第81話 秋の帽子と豪華装丁の本

 伯母のソフィヤとは、時折お茶をする仲になっていた。

 お茶をするといっても、ソフィヤの館へ訪ねていったり、離宮へ招いたりするのではなく、ジークヴァルトの館でミカエラを囲んでお茶会をするといった感じだ。

 その輪の中に、近頃は体調さえよければアリスタルフが加わるようになっている。

 ソフィヤとアリスタルフは、最近では面会が許されているらしい。

 一方的にソフィヤを追い出してアリスタルフを取り上げたベルトランなのだが、知らないところで少しずつ家族仲は改善しているようだ。

 このままアリスタルフとソフィヤが幸せになればいいと思う。


「今日はクリスティーナ様に贈り物を用意しましたの」


「わぁ、なんでしょう? 嬉しいです」


 子どもらしさと淑女らしさを計算し、足して二で割って返しながら、ジゼルの確認した一抱えもある丸い箱を受け取る。

 この箱は、さすがに中身が判る。

 丸くて一抱えもある箱は、帽子の箱だ。

 中の帽子が折れたり曲がったりしないよう十分な大きさの箱に入れるため、どうしても一抱えはある立派な箱になってしまうのだ。


「あら、可愛い。木の実が秋らしくて素敵ですね」


「うふふ。そろそろ秋でしょう? いつまでもお花の帽子でお出かけというわけには、いきませんものね」


 花の帽子、とは春華祭にソフィヤから贈られた猫耳のついた帽子のことだ。

 その帽子の代わりの秋物を、ということで木の実の飾られた帽子なのだが、飾られているのは木の実だけではない。


 ……今回は少し珍しい耳だね。なんの動物だろう?


 猫耳でも犬耳でもないのだが、なにかのフサフサとした耳を模したものが、秋の帽子にもしっかりと付けられていた。


 ……秋っぽい深紅でよかった。服と合わせる必要があるからね。『服に合わせたら、今日はかぶれませんでした』ができるよ。


 惜しむらくは、レオナルドのトレードマークが黒と深紅なことだろうか。

 レオナルドと行動をして違和感がないように、と私の服には深紅と黒を組み合わせたものが一定数ある。

 帽子を贈ってくれたソフィヤの顔を立てて、二・三回かぶるぐらいならば十分だ。


「あら、よろしかったわね、ティナさん。わたくしにも見せていただけるかしら?」


「はい、ミカエラ様」


 どうぞ、とミカエラへと帽子の入った箱を渡す。

 箱を覗き込んだミカエラは、綺麗に微笑みながらも、なにか思うことがあったようだ。


 ……あれ?


 表情はさすがに取り繕われていて読み取れないのだが、なにか箱の中身に反応をしている。

 いったいなんだろう? と帽子の中身を思い返してみるのだが、ミカエラが反応しそうなものに心当たりがなかった。


「秋の帽子に着想を得ました」


 そんなことを言いながら箱から顔をあげたミカエラに、先ほどの反応はもう見えない。

 何事もなかったかのように微笑み、箱へと蓋をして私へと向き直った。


「少し思いついたことがございますの。ティナさん、このお帽子、少しお借りしてもよろしいかしら?」


「はい。わたくしは構いませんが……ソフィヤ様もそれでよろしいでしょうか?」


「え? ええ。ミカエラ様がどのような素敵なことを思いつかれたのか、楽しみにしておりますね」


 館の女中メイドへと帽子の入った箱が渡され、お茶会が再開される。

 今日のお菓子は、栗を使ったモンブランだ。

 レオナルドと初めて街へ買い物に出た時も思ったのだが、モンブランはモンブランだ。

 モンブランのレシピを持ち込んだ転生者は、このレシピを公開する時に『モンブラン』という単語の説明はどうしたのだろう。

 そんなくだらないことを考えながら、美味しくモンブランをいただく。

 ジークヴァルトの館の料理人には、すっかり私の味の好みを把握されている気がした。

 もしかしなくとも、ミカエラが私の好みを把握しているのだろう。

 お客様の好みを把握し、そっと好物を用意するというのも、淑女に求められる技能だ。


「レオナルドお兄様は、まだ戻られないのでしょうか?」


 秋だなぁ、としみじみモンブランのマロンクリームをスプーンで口へと運びながら考える。

 春は種まき、秋は収穫の季節で、夏が一番危ないと聞いた気がするのだが、夏はすでに過ぎていた。

 そのわりに、開戦とも終戦とも話は聞こえてこない。


「……あら、サエナード王国との小競り合いでしたら、もう終わっている頃ですよ」


「え? 終わっている……ですか? いつ開戦したのでしょう?」


 そんな話は聞いていないよ、と突然もたらされた戦争終結の報に混乱する。

 いつ戦が始まるのだろうか? とずっとモヤモヤしていたのだが、知らないうちに戦は終わっていたらしい。


「今年は夏の闘技大会に出ていた白銀の騎士が少なかったでしょう?」


「はい。その代わりに、アルフレッド王子が参加されたのでしたよね」


「闘技大会に出ていなかった白銀の騎士は、王都を出てルグミラマ砦へと出向していたのでしょう。白銀の騎士の数が王都から減ったということが、戦が始まったかどうかの一つの目安になります」


