第1話 グルノールへの帰還準備
グルノールへの帰還許可をもぎ取った私がすることは一つだ。
グルノールでののんびりとした引き籠り生活へと戻るため、後顧の憂いを絶つ。
……や、カッコいい言い方をしても、ようは荷造りってだけだけどね?
レオナルドとヴィループ砦を見に行くという約束もしているので、そちらの荷造りも必要になる。
とはいえ、ヴィループ砦へはちょっとした旅行のようなものなので、私の準備としては馬に乗るためのズボンを用意するぐらいだ。
長期滞在するわけでもないので、着替えは最低限でいいし、勉強道具も必要ない。
あとはレオナルドの見立てどおりに、携帯食料や非常食として日持ちするお菓子を用意するぐらいだ。
グルノールへ帰るほどの本格的な荷造りは必要ない。
「カレーライスは大きいから、グルノールへ持っていくのはやめた方がいいですね」
残念だが、大きな黒い犬のぬいぐるみにはベッドの番人として離宮に君臨してもらうしかないだろう。
季節ごとに各部屋へと持ち運びができるように、と手足が外せるように作ってもらったのだが、この大きさのぬいぐるみは、たとえ馬車へ積めたとしても場所を取る。
グルノールへの馬車は、そのまま旅程での生活空間になるのだ。
私だけが過ごす部屋ではないので、あまりかさばるものは持ち込まない方がいい。
「お腹の宝石箱は当然お持ち帰り、と」
バシリアがくれた宝石箱へ納めてあるレオナルドの
この二つは私のお守りのようなものだ。
置いていくなんてことは、考えられない。
「炬燵も持っていきたいけど……どうしましょう?」
炬燵はテーブルから注文して作ってもらったので、実は足を外してコンパクトに収納することができる。
問題は炬燵布団こと炬燵ドレスだ。
日本の炬燵布団ほど綿は詰めていないので薄いが、それでも場所を取ることは間違いない。
……布団圧縮袋とかあったら、悩む必要もなかったんだけど。
炬燵と炬燵ドレスについては馬車を共有することになるアルフに相談しよう、と結論を先へ延ばす。
荷物になるから置いていけ、と言われたら素直に置いていけばいい。
「服も増えましたね」
季節の部屋ごとにある衣装部屋を覗いて、そこに収められている服を見る。
グルノールから持ってきた服もあるが、さすがに二年も王都にいれば数も増えていた。
それでなくとも子どもの成長は早く、同じ服を着られる期間が短い。
……私は成長遅いっぽいから、昨年の服ぐらいは着れるんだけど。
前世で買っていた既製品とは違い、私の体のサイズを測って作った服だ。
成長の早い子どもであれば、昨年の服を着ることもできなかっただろう。
「さすがにお直ししても着られなくなった服は、持って帰っても仕方がありませんね」
とはいえ、離宮に子ども服など置いておいてもしかたがない。
貴族の娘であれば、お下がりは侍女へと下げ渡すものなのかもしれないが、私と侍女の二人とでは年齢と体格が違いすぎるし、そもそも彼女たちは貴族の娘だ。
質の良い物を着てはいるが、
……エルケとペトロナは、私より体が大きいから無理だね。
同じ意味で、私と身長が並ぶと聞く現在のミルシェにも渡せないだろう。
城主の館で女中見習いをしているということは、私のお下がりで問題はなくなったが、そもそも体の大きさに差がないのなら、お下がり自体が発生しない。
「物自体はいい物だから、下手なところに寄付したらまたトラブルになりそうだし、いっそ売ってしまうとか……?」
着られなくなった服を売るとなれば、ナディーンかレオナルドに相談した方がいいだろう。
私の服ではあるが、お金は離宮とレオナルドから出ている。
「これからの季節の服と、まだ着れるものはお持ち帰り、と。半分以下になるはずなのだけど……やっぱり多いですね」
これからの季節の服は、グルノールへ持ち帰らないという選択肢はない。
二年も王都にいたものだから、持ち帰らなければグルノールで着る物に早速困ることになるのだ。
……いっそ馬車を増やしてカレーライスごと持って帰ろうかなぁ。
それはそれでどうなのだろう、と思ったが、よく考えてみればアルフがグルノールからやって来た時に馬車一つ分の服を届けてくれている。
前例があることを思えば、できないことではないのかもしれない。
……うん。これ以上は一人で考えても無駄だね。
離宮のことなので、とナディーンへと相談を持っていくことにする。
