第70話 離宮の居候
離宮へとランヴァルドを預かることになり、急遽部屋が必要になった。
客間を整えてほしいとレベッカに采配を頼もうと思ったのだが、これはランヴァルド自身に却下される。
どうやら客間への滞在は都合が悪いらしい。
「匿ってくれというのに、客間はないだろう。図書室の床に隠し部屋があったはずだ。あそこでいい」
「隠し部屋というか……あの部屋は書庫だと思いますよ? 人が生活をする部屋ではありませんが」
床下にある隠し部屋まで知っているのか、とランヴァルドが以前この離宮に住んでいたのだということを実感する。
もともと離宮の隠し通路から侵入してこようとしていたので、離宮について隅からすみまで知っていたとしても不思議はない。
……それはそれで微妙な気分だね。
以前はたしかにランヴァルドの離宮だったのかもしれないが、現在は私の住む離宮だ。
よく知らない男性に自分の住処の間取りを知られているというのは、防犯的な意味でも安心できない。
……あ、いいこと考えた。
ランヴァルドを書庫に押し込めるなんて、という感情がありありと
「客間がダメなのでしたら、離宮の離れを使いますか?」
「離れ?」
「わたくしの前の主が作られた離れです」
離れならば
デメリットを考えるとすれば、私から物理的な距離があってランヴァルドの動向を見張り難いことぐらいだろうか。
これだって、ランヴァルドの側から見ればメリットのはずだ。
この辺りの齟齬は宿を貸している側として、護衛の騎士たちへと報告を義務付ければいい。
見る限りランヴァルド信者のようだが、白銀の騎士なのだから私情は抑えてそのぐらいの義理は果たしてくれるはずだ。
……あそこには、レオナルドさんのあられもない姿の噴水もあるしね。
自分そっくりな全裸の噴水を見て、ランヴァルドが少しでも微妙な気分になれば私の悪戯心も満たされるというものだ。
自分の知らないうちに作られた建物というものも、ランヴァルドの興味を引くだろう。
そんな
アルフレッドは微妙な顔をしているので、離れの正体に気がついているのだと思う。
「食事などの世話はナディーンに任せましょう。きっとよく采配して……」
「待て。
「ヴァルドさん、少し屈んでください」
「うん?」
ナディーンがエセルバートの回し者、というのは貴重な情報であったが、私は先ほどから口を滑らすたびにアルフレッドに頬を抓られていたのだ。
ここにももう一人口を滑らせた人間がいるのだから、私だって頬を抓る側になりたい。
訝しげながらも腰を屈めたランヴァルドは、レオナルド同様摘めるような頬の丸みはない。
仕方がないので掴みやすい耳たぶをムギュッと引っ張ってやった。
「いてっ」
「ナディーンが誰の回し者だ、ですか?」
「……そうだったな。ナディーンは前国王陛下の回し者だ」
遠回しに指摘したら、ランヴァルドも自分の失言に気付いたようだ。
少し呼びにくそうにしながらも『父上』を『前国王陛下』と言い直した。
「それにしても、本当にレオナルドお兄様に似ていますね」
離宮へと案内する道すがら、ジッとランヴァルドの顔を観察する。
双子のようにそっくりとはいかないが、赤の他人と考えるには似すぎているような気がした。
……レオナルドさんには、お兄さんはいないらしいんだけどね。
なにかの間違いでランヴァルドがレオナルドの兄だった場合には、レオナルドの父親がエセルバートということになる。
それらしい話は一度も聞いたことが無いので、ないと思いたい。
エセルバートにもう一人子どもがいたとしたら、
「それはよく聞くな。一度似ているらしい騎士には会ってみたいものだが……」
「残念ながら、レオナルドお兄様はルグミラマ砦でお仕事中です」
ランヴァルド自身もレオナルドに少し興味を持っているようだ。
私としては並べてみたら全体の雰囲気が似ているか、というぐらいだが、本人同士がどう思うかには少しだけ興味が湧いた。
離れへとランヴァルドを案内すると、護衛の騎士たちは室内を点検し始める。
第八王女が一年前まで使っていた離れに置かれた家具なので古くはないはずだが、薄く埃が積もっているのが気になるのだろう。
ナディーンにも知られずに匿われたい、と言うからには、掃除は自分たちでやってもらうしかない。
私の侍女や
離宮への連絡係は、ランヴァルドの護衛の一人を使うことにする。
ランヴァルドの側を離れるなどと、と少しだけ不満気な顔をしたが、黙らせた。
侍女も女中も残せないし、レオナルドの不在に白銀の騎士が離宮へと私の様子を見に来ることは以前からあったため、それほど不自然ではない。
ついでに言えば、私に付けられた白銀の騎士より多い二人の騎士が付けられているのは、片方がランヴァルドを確保し、もう片方はその間の連絡用にであろう。
アーロンの相方が白騎士のジゼルなのは、おそらくは連絡係ぐらいなら白騎士でもできるだろう、という考えがあってのことだ。
ランヴァルド付の護衛は、理由を話せば素直に納得してくれた。
というよりも、不満があるのは『ランヴァルドから目を離すことになる』ということに対してであって、ランヴァルドから離れたくないだとか、
……死んだ振りしてまで逃げ出してるから、護衛の人にまで信用されてないんだね、ランヴァルド様。
それは確かに、目を離すのが怖いかもしれない。
護衛の話を聞いてみると、彼らは王族として籍を置いていた時代のランヴァルドの護衛をしていたらしい。
歳も近く、自分たちの主としてランヴァルドを敬愛していたため、ランヴァルドの病死という訃報にクリストフ以上に落ち込みもしたのだが、こうして生きて再会できたからにはもう二度と目を離したくないようだ。
切々とランヴァルドとの青春時代の話を語ってくれるのだが、私にはなぜかその表情が楽しい思い出を語る顔には見えず、アルフレッドを前にしたソラナの顔に見えた。
相手が次に何を言い出すのか、と警戒して緊張している顔だ。
……散々振り回された相手に、目を離すのが怖いってのはちょっと解らないけど……あ、なにかやらかすのなら目の届く範囲の方がマシ、ってこと?
