第79話 喧嘩を売る相手を間違えた

 ……暇です。


 熱を出して寝込んでいるのだから、暇なのは仕方がないのだが、とにかく暇だ。

 早く熱を冷まそう、とはりきって寝たら、なぜか悪化してしまった。

 今は完全な風邪引きさんである。


「ひーまーでーすー」


 退屈紛れに腕を振ると、騒ぎを聞きつけた黒柴コクまろがベッドの端に顎を乗せた。

 心配してくれているようなので黒柴の頭を撫でようと腕を伸ばしたら、天蓋を開いて怒った顔を作ったカリーサが私の腕を掴んで毛布の中へと戻す。

 熱が風邪に悪化したのは、夏なのに毛布を使っているせいだと訴えたい。

 おそらくは、寝ているうちに毛布を蹴ってしまった結果、熱が風邪に進化したのだと思う。


 ……暖かくして寝ているのが一番、ってのは、判ってるんだけどね。


 普段は何もしていないようでいて、意外にいろいろなことをしているので、いざベッドで一日寝ていると、なんとも手持ち無沙汰な気分になってしまって落ち着かない。

 本でも読んでいれば暇も潰れると思うのだが、肩が冷えると言って今回は本当に寝る以外のことを禁止されていた。


「いっそ、着る毛布でも縫ったらカリーサも満足するでしょうか?」


「……着る毛布、ですか?」


 黒柴の顎をベッドの端から下ろしながら、カリーサが聞き返してくる。

 絵を描いて説明しようとして塗板こくばんを持って来てもらおうとしたら、それすらも却下された。

 とにかく今日は寝る以外は認めてくれないらしい。


「毛布に袖とボタンを付けたものですよ。ぐるっと体を包み込んでくれるので、暖かいはずです」


 どれだけ動いても脱げないので、移動もできる優れものですよ、と言ったらカリーサが微妙な顔をした。


「……なんでしたら、猫耳と尻尾を付けてもいいですよ。色はお任せします」


 どうせしばらくは獣の仮装をさせられるのだから、と開き直って猫耳を付ける許可を出す。

 途端にカリーサがやる気になったので、問題があるとしたら完成する頃には私の風邪が治っていることぐらいか。


 ……まあ、それならそれで? 秋にでも使えばいいし。


 いそいそと天蓋から出て行くカリーサを見送り、再び天井を見上げる。

 天井と言うよりは、黒い犬のぬいぐるみの顔だ。


 ……めちゃくちゃ発音よく『カレーライス』って言ったら、『カリーサ』って聞こえそう。


 あまりにも暇すぎて、思考がおかしなところへ向かいはじめる。

 これはさすがに不味いと思って、離宮の様子を確認した。


 ……えっと、ソラナは私の行方不明の後始末で、アルフレッド様に使われてあっちこっちにお遣い中、と。


 離宮を出る前にアルフレッドから呼び出されたという報告を持って現れたソラナの姿を思いだす。

 心底嫌そうな顔をしていたのだが、あのアルフレッドには近頃妙な違和感があるので、もしかしたらソラナが警戒をする必要はないのかもしれない。

 そんなはずはないと思うのだが、アルフレッドというよりは、アルフな気がするのだ。


 ……フェリシア様はヘンリエタとお見舞いに来てくれたけど、仮にも王族のお姫様に風邪なんて移せないからね。


 お見舞いを断るというのも失礼だとは思うのだが、さまざまな薬があった前世でも風邪で命を落とす人がいた。

 この世界では前世よりも薬がないので、たかが風邪だからといって油断はできない。

 風邪を引いている時に王族の見舞いなど、断るのが懸命だろう。


 フェリシアのミミズクといえば、やはりミミズク自身は私が無事であると承知だったようだ。

 人の言葉が話せないため、フェリシアへと私の無事を伝えることはできなかったが、ミミズクを使って報せを送ろうとしたフェリシアの命令に従わず、止まり木から動こうとはしなかったらしい。