 長く白銀の騎士の団長を務めたジークヴァルトの妻で、現在の団長であるティモンの母でもあるミカエラは、王都の白銀の騎士の数だけで、どこかで戦が行われているようだということをある程度察することができるのだそうだ。

 間違ってもジークヴァルトやティモンが家で機密を漏洩しているわけではない。


 ……でも、とっくに戦争が始まっていたんなら、誰か教えてくれればいいのに。


 そうは思うのだが、周囲が私にそれを教えなかった理由もわかる。

 私に開戦の話など聞かせても無意味で、それどころか無駄にストレスを与えるだけだ。

 またうっかり精霊にでも願ってルグミラマ砦へなんて飛んで行かないように、という考えもあったかもしれない。


「もしかして、夏の終わりにフェリシア様から無茶振りをされたのは、戦の影響でしょうか?」


 私の耳におかしな話が万が一にも入らないように、とフェリシアは私自身を忙しくさせたのかもしれない。

 そう考えてみると、これまで無茶な要求などまったくしてこなかったフェリシアからの無茶振りにも納得がいく気がした。


「あら、フェリシア様にどのようなおねだりをされたのかしら? そういえば、なにか商人を呼んでいたようだとジークも言っていたわね」


 ……『無茶振り』は淑女語では『おねだり』ですか。覚えました。


 出てきたばかりの淑女語変換を頭に叩き込み、フェリシアからの無茶振り改めおねだりの内容を話してみる。

 フェリシアのおねだりは、ようは予定の前倒しだ。


「本当はグルノールの街へ戻ってから印刷しようと思っていたのですが……」


 ソラナに目配せをして、一冊の本と箱をミカエラとソフィヤの目の前へと置いてもらう。

 本は先日印刷と製本が終わったばかりの、ボビンレースの指南書だ。


「フェリシア様から『流行は王都から広げる方が良い』と教えていただきまして……」


 当初はグルノールの街に帰ってから印刷するはずだったボビンレースの指南書を、フェリシアが読みたがった。

 読むだけならば原稿があったのだが、読みたいというのは言葉どおりの意味ではない、というのはヘルミーネがあとから教えてくれた。

 私の感覚としては前世での同人誌のように欲しい人へだけ頒布しようと思っていたのだが、本という形にして残す以上は、販売やその他の体裁を整えろということだったらしい。

 フェリシア監督の下でそれが学べる良い機会なので、グルノールの街で平民向けの本を作る前にしっかり学んでおけとヘルミーネからもお勧めされた。

 ならばと小部数を貴族向けに印刷し、少し装丁で遊んでもいる。


「あら、表紙はクリスティーナ様なのね。これがボビンレースかしら? とても繊細だわ」


「中の解説図を依頼した絵師に表紙もお願いしたのですが、少し照れてしまいますね」


 表紙の顔はシルエットなので、別に私の顔ではない。

 これはソフィヤのお世辞のようなものとして、ありがたく受け取りつつも流しておく。


 ランヴァルドに書いてもらった表紙は、シルエットの女の子の横顔だ。

 その髪に結ばれたリボンがボビンレースで、印象に残るよう色インクが使われていた。

 平民向けの物も表紙は多色刷りにする予定だが、貴族向けの豪華装丁ということで、タイトル文字は金色に見えなくも無い黄土色である。

 ここに黒い影を入れると、不思議と金文字に見える気がした。


「まあ、素敵。レースのしおりが入っているわ」


「今回の本は冊数が少しですので、本物のボビンレースがどのようなものか解っていただけるように、しおりを作ってはさみ込んでみました」


 ボビンレースの現物で興味を引こう、と頑張った。

 複雑な絵柄のしおりを複数個作るのは辛かったので、少しだけ複雑な幾何学模様の幅広リボンを短く織っただけのものである。

 これは私とカリーサ、レベッカとペトロナで頑張った。

 一人のノルマは5枚だったのだが、カリーサとレベッカは一人で7枚ずつ作ってくれている。

 あの二人はなんというか、糸巻ボビンを転がすスピードからして人並みはずれた場所にいる気がした。


 ちなみに、このボビンレースのしおりは、貴族向けの豪華装丁本にしか入れるつもりはない。

 理由は単純だ。

 すべて手作業で作るため、数を用意するのが不可能に近い。


「丁寧な解説と……わかりやすい図まであるのね」


「これなら私でも作れそうな気がします。……こちらの箱は?」


「そちらの箱は特別装丁版の、五つだけ用意したさらに特別なものです」


 箱の中にはすでに糸の巻かれた糸巻とピン、小さな円柱状の枕が収められている。

 商人を呼んで作ってもらったのは、これらだ。

 前世でお馴染みの、本を買ってすぐに始められるあのシリーズを取り入れてみた。


「嬉しいわ。すぐに始められるようになっているのね」


「でも、この糸巻の数ではこちらのような複雑な模様には足りないのではなくて?」


「最初に付けたセットは、あくまで練習や体験用です。ですから本格的に始めたくなった時には巻末に付けた設計図を元に商人を呼んで、好きな材質や装飾を付けたご自身の糸巻を作られる方が良いかと思いました」


