第65話 恋の花咲く春華祭 2

 結局、今日は馬車の中から春華祭の見学をしつつ、ジークヴァルトの館にある離れへと行くことにした。

 世間様は「春華祭だ」と恋人探しに賑わっているのだが、離れに詰めている薬師たちは恋人探しどころか家族との連絡にも検閲が入るような状態にいるのだ。

 せめて差し入れぐらいはしても罰は当たらないだろう。


 いかにも恋のお祭りらしい飾りつけをされたお菓子は避けて購入し、薬師たちへと届ける。

 一人一個だなんてケチなことは言わない。

 薬師たちは頭を使う仕事をしているので、甘い物は疲れを取るためにも有効だろう。

 そう思って飴やドライフルーツ等の日持ちがする甘味を持ち込んだところ、盛大に喜ばれた。

 甘味も嬉しいのだが、春華祭に子どもとはいえ女の子が自分たちの様子を見に来てくれたことが嬉しいらしい。


 ……薬師って、どんだけ報われない職業なの!?


 離れに来てもらっている薬師は若手と熟練の半々なのだが、この中に既婚者は一人もいなかったらしい。

 これまではそんな話題などしてこなかったのだが、今日ばかりは愚痴りたい気分だったようだ。

 薬師として研鑽を積むことに忙しく、伴侶と出会う機会も、愛をはぐくむ時間もないのだ、と薬師たちはさめざめと訴える。

 そんなことを子どもの私に訴えられても困るのだが、侍女や女中メイドを連れて顔を出す私に、女性を紹介してほしいとでも言っているのだろうか。

 試しにバルバラなどどうだろうか、と彼等へと女性を紹介してみる。

 同僚かつ同じ趣味・志をもった薬師であるため、話も合うはずだ、と。


「バルバラは……」


「そうです、バルバラは勘弁してください」


「バルバラ女史は言い方がきつ過ぎて……」


「ってか、バルバラ女史はとうが立ちすぎてますよ」


 ……うん、恋人ができないのは、仕事が忙しいからじゃないね。


 出会いが無いせいでも、周囲の女性に見る目が無いせいでもない。

 彼等に恋人ができないのは、彼等自身の問題だ。


 ……同情の余地なし!


 特に最後の発言は、バルバラの倍以上は生きている熟練薬師の発言だ。

 バルバラで薹が立っているというのなら、彼は薹どころか枯れ木である。


「クリスティーナ様、せっかくのお申し出ですが、わたくしにはすでに夫も子もおりますので」


 売れ残っている薬師などいらん、という台詞だったのだが、私は違う意味でバルバラの言葉に驚いた。


「え? バルバラさんって、旦那様とお子さんがいたのですか?」


「おりますが……」


「でも、オレリアさんのところへ弟子入りすると……」


 オレリアが死んでしまったために、弟子入りしたバルバラはワイヤック谷を出ることになったが、本来は弟子としての修行が終わるまでは谷から出られないか、逃げ出せば死が待っている。

