第71話 女中です

「料理人を返さなきゃダメですよねぇ」


 エセルバートが王城入りしたという知らせに、私がまず考えたのがこれだ。

 嫌だな、返したくないな、という感情のままに呟いたら、語尾を延ばすものではない、とヘルミーネに指摘される。

 私だって普段から語尾を延ばしているわけではないので、今回ばかりは見逃してほしい。


「カリーサはナパジ料理をどのぐらい覚えましたか?」


「……どれもまだ完璧にとは言えませんが、離宮で一度出された料理のレシピと調理法は覚えました」


「レシピと調理法を、ですか?」


「はい」


 それはつまり、練習さえすればこれまでに食べたナパジ料理は再現でき、なおかつ練習の過程でもナパジ料理が食べられるということだ。

 試しにラーメンことネマールも作れるのかと聞いてみたところ、麺の太さに納得がいかないながらも、一通りは作れるようになった、とカリーサは言う。


 ……うちのカリーサ、マジ優秀! さすが有能家令イリダル仕込みのスーパー女中メイド


 潤いある食生活に、次の課題はナパジの調味料が高いことなのだが、幸いなことに私の保護者は稼ぎが良い。

 ナパジの調味料ぐらいは、ちょっとした贅沢の範囲で用意することができた。


 ……そもそも、離宮にいる間の私の生活費って、国持ちみたいなんだけどね。


 離宮を与えられている私の扱いは、客分であるらしい。

 その客分に対して不自由なく滞在させるだけの予算が組まれているのだそうだ。


 ……時々養女になれって言われるのは、客分に使う予算か、養女むすめに使う予算かの違いな気がしてきたよ。


 私の趣味で作ってもらった炬燵の代金などは翻訳の給金らしい金貨五千枚から出そうと思っていたのだが、これは客分としての予算ではなくアルフレッドが支払ってくれていた。

 正確には、アルフが支払ってくれたらしい。

 グルノールの館でアルフが作ったリバーシ盤の設計図をアルフレッドへと譲り、アルフレッドが王都でリバーシ盤を作り、リバーシを広げるたびにリバーシ盤を求める人間が増えた。

 彼等がリバーシ盤について商人へと問い合わせたことで、商人がこれは商品になると踏んで、アルフレッドから設計図を買ったそうだ。

 もともとはアルフから譲られたものであったし、と設計図の代金の扱いに困ったアルフレッドがアルフへと連絡を入れ、アルフとしても私が教えたものを設計図にしただけなので、と代金の受取に困り、結果、王都にいる間の私のお小遣いにしたらいい、という結論になったらしい。


 ……知らないうちに知らないところで、私のお小遣いができてたよ。


 ともあれ、料理人をエセルバートへと返してもナパジ料理は食べられそうだ、と喜んでおく。

 あとはグルノールの街へ戻る時に、カリーサをそのまま連れて行きたいとレオナルドとカリーサ本人を口説くだけなのだが、それはまだ一年後でいい。







 エセルバートが王城に戻ったという知らせは受けたが、すぐに訪ねていっては邪魔になるだろう、としばらくは訪問を遠慮する。

 一週間ほど過ぎて、そろそろエセルバートの旅の疲れも取れただろうか、と考え始めた頃に、エセルバートの側から招待状が届いた。

 なんでもレオナルドから預かっている荷物があるので、大きめの馬車で遊びにくるように、と。


 ……レオナルドさんの荷物って、なんだろうね?


