第77話 正解一つにつき増える謎二つ

「その人が見つかったら、神王様はどうなさるのですか?」


「もう一度口説き落として、今度こそ妻に迎える」


「へ?」


 意外に情熱的な言葉が飛び出してきて、一瞬だけ目が点になる。

 世捨て人のような雰囲気を纏った神王なのだが、千年以上人を探している目的は結婚だったらしい。

 意外すぎて、これまでに聞いた神話が頭の中を駆け巡る。

 神王の印象は、神話や劇、祭祀で聞くことになる祝詞の中とでコロコロと変わるのだが、本人の発言が一番イメージに合わない。

 神話では被害者で、祝詞では怒らせてはいけない人で、本人は妻になるはずだった女性を探し求めて彷徨っているのだと言う。

 それら一つひとつが頭の中で繋がってくれなくて、頭を抱えるしかない。


「ええっと……?」


 どう突っ込めばいいのだろうか、と戸惑う私に、神王は苦笑いを浮かべる。

 私の反応は、神王にとっては予想通りのものだったのだろう。


「奪われた妻を取り戻す。そして今度こそ、あれと天寿を全うしたい」


 自分が望んでいるのはそれだけだ、と初めて見る晴れやかな顔で神王が口にする。

 神話の悲壮さも、祝詞の苛烈さも、そこには一欠けらもなかった。


「……それが叶ったら、神王様はこの世界に戻ってくるのですか?」


「いいや。あれと天寿を全うするからには、俺は死ぬな。ただ、そのあとは以前のように神王の正常な世代交代が取り戻されるだろう」


 両目とも蒼い色をした子どもが血脈に生まれるようになる、と神王は言う。

 この不思議な蒼い瞳は神王の血筋に現れ、両目とも蒼いのは神王と次の神王になる子どもだけなのだそうだ。

 現在この世界に神王が不在なのは、神話の神王じぶんがまだ生きているせいだ、とも神王は続ける。

 神王の時間がまだ次代に席を譲る時ではないため、次代が生まれないのだ、と。

 神話や劇にあるような、『争いを回避したい』『争いの元になりたくない』というような理由で神王が姿を隠したせいではない。

 真実はもっと単純だ。


「ええと、つまり……本物の神王様の目的はお嫁さんを取り戻すことで、神話の時代に事件を起こしたのは神王に挑んだ若者。若者のせいでヴィループ砂漠ができて、精霊や人が大勢死んで、それで崩れそうになった世界のバランスをとるために異世界から魂が運ばれてきて……? 神王様はもう二度と悲劇が起こらないように自分から姿を隠したことになっているんだけど、これは創作。実はお嫁さんの生まれ変わりを探していて……?」