 本当は糸巻や枕の設計図を描いたページに商人の店の名前を広告として入れてみようかと思ったのだが、これはフェリシアに止められている。

 商人が他の商人から恨みを買う可能性があるし、貴族の注文が殺到した場合に仕事を捌ききれなくなって信用をなくし、商家が潰れてしまう危険もある、と。


 ……思いつきで前世にあったものを取り入れるのは危険だね。広告収入で印刷費の足しに、とかもちょっと考えたんだけど。


 ソフィヤが思いのほか興味を持ってくれたので、箱から道具を取り出して目の前で実践してみせる。

 指の練習にと私もやった、ほぼ面を織るだけの簡単な図案だ。

 場所をソフィヤに譲って、やはり自分もと始めてみたミカエラの手元を覗く。

 道具を取り出してはいたが、ミカエラはまず指南書に目を通してから始めたい派だと思う。


 ……それにしても、貴族向けの豪華装丁本を作ったのは予定外だったけど、フェリシア様は本当にしっかりしてるね。


 同人誌のように印刷して、はい終わり! かと思っていたのだが、違った。

 本当に個人的な範囲で頒布して終わるだけの本ならそれでもよかったのだが、知らないところで複製や粗悪品を作らせないためにも、メンヒシュミ教会に登録しておくということが必要だったらしい。

 登録情報があると、偽物や粗悪品が作られた時に『こちらが先』『こちらが本物』と証明することができるようになり、相手を罰することができる一応の抑止力にはなってくれるそうなのだ。

 王都での印刷を薦めてくれたのも、私の初めての登録作業をフェリシアが見張ることが可能で、王都であれば登録作業もグルノールの街で行なうよりも早い。

 類似品や粗悪品を警戒してのことだった。


「……ティナさん、この本はどちらの商人が取り扱いますの?」


「残念ながら、わたくしの分とバシリア様へ送る分、ミカエラ様たちへ贈ったものと、メンヒシュミ教会への献本、わたくしの侍女の分、で残りはすべてフェリシア様が買い取ってくださいましたので、商人が取り扱うことは今のところございません」


「まあ、フェリシア様が宣伝してくださるの? それでは、貴族の間へはすぐに広まるでしょうね」


 本当に綺麗、といってミカエラはボビンレースのしおりを手に眺める。

 急いで作らせた手前、と引き取ってくれたのかと思っていたのだが、フェリシアはボビンレースを宣伝してくれるつもりでもあったようだ。

 こうして周囲から聞かされる思惑に、私の視野の狭さを実感する。

 フェリシアが印刷をしろと言い始めた時は、ついに王族の発作が出たかと思ったのだが、ヘルミーネからは登録などの手順を教えてくださるつもりなのだろうと指摘され、糸巻を作った経験のある商店の名前を広告として載せようとしたら店が潰れる可能性もあると止められ、自分が作らせたのだからと在庫を引き取ってくれたのかと思っていたら宣伝をしてくれるつもりだったらしい。

 おそらくは、今ミカエラがどの商人が取り扱うのか、と聞いてきたのも、宣伝してくれるつもりだったのだろう。

 ミカエラの横の繋がりも、かなり広い。


 ……私、まだまだ子どもだね。目の前のことしか見えてないや。


 そう改めて気がついたところで、先ほどのミカエラの反応を思いだす。

 箱の中身を見て、なにか明らかに反応をしていたはずだ。


 その理由は、帰りの馬車の中でジゼルに話を聞いて察することができた。


「帽子に付けられていた動物の耳ですか? あれは栗鼠ウシリという小動物の耳です。フサフサの長い尻尾があって、木の実を頬袋へと溜め込む可愛い動物なのですが……」


 ……あ、はい。わかりました。やっぱり気を遣われて遠ざけられたんだね、あの帽子。


 白銀の騎士の数を見て、戦の有無を見分けるミカエラだ。

 数年前に引き起こされたワーズ病の感染源を運んでいた動物の名前にも、覚えがあったのだろう。

 私がワーズ病で両親を亡くし、レオナルドに引き取られることになったという話を知っていれば、栗鼠の耳がついた帽子など、そっと私の目には触れないようにするかもしれない。

 あの帽子は、戻ってくる頃には違う動物の耳に変わっているのだろう。

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