第2話 ヴィループ砦の懐かしい顔 1
ヴィループ砦は王都プロヴァルから見て東にある。
単純な距離としてはグルノールへ戻るのと同じぐらいあるのだが、旅程は比べるまでもなくヴィループ砦の方が短い。
国境近くにあるグルノールの街は、国境を敵に越えられた時を想定し、あまり大規模に道を整えることはできないが、国境を背にしているわけではないヴィループ砦は違う。
砦で育てた騎士を王都へと送るため、逆に各地から集められた騎士を砦へと送るため、道がしっかりと整備されていた。
付け加えるのなら、王都・グルノール間と比べて平地が多いのもその理由だ。
距離は大差ないのだが、旅程の進みやすさには差がある。
ヴィループ砦への移動は、途中にあるモンブルヌの街までは馬で移動し、そこからは風通しの良い幌付きの馬車になる。
これは砂漠の強い日差しを考えてのことで、私に対する過保護ではない。
いよいよ砂漠に入るといった町で、馬車を引く馬を
平地では馬の方が馬力も速度もあるのだが、砂の上では
砂漠での移動の心強い供なのだそうだ。
ヴィループ砦への道のりは、砂漠というだけあって空気が乾燥し、日差しが強くて幌から出るだけでも肌がチリチリとするのだが、道は一応整えられていたため順調に進んだ。
王都を出発してから二週間ほどで到着したのだが、グルノール砦とはまるで景色が違う。
……同じ国の砦なのに、見た目が随分違うね。
まず、周囲に緑がない。
これは立地が砂漠なのだから、当然だ。
次に、砦を囲う塀がグルノールに比べると低い。
これは敵の侵入を考えたらどうなのだろうか、と思うのだが、ヴィループ砦は騎士の素質がある者を育てることを目的とした場所なので、敵の迎撃には主体を置いていないそうだ。
今以上に塀を高くすると風のあたりが強くなり、塀が傷むのが早くなるのだとか。
騎士の体作りを考えれば、少し過酷なぐらいが丁度いいだろう、という考えもあるらしい。
……私、騎士にはなれそうにないなぁ。
故意に過酷な環境を作る、というのがまず無理だ。
幌付きの馬車での移動であっても喉がカラカラに乾いて話すのが億劫になるぐらいだというのに、故意に砂が入り込むような低さの塀を保ち、砂が舞っているせいで呼吸も少し息苦しい。
こんな場所で体作りとしての運動など、私にはできないと思う。
幌馬車の中から御者席に座るレオナルドと門番のやり取りを眺める。
騎士団の施設なので、普段であれば一般人は進入禁止だ。
黒騎士であるレオナルドであっても、許可なしには入れない場所である。
王都でティモンの名前で発行してもらった許可証を見せると、門番が幌馬車の中を覗いた。
人数確認をしているようだったので、愛嬌を振りまいておく。
私は兄にくっついてきただけの甘えん坊な妹で、敵国の間者などではないですよ、というアピールのつもりだ。
振りまいた愛嬌が効いたのか、幌馬車から門の中にある待合室へと招かれた。
書類を確認している間に休んでください、という体裁だったのだが、私とジゼルへは果実のジュースが振舞われ、レオナルドたちへは水を出した門番にレオナルドの顔が怖い。
ニコニコを通り越してデレデレとした門番は、レオナルドに睨まれているのだがどこ吹く風といった様子だ。
気がついていないのか、図太い神経をしているのか、おそらくは後者だ。
レオナルドに睨まれて竦みあがらない人間など、もしかしたら初めて見たかもしれない。
「女の子には甘い砦なのでしょうか?」
「そうだな。ここは独身の騎士が多いから、女性には特に甘い」
ジュースと水といった風に、扱いに差はつけられているのだが、水でさえも振舞われたからには歓迎されていないわけではない、とレオナルドは言う。
わざわざ砂漠に作られた砦であるため、水は貴重なのだ、と。
書類と馬車の確認が終わると、すぐに砦の中へと入ることが許された。
門を抜けると、目の前に聳え立つヴィループ砦の本館はグルノールの物とそう変わらない。
グルノール砦も装飾の少ない建物だったが、ヴィループ砦は輪をかけて装飾がない。
装飾などあっても砂に埋もれるか、砂の混ざった強風に当てられ続けて痛むのが早いためだろう。
背の高い建物は、本館だけだ。
兵舎や馬小屋といった本館以外の建物は塀よりもやや低い作りをしている。
これだけ背の低い建物ばかりということは、もしかしたら本館は見張り塔の役割も果たしているのかもしれない。
「グルノール砦とは随分様子が違いますね」
「建物もそうだが、まず働いている人間が違うからな」
ヴィループ砦はその性質上、現役を退いた黒騎士が教官として働いている。