 レオナルドがエセルバートへと預ける荷物に心当たりがなく、しばし考える。

 が、答えなんて出てくるはずもなく、きんつばの焼ける良い匂いにエセルバートの用件などどうでもよくなった。


「オミアムタスの羊羹ナクオユなど初めて作りましたが、形になりましたね」


「オミアムタスの羊羹なだけでも美味しそうですが、お土産にするのできんつばにしましょう」


 小麦粉を水で溶いた物を付け、鉄板で軽く焼いてもらう。

 ただ羊羹が小麦の衣を纏うだけなのだが、これだけでただでさえ美味しい芋羊羹がさらに美味しくなるのだ。

 きんつばを世に生み出した人は偉大だと思う。


 焼きたての芋きんつばを最初に味見と毒見としてカリーサと料理人が食べ、続いて私が食べる。

 ほんのりと温かい芋きんつばは、最強に美味しい。

 お土産用なのだがもう一つ食べたいと手を伸ばし、掴んだ芋きんつばは上から伸びてきた別の手に奪われた。


「……なにかご用ですか、ヴァルドさん」


「これは、なかなか……ぐふっ」


 断りもなく芋きんつばを口へと運んだランヴァルドに、遠慮なくかかとで洗礼を与える。

 踵での洗礼は、彼が私の背後に立っていたせいだ。

 故意につま先以上の効果がある踵を選択したわけではない。

 食べ物の恨みは恐ろしいが、私だってそこまで鬼ではないつもりだ。

 食べてみたいと言われれば私だって「どうぞ」と素直に渡すが、私が食べようとしていたものを横から奪ったランヴァルドに慈悲は必要ない。


「なにかご用ですか、芋泥棒さん」


「泥棒ではないぞ、これは毒見だ」


「毒見ならもうカリーサがしてくれました!」


 二個目へと伸ばされるランヴァルドの手に、図々しい、と手を払う。

 私の食い意地が張っている自覚はあるが、私だって独り占めをする気はもとからない。

 ただ、ランヴァルドが無言で盗っていこうとするから、お行儀が悪いとはばみたくなるのだ。

 おいしい、もう一つ、といった言葉が一言でもあれば、私だって彼の分を皿に取り分ける気はある。


「それで、なんのご用ですか? まさか本当におやつを盗みに来たわけではありませんよね?」


 普段は離れに引き籠っているランヴァルドが離宮まで来たのは、アルフレッドが連れて来た初日だけだ。

 ナディーンの目を避けているらしいランヴァルドは、これまで離れから出てくることはなかった。

 それなのに、今日は離宮どころか私の部屋の横にある控えの間まで顔を出し、ほとんどお茶を入れるための小さな台所で焼かれている芋きんつばを盗み食いしている。


 ……どうしよう。うっかりナディーンに突き出したい。


 もしくはフェリシアに、だろうか。

 それほどまでに私の芋きんつばを横から奪われたことが腹に据えかねた。


「おまえが隠居親父の離宮に呼ばれたと聞いて、釘を刺しに来た」


 くれぐれも自分が離宮ここにいることを気取られるな、というランヴァルドは、エセルバートのことを『父上』ではなく『隠居親父』と呼ぶことにしたようだ。

 これならば第一声で親子関係は誤魔化せると思うが、万全を期すのなら『隠居ジジイ』だろう。

 老齢のエセルバートを『ジジイ』ではなく『親父』と呼ぶところに、妙なこだわりを感じて勘繰りたくなる気がした。


「珍しく離れから出てきたと思ったら、わざわざそれを言いに来たのですか?」


「おまえは釘を刺しておかなければ、隠居親父にポロッと洩らしそうな顔をしているからな。フェリにも俺が居ることをもらしただろう」


「フェリシア様から隠せ、とは言われませんでしたからね」


 ランヴァルドはフェリシアのことを『フェリ』と呼んでいるらしい。

 やはり王族として離宮にいた頃は仲がよかったのだろう。


「……おかげで監視が厳しくて、なかなか自由に動けん」


「あれ? ということは、わたくし、良い仕事をしましたか?」


 ランヴァルドはなんとも言えない顔になったので、背後に控える護衛兼見張りの白銀の騎士へと視線を向ける。