離宮の主は私なのだが、子どもでしかない私が主でも離宮が正常に機能しているのは、ナディーンが離宮を管理してくれているおかげだ。
今日から私だけで離宮を管理してください、とこれまでしてくれていた仕事を投げ出されては困る人材である。
「ナディーン、相談があるのですが」
ノックをしてから執務室へと顔を覗かせたのだが、ナディーンには困ったような顔をされてしまった。
なにか失敗してしまっただろうか、と自分の行いを振り返り、
……そうだった。私が主なんだから、執務室へ訪ねてくんじゃなくて、ナディーンを呼び出すべきだった。
ようやく淑女らしさが身に付いてきたとは言われているが、こうした些細な失敗が多い。
仕事中の年長者を自分の部屋へ呼びつけるなんて、とどうしても自分から動く方を選択してしまうのだ。
「ごめんなさい。間違えました」
「よろしいのですよ、クリスティーナお嬢様。次からはお部屋へと
「はい」
主従の力関係が未だにしっくりときてくれない。
王城での私は国王の客分として離宮を与えられているが、ただの平民だ。
ベルトランの孫としても、功爵家の娘でしかない。
本来王城で働く侍女の上に立つような人間ではないのだ。
どうしたって、自分の方が下だと思ってしまう。
「それで、クリスティーナお嬢様のご相談とは、なんでございましょう」
「わたくしがグルノールの街へ戻ると、離宮で働いている使用人たちはどうなるのでしょうか?」
主がいない離宮に使用人は要らないだろう、と普通に考えて聞いてみる。
家は時々風を通さないと傷むと聞いたことがあるが、主がいない離宮に一年中使用人が居る必要はないと思う。
現在の離宮の使用人たちは、私が離宮を使うために集められたとも聞いたことがあった。
「クリスティーナお嬢様が王都からお出かけになられている間でも、この離宮はいつでもお嬢様のお帰りをお待ちして、常にすぐ使えるようにと整えられております」
もともと他の離宮に比べて使用人が少ないため、主が長期間不在になるからといって解雇をするほどの人数ではなかったらしい。
部屋を整えるためには侍女が必要で、その侍女の生活を支えるために女中が必要になる。
となるとその侍女や女中の食事を作る料理人が必要になり、その補助をする
「離宮が無人になることはないのですか?」
「人の気配のない建物は、すぐに寂れてしまいますからね。空気を通すためにも、人の出入りは途切れません」
それはなんだか税金の無駄使いな気がするのだが、淑女らしく言葉を装飾して聞いてみたところ、むしろ完全に締め切ってしまう方がお金はかかるらしい。
普段は放置しておいて使う時だけ慌てて修繕しようとするよりも、いつでも使えるようにと常に整えていた方が安く済むのだとか。
「こちらの離宮は主がいる状態でも他の離宮よりも出費が少ないぐらいですので、お嬢様が気にかけてくださる必要はございません」
「ということは、侍女も使用人もそのままで、本当にいつ来ても使えるのですか?」
「さようでございます。侍女も使用人も、離宮を維持するために雇われていますので、主が留守の間でも変わりません」
家庭を持った使用人には安定した職場ということで良いのかもしれないが、侍女たちが主のいない離宮へと縛り付けられているのはどうなのだろうか。
花の命は前世よりも長いようだが、それでも若い女の子が青春を無駄にすることになってしまう気がした。
「王城へと働きに出ている貴族のご令嬢は、それぞれに
親の薦める結婚を拒んでいる者、結婚を諦めている者、逆により良い相手を探しに王城へとあがっている者、と貴族の令嬢が王城で働く理由はさまざまだ。
理由あって離宮付の侍女になったのだから、彼女たちの結婚適齢期など私が心配することではない、とナディーンは言う。
もちろん、私にお気に入りの侍女や女中がいて、結婚を許さず離宮に残しておきたい、という我儘があれば聞いてもくれるそうだ。
これにはしっかりと辞退しておく。
嫁ぎたい、嫁ぐ予定のある娘たちは、気持ちよく送り出してほしい、と。
「次に私が王都へ来る時に、侍女が足りないと思えばナディーンが探しておいてください」
ナディーンの選択を信頼しています、と言葉を結ぶ。
初めて会った時の暴君ディートフリートを作りあげたのはナディーンだが、二年間離宮を運営するその手腕を見てきた。
内心はどうあれ、ナディーンは任された仕事を確実にこなす人間である。
ほかに忘れているものはないだろうか、と考えながら離宮を歩く。