あとはたまたま門番として配属された黒騎士が少しいる程度で、他は騎士候補とされる若者ばかりだ。
現役の黒騎士が詰めているグルノール砦とは、印象が違って当たり前である。
「……そういえば、平民でも騎士になれる、というのはどういう仕組みなのですか?」
前世の知識としては、騎士とは騎兵か貴族の軍人のことだ。
後者であれば白騎士がそれに当たるが、この国の騎士の大部分を占める黒騎士は少し違う。
「サエナード王国の騎士は、この国でいう白騎士と同じだな。貴族の子息が占めている」
「そう聞くと、レオナルドお兄様が戦場で大活躍、というお話も納得できますね」
お飾りの白騎士対王国屈指の黒騎士の戦など、どちらが勝つかなんて考えるまでもない。
兄が戦場に立つと聞けば心配もするが、有利・不利といった話でなら心配をする必要もなかったのだ。
「この国で騎士になるには……まずは年に一度募集がかけられる兵士に志願することから始まる。これは十二歳から応募が可能で、俺も十二で応募した」
年齢としては十二歳から応募できるが、普通は十二歳で採用されることはない。
レオナルドは当時から体が大きかったため、本当に稀な採用だ。
体がある程度でき上がっている、あるいは伸びしろに期待できると判断されると、次に体力テストが行われる。
この二つの
体力テストで素質ありと判断されると、今度は騎士と兵士とで分けられる。
志と素質がある者は騎士に、故郷の町や村の自警団として働きたい者は戦時に呼び寄せられる臨時の兵士として、必要になる武術や団体行動を身に付けることになる。
私の生活圏内ではあまり見ることのない兵士ではあったが、兵士として割り振られた者はヴィループ砦へと送られるのではなく、各地の砦で鍛えられることになるそうだ。
砦で鍛えられながら武術を学び、国境で数年間兵士として働き、その後はそれぞれの故郷へと戻って自警団などとして働いているらしい。
そして、いざ戦争が起これば兵士として砦へと呼び出されることになるのだ。
これが騎士になると、また少し違ってくる。
騎士は砦に詰め、騎士を辞めるまでは砦の一部として考えられる。
結婚は認められているが、基本的に騎士でいる間は砦のある街から出ることはない。
毎年冬に各砦を巡るレオナルドは、異例中の異例だ。
「騎士の素質ありと認められた者だけがヴィループ砦へと送られ、砂漠の過酷な環境の中で三年間の訓練を施され、それに合格したものだけが騎士を名乗り、各砦での国境警備の任につくことになる」
三年とレオナルドは言ったが、正しくは『最短で』と上につく。
テストなんてあってないようなものの白騎士は確かに三年で砦を出るが、実力がものをいう黒騎士はそうはいかない。
計算上騎士になれる最年少は十五歳だが、白騎士以外で本当にそんな年齢で騎士になれる者はいなかった。
……あれ?
「レオナルドお兄様は、何歳で騎士になったのですか?」
メンヒシュミ教会の授業で、レオナルドは史上最年少で騎士になった、と教わったことがある。
計算上は十五歳が最年少といわれる騎士に、レオナルドは何歳の時になったのだろうか。
ふと疑問に思って聞いてみたのだが、「何歳だったと思う?」と質問に質問で返されてしまった。
若干ドヤ顔になっている顔がムカついたので、こちらも無茶振りをしてやろうと思う。
「レオナルドお兄様は史上最年少で騎士になったと教わったので、最小ですから……十五歳ですか?」
「そうだな。俺は十五で騎士になった」
さすがにそれは無理だ、という答えを期待していたのだが、まさかの十五歳宣言に目を丸くして驚く。
ドヤ顔はムカつくのだが、これは確かに驚く。
計算上は、と前置かれるようなことを達成している人間が、本当にいるだなんて考えもしなかった。
「わ、わたくしは十五歳になってもまだレオナルドお兄様の元でぬくぬくと暮らしていそうな気がするのですが……」
私としては二年後になる十五歳の時には、レオナルドはすでに騎士として働いていたらしい。
ついでに言えば、十二歳の兵士募集に応募したというのだから、今の私の一年も前から働き始めていたということにもなる。
「平民は十五で働くぐらいは珍しくはないぞ?」
「それでも十五歳で騎士は珍しいのですよね」
改めて、私の兄はデタラメな人だな、と思う。
一人で四つの砦の主であったり、実は白銀の騎士でもあったりと、肩書きが多すぎる。
普通は転生者にこそ付きそうなチートが、レオナルドに付いているようにしか思えなかった。
「アルフとアルフレッド様に出会ったのは、ヴィループ砦でだな」
「思い出話ですか? そういえば、アルフさんは白騎士にはならなかったのですね」