 私の行方不明に関しては動く必要がない、というミミズクなりの意思表示だったのだと思うのだが、やはり人間には意図が通じなかった。

 うんともすんとも動かないミミズクに、では伝書鳩を使おうという話になって伝令係が鳥舎へ向かおうとするも馬が動かず、走って鳥舎へ行けば鳩も飛ばず、と散々だったらしい。

 さすがは精霊の人攫い、と妙な感心もされていたようだ。

 動物たちが協力をして探そうとする人間を阻んでいる、と。


 ……実際には捜索の邪魔をしていたんじゃなくて、動物なりに探さなくても無事ですよ、って態度で示してくれていたんだけどね。


 昼食の時間になると、レベッカがおかゆを運んできてくれた。

 リゾットではなく、おかゆだ。

 大事なことなので、もう一度。

 リゾットではなく、おかゆだ。


 ……や、リゾットとおかゆの違いなんて、よくわからないけどね。


 エセルバートの料理人から習ったナパジ料理のおかゆを、カリーサが作ってくれた。

 先日貰ったまだこの国では珍しいナパジの調味料の中に、なんと鰹節かつおぶし様が入っていたのだ。

 私としては鰹節なのだが、こちらの言葉に直すとオウタック節らしい。

 しっかり覚えて、来年の誕生日にレオナルドへとおねだりしようと思う。


 ……それにしても、レベッカも私に慣れましたね?


 一年前は病気の子どもの世話などみたくない、と言っていたはずなのだが、今は甲斐かい甲斐がいしく世話をやいてくれる。

 看病の甲斐なく死んだ子どもがトラウマで、病気の子どもには近づきたくなかったらしいのだが、いつの間にかトラウマは克服していたらしい。


 私の見張りと世話はカリーサとレベッカに任せて、ウルリーカは離宮の外の情報を収集してくれている。

 誘拐犯は精霊と神王なので、誰か人間が犯人に仕立て上げられて裁かれることはないと思うのだが、私はしばらくベッドから動けそうにないので、外の様子は気になった。


 エルケとペトロナは、春が来て片付けられたはずの冬の仮装を取り出し、手入れをしている。

 この様子では、本当に冬以外でも獣の仮装をさせられそうだ。


 ……この世界の服装の価値観が、本人に似合っていれば良い、って風潮でよかった。


 誰もが追いかける作られた流行というものはなく、日本人の感覚としてはコスプレにしか見えない服装であっても、本人に似合っていれば誰も笑わない。

 一番身近な例で言えば、ソラナだろうか。

 第八王女の乳兄弟ということで、実年齢は二十歳を超えているのだが、ぺったんこな胸と低い身長、童顔のせいで見えても十五・六歳だ。

 ソラナも自分に似合う服装がよく判っているようで、フリルがたくさんついたメイド服に金髪ツインテールと、日本人目線で見れば立派な萌えっこメイドだった。

 前向きに考えるのなら、ソラナが側にいてくれる間は十二歳の私が猫耳と尻尾をつけていようとも、そう目立つことはない。


 ……たぶんね。







 寝ている間にメンヒシュミ教会から今回のことに関する詫び状が届けられた。

 たしかに精霊による神隠しのきっかけにはなったと思うが、詫び状と共にドレスや髪飾りが送られてくる意味はわからない。


「……少し過剰にお詫びされている気がしますね」


 何か知っていますか、と情報を集めに出ていたウルリーカに聞いてみる。


「精霊の寵児を強引に連れ出そうとした結果、精霊によって寵児が隠されたという話が内街に広がっているようです。昨年は無事に祭祀を見守ったのに、今年に限って精霊に攫われたのはメンヒシュミ教会のせいだ、と」