聖人ユウタ・ヒラガの研究資料の写本は翻訳するのに必要なため、絶対に持ち帰るべきものだ。
エルケとペトロナも、もちろん持ち帰る。
まだなにかグルノールへと持ち帰りたいものがあったはずだ、と答えを求めてレオナルドの部屋を覗く。
レオナルドの部屋では、ヴィループ行きの支度がされていた。
「グルノールへと持って帰るもので、なにか忘れているような気がするのですが、レオナルドお兄様はわかりませんか?」
「見てすぐに判る『置いていくもの』ならあるぞ」
「え? 置いていくものですか?」
持って帰るものを考えていたはずなのだが、逆のことを言われてしまった。
私は置いていくはずのものを、持って帰る荷物として考えているらしい。
なんだろう、と首を傾げながらレオナルドを見上げると、レオナルドは私の足元を指差した。
「……あ、たしかに。忘れていました」
レオナルドの指差した先にいたのは、
すっかり私の飼い犬といった風体で離宮に陣取っているが、正しくはベルトランの飼い犬である。
いつの間にか離宮へと姿を現すようになり、そのまま住み着いてしまっていた。
「オスカーもベルトラン様に返さないとですね」
黒犬を返すこと自体は構わないのだが、犬を返すためにベルトランと会う必要があることが億劫だ。
近頃はおとなしいのだが、会うたびに母のことを悪く言われるのがその原因である。
「ベルトラン様のことは横へ置いておいて、カリーサの契約はどうなっているのですか?」
「カリーサはこれまでどおりだな。マンデーズ館の女中で、マンデーズ館の主である俺の命令で王都に来ていることになっている」
ようは以前グルノールの街へ来てくれた時と同じ状態らしい。
マンデーズ館の主の指示での出張扱いだ。
「……それは、そのままグルノールの館まで来てもらうことはできますか?」
「カリーサが個人的にマンデーズ館を出てグルノールで働く、というのなら、ずっとティナといられるぞ」
「なんだか微妙な言い回しの気がしますが……?」
赤ん坊の頃に当時のマンデーズ砦の主に拾われたカリーサたちには、帰るべき家がない。
マンデーズ館で育てられ、使用人として働いてきたため、一度自立をして館を出てしまえば、館はもう帰るべき家ではなくなってしまうそうだ。
アリーサは
館の外へと出て行く自由はあるが、一度出た館へと戻ってくる自由はないのだ。
「つまり、以前のようにグルノールの館で雇うことは可能だけど、主が変わったらカリーサはマンデーズへ帰ってしまう。それが嫌ならマンデーズの館を出て個人的にレオナルドお兄様に雇われる必要があるけど、その場合はその後の保障がない、ということですか?」
「まあ、そのまま雇い続けて引っ越し先でも働いてもらうことは可能だが、別の就職口を探してもいい。とはいえ、実家のように帰れる場所を失うというのは本人も不安だろう」
カリーサは美人なのだが、三つ子ということで忌避されて、マンデーズの街では嫁の貰い手がないらしい。
本人にその気があれば、いっそマンデーズの街を出て、三つ子と知られにくい他の街で就職をするのはいいことかもしれない。
良い相手と出会えれば結婚をして、そこで新たな自分の家を手に入れることもできるのだ。
「……結局、以前のようにマンデーズ館から主の命令で出向してきている、という形が一番カリーサとしては良いのでしょうか?」
「俺が主のうちはそれでいいが、主が変わったらそれまでだな」
新しい主の意向に従って、カリーサはマンデーズの館へと戻ることになる。
「ところで、レオナルドお兄様が騎士団長を退く、という未来が見えないのですが」
なにを心配しているのだろう、とは思う。
グルノール砦どころか、他に三つも砦を預かるレオナルドが、自分が退いたあとのことを心配している。
そんな気がした。
「そんなことはないぞ。俺だっていつまでも砦で一番ではいられないし、これからは体力的にも衰え始める年齢に近づいていくからな。毎年新しい黒騎士は何人も生まれているし、俺より若い世代も育ってきた」
四つの砦の主でいることは、もう数年もすればなくなるだろう、とレオナルドは言う。
一、二年の話ではないが、数年以内には起こりうることである、と。
「そもそも、俺がティナと過ごすためにも一線は退いた方がいいと思い始めている」
「そういう大事な話は、ちゃんと聞かせてください」
一家の大黒柱からの、まさかの離職宣言だ。
生活に関わってくる話でもあるので、突然ぽんっと聞かされても困ってしまう話だった。
