第80話 姿絵と指南書の原稿作成

 無事に風邪が治っても、しばらくは外出が禁止された。

 私の外出を禁止したところで、精霊が攫おうと思えばいつでも私を連れて行くことはできるので、あまり意味はないと思う。


 風邪で寝込んでいる間にあちらこちらからお見舞いが届いていたので、それに返事を書いたり、様子を見に来てくれた人には直接お礼を言ったりとして過ごす。

 外出はできなかったが、なかなかに忙しかった。


「……離れに籠っているのではなかったのですか? 近頃よく出てきますね」


「今日はおまえに見せる物があってな」


 これなんだが、とランヴァルドが布に包まれた薄い四角をジゼルへと差し出したので、中身を察する。

 神王と一緒に覗いた時に描いていた絵が仕上がったのだろう。


「絵が完成したのですか?」


 他に思いつくものもなかったので、そうであろうとあたりをつけて言うと、ランヴァルドと包みを確認していたジゼルが驚いた。


「……なんで絵を描いていたことを知っている?」


「以前そのような話をいたしましたし、先日神王様とご一緒している時に離れを覗きました」


 ランヴァルドもこちらに気がついて視線を向けてきただろう、と言うと、ランヴァルドも思い当たることがあったらしい。

 妙な気配がしたと思ったら、あれはおまえか、と妙に納得された。


素描デッサンの段階から思っていたのですけど、やはりお上手ですね」


 改めてジゼルが渡してくれた絵を見て、描かれているのは私の姿のはずなのだが溜息がもれる。

 幼さが抜けきれない顔立ちと、華奢な細い手足、芸術の女神アシャテーの仮装ということで古風な衣装を纏っているため、全体の仕上がりがとても神秘的だ。

 これで中身が私でさえなければ、完璧な美少女である。

 そして、絵の中の私からは私の性格など察することはできないので、絵の中の私は完璧な美少女だ。

 けっこういろいろな人間に頬を引っ張られているのだが、奇跡的に頬が伸びて顔が崩れたりなどしていない。


「……性格なかみを知らなかったら、本人わたしでも恋しちゃいそうな美少女ですね」


「自覚があるのなら性格なかみを直せ」


性格なかみは直そうとして簡単に直せるものではありませんよ」


 できることがあるとすれば、せいぜい取り繕い方を徹底するぐらいだろうか。

 未だに淑女教育が終わらない私には、少し難しい課題だ。


 ……あと、下手に変なストーカーがつくことを考えれば、今のままの残念美少女でいた方がいいしね?


