと捜していた人は、もういない。

 地上のどこかに生まれ変わっているのかもしれないが、神王の目印が洗い流されてしまう程には神王の愛した面影は失われている。

 たとえ同じ魂を持つ人を見つけ出せたとしても、今では心まで完全に別人になっているのだ。


「少し落ち込みはするが、ようやく気が済んだ。俺も次の生に向かおうと思う」


 次の生、と聞いて思い浮かぶのは神王の死だ。

 以前神王は探し人を見つけたら、その人と人生を共にし、天寿を全うしたいと言っていた。

 それが共に全うする者はすでになく、一人で果てるつもりなのだろう。


 ……それは、少し悲しい。


 何年、何十年、何百年とたった一人で旅をして、その果てに探し人はすでに失われている、と出会ったばかりの子どもに希望を絶たれたのだ。

 そのうえで、たった一人で新たな生へと旅立つというのは、もっと悲しい気がした。


「おまえが悲しむ必要はない。人はいつか必ず死ぬ。俺は少し長く生き過ぎただけだ。……しかし、そうだな。おまえのその罪悪感につけこんで、一つ頼みがある」


 ……頼み、ですか?


「俺の遺骸を処分してくれ。もう必要のないものだ」


 ……遺骸?


 聞き間違いだろうか、と思わず聞き返してしまう。

 遺骸といえば、つまりは遺体のことだ。

 俺の遺骸ということは、神王の遺体がどこかにあるということになる。


「人の身で長く旅をすることは不可能だったからな」


 魂だけで恋人を探し歩き、体はこの世界のどこかへと隠してあるらしい。

 玉子サンドから味だけを抜き取るといった奇妙な食べ方をしたのは、このせいだったのだろう。

 今の状態の神王は、肉体がないから物を消化することはできない。

 あの時の神王が空腹を感じたのは、私と会話をしたからだ。

 長く誰とも交流を持たなかったところで私と出会って少し言葉を交わし、人であった頃の感覚を思いだしたのだろう。

 そう考えれば、神王は出会った時の無表情さに比べれば、話しをすればするだけ人間らしさを取り戻していた。


「あれとの再会が叶わぬのなら、もう肉の体などいらぬ。なんの意味もない、肉の塊だ」


 言いたいことは解るのだが、少々要求が難しすぎる。

 どこにあるのかも判らない神王の遺骸など、引き籠りの私に見つけ出して処分することなど不可能だった。


 ……その願いは、私には叶えられそうな気がしません。


「おまえの代で難しければ、おまえの子に頼めばいい」


 ……子どもに課題として残すにしても、難しすぎます。


 せめて他者に助力を乞うことは可能か、と確認する。

 私一人ではどう考えても不可能であったし、それは子孫へと引き継いだところで変わらない。

 となれば、神王の願いを叶えるためには他者ひとの手を借りる必要がある。


「助力を乞うことは可能だが、信用のおける者だけにしておけ。神王の肉体を利用しようという者は必ず出る」


 ……遺骸、なのですよね? 利用などできるのですか?


「俺の体を人質にすれば、多くの精霊はその者に従うだろう」


 内心はどうあれ、大切な神王の体を害するわけにはいかない、と精霊は神王の遺骸を手に入れた者に従ってしまうらしい。

 その肉体が土へ還れば、新しい神王が地上に生まれると知っていても、肉体がある限り精霊たちにとっては遺骸が神王だ。

 大切な神王のためならば、意に沿わぬ命令にも従ってしまう。

 それが精霊と神王の関係らしい。


「神王領に今も残る血族ならば、喜んで協力するだろう。遺骸を排するだけで神王の世代交代が行われるのだ」


 神王領クエビアにいるレミヒオの一族にとっては、たしかに願ったり叶ったりだろう。

 神王を自分たちの王と崇め、現在国を治めている王に『仮』だなどと付けているのだ。

 神王に対する思い入れは、他の誰よりも強いはずである。


 ……なにか手がかりのようなものはございますか?


「ある。おまえも見たことがあるものだ」


 スッと持ち上げられた神王の腕を目で追い、景色が『精霊の座』へと切り替わる。

 祭祀を行うクリストフと、今年はそれを見守るエセルバートの姿があった。







 ……また移動しちゃったよ。


 神王の用事を終わらせて、今年はできるだけ早く保護者の元へと帰ろうと思っていたのだが、これはすぐに帰ることが不可能になってしまった。

 今いる『精霊の座』からイツラテル教会へと戻ろうと思えば、地下から居城へと歩いて戻るのに時間がかかり、居城から馬車に乗るまでに時間がかかり、馬車でイツラテル教会へと行くだけでもさらに時間がかかる。

 今回は分かれる前に神王へとイツラテル教会へと送ってもらわなければならないだろう。

 間違っても、昨年のようにいきなり放り出されるわけにはいかない。


「俺の遺骸は、あの棺に納められている」


 ……棺、ですか?