 二人とも実に晴れやかな顔をしているので、私は彼等の役には立てたようだ。


「なかなかイイ性格をしているな」


「上に馬鹿のつく正直さが自慢です」


「それは褒めるところじゃないだろう」


「褒めるところですよ? 正直ついでに話しておくと、今日ヴァルドさんがわたくしへと釘を刺しに来たことは、完全に失敗だったと思います」


 考えていることが顔に出る、とよく言われる私だ。

 隠し事をしろ、と釘を刺しさえしなければ、しばらく姿を見せなかったランヴァルドのことなど考えもしなかったはずだ。

 それが釘を刺されたせいで印象に残り、うっかりすればエセルバートの前で顔に出すかもしれない。


「失敗でしたね」


「おまえは……そんな腹芸の一つもできずに、離宮なんて賜って大丈夫なのか?」


「クリストフ様の養女にも、アルフレッド様のお嫁さんにもなる予定はないので、大丈夫ですよ」


 そんな人間がなぜ離宮など賜ったのか、と聞かれたので黙秘する。

 教えてやる必要はないし、言ったところでランヴァルドの好奇心を満たして終わるだけの話題だ。

 これについては白銀の騎士もランヴァルドへは洩らしていないようで、素知らぬ顔をして後ろに控えていた。


「エセルバート様はヴァルドさんが生きている、って知ってるようですし、バレてもいいのではありませんか?」


 離宮の隠し通路が使われていた形跡があった、という話をした時に「お化けだろう」と言ってお札を一筆したためてくれたのはエセルバートだ。

 顔を見せろと書いたのだから、ランヴァルドが生きているとエセルバートは知っているはずである。

 隠す必要はないと思うのだが、ランヴァルドは首を振った。


「俺を外へ出したのは隠居親父殿だから、俺が生きていることは知っているだろうが……今更俺が顔を出すことは許さないだろう」


 縁を切ることを条件に自由を手に入れたのだ、とランヴァルドは言う。

 これまでも何度か離宮を使っていた形跡があるというのに、よく言うものだと思った。


「……王城が近づくことを許されない場所だとおっしゃるのなら、なぜ今更やって来たのですか?」


「多少の危険を冒してでも探したいものがある」


「そうですか。では、エセルバート様とフェリシア様に見つからないよう、クリストフ様の目の届く範囲で、わたくしに類が及ばないよう頑張ってください」


「待て待て。ここは『探し物とは何ですか?』と首を突っ込んで、微力ながらと協力を申し出る流れだろう」


「王族がかかわりそうな面倒ごとだと匂わされて、顔を突っ込むような趣味はございません」


「よし、そこまで言うのなら聞かせてやろう」


「お断りします!」


 なにやらイイ笑顔を浮かべて演説モードに入ろうとするランヴァルドに、私は両手で耳を塞いで抵抗する。

 面倒ごとだと判りきっている話など、話だけでもと言われても聞きたくはない。


「遠慮はいらんぞ、クリスティーナ」


 耳を塞ぐ手を外そうと伸びてくるランヴァルドの手に、私は最強の助っ人の名を呼んだ。


「カリーサ!」


「ぐふっ!?」


 ドスっと重い音が響いたかと思ったら、ランヴァルドの体がくの字に曲がる。

 そのまま糸が切れた操り人形のように床へと倒れそうになるのを、護衛の騎士が慌てた様子で支えた。


「……い」


 ……カリーサすごい。まさか一撃で沈めるとは思わなかった。


 そしてカリーサがポツリと洩らした感想も、私の耳は聞き逃さなかった。

 弱い、とカリーサは小さな声で一言だけ呟き、手ごたえが無かったかのように己の手を見つめている。


「女中の分際で、ラン……様に無礼を働くなどとっ!!」


 ランヴァルドと呼んではいけないことを咄嗟に思いだし、そこだけ言葉が濁される。

 護衛対象を沈められて怒るのは判るが、カリーサはなにも悪くはない。