 勝手に惚れられて、勝手に幻滅されて離れていってくれるのなら、むしろこのまま残念と頭につく美少女でいるべきである。

 顔は両親が可愛く生んでくれたものなので変えようがないが、それ以外の部分でお断り要素を付けていけばいいのだ。


「……そんなことより、許可を取れば売ってもいい、と言っていただろう。許可をくれ」


「たしかに、これ以上ないという程に健全ですが、売り上げの一部も要求するとお伝えしたはずです」


「意外にがめついな」


 覚えていたのか、と舌を鳴らすランヴァルドに、王族のくせに仕草が平民よりだな、とどうでもいいことを考える。

 しかし、よく考えれば十年以上平民として市井で暮らしているのだ。

 振舞い方も平民のものに近づいてくるだろう。

 そうでなければ、外では浮く。


「……少しやりたいことがあるので、資金が必要なのです」


「やりたいこと?」


 意外にもランヴァルドが食いついてきたので、意見の一つになるかと話してみる。

 オレリアの残してくれたボビンレースを、指南書を作って残したい。

 外をボビンレースのリボンをして歩いても、妙な商人に付き纏われない程度にはボビンレースを広めたいのだ、と。


「これは綺麗だな……これの作り方を広めるのか? 秘匿して独占した方が得だと思うが」


 カリーサの作った付け襟を見本として見せてやると、ランヴァルドは興味を持ったように手に取って細部を観察する。

 描き上げてきた絵を見る限り意外に芸術肌なようなので、ボビンレースも編んでみたいと思っているのかもしれない。


「秘匿する意味がありません。私はこれをつけていても、変な人に付き纏われない世界にしたいのですから」


 淑女として貴族の中で生きていくのなら、ボビンレースの作り方が武器になるという話は知っている。

 とはいえ、私に淑女として貴族の中で生きる予定はないのだ。

 レオナルドの妹としてグルノールの街で暮らし、たまに日本語を読みつつ、求められれば精霊の寵児として祭祀を見守り、政治や面倒な派閥争いになどかかわらずに生きていきたい。


「ということは、指南書を作るための費用集めか。……第八王女が兄う、クリストフ国王の怒りを買う結果になった金貨五千枚があるはずだろう。あれはどうした?」


「あのお金は元は税金ですし、降って湧いたお金すぎて趣味には使いづらいです」


 刺繍の材料費や手間賃も入っているので、まったく手数料を取るつもりがないとは言わない。

 そもそも、一度返還の相談をしたところ、クリストフからは受け取っておけとも言われたお金だ。

 王都での仕事の報酬と思っておけばいい、とも言われているのだが、どちらにせよ貰いすぎている気がして、小心者の私には好きに使いづらかった。

 なにか公共事業へでも投資した方がいいかと思える額だ。


「国王が報酬だと言ってるんなら、それはおまえが受け取るべき報酬だろう。遠慮なく使うがいい」


「簡単なお仕事過ぎて、額に見合っていない気がするのです」


 私としては日本語を読むだけの仕事なのだが、その価値は確かに大きい。

 聖人ユウタ・ヒラガの秘術を復活させるといえば、この先何百、何千という人の命を救っていくだろう。

 仕事の価値が高いという自覚も理解もしているのだが、実際に私がやっていることと言えば日本語を読んで処方箋レシピの秘術を実際に作ってみたり、処方箋をエラース語に直してみたりとしているぐらいだ。

 労働らしい労働だとは、あまり感じていない。


「俺が描いた絵の売り上げを奪うのは、降って湧いた金にはならないのか?」


「それはわたくしの肖像権の侵害ということで、モデル料をしっかり払ってください」


 違いが判らない、と首を傾げるランヴァルドに、金額の大小の問題だと思う、と答えておく。

 レオナルドという稼ぎの良い保護者のおかげで、前世からは考えられないような贅沢な暮らしをしていると思うのだが、私は根っからの庶民だ。

 いまいちピンとこない大金よりも、目先の小金の方にトキメキを感じる。


「それにしても、本当にお上手ですね。コピーして売れれば良いのですが……」


複写コピー? 模写ぐらいはできるだろうが……複写は不可能だろう」


 つい『コピー』と言ってしまったのだが、ランヴァルドは『Copy』と受け取ってくれた。

 発音が悪いと直されはしたが、筆記はともかく発音まで完璧にできるようになる予定はないので、このままでいい。

 私としては前世にあったコピー機で手軽に複写コピーがとれればいいのに、と思ったのだが、この世界にコピー機だなどという便利な機械はないため、意味として通じなかっただけだ。


「そういえば、フルカラー印刷も見ませんね?」


 コピー機から、この世界にあるのは印刷機か、という発想に繋がり、印刷された本を思いだしたのだが、その中にカラーの物はなかったことを思いだす。

 あるとしても、カラーではなく、黒インクに色インクを効果的に加えた多色刷りだ。


「ふるからー印刷?」


「この絵画のように四色以上の色で描かれた絵を、青、赤、黄、黒の四色に分解して一枚の紙へ寸分の狂いもなく印刷すると元となった色使いに近い絵ができる、という印刷方法……でしょうか?」


