第76話 合わない神話の答え合わせ
私の頭を撫でたのは神王だった。
そう確認はできたので、視線をアルフレッドへと戻す。
アルフレッドはジッと私を見ているのだが、なにか様子がおかしい。
……そういえば、前に神王様に会った時は、他の人はいなかったような?
以前神王に遭遇した時を思いだしてみる。
あの時は周囲に人が何人もいたはずなのだが、神王が現れた時には誰もいなくなった。
私もそれを疑問には思わなかったのだが、今日は頭がスッキリしている。
神王がいて、アルフレッドたちがいる。
それが何かおかしい、と気付けるぐらいには私の頭は正常だ。
「あれ? アルフレッド様の声が……」
アルフレッドが私の目の前で何かを言っているのだが、その声がまったく聞こえない。
読唇術でも身に付けていればよかったのだが、普段の生活で使いようのない技術など、面倒くさがりな私が身に付けるはずもなかった。
「アルフレッド様はなにを言っているのですか?」
ジゼル、と横を見るのだが、ジゼルもアルフレッドと同じだ。
ジッとこちらを見ているのだが、口から声は聞こえてこなかった。
……そういえば、視線が合っていないような?
私を見ているとは思うのだが、目線は微妙にずれている気がする。
なにか変だぞ、と説明を求めて背後の神王へと向き直れば、神王は軽く肩を竦めていた。
どうやらこの現象に心当たりがあるらしい。
「どうなっているのですか?」
「まあ、目の前から人が一人消えれば、驚くだろうな」
「……消えたのはわたくし、ですよね?」
「おまえだけを連れて来たのだから、そうなる」
音が聞こえないのは、今の私が少しずれた世界にいるためだ、と神王が教えてくれた。
少しずれているだけなので、私からアルフレッドたちの姿は見える。
そして、アルフレッドたちの目からは私の姿が見えていない。
以前は人探しの途中の神王に私が気付いてしまうという不測の事態に、世界が混乱して時間が止まっていたそうだ。
世界といわれてもピンとこなかったのだが、処理落ちしたパソコンと考えれば理解できる気がする。
パソコンの中では一生懸命処理をしているのだが、動作が重くなったり、遅くなったりとして、しばらく画面が動かなくなってしまうようなものだろう。
運が悪いと完全に固まってしまって、再起動が必要になる。
私の記憶には『神王と会った』と残っていたが、神王と話をしている間に流れたはずの時間は『なかった』ことになっていた。
それが今回起こっていないのは、私が彼等の前から姿を消した『だけ』だかららしい。
アルフレッドたちの側では、私だけが消えて時間はそのまま流れている。
神王が意図して起こしたことなので、世界が混乱して辻褄合わせに奔走する必要もない。
私だけを違う世界へと移動させ、時間は正常に流れていた。
「とりあえず、アルフレッド様と目が合わない理由はわかりました」
私を見ているが、アルフレッドの目の前には私がいないので、実際には目が合っていないのだ。
だいたいこの辺にいたはずだ、という目線で見つめられているため、正確な目の位置に視線を合わせることができていない。
「これは、またあとで大騒ぎになるフラグな気がします」
精霊の寵児が神王祭でもないのに精霊に攫われたとなれば、大騒ぎになるだろう。
しかも、今回はアルフレッドの目の前で消えている。
人間による誘拐なんて、疑いようもない状況だ。
……攫ったの、今回は精霊じゃなくて神王様だけどね!
