第3話 ヴィループ砦の懐かしい顔 2

 レオナルドとジャン=ジャックの試合は、やはりというかレオナルドの圧勝で終わった。

 以前のジャン=ジャックを知らないので私には判らないのだが、レオナルド的にはそれなりに満足のいく進化具合だったらしい。

 距離があって内容までは聞き取れなかったが、試合終了の礼のあと、レオナルドがジャン=ジャックへと言葉をかけ、それが終わるとジャン=ジャックは地面へと大の字に寝転がる。

 気が抜けたのかと思えば、審判をしていた騎士がジャン=ジャックを覗き込み、人を呼んで運び始めたので、気が抜けて気絶したのだろう。

 昔グルノール砦の闘技大会でも、アルフが似たようなことになっていたはずだ。


「おかえりなさい、レオナルドお兄様」


 まさか上着で汗を拭わせるわけにも行かず、とりあえず笑顔で労う。

 タオルでもあればよかったのだが、そもそもヴィループ砦へは試合をしに来たわけではない。

 馬車の中には荷物として積まれているが、今すぐ取り出すことは不可能だった。


 ……あれ? でもレオナルドさん、汗かいてない?


 私の近くへとレオナルドが戻ってきたのだが、特に汗などかいていないようだ。

 額や首筋を見ても、伝い落ちる汗はない。


 ……や、違う。汗はかいてるかもしれないけど、すぐに気化してるんだ。


 さらに近くへと来たレオナルドに、ムアッと周囲の気温が上がった気がした。

 ジャン=ジャックとの試合でレオナルドの体温が上がり、汗が出てくると同時に蒸発しているのだろう。

 鼻を突く臭気とまでは言わないが、たしかに汗臭くもある。


 ……帰り道にずっと汗臭いレオナルドさんは嫌だなぁ。


 そう思ったので、馬車からタオルを取って来るべく、アーロンをけしかけることにした。

 普段は護衛らしく、おとなしく控えているアーロンなのだが、レオナルドの試合には疼く物があるのだろう。

 自分もレオナルドと試合をしたそうな顔をして、ジャン=ジャックとの試合を見ていた。


「アーロンも、レオナルドお兄様と試合してきていいですよ。レオナルドお兄様、わたくしは馬車へタオルを取りに行って来ます」


 そう言って、ジゼルだけを連れて離れたのは失敗だったかもしれない。

 ヴィループ砦には、将来白騎士になる貴族の子息たちもいるのだ。

 そして、私が王都に呼ばれたこの二年で増えているのが、私に付けるための女性の騎士である。

 当然訓練中の白騎士見習い女性もヴィループ砦にはいて、廊下を歩くごとに挨拶されることとなってしまった。


 ……うん、面倒。


 どうせなら一度に来て、一度で済ませてくれと思うのだが、おそらくは家格からくる序列のために彼女たちの中では私に話しかける順番が決まっているのだろう。

 忠爵の令嬢に始まり、功爵、華爵と話しかけられる。

 華爵はジゼルへと羨望の目を向けていたのだが、忠爵はあからさまな侮蔑の色を見せた。


 ……ジゼルが一緒だったのはよかったね。


 主となる予定の私への態度はみな畏まることができているのだが、未来の同僚であり、華爵でもあるジゼルへは畏まる必要がない。

 忠爵ともなれば、その考え方はあからさまに見えてくる。

 彼女たちの人となりを知るのに、ジゼルは良い餌になってくれた。


 ……まあ、グルノールに来る気のない子は無理だねぇ。


 やんわりとグルノールへも来てくれる気があるのか、と探りを入れると、それまでは話を引き伸ばそうとしていた令嬢たちが別れの挨拶を始めるのが少し楽しい。

 華爵の令嬢はそれでも功績をもった婿候補レオナルドが近くにいる環境、と食いついてはきたのだが、王都と比べると華がないと言ってやはり悩んでしまうようでもあった。


 ……うん。たぶん、増えない。


 白騎士の護衛は、当分の間ジゼルだけだろう。

 ジゼルと上手くやっていけない人では困るし、グルノールへと来る気がないのなら私の護衛にはならない。


 馬車への途中に会った騎士へとタオルを取りに行く旨を伝えると、タオルぐらい砦にあります、と用意してくれた。

 受け取って自分で持っていこうとしたのだが、親切にも騎士が運んでくれるそうだ。

 それならばと礼を言って好意に甘え、試合が行われていた広場へ戻ると、地面に伏している人数が増えていた。

 アーロンは壁際で呼吸を整えているのだが、レオナルドは広場の中央で見習いたちと対峙している。


 ……あ、これは長そうだな。


 再び始まったレオナルドの試合に、とりあえず濡らしたタオルをアーロンへと手渡す。

 レオナルドと試合をして精根尽き果てたらしい見習いたちへと濡れたタオルを配っていると、全員を伸して戻ってきたレオナルドが拗ねた。

 どうやら妹にカッコいい姿を見せたかったらしい。

 残念ながら、その妹は最初のジャン=ジャックとの試合しか見ていなかった。







 試合後、レオナルドは用意された一室で体を清め、夕方近くまで休むことになった。

 砂漠の移動は、日が出ている時間よりも沈んでいる時間の方がいい。

 ヴィループ砦にいると際限なくレオナルドの知人である引退した騎士や、騎士見習いがレオナルドへと話しかけてくるので、あまり休めている気はしないのだが、レオナルドは楽しそうにしているので、これで良いのだろう。