ある意味では折角解放された護衛任務からクリストフの手によって戻された二人に同情しつつ、掃除道具の位置を教える。
なぜか率先して掃除をする様子をみせたランヴァルドは、失踪中は市井に紛れて働いていたらしい。
王族としてはどうかと思うのだが、ある意味で人としては真っ当だった。
……そういえば、なんで出奔なんてしたんだろうね?
兄弟仲は良好で、周囲の人間とも上手くやっていたように聞こえる。
ランヴァルドがおよそ出奔までする理由が見つからず、少しだけ気になったのだが、本人に問い質すことはやめておく。
いずれにしても、他人の事情だ。
私が首を突っ込むことではない。
ランヴァルドは、この国の王族としては珍しいタイプだと思う。
匿う以上は一応の報告をください、と言ってあるため、日に一度の連絡は来るのだが、それだけだ。
ランヴァルドが私に干渉してくることはないし、私からランヴァルドへと干渉をすることもない。
ぐいぐいと押してこないというだけで、私としては付き合いやすい相手だった。
……この国の王族って、みんな押せ押せタイプだったからねぇ。
おとなしく離れに引き籠ってくれているランヴァルドが、エセルバートやディートフリートの血族とはとてもではないが信じられない。
嵐の前の静けさではないのか、と警戒したくなるぐらいにはおとなしい。
……様子を聞くと、人を使って何かを調べてはいるみたいなんだけどね?
ランヴァルドの側を離れるなんて、と言っていた護衛の騎士も、今は少し落ち着いたようだ。
私へとランヴァルドの様子を報告してくれる時も、実に清々しい顔をしていて少し怖い。
少し警戒のしすぎだろうか。
「クリスティーナは、今度は何を飼い始めたのかしら?」
ランヴァルドは上手く隠れているようなのだが、さすがに離宮の客間に滞在するフェリシアの目は誤魔化せなかったようだ。
何を飼い始めたのか、と客間へと呼び出すのではなく部屋まで様子を見に来たのは、『何かを隠している』と察してくれてのことだろう。
フェリシアの部屋でお茶会をすれば、フェリシア信者に話を聞かれる可能性もある。
「……ヘンリエタから隠せ、とは言われていませんから、会ってみますか?」
エセルバートから隠したかったようなのだが、フェリシアからも隠せとは言われていない。
そもそも、フェリシアの目からも隠したいのなら、私の離宮へなど連れてこないだろう。
それこそ貴族街にあるというアルフレッドの館へと滞在させてもよかったはずだ。
アルフレッドからの、正確にはクリストフからの預かり者である、と前置きをおいてから、会ってみるかと聞いてみる。
フェリシアはしばらく不思議そうな顔をしていたのだが、エセルバートから隠しているようだと続けたら、誰が隠されているのかは察したようだ。
いつものように綺麗な顔で微笑んでいたのだが、目は少しも笑っていなかった。
……あれ? ランヴァルド様って、フェリシア様の地雷?
その後、フェリシアが離れへと確認にいったのかは判らない。
始終その話題を避けられ、離宮内で見かける回数が増えたランヴァルドの護衛については見ない振りを決め込んでいたようだ。
……何も言ってこない、っていうのも怖いね。
そんなことを心配しつつも、何事もなく日々は進む。
王族が身近に増えた割には平和だ、と安心していたのだが、ついにエセルバート到着の報が離宮へと届けられた。
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