 そんな弟子入り条件だったはずなのだが、バルバラは夫と子どものある身でオレリアの弟子になることを選んだらしい。


「よくオレリアさんの弟子になろうだなんて思いましたね。旦那様はなにも仰らなかったのですか?」


「もちろん反対されましたが、説得しました。私は途中で音を上げる予定も、逃げ出すつもりもございませんでしたから」


 バルバラの夫と子どもは、メール城砦近くの町で暮らしているそうだ。

 てっきり独身女性なのかと思っていたのだが、実は単身赴任中だったらしい。


 ……あ、一人撃沈した。


 先ほどは「バルバラは勘弁してくれ」と言っていた若手の薬師が、真顔でプルプルと震えている。

 どうやら、彼だけは照れ隠しだったようだ。

 少し悪いことをしたかもしれない。


 ……まあ、傷が小さいうちに済んでよかったね。


 バルバラに失恋したらしい薬師には何かフォローを入れてやろう。

 そう頭を悩ませていたら、ジークヴァルトの館の女中が「奥様がお呼びです」と私を呼びに来た。

 なんだろうと思いつつ本館に入ると、ミカエラから猫耳と可愛らしい花飾りのついた白い帽子を手渡される。


「えっと……?」


「ソフィヤ様からティナさんへ、春華祭の贈り物ですわ」


「ソフィヤ伯母様から、春華祭の……」


 リボンを顎で結んで固定するタイプの帽子なのだが、リボンの端に肉球の刺繍がある。

 春華祭の刺繍といえば、女性の家族からの贈り物なのだが、ソフィヤは私を姪と聞いて贈り物を用意してくれたらしい。

 祖父など知らない、とベルトラン繋がりの親族へ贈り物を送る必要があるだなんて考えもしなかった私とは大違いだ。


「思いかけず素敵なものを戴いてしまって……ソフィヤ様へは後日なにかお礼を送らなければなりませんね。ソフィヤ様は何がお好みでしょう?」


「ソフィヤ様は『伯母』と呼ぶだけで喜ばれるでしょう」


「それはそれ、これはこれです」


 分けて考えてください、とミカエラに釘を刺す。

 ミカエラは「手ごわいこと」と言って笑っているが、それとこれとは話が別だ。

 ソフィヤに関しては伯母と立ててもいいかもしれないが、ソフィヤ繋がりでベルトランにまで祖父面をされたくはない。

 あちらは一応の和解を求めているようなのだが、なし崩し的な和解などするつもりはなかった。


 ……まず母への暴言の数々を謝ってもらわないかぎりは、和解なんて無理ですよ。


 お礼についてはお薦めのお菓子でも詰め合わせにして贈ろう、と目処を立てる。

 いろんな人物からお菓子等の贈り物が届くので、王都で売られているお菓子については少しだけ詳しくなれた。

 ソフィヤの好みは判らないが、お薦めをいくつか送れば、彼女がアリスタルフを呼び寄せる口実にもなるだろう。


 ……アリスタルフをソフィヤ伯母様が取り返すか、ベルトラン様の家に戻るかは、あちらの問題ですからね。


 連絡を取る口実ぐらいは協力するが、あとはソフィヤとアリスタルフ次第である。


 ……それにしても、春華祭で獣の仮装は終わったんだけどね?


 ソフィヤからの贈り物の帽子には、しっかりと猫耳がついている。

 もしかして、ソフィヤは私が趣味で猫耳をつけていたとでも思っているのだろうか。

 この帽子を被る際には、冬でもないのに猫の尻尾が用意されそうだ。


「ティナさんには恋の仲立人キューピットをお願いしてもいいかしら?」


「精霊のはねは付けていませんが、お手伝いいたしますよ。ジーク様へですか?」


「ええ、私のジークへ、恋の仲立をお願い」


 フニフニとさわり心地の良い猫耳を堪能していると、ミカエラから綺麗に飾られた小さな箱を手渡された。

 箱の大きさからいって、ハンカチにでも刺繍をしたのだろう。


「……でも、ご夫婦なのですから、直接お渡しすればよろしいのに」


「うふふ。間に人を挟むのも、良いものですよ」


 直接手渡して喜ぶ顔を間近く見るのもいいが、人伝に渡してもらって、喜んでくれたかしらと胸をときめかせて夫の帰りを待つ時間のもどかしさもいいらしい。

 いくつになっても恋のときめきは大切なのだそうだ。


「ご夫婦になられても、ジーク様に恋していらっしゃるのですね」


「歳を経るごとに愛しさ、恋しさは積もるものです」


 ティナさんには少し早いかしら? と頬をほんのりと赤らめて語るミカエラは綺麗だった。

 本当に、いくつになってもジークヴァルトに恋をしているのだろう。

 私にはまだ理解できない感情だ。


 ……でも、ペトロナちゃんも初恋中みたいだし、私もそろそろかなぁ?


 私もそろそろ恋をする年齢か、と少しだけ未来の恋人に思い馳せてみる。

 漠然とした理想としては、レオナルドよりも強いことだろうか。


 ……や、違う。これは理想じゃなくて、絶対的な前提条件。


 恋人でも結婚相手でも、まずレオナルドを倒せなければ話にならない。

 自分より弱い男などレオナルドが私の夫として認めるはずがないし、そのぐらいでなければ私も恋に落ちる気がしなかった。

 レオナルドと同等かそれ以上であることが、私が恋人に求める条件だ。


 ……お嫁に行きそびれたら、本当にレオナルドさんのお嫁さんになろうかな。


 理想の男性像を思い浮かべることは、まだまだ恋というものがピンとこなくて難しいのだが、レオナルドを落とす方法ならすぐに思いつく。

 膝にでも座って「お兄様のお嫁さんになりたい」と頬へとキスの一つでもすれば、レオナルドは落ちるだろう。

 その自信があった。


 ……でも、私が大人になる前にレオナルドさんにお嫁さんが来てくれるってことも……ないんだろうな。


 なんとなく、そんな確信がある。

 レオナルドはこれからもわたしにかまけ、恋人ができる機会があったとしても逃し続けるだろう。

 そんな機会があったことに気付きもしない可能性もある。

 むしろ気付かない。

 可能性ではなく、ほとんど確定だ。


 ……レオナルドさんのお嫁さんについては、わりと本気で考えた方がいいかもしれない。







 離宮に戻るとミカエラからの贈り物を届けるべく、さっそく聖人ユウタ・ヒラガの研究資料の警備を続けるジークヴァルトの元へと向かう。

 ジャスパーに宛がってある今は無人の客間へと続く廊下を歩くと、目の前を猫頭の少年が通り過ぎた。


 ……あれ?