「ヴァルドさんは、今はただの平民ですよ。平民が離宮の主に手を出してきたので、私の護衛……間違えました。女中がそれを排除しただけです」


「ぬ……言われてみれば、たしかに」


 そもそも、騒ぎを起こして人目ひとめを増やしたくはないだろう、と指摘をすれば、ランヴァルドの護衛は静かになった。

 もともとはランヴァルドの悪乗りが原因である。

 さすがにカリーサが実力行使一撃でランヴァルドを沈めるとは思わなかったが、ランヴァルドの事情など聞かされても困ってしまうだけなので、有無を言わさずにランヴァルドを黙らせてくれたカリーサは正解だと思う。


 ランヴァルドとその護衛分の芋きんつばを皿へとわけてもらい、ナディーンに見つかる前に、と離れへとランヴァルドを運ぶことを決めた護衛に持たせる。

 ランヴァルドの悪乗りが原因だとは思うのだが、やりすぎとも感じているので、せめてもの罪滅ぼしだ。

 美味しい芋きんつばでも食べて、今日のことは忘れてほしい。







 フェリシアへも芋きんつばを皿にわけ、こちらはレベッカに運んでもらうことにした。

 エセルバートへのお土産は箱へ入れて、カリーサが運ぶ。

 近頃のカリーサには料理人からレシピと調理法を学ぶことを優先してもらっていたので、お出かけについて来てもらうのは久しぶりな気がした。


「随分と長い間料理人を貸していただき、ありがとうございました」


 美味しいナパジ料理を食べることができた、とエセルバートにお礼を言って料理人を返却する。

 美味しい料理を作ってくれる料理人ではあったが、彼はエセルバートの離宮から借りていた人材だ。

 エセルバートが王都に戻ったのなら、素直に返さなければならない。


「お嬢さんが喜んでくれたのなら、なによりじゃ。……して、お嬢さんはまた新たに秘術を一つ復活させたようじゃな」


 今度は何を褒美にやろうか、とエセルバートが髭を撫でながら考え始めたので、何も要らないと答えておく。

 料理人を貸してくれるというのは魅力的すぎて飛びついてしまったが、秘術を復活させた御褒美というのなら、私はすでに十分すぎるほどの代金を貰っていた。


「翻訳作業の給金に、と金貨五千枚をすでに戴いていますし、そもそも戴きすぎていると思います」


 平民として暮らせるのなら、一生働く必要のない金額だ。

 レオナルドの妹として、いつかは貴族と数えられる人間になるようなので、なにか使い道はあるかと受け取っているが、下手をしたら一生レオナルドに預けたままで終わるかもしれない額でもある。


「翻訳の謝礼と、実際の作業に対する代金は別じゃろう」


「ですが、材料費などはすべてセドヴァラ教会とアルフレッド様が出してくださっているようですので……?」


 私も少しは実作業を行っているが、ほとんどは聖人ユウタ・ヒラガの研究資料を読みあげるだけだ。

 最近は日本語をエラース語でも通じるようにと翻訳する作業もしているが、少し記載や注意点を増やすだけなので、別に代金をもらえるような仕事をしているような気はしていない。


「あの子はあの子で、しっかりしておるぞ。お嬢さんの功績は、そのまま王子としての自分の功績にしておるようじゃしな」


「アルフレッド様の功績、ですか?」


 なんのことだろう、と首を傾げると、エセルバートが続きを教えてくれた。

 アルフレッドは私の行動を支援することで、私の挙げる功績に一枚かんでいることになり、それはそのまま王子としてのアルフレッドの功績になっているそうだ。

 私としては『アルフレッドが相談に乗ってくれて助かるな』というぐらいの気持ちだったのだが、アルフレッドとの連絡係にソラナを貸してくれたり、少しの用件でも離宮へと顔を出してくれたりとしていたのは、こんな理由もあったらしい。


 ……アルフレッド様、さすが王子さま。抜け目も無駄も、ただの親切心でもなかった。

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