 体力が人並みにしかない私には、わからない感覚だ。


「ヴィループ砦に、ルシオがいたのですが……」


 そういえば、と広場で見たルシオの姿についてレオナルドに聞いてみる。

 背が伸びていたので絶対にルシオだ、ということはできないかもしれないのだが、私には彼がルシオに見えた。

 メンヒシュミ教会で学者を目指していたはずのルシオが、なぜ騎士を育てるヴィループ砦になどいたのだろうか。

 何か知っているか、とレオナルドに聞くと、レオナルドは面映そうな『お兄ちゃん』といった顔をした。

 この顔は現在妹である私だけの物のはずなので、ルシオのことでこの顔をするのは、妹に対する浮気である。

 腹が立ったので、耳たぶを引っ張ってやった。


「……黒騎士は学者よりも稼ぎがいいからな」


 いてて、と耳を押さえるレオナルドに、私の苛立ちもすぐに収まる。

 兄をミルシェとなら共有する気があるし、本人に会ってみなければ判らないが、レオナルドの血の繋がった弟妹とも共有はできる。

 が、他所の子は嫌だ。

 私はとても心が狭くて、ヤキモチ妬きである。

 他所の子であるルシオにまで、レオナルドにお兄ちゃんの顔をされたくはない。


「ルシオはなりたかった学者よりも、お金が必要になったのですか?」


「ルシオなら、俺から買い取りたいができたようだぞ。何年かかっても金を貯めるから、他へは絶対に売らないでくれ、と言われている」


「レオナルドお兄様から買いたいもので、他へは売られたくない……」


 ルシオが欲しがりそうで、レオナルドが所有しているもの、と考えて、思い浮かぶ面影がある。

 春華祭では髪に花を挿したり、テオがいなくなった時には誰よりも気にかけていたり、とそれらしい振る舞いは前からあったはずだ。


「ミルシェちゃん、売っちゃうんですか?」


「売るのは構わないが、売り者が『売られたい』と望んだらな、と答えておいた」


 黒騎士になるだけでも数年かかるし、人を一人買えるような金額を貯めるだけでも時間はかかる。

 その間に口説き落とすだろう、とレオナルドは言った。

 すでに懐へと抱え込んでいるミルシェの夫候補として、レオナルドは『お兄ちゃん』の顔をしていたらしい。


「ティナは、ルシオがミルシェを買い取るのは不満か?」


「……ルシオならいいですよ。前からミルシェちゃんを気にかけてくれていましたからね」


 むしろ、ミルシェに迎えてくれる先があるとわかって安心したと言った方が正しい気がする。

 そういうことならば、ミルシェが平民のお嫁さんとして過不足なくやっていけるように、下働きの仕事を今から覚えることに損はなかった。


「ルシオには目標があるから、時間はかかっても黒騎士になれるだろう」


「その言い方だと、ジャン=ジャックは難しいのですか?」


「ジャン=ジャックはヴィループ砦送りになったついでに、このまま白銀の騎士を目指すつもりのようだからな」


 単純な腕は上がっているのだが、白銀の騎士になるためにはまだ少し足りないらしい。

 試合という形を取るのなら、アルフレッドと良い勝負になるかどうかという腕前なのだとか。

 あくまで試合でならば『良い勝負』ということで、実践ではアルフレッドには敵わない腕でもあるようだ。


「ジャン=ジャックは白銀の騎士になれそうですか?」


「……騎士には礼節も大事だからな。特に白銀の騎士は王族や貴族の近くで働くことになるから、そういった意味ではジャン=ジャックには難しいだろう」


 私に対するものが私的な場所だけで、幼女の頃から知っているという気安さからだけならいいが、他の淑女に対してもあの態度であれば、白銀の騎士にはなれないだろう、とレオナルドは言う。