 またあの子がいる、とは思ったがそれだけだ。

 猫頭少年は目の前を通り過ぎていったので、私に用があるわけではないのだろう、とそのまま素直に判断した。


 ……なんか、柱の影からこっちを見てる気がするけど、気のせい気のせい。


 話しかけてくる様子がないので、このまま放置してもいいのだろう。


「ジーク様、ミカエラ様からの春華祭の贈り物ですよ」


「おお! 私の女神ミカエラからの春の贈り物か」


 春の精霊に感謝を、と言いながらジークヴァルトが私にノラカムの入った小箱をくれる。

 もしかしなくとも、ミカエラから自分宛に贈り物が届くことを承知で、ポケットに贈り物を届ける精霊こどもへと渡すお菓子を忍ばせていたのだろう。

 この夫婦にとっては、恋の仲立人を間に挟んだ贈り物も例年通りのことらしい。

 本当に良い夫婦である。


「ジーク様も、やはり間に人を挟んでのやり取りには心ときめくものがあるのですか?」


「そうだな。家に帰れば私の女神様が待っていてくれるが、人を間に挟んだやりとりも、恋人時代を思いだしてワクワクする」


 ミカエラの話をするジークヴァルトの顔は、デレデレとだらしなく崩れるのではなく、ほっこりと幸せそうに笑っていた。

 内容だけを聞いているとただの惚気のろけ話なのだが、このほっこりとした笑顔を見ていると、こちらまで心が温かくなってくるのが素敵だ。

 ここの夫婦のような関係を、万年新婚夫婦と呼ぶのだろう。


 ……レオナルドさんのお嫁さんになる、は冗談だとしても、ジーク様とミカエラ様みたいな夫婦になれる相手がいいな。


 いつまでも相手に恋していられる関係は理想だ。

 すでに慣れているため、レオナルドとならばこのままずっと一緒に暮らしていけると思うが、家族愛は芽生えていても、レオナルドに恋する自分は想像できない。

 逆もまた同じことだろう。

 レオナルドが妹として私を愛することができても、女性として恋することは難しいはずだ。

 レオナルドと私では一つの家族として閉じた関係にはなれるが、子どもや孫といった、家族が増えて広がっていく関係にはなれる気がしない。

 そしてそれは、レオナルドの望む未来ではないだろう。


 ……私の結婚問題はともかく、レオナルドさんのお嫁さんはそろそろ本気で探さないとだね!


 兄の知らぬ間にその嫁について思い馳せていると、フェリシアの侍女がやって来た。

 フェリシアが呼んでいる、とのことなのだが、私が行ってもいいのだろうか。

 ジークヴァルトの館へと出かける前には、フェリシアに求婚しようという男性たちが列を成していたはずだ。


「ヘンリエタ、なにか御用ですか?」


 まさかフェリシアから誰かの元へ贈り物を届ける恋の仲立人依頼だろうか、とフェリシアの客間を訪ねる。

 フェリシアの使っている客間には、本日の貢ぎ物とわかる花束や贈り物の大きな箱が積まれていた。


 ……あれ? なんであの子がここにいるの?


 優雅に足を組んで座るフェリシアの奥に、猫頭少年の姿がある。

 その手に小さいながらも花束が握られていることを思えば、彼もフェリシア信者だったのだろう。


『ん!』


「はい?」


 被り物のせいでくぐもった声が聞こえ、猫頭少年が手にした花束を私へと押し付けてくる。

 色とりどりの花と言えば聞こえはいいが、統一性のない花々が少し皺のついたリボンで纏められているところを見るに、もしかしたらどこかの花壇の花を猫頭少年が摘んできたのかもしれない。