ここに座って、と長椅子へと腰を下ろして隣を叩く。
普段は居間の長椅子で寛ぐことが多いため、レオナルドの部屋の長椅子に座ることは滅多にない。
男性の部屋の長椅子だからか、少しクッションが硬めな気がした。
「一線を退いたら、どうするおつもりなのですか?」
隣へと腰を下したレオナルドの太ももへと手を添える。
異議があればすぐにでも主張する準備も万端だ。
「そうだなぁ……白銀の騎士に戻って、ティナの護衛につくのもいいかもな」
白銀の騎士に戻れば、黒騎士として四つの砦を飛び回っているよりも、私と一緒にいられることになるらしい。
私は『一線を退く』という言葉に『騎士を辞める』と受け取ってしまったのだが、レオナルドが退く『一線』は、『国境警備』のことだったらしい。
黒騎士を辞めたとしても、レオナルドはまだ白銀の騎士だ。
すぐに職を失うわけではない。
……あと、レオナルドさんは本当に引退するのなら、功爵になるんだったっけ? 忘れてた。
レオナルドが黒騎士をやめた途端にミルシェと三人で外へ放りだされるわけではないらしい、と安堵する。
そもそも、レオナルドより強い黒騎士が現れたとしても、レオナルドは副団長やその他の黒騎士と同じ扱いになるだけだ。
少なくとも、白銀の騎士の団長だったというジークヴァルトは、現在副団長をしている。
闘技大会で優勝を奪われたからといって、騎士団を退く必要はないのだ。
「ティナは二十歳までは俺といてくれるらしいが、お嫁に行ったらそうは会えなくなるからな」
その点、護衛になってしまえば嫁に行こうが、王都へ出てこようが、一緒である、というのがレオナルドの考えらしい。
私との時間を増やそうとしてくれているのは正直嬉しいのだが、不安もあった。
「……本気でレオナルドお兄様にお嫁さんが来てくれる気がしません」
「それは自分でも思っている」
妹一番な自分を丸ごと受け入れてくれる女性でなければ無理だろう、と真顔で返してくるレオナルドが少しどころではなく心配だ。
この人は本気で
……旦那様として、条件はいいんだけどね?
健康で給料の良い定職についており、力もあって少々ポンコツな面もあるが優しい。
顔だって悪くはない。
ただ妻よりも妹を優先しそうな欠点があるだけだ。
それだって自分の子どもができれば、いずれは改善するだろう。
……私ごと受け入れてくれる心の広い女性か、私が早めにお嫁に行くか、私がレオナルドさんのお嫁さんになるしかないような気がする。
これだけ家族というものに飢えているのだから、未婚で終わるというのは残酷だ。
私たちはお互いに、もう少しだけ兄離れ・妹離れをした方がいい。
「カリーサはどうしたい? ティナはこれからも側にいてほしいそうだが、どうする?」
レオナルドの嫁について考えていると、レオナルドの中でこの話題は終わってしまったようだ。
いつものように私に付いていたカリーサ本人へと意向の確認をしはじめた。
「……までのように、マンデーズからの出向という形で、グルノールへお呼びください」
「主が変わればマンデーズへと戻ることになるが、それでいいのか?」
「グルノール砦の主が変わっても、マンデーズ砦の主は変わらない、という可能性もあります。それに……その頃には、私も、少し外に慣れている可能性もありますので」
マンデーズの街の外での暮らしに慣れたら、自分も姉妹たちからの自立を考える、とカリーサは言う。
いつまでもお互いに依存しあってはいられないと、お互いに解ってはいるのだ、と。
以前と同じ扱いながらカリーサのグルノール行きが決定し、嫌々ながらもベルトランへと手紙を書く。
黒犬の返却についての相談なのだが、途中で妙案を思いついた。
黒犬は頭のいい犬である。
手紙を書いて渡せば、ベルトランの下へと運んでくれるのではないだろうか、と。
……これができたら、オスカーの返却も完了?
これはいいことを思いついた、と手紙の文面を面会依頼から黒犬の返却を伝える旨へと変更する。
ベルトランに会わずに済ませられるのなら、それに越したことはない。
「オスカー、お手紙をベルトラン様へとお届けしてほしいのですが、できますか?」
書きあがった手紙に封をして黒犬へと見せると、黒犬は尻尾をたてて立ち上がったかと思うと、封筒をくわえて出て行った。
これで黒犬の返却も完了だ。
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