 私とジャン=ジャックとしてはいつもどおりのやり取りだったが、今日のジャン=ジャックは淑女として挨拶をした私に対して、あの態度だった。

 白銀の騎士を目指していると聞いてからあの態度を振り返れば、あれば減点対象だろう。


「実力の面では、どうなのですか?」


「そちらでも難しいな。白銀の騎士になるには、十二ある騎士団すべての団長からの推薦と、白銀の騎士団の団長と副団長の承認が必要になる。俺はジャン=ジャックを知っているから、あの性格を込みで『こんなものか』と判断できるが、他の騎士団長があの性格を込みで推薦状を書いてくれるとは思えん」


「……でも、よく考えたらレオナルドお兄様一人で四つの推薦状をいただけるのですね」


「そうなるな。だから、ジャン=ジャックには白銀を目指すなら、と一応課題を出しておいたぞ」


 レオナルド一人納得させるだけで三分の一の団長の推薦を貰ったことになるので、これはジャン=ジャックに有利な気がしないでもない。

 そう思ったのは、一瞬だけだった。

 なんの気負いもなく続くレオナルドの出したという課題に、騎士ではない私でもその大変さが想像できる。


「十二ある騎士団のいずれかの団長から一本とってこい、と言っておいた。それができたら、俺の推薦状は書いてやる、と」


「……ジャン=ジャックはさっきレオナルドお兄様に負けていましたけど、他の団長さんには勝てそうなのですか?」


「それぐらいできなくては困る。白銀の騎士は王族の護衛隊でもあるし、そもそもジャン=ジャックはグルノールでは第三席にいた男だ。グルノール砦は第一席、二席と白銀の騎士が居座っているからな。本来ならジャン=ジャックも砦の主だった可能性がある」


「……その可能性は考えたこともありませんでした!」


 でも、確かにレオナルドの言うとおりなのだろ。

 グルノール砦で三番目に強い実力者ということは、上が白銀の騎士であるレオナルドとアルフなのだから、黒騎士としてはジャン=ジャックが一番だ。

 そして、それだけの実力を持っていたからこそ、ジャン=ジャックはさまざまな面で優遇されていたのだろう。

 薬の数が足りない頃から初期の症状なら効くワーズ病の薬を、初期なんてとっくに過ぎた状態で与えられ、過失とはいえ病を街へと持ち込んだにもかかわらず死刑以外に山のような処罰を与えられて生かされていた。

 ジャン=ジャックに対して甘い処置は、実力を見込まれてのことだったのだ。


 ……どう考えても三下チンピラ風なジャン=ジャックが、団長クラスに強いだなんて考えたこともなかったよ。







 ヴィループ砦からの帰りの旅程も、行きと同様に順調だった。

 砂漠と平原の境の町で駱駝アヅカラと馬を替え、モンブルヌの街で幌馬車から馬へと乗り換える。

 モンブルヌの街まで来ると、王都へ戻るのとグルノールの街へと行くのは、距離的に大差なくなったような気がして、つい思うことがあった。


「……このままグルノールの街に帰りたいですね」


「今回は身軽に移動するために、カリーサやエルケたちを置いてきたからな。王都に戻らないわけにはいかないだろう」


 耐え難い誘惑を感じて口に出してみただけなのだが、律儀に返されるレオナルドの言葉に、唇を尖らせる。


「わかってますよ。言ってみただけです」


 王都にはカリーサとヘルミーネ、エルケとペトロナ、黒柴コクまろを置いてきてしまっている。

 このままグルノールへと向かってもいいな、という気持ちはムクムクと湧いてきたが、おとなしく王都へと戻ることにした。

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