 はて、『精霊の座』に棺などあっただろうか、と考える。

 ぐるりと室内を見渡してみるのだが、あるのは巨大な『精霊の座』と、祭祀を行うクリストフとエセルバートだけだ。

 棺と言われて想像するような物はなにもない。


 ……や、違う。あった。


 最初から棺と聞いていれば、すぐに判っただろう。

 精霊の寵児と同じで、『精霊の座』というのは現在いまの人が勝手に名付けて呼んでいるだけだ。

 肘置きのように左右に水晶の飾りが付いたいすの形に見える巨大な水晶で、縁台よりも少し広さがあり、テーブル代わりにもした平面のある『精霊の座』は、正体は棺だったのだろう。

 それも、神話の時代から神王の遺骸を守ってきた、由緒ある棺だ。


 ……私、棺をテーブル代わりにお菓子を食べたり、リバーシをしていたんですね!


 なんて罰当たりな、と過去の自分の所業に頭を抱えたくなってくる。

 座と聞いていたので、座をテーブル代わりに使うなんて悪いかな? とは思っていたが、正体が棺だったのならば、なお悪い。


 ……あれ? 待って。つまり、昨年チラッと見えたものって……?


 昨年放り出された『精霊の座』で、私は水晶の中に黒い影のような物を見ている。

 節のある木の棒に見えた影に、嫌な予感を覚えて考えることを放棄したのだが、中に収められているものが神王の遺骸だと聞いてしまえば、あの影の正体は嫌でもわかった。

 あれは神王の腕だ。

 節に見えていたものは、肘や手首といった関節だろう。


「あの棺を壊すだけでいい。無理に時を止めた古い物だからな。正常な時の流れへ戻せば、勝手に失われるだろう」


 ……あんな大きな水晶、私の力では壊せませんよ。


 むしろ、中に遺骸が収められていると知ったうえで棺を『壊す』という行為の方に抵抗があった。

 いかに遺骸の主からの依頼とはいえ、罰当たりなんてものではない。


「破壊の方法は簡単だ。この世界の者には難しいが、異世界の魂には神王に対する刷り込みがない。『こんな物は必要ない』と心の底から思いながら攻撃を加えるだけで、あれは壊れる」


 水晶の見た目ほど頑丈ではないようだ。

 というよりも、なんらかの力で守られており、異世界の魂にはそれが通じないと言った方が正しい。

 精霊の寵児には簡単に叩き壊すことができるのだとか。


 ……簡単に壊せるのなら、今から行ってすぐに壊せば、依頼は達成ですか?


「壊す必要があるのは、あの棺だけではないぞ」


 それなら簡単だ、なんとかなりそうだ、と思った側から神王が不穏な言葉を洩らす。

 目の前にある『精霊の座』を破壊するだけで終わる話かと思ったのだが、壊すべき棺は目の前の『精霊の座』一つではないらしい。


 ……遺骸、なのですよね? あの棺だけではないというのは?


「俺の体は両手、両足、胴体、首の六つに分かれている」


 ……なぜバラバラなのですか。大切な神王様の体なのですよね!?


 何をした、当時の人間。

 そう突っ込みたいのだが、誰が何をしたのかについては、完全に私の勘違いだった。

 当時の人間で、神王の遺骸に手をかけたものは一人もいない。

 というよりも、当時は異世界から連れてこられた魂もいなかったので、神王に害をなそうだなどと考える人間自体がいなかったようなのだ。

 たった一人、罪を犯した若者を除いて。


「当時は俺もいろいろ荒れていたからな」


 四肢を切断するぐらいでなければ、止まることができなかったのだ、と神王は私からそっと目を逸らす。

 私は誰が犯人なのかと考えたのだが、犯人などいなかったようだ。


 ……まさかの被害者が加害者ですか!?


 罪を犯した若者がやったのかと思ったのだが、神王の遺骸をバラバラに切断したのは神王本人だったらしい。

 自分で自分の体を切断したという猟奇的な話を、『若い頃はヤンチャしました』的な軽さで暴露されても困ってしまう。


 ……神話の中で、女神イツラテルが罪を犯した若者の手足を切った、というものがあったと思うのですが?


「それは歪められて伝わっている話だな。あいつを切ったのは俺で、俺を切ったのは女神イツラテルから借りた剣だ。それらが混ざったのだろう」


 ……神話の真実がグロすぎますっ!


 子どもに聞かせる内容ではありませんよ、と声をあげて抗議したいのだが、しゃべるなと言われているためにそれもできない。

 なんだかどこかで突っ込みを発散させなければ暴発しそうだ、と苛立ち紛れに床を蹴ると、不意に床の感触が消えた。







 ……へっ!?