どうやって収めるつもりだろうか、と私を探して周囲へと視線をめぐらせ始めたアルフレッドから神王へと向き直る。
声は聞こえないのだが、大騒ぎになりつつあるのは見ているだけでもわかった。
ジゼルが離宮へと人を呼びに走り、門番をしていた白騎士が呼び寄せられる。
アーロンが何事か指示を出すと、門番を二人残して他の白騎士は四方八方へと散らばった。
私を探し始めたのだと思う。
「精霊の寵児を政治利用しようとしたのだから、放っておけ。この世界の者が、世界の安定のために呼ばれた異世界の魂を必要以上に煩わせることは許さん」
祭祀を見守らせるぐらいは
この世界の都合で連れて来た異世界の魂に、これ以上の負荷をかけるなんて、と。
今回の場合は、メンヒシュミ教会の男が私の目の前で騒いだことが原因だ。
あれを私が不快に思ったことがきっかけになり、周囲の精霊が神王へと助けを求めてくれたらしい。
異世界の魂が、異世界の魂であるがゆえにこの世界の者から不当に責められている、と。
「異世界の魂が困っていただけで攫っていたら、神王様は大忙しではありませんか?」
知られていないだけで、異世界の魂と呼ばれる転生者は、結構な数がこの世界にはいるそうなのだ。
そのすべてが困難に晒されるたびに攫っていたら、神王も忙しいだろう。
「そもそもはそれほど介入をしない。今回手を出したのは……おまえとは一度話しをしたことがあるからだろう」
自覚はなかったのだが、少しでも交流を持った相手ということで心が動かされたのだと思う、と神王は言う。
まったく交流のない人間と、一言でも会話をしたことのある人間では、無意識レベルでも気にかける度合いがあるのだろう、と。
神王と会話をし、玉子サンドを食べさせ、僅かながらも笑みを取り戻した。
精霊がそれを覚えていたのだ。
大好きな神王の笑みを取り戻した人間、ということで精霊が私を覚え、気にかけ、今回神王へと救いを求めてくれたらしい。
……あの場から連れ出してくれたことは助かったけど、感情の制御は本当に身につけなきゃいけない技術になってきた。
ちょっと不愉快になったぐらいで、善意の精霊に別の世界へと攫われてしまうのは困る。
淑女として身に付ける技術ではなく、精霊の寵児が人の輪の中で暮らすためにも必要な技術だった。
どうやら指示を出し終わったらしいアルフレッドと、真っ青な顔をしている正装の男には申し訳ないのだが、もう少し隠れさせてもらおうと思う。
アルフレッドは私の気持ちを最初から酌んでくれたのだと思うが、メンヒシュミ教会の男と言い争うぐらいならば、
……や、だめだよ。よくないよ。
メンヒシュミ教会の男からは隠れたいが、アルフレッドには心配をかけたくない。
どうにか心配をしなくてもいい、とあちらの誰かに伝えられないものだろうか。
そう思って相談したところ、神王はミミズクにでも伝えておけばいいだろう、と言いはじめた。
「ミミズクって、フェリシア様の飼っているヘンリエタのことですか? ミミズクに伝言しても、伝えようがないと思うのですが……」
「少なくとも、おまえの番犬へは無事が伝わるだろう」
動物は人間と違って勘も鋭いので、精霊の気配を感じることができるらしい。
動物たちは人間に通じる言葉が話せないため、人間はそうだと知る術もないのだが、彼等は彼等で精霊と上手く住み分けているようだ。
「……それでコクまろたちはランヴァルド様の侵入に反応しなかったのでしょうか?」
「ランヴァルド?」
「離宮で匿っているお化けです」
離宮、と言うと、パッと周囲の風景が切り替わり、いつの間にか離宮の離れに立っていた。
離宮の様子は、平和なものだ。
外の喧騒など聞こえてこないようで、二人の護衛も気を抜いているのが見て取れる。
ならば現在の離れの主ともいえるランヴァルドはどんな気の抜けた姿をしているのかと思えば、紙に向かってペンを走らせていた。
ランヴァルドから私の姿は見えていないと知りつつも、こっそりと背後へ回り込んで手元を覗き込む。
ランヴァルドの指が生み出していたのは、芸術の女神アシャテーの衣装を着た私だ。
どうやらランヴァルドは、本気で私の姿絵を売りに出すつもりらしい。
「……悔しいぐらいに上手い」
「おまえの顔は描きやすいからな」
顔の
褒められているようなので神王には礼を言っておくが、ランヴァルドの動向は今後見張っておいた方がいいかもしれない。
「その男にはあまり近づかない方がいいぞ」
「なぜですか?」
「精霊に対して勘が良い。見えてはいないはずだが、ここに何かがいるとは感じているようだ」
言われて神王に近づきながらランヴァルドへと視線を戻すと、ランヴァルドがこちらを見ている。
目線は合わないのだが、何気なく視線をやった、という様子ではない。
試しに少し移動してみたら、ランヴァルドの視線も私を追ってきた。
……なにこれ。ランヴァルド様すごいっ!