 聞いた情報をひとつに纏めようとするのだが、さっぱり一つに繋がってくれない。

 スタートラインに戻ってしまった思考に、そろそろ頭が痛くなってきた。


 うんうんと頭を悩ませていると、神王が一つだけ答えをくれる。

 それは余計に混乱をもたらす言葉でもあった。


「では、もう一つ教えてやろう。大地が枯れる程の大きな力が使われた際に、それを押さえ込める程のさらに大きな力があった、と」


「大地が枯れるのは、無謀な若者が神様の剣を盗み出したからで……それを押さえこめる……?」


 無謀な若者が挑んだのは神王だ。

 当然、若者が剣を振るう相手も神王となる。


「……わかりました。祝詞は『本当』なのですね」


 とにかく神王を恐れ、怒りを静めてくれるようにと祈る祝詞だ。

 大地を枯らす程の威力をもった神の作った剣に対し、それを静めた者が必ず存在していたはずだ。

 それが神王だったのだろう。


「それにしても、すごい秘密を聞いてしまったような気がします」


「そうでもないぞ。この世界のものならば、本来は誰でも解っていることだ」


 異世界の魂である転生者は知らなくとも、この世界の魂であれば本能的に知っていることらしい。

 ただ人間は、人間の犯した罪によって神王に愛想をつかされたという事実から目を逸らし、表面的には忘れてしまったのだろう、と神王は言う。

 改変されていく神話も、そのために正しい形をしていないのだ、と。


「そういえば、お嫁さんに目印を付けたって、どんな目印なのですか?」


 私にも探せないだろうか、と思って何気なく聞いてみたのだが、神王の返事は実に猟奇的な話だった。

 一瞬前まで神話の時代から続く愛情の話をしていたような気がするのだが、神王の言う『目印』は愛情というには少々首を傾げたくなってくる。


「以前会った時に教えただろう。片方の目の色が俺と同じ蒼をしている。今際いまわきわに、あれには俺の目を食わせたからな」


「目を、食べさせ……?」


 思わず想像してしまい、口元を手で押さえる。

 おもいきり眉を顰めてしまったのだが、遅れてとあることに気がついた。


 目を食べさせたというのは、なにかの比喩ひゆだろうか。

 少なくとも、今私の目の前にいる神王の両目は、二つとも揃っている。







「……あれ?」


 神王の両目に気を取られた瞬間に、意識が横へと引っ張られる。

 突然何もない空間へと追い出されたような感覚がして、瞬いた時には周囲に誰もいなかった。


「神王様? ここ、どこですか?」


 闇に向かって呼びかけても、答えてくれる声はない。

 しかし、声が反響するというのか、自分の声がすぐ近くの壁に当たって返ってくる感覚があるので、どこまでも続く暗闇に投げ出されたというわけではなさそうだ。


「……寒い」


 寒さを感じ、毛皮の前を合わせる。

 寒さ対策として毛皮を衣装に組み込んでもらったのは、正解だったとしかいいようがない。


 ……でも、寒いってことは、ここはもう現実?


 先ほどまでは暑くも寒くもない不思議な場所にいた。

 見えている世界は同じだったのだが、時間や気温というものを感じない世界にいたのだと思う。


 闇に目が慣れてくると、慎重に歩を進めた。

 神王へは何度か呼びかけてみたが、なんの返答もない。

 これが本来の距離感だとは思うのだが、なんの説明もなく放り出されすぎて、戸惑ってもいた。


「あ、ここって……『精霊の座』?」


 僅かにどこかから光が入って来ているのか、水晶自体が光っているのか、『精霊の座』までたどり着くと、周囲を少し見渡すことができる。

 暗いのは、祭祀のために用意されたかがり火が片付けられているせいだ。

 以前に来た時は、かがり火に照らされて不安を感じない程度には明るかった。


「どうせなら、離宮に戻してくれればよかったのに」


 周囲に誰もいないことを確認し、肩から力を抜く。

 淑女らしく振舞う必要もない空間に、久しぶりに頬を膨らませてここにはいない神王へと不満をぶつけてみた。


「……まあ、いいか。どこか判れば一人で帰れるしね」


 ここへは昨年一度来ている。

 半日近い時間をクリストフとおしゃべりをして過ごしたので、なんとなく何処に何があるのかは把握しているのだ。

 闇に目が慣れた今なら、扉まで戻ることも容易である。


「あれ?」


 明かりがなくとも外へと続く扉まで来ることは簡単だったのだが、扉を開けることは私には難しかった。

 なんといっても『精霊の座』だなどと呼ぶありがたい置物のある地下空間なのだ。

 そこを守る扉が頑強で、重く作られていること自体はなんら不思議はない。


「あ、開かない……っ! 重い……っ!」


 両手で力いっぱい扉を押し、びくともしない扉に今度は全身の体重をかける。

 それでもやはり動かない扉に、苛立ちに任せて一発ガツンっと蹴りをいれた。


 ……まあ、蹴ったぐらいじゃ動かないよね。


 全体重をかけても動かない扉だ。

 むしろ体重に比べて軽い蹴りなどでは、動くはずもなかった。


「誰か! 誰かいませんかー? 開けてくださーい!」


 扉の向こうに向かって叫んでみる。

 大切な場所を守る扉なので、外には警備の騎士が一人ぐらいは残っているかもしれない。


 ペシペシと扉を叩くが、扉を叩く音は『精霊の座』へと反響して消える。

 外からの返答も、向こう側で人が動く気配らしきものも、なにもなかった。


「神王様、お仕事が適当すぎますっ!」


 居心地の悪い空間から連れ出してくれたことはありがたいが、放り出すにしても突然すぎて話は途中だったし、場所も最悪だ。

 せめてクリストフの祭祀中に放り出すか、祭祀の片付けが終わる前に『精霊の座』へと出してくれたのなら、私もすぐに大人と合流できたのだが、片付けの終わった『精霊の座』へと放り出されたせいで、扉を開けることもできずにいる。