「四色が四色以上になることはないと思うが……いや、そうか。青と黄を混ぜると緑に、青と赤を混ぜると紫になる顔料があるな。それを考えれば……不可能ではない、のか?」


 理屈の上では不可能はなさそうだが、実行しようと思えば途方もない労力が必要になるな、とランヴァルドは言う。

 私としては、色を重ねる前の、色を分解するという方法で行き詰ってしまい、そうそうに諦めていた。

 仮にアナログな方法でフルカラー印刷に挑むとしても、今回ランヴァルドが描いた絵は複写できない。

 フルカラー印刷用に、四色それぞれの原稿を寸分の狂いもなく描きあげる必要があり、途方もない根気と時間がかかるということは、少し考えただけでもわかった。


「点や描画で濃淡をつけて一色の印刷なら量産できそうですよね……」


「量産したら価値が下がるだろう。一点ものの絵画だからこそ高く売れるんだ」


「……それもそうですね」


 勝手に姿絵が描かれて売られているだとか、アイドルのブロマイドのような扱いだな、と思ったのだが、量産は好まれないらしい。

 たしかに写真と違って一枚を描くのに時間がかかるし、印刷をするにしても金額的、手間的な意味でも前世の写真のようにはいかない。


「でも、カラー印刷は無理でも浮世絵のようにカラフルにした絵はできそうですよね」


「うきよえ?」


「ええっと……版画、でしたか? 木の板に絵を彫って、インクを塗って、紙を乗せて……印刷します。これは四色分解だとか難しいことは考えずに、色数にあわせてそれぞれに版を作るので、要は多色刷りと同じですね」


 思いつくまま浮世絵と版画の説明をしていたら、ランヴァルドには印刷に詳しいな、と言われてしまった。

 私としては全然詳しい気はしていないので、詳しくないですよと応えておく。

 版画の知識は前世の小学生だった頃の記憶だったし、浮世絵については何かのテレビ番組で見た受け売りだ。

 私が詳しいわけではない。


「……そういえば、印刷の精度はどのぐらいなのでしょうね?」


 前世の現代日本では、目の細かいスクリーントーンも綺麗に印刷されていたのだが、貸本屋の全盛期の漫画はスクリーントーンなど再現できず、漫画家の点描や描画で濃淡を表現していたはずだ。

