第75話 二台の馬車

 今年も追想祭の日やってきて、朝から古風な衣装に着替えさせられる。

 例年のように袖のない衣装なのだが、今年は『精霊の座』は冷えると伝えたおかげか、肩を覆う毛皮が用意された。

 暑ければ脱げばいいし、寒ければこのままでいい。

 袖のない衣装なので、屋内で過ごすだけならば毛皮を纏ったままでも過ごせそうな気がした。


 ……もしかして、私は発育が遅い?


 夏服になって少しだけ薄くなったエルケとペトロナのお仕着せの胸に膨らみを見つけ、自分の胸元を見る。

 布を重ねた衣装ではあるのだが、普段着ている服に比べれば布地が少なく、飾り気もない。

 そのおかげで僅かにも膨らむ気配のない胸がより貧相に見えた。


 ……でも、成長なんて人それぞれだしなぁ?


 個人差があるのは当然である、と考えて、気がついた。

 人それぞれであって、気にしても仕方がないと理解しながらも、私はこれを気にしているのだろう。

 カリーサほどの成長は望まないが、せめて人並みには成長したい。


 支度が整うと、迎えの馬車を待って居間で寛ぐ。

 昨年の追想祭を思いだしながら手順を確認していると、久しぶりにランヴァルドが姿を見せた。


「……あれ? 珍しいですね、離れを出てくるだなんて」


 エセルバートが王都に戻ってきてからというもの、ランヴァルドは一度私に釘を刺しに来たぐらいで、あとは離れから出てきてはいない。

 一応隠れるつもりはあるのだな、と感心していたのだが、そんなランヴァルドがのこのこと離宮の居間へと姿を見せた。

 これはまたカリーサの手で離れ送りになりたいという願望の現われだろうか。

 不思議に思って聞いてみると、ランヴァルドはしげしげと私の姿を上から下まで眺めた。


「いや、……評判の精霊姫の姿を見に来ただけだ」


「なんですか、その精霊姫というのは」


 精霊の寵児とふくろうの姫君というのは聞いたことがあるが、精霊姫は初耳だ。

 どこでそんな呼ばれ方をしているのか、と聞いてみれば、離れに籠って王城中の噂話を収集しているランヴァルドの耳へは、精霊の寵児として追想祭の祭祀を見守る私が一部の貴族たちにそう呼ばれているらしいことが入ってきたようだ。

 一時期ベルトランが王城で私を孫だと触れ回っていた効果で、離宮に住んでいるのだから王の隠し子ではないのか、という噂は消えたのだが、離宮を賜っているのだからやはり姫だろう、と呼び方は定着してしまったらしい。


 ……精霊の寵児は他にも呼ばれてる人がいるからいいけど、精霊姫はなんだかなぁ?