 チラホラと花びらが散った箇所もあった。


「……えっと、これをフェリシア様にお届けすればいいのですか?」


 花束を押し付けられる意味が他にわからなくて、猫頭と花束とを交互に見比べる。

 猫頭少年からの返答はないのだが、すぐ横で会話を聞いていたフェリシアは、私の言葉に吹き出した。


「クリスティーナ、それはあまりにも可哀想だわ」


「え? ヘンリエタは、年下はお断りですか?」


「そうではなくて」


 困ったような苦笑いを浮かべているのだが、フェリシアの美貌が損なわれることはない。

 フェリシアが手を伸ばしてきたので猫頭少年からの花束を渡したら、フェリシアはリボンや散った花を抜き出して花束を整え始めた。


「クリスティーナ、これはその猫君から、貴女への贈り物よ」


「ああ、お届け物ですか。ありがとうございます」


 贈り物、と聞いてようやく理解できた。

 猫頭少年は、町の子どもたちのように恋の仲立人として贈り物の配達をしているのだろう。

 恋の仲立人へのお礼として、ジークヴァルトの離れへと差し入れに買ったお菓子を猫頭少年へと手渡す。

 自分でも食べたいと思って避けておいたのだが、また買いに行けばいいだろう。


『……う』


「はい? なんですか?」


 お菓子を手のひらへと載せられて、猫頭少年がプルプルと震え始めた。

 小さな声で何ごとか呟かれたのだが、被り物のせいで声が籠ってしまって、正確に聞き取ることが難しい。

 なにが言いたいのだろう? と首を傾げながら猫頭へと耳を近づけると、猫頭少年はびくりと震えたあと、猛烈な勢いで客間を飛び出していった。


『にゃぁぁあああああぁぁぁあっ!!』


「うえぇえええええ!?」


 耳を寄せたところで奇声を発せられ、驚いた私の口からも変な声が出る。

 二人で奇声をあげ、一人には猛烈な勢いで逃げられてしまえば、あとに残された私としては非情に気まずい空間のでき上がりだった。


「……な、なんだったのですか、あの子」


「いくじのないこと」


 猫頭少年のことを言っていると思うのだが、フェリシアがふふっと微笑む。

 私には理由わけのわからない一連の流れだったのだが、フェリシアには猫頭少年の奇行が理解できたようだ。

 フェリシアは花束を綺麗に整え直すと、改めて私へと花束を手渡してくれた。


「あれ? 差出人の名前がありませんね?」


 普通はメッセージカードや手紙が添えられているものなのだが、猫頭少年が運んできてくれた花束にそういった物はない。

 フェリシアが言うには私宛だということだったが、猫頭少年のあの様子を思えば、それもどうか怪しい。

 あの猫頭少年が発した言葉で聞き取れたものといえば、最初の「ん」ぐらいだ。

 私へと花束を渡してきたので受け取ったが、猫頭少年の口からはっきり私宛だと聞いたわけではない。


「今日は朝からクリスティーナに会いに来たそうなのだけど……」


「……そうですね。朝食のあとに玄関で見かけました」


「玄関ホールいっぱいの贈り物を見て、自分が手ぶらであることに気がついたそうよ」


「ああ、それで一目散に帰っていったんですね」


「慌てて花壇の花を摘んで来たそうなのだけど、クリスティーナは珍しく外へ出ていたそうね」


「はい。ジークヴァルト様の館へ行って、薬師たちに差し入れを持っていきました」


 そのあとミカエラに呼ばれ、ソフィヤからの贈り物を受け取り、ジークヴァルトへの恋の仲立を頼まれたのだ、とフェリシアへと外出の報告をする。

 離宮に戻ってからは真っ直ぐジークヴァルトの元へと向かい、フェリシアに呼ばれてこの客間へとやってきた。


 ……うん? つまり、ジーク様の所へ行った時にあの子をみかけたのは、あの子が私を探していたから?


 そういうことなのだろうか、と思考が纏まったところで、フェリシアが正解を聞かせてくれる。

 あの猫頭少年が、折角見つけた私に声をかけることもできなかった、とフェリシアを頼ったようだ。

 そこでフェリシアが恋の仲立人をする気になったようだ。

 侍女を私へと寄越して呼び出し、あの猫頭少年と私を対面させている。


「つまり、わたくしはあの男の子に好かれているのでしょうか?」


「春華祭に贈り物をくれるのだから、そうなのでしょうね」


「好かれるような覚えはないのですが……」


 どこで好かれたのだろう、と綺麗に整え直された花束を見下ろしつつ首を傾げる。

 猫頭少年と会ったことなど、アリスタルフと会ったお茶会が初めてで、その一回だけだ。

 その時だってろくに会話らしい会話はしなかったのだが、考えてみれば最初からリバーシの対戦相手に指名されたりと、猫頭少年からのアピールらしき物はあった気がする。


 ……そういえば、どこかで聞いた声だった気もするんだよね。


 誰だっけ? と本気で首を捻る私に、フェリシアは苦笑いを浮かべた。

 これは本当に頑張らねば、脈がないなんてものではない、と。

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