見ていると視線を感じてこちらに気がつくのだろう、と神王が教えてくれたのでランヴァルドから視線を外す。
そうすると、ランヴァルドも視線を落として
「先ほどの話に戻るが、精霊に対して勘が良く、精霊にも好かれる性質なのだろう」
「精霊に好かれる……それであの時はコクまろたちが言うことを聞いてくれなかったのですね」
動物と精霊は仲が良いらしいので、精霊が好いたランヴァルドを
それどころか侵入者であるランヴァルドを庇い、レオナルドを呼んできてくれという主である私の命令を聞かなかった。
そして、あの時精霊の影響を受けていたのは、番犬たちだけではない。
「気に入った男が『鍵が開かない』と困っていたから、精霊が鍵を開けさせようとおまえを操ったのだ」
私が操られたのは、私が鍵を管理していたからだ。
鍵の置き場所が黒い犬のぬいぐるみのお腹でなければ、他の人間が操られていた可能性もある。
……それ、操られたのが私でよかった、ってこと?
離宮の主である私が鍵を持って出たから『不思議なこともあるものだ』で終わったが、他の人間であれば離宮へ侵入者を手引きした罪に問われることになったはずだ。
精霊がそこまで考えていたとは思えないので、あとから知ると恐ろしすぎる真相だった。
「とりあえず、精霊に好かれた泥棒とか空き巣がいたら、やりたい放題ですね」
「そういった人間を精霊が好くことはないから、そのランヴァルドという男は、善人は善人なのだろう」
「……エセルバート様もそのようなことをおっしゃられていましたね」
エセルバートは顔を出せと張り紙をしていたが、結局ランヴァルドは会いに行くつもりはないのだろうか。
離れへと匿ってしまったため、ランヴァルドが王城というすぐ近くまで来ているというのに、エセルバートには見つけることが難しくなっている。
「探しものが見つかったら、またどこかへ行ってしまうのでしょうか……」
「それはこの男が決めることだろう。探しものか……」
ふむ、と言って、神王が少し真面目な顔をしてランヴァルドを見つめる。
自分であまり見つめると悟られる、と言っていたと思うのだが、神王はお構いなしだ。
「……奇妙な縁を持った男だな。探し物は見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。ただ、それはすでに届けたい先へ届いているようなので、無理に探す必要もない」
「謎かけですか?」
「必要のある者にだけ通じればよい」
からかわれているのだろうか。
涼しい顔をした神王がこんなことを言うので、私も少し言い返したくなった。
「……わたくしにも一つ解ったことがございますよ」
「聞いてやろう」
「精霊に好かれる性質のランヴァルド様は、神王様にも好かれる性質みたいですね」
どうだ、と会心の笑みを浮かべて神王を見上げると、神王は僅かに驚いたのが蒼い目を一瞬だけ丸くする。
この顔を見るに、まるで自覚がなかったのだろう。
玉子サンドを貢いだ私が神王になんとなく気にかけられた、というのは解るのだが、ランヴァルドは何も貢いではいない。
たまたま名前が話題に挙がって、今その姿を見ただけだ。
なのに、神王はランヴァルドのためかは判らないが、彼の探し物についてを私に知らせた。
神王は無自覚ながらも、ランヴァルドのために動いたのだ。
「探しものの件は、ランヴァルド様に伝えてもよろしいでしょうか?」
「……好きにすればいい」
ふいっと目を逸らされたので、図星を指されて実は照れているのかもしれない。
この世界の人間と異世界の魂を区別して呼んでいるようなのだが、ランヴァルドはこの世界の人間だ。
精霊に好かれる性質とはいえ、この世界の人間のために神王が行動を起こしたということに、なにか思うことがあるのかもしれなかった。
精霊の寵児の仕事らしいので、と訴えたら、また場所が変わった。