「貴族の子息と思えば白騎士になれたんだろうが……アルフは実力があったからな」
レオナルドより先にヴィループ砦にいたアルフは、黒騎士になれるぐらいの実力を身につけようと三年の訓練期間で白騎士になることを拒み、黒騎士として認められる実力をつけるまで訓練を受けたらしい。
滞在期間としては二年先輩になるのだが、砦を出たのはレオナルドと同時期になる。
五年に一人出るかどうかという白銀の騎士がその年だけ三人同時に出たのは、アルフレッド王子に護衛としてつけるという目論見もあったのだろう。
幸いなことに、アルフを通じて当時からレオナルドとアルフレッドは親交があったようだ。
アルフレッドの護衛に付けと命じたところで、レオナルドは拒まなかっただろう。
ところが、なぜか国王であるクリストフがレオナルドを気に入り、アルフレッドの妹である第七王女が騒ぎを起こし、第八王女はストーカーと化した。
そして一連の事件から傷心のレオナルドが王都を離れたがり、一時的なことならばとクリストフがこれを許し、アルフがレオナルドを補佐するために付けられた。
「本当だったらアルフは俺の補佐ではなく、アルフレッド様の手綱役になるはずだったんだがな……」
アルフには悪いことをしたかもしれない、とレオナルドは遠くを見ているが、アルフにしてみれば万々歳の結果だったことだろう。
国王のお墨付きで
グルノールでの日々は、アルフにとっては伸び伸びとした充実の毎日だろう。
これはたしかに、王都への足は遠のくかもしれない。
レオナルドにくっついて砦の廊下を歩きつつ、すれ違う騎士に愛嬌を振りまく。
十三歳の子どもに微笑まれてほっこりと絆されてしまう騎士たちを見ていると、本当に潤いのない砦なのだな、と少し気の毒にもなってくる。
……や、違う。グルノールの砦でもこんな感じだった。
グルノール砦の黒騎士たちも、私が顔を出せばニコニコとお菓子を差し出してきた。
これは男という生き物の悲しい
年齢はともかくとして、女の子に微笑まれれば嬉しいのだ。
……あ、ジャン=ジャックだ。
騎士の見習いたちがいるはずなのだが、二十歳を越えていると判る一団が集められた中に見覚えのある赤毛があった。
新しい白銀の騎士を見繕いにきたはずのレオナルドが案内されたのは、白銀の騎士候補たちが集められた部屋のはずなのだが、なぜかジャン=ジャックがいる。
……黒騎士として砦を出て行ったはずの人間だから、騎士の卵たちと一緒だと学ぶことが少ないから?
そんなことを考えていると、ジャン=ジャックの方も私たちに気が付いたようだ。
談笑していた若者に断りを入れると、大股に歩いてこちらへとやって来た。
「お久しぶりッス、団長! なんスか? こんなトコになんの用事で……あ、隣との戦に備えてこの頼りになる俺様を呼び戻しに……」
「サエナード王国との戦なら夏の間に終わっている。今更おまえを引っ張っていく必要はないし、そもそもルグミラマ砦にはルミールもエヴラールもいるからな」
おまえは必要ない、とはっきり言われてジャン=ジャックは肩を落とす。
久しぶりのレオナルドに、ワンコのように駆け寄ってきたかと思えば、すげなく振られてご愁傷様である。
「元気でやって……いるかは聞くまでもないようだな」
「ヴィループ砦の訓練なんザ、一度教わったことばっかなンで、
くあぁっと欠伸がでる真似をするジャン=ジャックの視線が下りてきて、私とばっちり目が合う。
ちょっと目を見開いて驚いているのが面白かったので、どうしようかなと一瞬だけ考え、二年ぶりなので驚かせてやろうと淑女の仮面を被ることにした。
「おひさしぶりですね、ジャン=ジャック様」
騎士には普通『様』をつけて呼ぶべきだ、と教わっていたのでそれも取り入れる。
あとはヘルミーネに教わったとおりに指の先まで優雅な所作を意識して、優美な淑女の笑みを浮かべた。
そうすると、ジャン=ジャックは面を食らったまま固まり、背後でこちらの様子を窺っていた若者たちは胸を押さえてうずくまる。
フェリシアが信者たちの行動を制する際の微笑みを真似てみたのだが、私がやっても効果はあるようだ。
微笑は武器になるというのは、間違いない。
「……驚いたな、ティナっこ」
……そうでしょうとも。バッチリお勉強しましたからね。
どんなものだ、淑女らしかろう、とドヤ顔になりそうな顔の筋肉に力を入れ、優美な笑みを保つ。
さあ、私の努力を褒め称えるが良い、と続く言葉を待っていたのだが、ジャン=ジャックの口から出てきたのは淑女らしい振る舞いを身につけた私への賛辞ではなかった。
「身長縮んだか!? 全然成長してネーじゃねぇか!」