「その情報を操作したのはどなたですか」


 昨日の今日で、そこまで話が広がっているのは少しおかしい。

 王城内で行方不明になったのだから、王城中に噂が広がっているというのなら判るが、内街にまで昨年のことを含めて話が広がっているのは不自然な気がした。

 そもそも、精霊の寵児が王都に滞在しているということを、内街の人間が知っているものなのだろうか。


 そして、不自然なのは気のせいでもなんでもなかったらしい。


「情報を流されたのはアルフレッド様のご指示です。メンヒシュミ教会がこれ以上クリスティーナお嬢様に近づけないように、と牽制の意味もあるかと思います」


「他の意味もあるのですか?」


「精霊の仕業とはいえ、精霊の寵児が攫われたのですから……」


 なにかと義憤というものを振り回すのが大好きな人間に対する生贄が必要だったようだ。

 精霊の寵児を精霊が隠すような状況を作り出すなどと、と熱心なイツラテル教会信者が王城へと突撃してくるのをかわし、アルフレッドはその矛先をメンヒシュミ教会へと向けさせたのだとか。


 ……なんて言うか、メンヒシュミ教会も踏んだり蹴ったりだね。


 もしくは、喧嘩を売る相手を間違えた、だろう。


「最初の決定に従っていれば、こんなことにはならなかったのでしょうに」


「精霊の寵児は滅多に現れるものではありません。ですから、精霊の寵児に見守られながらの追想祭には、メンヒシュミ教会には一方ならぬ憧れがあるのでしょう」


 ……精霊の側から見ると、転生者が追想祭を見守ることに意味なんてなさそうなんだけどね。


 精霊の寵児とは、追想祭の元となった事件のあとに異世界から連れてこられた魂のことだ。

 ありがたがられているところ申し訳ないのだが、まったくの第三者が事件の加害者側の『反省しています』というパフォーマンスを見せられているようなものである。

 それを考えるのなら、来年は断ってもいいのかもしれなかった。


 ……まあ、言わぬが花、だけどね。


 貰う理由もないと思い、メンヒシュミ教会からの贈り物は送り返してもらう。

 詫び状だけ受け取っておけば、それで謝罪を受け入れたことには一応なる。


 ……それにしても、少しイラッとしただけで精霊に善意で攫われるのは困るなぁ。


 どう考えても、私よりも周囲の人間の胃に穴が開く。

 今回の原因はメンヒシュミ教会から来たらしい男の態度や物言いに萎縮させられたせいだが、人見知りな私には頻繁に起こりうる場面でもある。

 一生離宮やグルノールの館に閉じ籠って新しい人間と会わない生活をするのなら問題はないかもしれないが、現実的に考えてそれは不可能だ。

 となれば、少しずつでも私の人見知りを直していかなければならないだろう。


 ……とりあえず来年の春までは時間があるし、少しぐらいは知人を増やす努力をしようかな。


 さしあたっては、加害者とまでは言えないのに今回一方的に被害を被っている気がするメンヒシュミ教会のフォローが必要かもしれない。

 あの正装の男には近づきたくないが、導師アンナのような穏やかな人物であれば、私だってある程度は話すことができるのだ。


「王都のメンヒシュミ教会は、どのようなところですか?」


「王都は広大ですので、メンヒシュミ教会も五つございます。うち一つは学を授ける教室はなく、完全な印刷工房ですね」


 貴族街にはメンヒシュミ教会はなく、平民のためにやや外町の近くに建てられているらしい。

 完全に工房として扱われているメンヒシュミ教会のみ内街の中央よりにあり、印刷された本は整えられた大通りを通って他の町や村へと運ばれて行くようだ。


 ……印刷工房か。ボビンレースの指南書を作るのに、お世話になる予定なんだよね?


 原稿を作る際の注意点なども、一度聞いておきたいと思っていた。

 グルノールの街であればニルスを頼ることができたのだが、ここは王都で、ニルスはいない。

 印刷についての話を聞くにしても、自分から動く必要がある。


 ……うん。印刷工房ならあの男の人もいないでしょう。


 工房見学とかできないかな、と呟いたら、ウルリーカが調べておいてくれることになった。

 メンヒシュミ教会の工房へ行くにしても、離宮の外へ出るにしても、まずは風邪を治さないことには保護者たちから外出許可が出るはずもない。

 ウルリーカの持ってきてくれた話のおかげで、多少の暇も潰せたので、気合を入れて寝ることにした。

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