本当ならば私がイツラテル教会に用意された席に座って見守るはずだった『精霊の座』でのクリストフの行う祭祀を、神王と一緒に見守る。
やはり声は聞こえないのだが、祭祀の内容などそう変わるものではない。
昨年同様、怒らせたら怖い神王に怒りを静めてくれと切々と訴えているのだろう。
私の隣にいる人物は、とてもではないが一国の王が平身低頭怒りを静めるよう祈りを捧げる必要があるほど怒っているようには見えなかった。
「……探しものがあるべきところへ収まっているのなら、それは幸運なことだ」
祭祀を見守っていたはずなのだが、神王の心はまだランヴァルドの元にあったようだ。
離れを出てから結構な時間が過ぎたと思うのだが、先ほどの続きが始まる。
音の聞こえない祭祀を見ているだけでは私の集中力にも限界があるので、私もこの雑談に飛びつく。
「神王様も女の人を探しているのでしたね。見つかりましたか?」
「そう簡単に見つかりはしない」
神話の終わりから探している、と肩を竦められれば、からかう気にはならなかった。
気の遠くなるような長い時間だなんてものではない。
私だったら、それだけ長い間探してもみつからないのなら、諦めてしまいそうだ。
「……どなたを探しているのですか?」
女性を探しているとは聞いたが、どんな人物で、誰のことなのかは聞いたことがない。
この寂しそうな顔をした神王は、きっと長く探し歩きすぎて、疲れているのだ。
精霊の世界になんて閉じ籠っているから、話し相手もいなくて表情筋が死んでいる気もする。
軽口であっても話しているうちに表情が戻ってくるのが判るので、一生懸命話しかけることにした。
「探しているのは、俺の妻だ。正確には、妻になるはずだった女だな」
「神王様のお嫁さん?」
はて、そんな人物が神話に登場しただろうか、と記憶を探る。
メンヒシュミ教会の主催で行われている劇の配役に、女性の役は女神イツラテルと神王に挑んだ若者の妹ぐらいだ。
村娘Aといった端役の女性ももちろんいるが、神王の妻になる予定だった女性が、そんな端役であるはずがない。
神王が探している女性は、神話には出てこない女性なのだろう。
「あれのことは、神話からも消されたのかもしれないな。伝えるにはあまりにも
神話の時代に本当は何があったのか。
気軽に聞いてはいけない雰囲気を感じて、放置しておいたらそのまま探している人の『惨い話』とやらを思いだしてしまいそうな顔をした神王の意識を無理矢理こちらへと引っ張る。
「でも、冷静に考えたら、もう生きてはいません……よね?」
相手は神話の時代の女性だ。
普通に考えて、生きているはずがない。
少しでも前向きな気分を思いだしてほしくて話を振ったのだが、私の話術のセンスは致命的だった。
やってしまった、と内心で冷や汗をかきながらなにか別の話題はないかと忙しく思考する。
もうずっと一人の女性を探し歩いているらしい神王に、さすがにもう死んでいるだろう、というのは失礼にも程があった。
「あれが生きていないのは当たり前だろう。あれが生きていた時代は、百では足りんぞ」
神話の時代というのから何百年も前のことだろうとザックリ考えていたのだが、百の位では足りなかったらしい。
ということは、どんなに短くても千年は昔ということになる。
本当に気が遠くなるなんて年月ではない時間、神王はその女性を探し歩いているのだ。
「というよりも、あれを看取ったのは俺だ。あれが死に、俺の知っている姿をしていないことは百も承知している」
「では、生きてはいない人を探しているのですか?」
「正確には、新しい生を歩んでいるあれを探している。目印をつけたから、いつかは見つかるはずなのだが……」
なかなか見つからない、とほんの少し溜息が混ざる。
疲れ果てた声ではあるのだが、それでもまだ諦めてはいない力強さもあった。
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