 聖女や巫女なみに気恥ずかしいものがある。


「ちなみに、評判というのは、どこでの評判ですか?」


「貴族街の画廊か? おまえの姿絵が売り買いされているようだぞ」


「……なんですか、それは」


 初めて聞く不穏な話に、少し声のトーンが低くなる。

 アイドルや舞台俳優のブロマイドが売られているのなら解らなくはないが、私はアイドルでも舞台俳優でもない、極普通の親が貴族な平民だ。

 兄のレオナルドはいろんな意味で有名人かもしれないが、その妹の私は一般人である。

 年に一度精霊の寵児として祭祀を見守るお仕事をしてはいるが、人前に出るようなことなどそれだけだ。


「肖像権の侵害です。即時販売の差し止めを要求します!」


「しょうぞうけん?」


 肖像権とはなんだ、とランヴァルドが言うので、簡単に説明をする。

 本当に簡単に言うと、写真などに移りこんだ人物の人権だ……と途中まで話して、この世界にはまだ写真がないことを思いだした。

 となると、偶然に写真へと写りこんでしまった人物の人権の話などしても無意味に近い。


「えっと……絵のモデルにも人権があるので、勝手に描いて売ったらいけません、というモデルの人権を守る法律です」


 説明していて思いだしたのだが、自分も同じことをレオナルドにした気がする。

 レオナルドを許可なく描き、ラガレットの画廊へと飾らせた。

 売り買いについてはレオナルドの許可を取ってはいるが、あれは完全に肖像権の侵害だろう。


 ……や、私の場合は先にレオナルドさんが勝手に私の絵を描かせていたから、おあいこです。セーフです。


 他者ひとにしたことが自分へと跳ね返ってきただけでは? と気がついてしまえば、私の声も小さくなる。

 なんとか自分の行いを棚に上げようと足掻いているあたりが、我ながら見苦しい。


「おまえの言う『しょうぞうけんの侵害』という法はこの国にはないぞ? 第一、モデルの許可など一々取っていたら、人相書きなど描けないだろう」


「犯罪者の人相書きと一緒にされたくはありませんが、たしかにそうですね」


 それでもせめて売り上げの一部でも納められれば腹も立たないのだが、と続けたら、売り上げを入れればいいのか、とランヴァルドには聞き返されてしまった。

 気のせいか、肖像権と売り上げの上納についての食いつきがいい。


「どんな絵なのか、一応のチェックもしたいですね。不健全な絵でなければ、知らないところで勝手にモデルにされて売り買いされるよりは心情的にいいかもしれません」


「ふむ……。不健全な絵については一度詳しく打ち合わせが必要な気がするが……」


 なんとなく改めて観察されている気がして瞬く。

 会話の流れからして、ランヴァルドが私の姿絵を描いて売る気なのだろうか。


「売れそうな絵のモデルといったら、相応しい人がいるではありませんか」


 離宮に滞在中ですよ、お勧めです、とフェリシアの名前を出す。

 ランヴァルドも客間に滞在中のフェリシアの姿を思いだしたのか、しばし考える素振りを見せてから、ゆるく首を振った。


「フェリが何人の画家の命を奪ってきたと思っている。アレの美しさを余すことなく描ける者がいるとしたら、芸術の女神アシャテーぐらいだろう」


「たしかに、フェリシア様の美しさは、並みの画家では写しとれない気がしますね」


 画家たちが己の力量に絶望して筆を折ってしまうのも、仕方のないことかもしれない。

 そんなことが続いたからか、今ではフェリシアはモデルの依頼を一切引き受けてはいないようだ。


「……ヴァルド様」


 近頃ようやく『ヴァルド』と呼ぶことに慣れてきたらしい護衛の騎士が、窓辺を離れてランヴァルドへと耳打つ。

 話の内容は聞こえてこなかったが、代わりのように外から馬車の車輪の音が聞こえた。

 私の迎えが来たので、ランヴァルドが離れへと隠れる時間になったのだろう。







「……今年は毛皮か。暑くはないか?」


 今年の衣装を見るなりアルフレッドが心配げに眉を寄せる。

 やはり夏に毛皮という服装は、不安になってくるのだろう。


「移動中は暑いかもしれませんが、『精霊の座』は涼しいので、丁度よくなる予定です」


 これがレオナルド相手であれば「似合いますか?」と愛嬌たっぷりにその場でクルリと回ってみせるのだが、アルフレッドから「似合っている」という言葉を引き出しても意味が無い。

 他所向きの顔で対面する家族以外の男性に対しては、十二歳としてはこんなものだろう、と線を引いた。

 ヘルミーネの眉間に皺も寄らなかったので、この判断は正しいはずである。


「昨年と同じように、クリストフ様の行う祭祀を見守るだけでよろしいのですよね?」


 念のための確認として、アルフレッドにも確認をする。

 グルノールの街でも精霊の寵児として祭祀に参加してはいても、特になにかをするように求められたことはなかった。

 今年も同じはずだとは思うのだが、自分で勝手に判断してしまうのは危険だと思うし、なにか変更があるのなら聞いておいた方がいい。


「それで間違ってはいない。くれぐれも祭祀の邪魔などしないよう、おとなしく見守っていろ」


 おまえなら邪魔はしないだろうが、と追加された部分は、アルフレッドからの信頼だと思う。

 私だって大切な祭祀と解っていて、故意に邪魔などしたくはない。


 そろそろ行くか、とアルフレッドのエスコートで玄関ホールを出る。

 扉を抜けた先には、なぜか迎えの馬車が二台停まっていた。


 ……あれ? なんで二台?


 今年は護衛も馬車で移動するのだろうか、と確認のためにアルフレッドを見上げると、アルフレッドの眉間に皺が寄る。

 これだけで、予定外のことが起こっているということが判った。


「お初にお目にかかります、グルノールの精霊の寵児よ」


 正装の男が馬車から降りて来て、うやうやしい態度で私へと礼をする。

 挨拶をされたので、と私も挨拶を返そうとしたのだが、アルフレッドにエスコートのために取られていた手を引かれた。

 どうやら私からは動くな、ということらしい。


 ……なに? 挨拶したらダメな人?


 説明を求めてアルフレッドを見上げるのだが、アルフレッドの視線は正装の男に固定されたままだ。

 口元には笑みを浮かべているのだが、目はまったく笑っていない。


 ……ええっと?


 どうしたものかと困ってしまい、正装の男とアルフレッドを見比べる。

 正装の男はそんな私の態度をどう受け止めたのか、笑みを深めて私へと手を差し出してきた。


「お迎えにあがりました、精霊の寵児よ。昨年は王城の祭祀を見守られたようですので、今年は内街の祭祀を見守っていただきたいと、こうしてお迎えにあがりました」


「内街の……」


 つまりメンヒシュミ教会の人間か、と言い掛けたらアルフレッドの手に力が込められる。

 どうやら返答もさせたくはないらしい。

 ならばアルフレッドが応対するのだろう、と隣のアルフレッドを見上げた。


「グルノールの精霊の寵児は昨年同様、王城の祭祀を見守ることになったとメンヒシュミ教会へ報せを入れたはずだが?」


 ……あれ? ということは、この人が決まった話を無視して押しかけて来たってこと?