 踏みしめていたはずの床が消え、視点が切り替わる。

 一瞬前までは少し離れた場所から『精霊の座』と祭祀を行なうクリストフの背中を見守っていたのだが、今は正面にクリストフの顔があった。

 目が合った、と思った瞬間には足元に地面の感触が戻ってくる。

 ちょうど段差を踏み外したかのような感覚だろうか。

 がくりと膝をついた床は、透き通った水晶だ。

 膝をついた位置から白い光を放つ亀裂が走り、床が沈む。

 透き通った水晶の床だと思ったものは、『精霊の座』の平面部分だ。

 神王が言った棺の、ふた部分だとも思われる。


 私を上に載せたまま真っ二つに割れた『精霊の座』は、キラキラとした光の粒子となって消えた。

 微妙な高さから落ちるはめになった私だったが、とくに打撲といった怪我はない。

 というよりも、一瞬だけ現れた節のある木の棒に似た神王の腕に抱き留められたおかげで無事だったのだろう。

 その神王の腕も、私の体が『精霊の座』を失った台座の上へ座るのと同時に白い炎となって消えた。


 ……えっと? これで、神王の遺骸の処分が一つ目完了?


 なんにしても、あの神王は一つひとつの行動が大雑把だと思う。

 もしくは、これもまた精霊の仕業だろうか。

 とてもではないが、今回も会話の終了としては中途半端なところで投げ出されている。


 自分の身に何が起こったのか、と順序立てて理解したくてまずは溜息を吐くと、喉がヒクリと痛んだ。

 神王といる間は特に痛みなど感じなかったのだが、外へと放りだされた瞬間に戻ってきた喉の痛みに、精霊を怒らせてしまったことが現実であると思い知らされる。

 ついでに、痛むのは喉だけではない。

 神王に手当てされた手足にある無数の切り傷も、ツキツキと痛んで存在を主張しはじめた。


「……っ!」


 痛みに耐えて唇を引き結ぶ。

 痛い、痛いと泣きたい気分なのだが、そんなことをすれば喉はもっと悪化すると忠告されている。

 子どもではないのだから、とジッと痛みに耐えていると、頭上から困惑していると判るクリストフの声が聞こえてきた。


「クリスティーナ、か?」


 顔をあげると喉が痛む。

 しかし、呼びかけられた以上は無視もできないし、今年の私は突然の侵入者だ。

 侵入者の素性はすぐにでも明かしておいた方がいいだろう。

 怪しいとしか言いようのない登場をしてしまったが、私は怪しい者ではないのだ。


「何があったのだ、クリスティーナ!? その怪我はどうした? 髪も切られているではないか!?」


 すぐにクリストフの手が傷口を確認するように腕へと伸ばされ、直前で止まる。

 触れると痛いだろう、と気がついたのだと思う。

 正直、今は手当てをしてくれる人にしか触られたくはない。

 もしくは、レオナルド限定だ。

 どこもかしこも痛すぎて、レオナルドの太い首へと腕を回して、抱き運ばれたい。

 足を動かすことすら億劫になる数の切り傷が、両足どころか体中に刻まれていた。


 さて、どう答えたものか、と考える。

 声は出せないし、筆記で意思を伝えられればいいのだが、この場には紙もペンもない。


 ……今年も台座の裏にお酒とか持ち込んでいるかな?


 お酒をインク代わりに、床へと文字を書けばいいかと台座の裏へ視線を向ける。

 身じろぐ程度でも切り傷が痛むのだが、ずっと台座に座っているわけにもいかないので床へと足を下す。


「……っ!!」


 そのまま立って歩こうと思ったのだが、ズキリと痛んだ膝裏の傷に、その場へと座り込んでしまう。

 これは深い傷が塞がるまでは、自由に歩き回ることもできなさそうだ。


「クリストフ様、ご無事ですか!?」


「もの凄い音がしたようですが、いったい何が!?」


 ガシャガシャと鎧が擦れる音がして、周囲へと白銀の騎士がなだれ込んでくる。

 普段は王以外立ち入り禁止の『精霊の座』だが、異変があったと判ればそんなことも言ってはいられないだろう。

 この場合の異変とは、『精霊の座』が真っ二つになった時に響いた大きな物音だ。


 そして、『精霊の座』へとなだれ込んできた白銀の騎士たちの前には、今日はこの『精霊の座』にいないはずの私がいる。

 白銀の騎士が私を不審者として判断したのは、しかたがないことだ。


 ……収拾がつかないよ! 神王様の馬鹿っ! ちゃんと元の場所に返してよ!


 白銀の騎士に取り囲まれながら、すでにここにはいない神王へと悪態をつく。

 騎士たちの誰何すいかへはすぐに答えた方がいいと思うのだが、だんだん目が回ってきた。

 とりあえず、一端騎士たちに落ち着いてもらうためにも、このまま気を失っておこうと思う。

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