 レオナルドに引き取られてから絵のある本も見たことがあるが、ほとんど線だけで表現されていた気がする。

 線だけということは、扱いは文字とそう変わらないのかもしれない。


「文字の揃った本と、人が書いた文字の本と、手書きの本とがありますよね……」


 本当にどうなっているんだろう、と頭を抱えたら、ランヴァルドには呆れられてしまった。

 こんなことを気にする時点で、十分印刷について詳しいらしい。

 普通はそんなことすら考えないのだとか。


「印刷について知りたければ、内街のメンヒシュミ教会を見学すればいい。離宮の主の希望であれば、無下にはできないだろう」


「ヴァルドさんもなかなか印刷に詳しいように思えるのですが?」


「俺はメンヒシュミ教会で印刷機を動かす仕事をしたことがあるからな」


「え? ヴァルドさんって、働くことがあるのですか!?」


「おまえは俺をなんだと思っているんだ」


「……離宮の居候?」


 もしくはお化け。

 隠れているはずなのに、隠れたい相手の離宮に潜伏して侵入の痕跡を残した間抜け、とも思っている。


「外へ出てからは、普通に自分で働いて稼いでいたからな。いくつかやった仕事のうちの一つだ」


 印刷機を動かすには力がいるため、男手は歓迎されたらしい。

 そのため、印刷機の構造までは解らないが、印刷をする手順や必要な原稿形式などは把握しているのだとか。


「ヴァルドさん素敵です。今こそ溜まりにたまった家賃かしを払ってください」


「家賃取るつもりだったのか!?」


「ヴァルドさんの飲み食いした食費は離宮持ちですし、あれだけ立派な家具の揃った離れを潜伏場所として提供しているのですから、家賃ぐらい当然です」


 そのうえ離宮の主の姿絵を描いて一儲け目論んでいるので、少しぐらいやり返したところでバチは当らないだろう。


「まあ、家賃は家賃でも、お金をくださいというわけではありませんので、そこはご安心ください」


「何が聞きたいんだ?」


「ボビンレースの指南書を作るための原稿のことなのですが……」


 今はまだ指南書としての文章を精査しているところなので、紙や塗板こくばんにメモを取りつつまとめている段階だが、メンヒシュミ教会で印刷をしてもらうのなら、印刷に使う原稿の作り方は聞いておいた方がいい。

 王都にニルスはいないが、ランヴァルドが印刷について詳しいのなら、原稿の作り方について相談に乗ってもらうのは良い手だと思う。


「印刷費についてはメンヒシュミ教会で直接聞け。指南書ってことは……文字と図形か? 文字だけなら揃った字が美しい活版印刷でいいんだが、図形を入れることを考えたらガリ版印刷か。こっちだと手書きの文字でも行けるから、活版で文字を組むよりは早い」


 ランヴァルドの語るメンヒシュミ教会の印刷については、前世でも聞いたことのある名前が多い。

 ということは、どう考えてもこの世界の印刷技術に関しては転生者が一枚噛んでいるはずだ。

 どれぐらい昔かはわからないが、本好きの転生者が異世界の物語を持ち込んだと聞いたことがあるので、もしかしたらその人が印刷技術まで持ち込んだとも考えられる。

 そして、そこから印刷技術が進化していないことを思えば、この世界にはまだ早い技術だったのだろう。

 独自に進化していく力はまだ無く、その代わりに技術を失わないよう守ってきたのだ。


「文字は活版印刷で、図形はガリ版で一ページを二回印刷する、って方法もあるが……まあ、時間の無駄だな。字が綺麗な人間を雇って、文字部分もガリ版で一度に刷ってしまった方が早い」


 ランヴァルドの説明に感心しながら、ほうほうと相槌を打つ。

 これまでは『指南書を作ろう』ととにかく文章を纏めるぐらいのことしかできていなかったので、ランヴァルドのおかげで一気に実現へと近づいた気がした。


 ランヴァルドと話し合った結果、ちょっとした挿絵や解説図をランヴァルドが描いてくれることになり、その原稿料として姿絵のモデル料は帳消しにする。

 あとでアルフレッドにこの話をしたところ、モデル料を安くしすぎだと怒られたが、そんなことは無いと思う。

 私に他者ひとに伝わりやすい絵を描くことは難しかったし、素人エルケによる指南書として通じるものになっているかというテストに合格しなければ修正もあるのだ。

 解説図を一度描いて、はい終了、とはいかない。


 材料が揃うまでは完全に作業が止まってしまったので、とジークヴァルトの離れへと行く回数を減らして指南書の原稿作成を頑張った。

 メンヒシュミ教会の印刷工房も、連絡を入れたら快く見学させてくれた。

 これを機会に精霊の寵児と交流を持っておこう、と考えられたのか、別のメンヒシュミ教会から導師クラスの人が案内に来てくれていたりともしたが、おおむね和やかな見学会だったと思う。

 この世界の印刷についても知ることができたので、よしとしておく。


 夏の闘技大会が終わる頃には、指南書の原稿が完成した。

 完成した原稿に、ランヴァルドからは印刷をしないのかと聞かれたが、黒い犬のぬいぐるみのお腹の中へとしまいこむ。


 ……絶対にグルノールの街に帰りますからね。


 そんな願をかけて、すぐに印刷をしたりはしない。

 販路を考えれば王都にいる間に刷った方がいいのだろうが、あくまでボビンレースには広がって、根付いてほしいのだ。

 まずは私の手の届く範囲で、「やはり指南書を読んだだけではわからない」という人を助けられる範囲から広げていこうと思う。

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