 あとは離宮に帰るだけのはずなのだが、扉が開かないせいで足踏み状態だ。


 分厚い扉へと耳をつけ、なにか音が聞こえないかと耳を澄ませる。

 厚すぎて音が遮断されるのかと、僅かな隙間を求めて床に這いつくばりもした。

 淑女としてはどうかと思う姿だが、ここには誰もいないのだ。

 姿勢を繕うのも馬鹿らしい。


「……すぐ近くには誰もいないっぽい?」


 警備の騎士の足でも見えないかと隙間から覗いてみるが、暗くてほとんど見えない。

 暗さというよりも、扉が厚すぎるのが問題な気もしてきた。


「とりあえず、誰かが通りかかるのを待つしかありませんね」


 誰かが私の声を拾ってはくれないものか、と独り言を声に出す。

 自分の声とはいえ、音があるだけで少しでも心強い気がした。


「クリストフ様、今年もなにか仕込んでいてくれると嬉しいのですが」


 くるるとお腹が鳴って、昨年は『精霊の座』の台座に作られた隠し扉からクリストフがお菓子やお酒を取り出していたことを思いだす。

 今年も何か用意してあれば、食べるものがあるはずだ。


「どのぐらい時間が経ってるのかな。お腹がすいた……」


 来た道を戻って『精霊の座』へとたどり着く。

 裏に回って台座の隠し扉を開くと、クリストフ用のお酒と、私のために用意されたと思われる果物のジュースが入っていた。

 嬉しいことに、干した果物や焼き菓子までいっぱい入っている。


「わーい……って、減っていませんね?」


 お酒の瓶やお菓子が綺麗に詰め込まれていて、取り出した形跡がない。

 今年は祭祀のあとに半日ここで過ごさなかったのだろうか、と考えて気がついた。


「わたしが行方不明で、サボってる場合じゃなかった、とか?」


 これはのんびりとお菓子を食べている場合ではない、とお菓子とジュースを両手に持つ。

 昨年のように『精霊の座』をテーブル代わりに行儀よくお菓子を食べようと思っていたのだが、少しでも早く誰かに気づいてもらうために、扉の前に張り付いていた方がいいだろう。


「あ」


 両手に抱えた焼き菓子が、脇から一つ零れ落ちる。

 すぐに拾おうと腰を下ろして手を伸ばすと、視界が僅かにかげって眉を顰めた。


 ……なに?


 なにか違和感があったぞ、と影を追う。

 見上げることになったのは、『精霊の座』だ。

 水晶に飾られた長方形の玉座だと思っていたのだが、中に何か黒い影のようなものがある。

 なんだろう? と目を凝らすと、影は一瞬だけ節のある木の棒に見え、すぐに消えた。


 ……あれ? 気のせい?


 何か見えた、と思った瞬間にそれは消えている。

 よく見ればもう一度見えるだろうか、と今度は『精霊の座』に額をくっつけて中を注視したのだが、透明な水晶は下の台座を透かしているだけだった。


 ……今のって、なんだろう?


 なんとなく答えがわかるのだが、頭が答えに辿りつくことを拒否しているような違和感がある。

 これについては考えてはいけない、と私の中で直感のようなものが騒ぐのだ。


 しばらく『精霊の座』を見つめ続け、やがて気分を変えて扉の前まで移動する。

 お菓子とジュースで空腹を満たしながら、誰か通りかからないかと耳を澄ませ続けた。

 時々じっと待っていることに飽きて騒ぐ。

 開けて、出して、神王様のアホ、戻すのなら人気ひとけのあるところに出してよ、と暴れ、疲れたら毛皮に包まって少し横になる。

 何度かそれを繰り返し、実は一年に一度しか開かれない扉なのではないか、と不安になってきた頃に、ようやく足音が一人分近づいて来た。


 鍵が外れる音で目を覚まし、毛皮に包まりながらも体を起す。

 さすがに寝転がったまま人を迎える度胸はない。


 重い音を立てて開かれる扉と、扉の向こうからもれてくるランタンの明かりに、ホッとして鼻をすする。

 冷たい石畳に突っ伏して寝ていたせいか、体が冷えたようだ。


「……すみません、あやしいものじゃないです。やっとあいたー」


 誰もいないはずの『精霊の座』から聞こえた鼻をすする音に、ランタンを持った人物が警戒するのがわかった。

 警戒をされる覚えはあるが、敵意はないので早々に白旗を上げて助けを求める。

 私としては、早く『精霊の座』から出て、離宮へと無事を知らせたいのだ。


「……クリスティーナ様、ですか?」


「そうれす」


 私の顔を確認するように、ランタンの光が向けられる。

 私の側からは目が眩むのだが、相手が安心するためには必要なことだと思うので我慢した。


 ぱちぱちと瞬きをして光に目を慣らしている間に、ランタンを持った人物の確認も終わったようだ。

 私の目も慣れてきて、ランタンを持った人物の姿を確認することができた。


「……あ、アルフさんのお母様」


 なんでここに、と思ったのはきっとお互い様だ。

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