猫耳を足しても以前の方が身長あっただろう、というジャン=ジャックの足へと得意の
私の体重では普通に踏んだだけでは大したダメージは与えられないのだ。
「……痛っ」
「ジャン=チャックも相変わらずですね」
失礼な、と踵でジャン=ジャックの足を踏みしめる。
残念ながら初撃は衝撃として一応通るが、頑丈な軍靴を履いているため、踵で踏みしめてもろくなダメージではないようだ。
「チャックじゃネーよ! ジャン=ジャック様だっ! ……おまえは、必殺技がすね蹴りから踵落としに変わったのか」
「違いますよ。王都に二年もいて成長したので、特注靴がないだけです」
グルノールへ戻ったら、また靴を作ってください、と隣のレオナルドを見上げる。
レオナルドはというと、少し困ったような顔をしていた。
私のおねだりは聞きたいが、特注靴を作ればその一番の標的になるのが誰か、自覚があるのだろう。
「グルノールってこたァ、ティナっこ、王都から追い出されるよーなことしたのか? 何したんだよ、おまえ」
「追い出されていません! ちゃんと帰っていいよ、ってクリストフ様に許可を貰ったんです」
失礼な、と頬を膨らませて抗議する。
ジャン=ジャックが二年前と変わらなさ過ぎるせいで、私の淑女という名の猫もすっかり脱げてしまっていた。
それどころか、近頃は直ってきていた子ども過ぎる仕草まで出てしまっている。
これはもう取り繕いようがない気がするのだが、幸いなことにヘルミーネは王都だ。
多少どころではない失態も、反省会へは結びつかない。
「んで、なんでティナっこまでヴィループ砦に来てンだ?」
「グルノールの街に戻る条件として護衛の数が増やされることになったから、レオナルドお兄様が新しく白銀の騎士になりそうな人を見に来たんですよ」
ね? とレオナルドを見上げると、レオナルドの視線はジャン=ジャックへと向けられる。
白銀の騎士候補たちの一角にいたのだから、情報源としてジャン=ジャックは役に立つと思ったのだろう。
「……ジャン=ジャックから見てこれは、という者はいるか?」
「俺様の目から見てお薦め……つーと……?」
ゆっくりと視線を巡らせるジャン=ジャックに、周囲の若者たちは我先にと手を挙げ自分を売り込み始めた。
白銀の騎士候補としてここにいるということは、黒騎士になるだけの実力はすでにあるのだろう。
自分を売り込むことに対して、自信のない素振りをしている者は一人もいない。
「うん。お薦めは、俺! です!」
立候補する若者たちを尻目に、周囲を見渡したジャン=ジャックは、自信ありげに自分を指差す。
力いっぱいのドヤ顔にイラッとするのだが、周囲の若者たちの視線がジャン=ジャックへと突き刺さるのを感じて、踵を踏んでやろうという気もおきなかった。
……これは、言うだけの実力を見せなきゃ、あとで立場を失うんじゃあ?
とはいえ、そんなことは今更かもしれない。
一度黒騎士としてヴィループ砦を出たものが、もう一度ヴィループ砦へと戻されることは不名誉なことらしいのだ。
そんなジャン=ジャックが何人もいる白銀の騎士候補たちの中で、自分が一番相応しいだなどと吠えれば、反感ぐらいは買うだろう。
「ティナに付けられる護衛は白銀の騎士と決まっている。ティナ付きの護衛になりたいのだったら、まずは白銀の騎士にならんことにはな」
……あ、レオナルドさんの声が低くなった。
どうやらジャン=ジャックは、レオナルドの変なスイッチを押してしまったようだ。
妙にやる気になったらしいレオナルドは、上着を脱ぎ始めた。
「座学は終わってるッス。あとはちーっとばかし腕が足りネェみたいで……」
「ならば少し見てやろう」
「え? マジで? 団長と試合っすか?」
いやっほーっと吠えながら喜ぶジャン=ジャックに、レオナルドが脱いだ上着を受け取る。
危ないから安全なところで待っていろ、と言われたので元気よく返事をしておいた。
……あれ?
試合ができる広場へと移動している間に、現役白銀の騎士とジャン=ジャックが試合をする、という話が砦中に広がったらしい。
見学希望の騎士見習いたちが続々と集まってくる中、これまた見覚えのある顔を見つけた。
……なんで
見覚えのある茶髪は、二年で背が伸びてはいるが、ルシオで間違いない。
グルノールの街にあるメンヒシュミ教会で、学者たちの身の回りの世話をしながら学び続ける道を選んだはずのルシオだ。
学者を目指していたはずのルシオが、騎士を目指してヴィループ砦にいた。
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