 これはお付き合いしない方がいいかもしれない人間だ、と判断して一歩後ろへと下がる。

 正装の男から離れるぶんには文句がないらしく、エスコートをしていた手もあっさりと離された。

 予定外に現れた人物、ということで、アーロンとジゼルが私の前後に立つ。

 これだけ警戒を固められれば、男も強引な手段には出られないだろう。


「議論の場すら設けず、一方的に『今年も精霊の寵児は王城の祭祀を見守る』だなどと言われましても、追想祭を取り仕切る我がメンヒシュミ教会といたしましては納得いたしかねます。もしや寵児には何か事情があってメンヒシュミ教会を避けられているのではないかと、こうして様子を見に来てみれば……」


 わけがわからずアルフレッドの顔色を窺う私が、正装の男には『王族にいいように騙されて利用されている』ように見えたようだ。

 私としては不審者でしかない男の登場に戸惑っていただけなのだが、男の側から見ればそう見えるのか、と少しびっくりだった。


「精霊の寵児の祭祀への参加は、精霊の寵児の好意で成立しているものだからな。嫌がる精霊の寵児に『内街の祭りを見守れ』などと命令することは誰にもできない」


「まったくもってその通りでございます。つまり、精霊の寵児へは『王城の祭祀を見守れ』とも命令することはできません」


 なにやら目の前で始まる舌戦に、私はというと『強制じゃなかったのか』と目からウロコだ。

 しかし言われてみれば、グルノールの街で行なわれた追想祭へは、誘導されて参加を決めたようなものだった気がする。

 精霊の寵児の仕事だとか、神王祭で街の住民たちに迷惑をかけたお詫びにだとか、そんな理由を並べられて、そうするべきなのだろうと受け入れた。

 そして、一度受け入れてしまったので、王都に来てからも『精霊の寵児の仕事』として普通に受け入れてしまっていたのだが、よく考えたら王都はグルノールの街ではない。

 神王祭で住人たちに迷惑をかけたから、という理由で精霊の寵児としての仕事をするのは少しおかしかった。


 ……一応、拒否権あったんだ。知らなかった。


 今さらな事実に感心しつつ、自国の王子に対してやや慇懃無礼な態度でメンヒシュミ教会の正当性を主張する正装の男を盗み見る。

 もしかしなくとも、私の苦手なタイプだ。

 このように他者に対して怒鳴り散らす人間と、一日一緒になんていたくはない。


 ……っていうか、この人がいるって知ってるから、アルフレッド様は私のところまで話を持ってこなかったんじゃないの?


 レオナルドが留守にしているためか、アルフレッドにはとても気にかけられているという自覚がある。

 アルフレッドならば、私の苦手なタイプの人間など、すぐにそうと見抜くだろう。

 事前に私の負担を考えてお断りしてくれていただけ、という話な気がしてきた。


「……そろそろ精霊の寵児にも事態が理解できただろう」


 片手を挙げてアルフレッドが男の言葉を制止する。

 そして、そのままチラリと私の方へと視線を寄越した。


 ……大体判った気がしますよ。


 正装の男の顔に僅かな喜色が浮かび、己の勝利を確信しているのだと思う。

 が、アルフレッドの言葉をよく聞けば、彼が思っている話の流れではないと判るはずだ。


 王城か内街か、そのどちらかの祭祀を見守れ、という議論が事前にあったらしいことは、今知った。

 その選択肢すら聞かされていないのでは? と考えて離宮へと押しかけてきた男の行動は、ある意味では正解だったが、致命的でもあった。

 私は強引に物事を押し付けてくる人間が苦手なのだ。

 アルフレッドがあらかじめ彼を避けてくれていたのだろうということを、『そろそろ精霊の寵児にも事態が理解できた』気がする。


「では、王城と内街の祭祀。どちらの祭祀を見守るか、この場で精霊の寵児に選んでいただく。これで依存はないな?」


「もちろんでございます。昨年王城の祭祀を見守られた精霊の寵児には、平等に内街の祭祀を――」


「精霊の寵児よ」


 アルフレッドに促され、顔をあげる。

 私の答えなど、決まりきっていた。

 アルフレッドが最初からそう判断し、選択肢すら見せなかったように、内街の祭祀へは参加をしない。

 王城の祭祀へと参加する。


 そう答えようと口を開いたら、誰かに後ろから頭を撫でられた。

 突然誰だ? と背後を見上げると、そこには黒髪に蒼い目をした男が立っている。


 ……え? なんで?


 予期せぬ意外すぎる人物の登場に瞬く。


 神王だ。


 そう認識した瞬間に、世界から音が消えた。

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