第64話 恋の花咲く春華祭 1

 レオナルドがルグミラマ砦へと旅立ち、私の日常も元に戻った。

 私としては時間を有効的に使っているだけのつもりなのだが、ウルリーカによると普段の私は少々働きすぎらしい。

 仕事をしているという感覚は薄いが、日本語を読んだり、書き写したり、ジークヴァルトの館の離れで秘術の復活作業を手伝うことは、立派な仕事だったようだ。

 レオナルドがいる間は甘えている時間があるため、いろいろとサボっているような気がしていたのだが、実はとても健全な子どもの一日だったらしい。

 幼いうちから働く必要のない家庭の子どもの一日は、少しの勉強時間と多くの自由時間が占めている。

 私のように朝から日本語を読み込み、午後は家庭教師の授業を受け、そのあとに薬師おとなの仕事を手伝うような貴族の子どもはいないそうだ。


 ……ヘルミーネ先生の授業以外は、全部遊びの延長だと思っていましたよ。


 聖人ユウタ・ヒラガの研究資料を読み込む作業は面白いし、薬師たちと混ざって素材を材料に変える作業は楽しい。

 ボビンレースの指南書作りも趣味の延長にあるのだが、完成した本を売りに出すのならこれも仕事に入るのかもしれなかった。


 ……どうりで、アルフレッド様が一日二回の散歩を『義務』にしてくるわけです。


 働きすぎに見える子どもに対し、強制してでも息抜きの時間が必要である、と判断したのだろう。


「オスカー、行きますよ」


 春めいてきたので、コートの生地も薄い物に変わった。

 冬の間は袖口や襟に付けられていた毛皮も、春物のコートにはついていない。

 冬のコートと同じモノがついているとしたら、猫の尻尾ぐらいだ。

 冬は終わったが、獣の仮装はまだ取れない。

 獣の仮装を解いていいのは、春華祭をむかえてからだ。


 春物のコートから伸びる猫の尻尾を揺らしながら、番犬たちを散歩へと連れ出す。

 午前中に木皿をキャッチして遊ぶのは黒犬オスカーで、午後は黒柴コクまろだ。

 黒犬が私と遊んでいる時間は黒柴が『待て』をする時間で、黒柴と私が遊んでいる時間は木皿を奪いに来る黒犬から木皿を守りきる黒柴の訓練時間だ。

 遊んでいるはずなのだが、黒柴的にはどちらも訓練時間である。


 ……まあ、多少へっぽこな番犬だもんね。訓練時間があるのはいいことだよ、きっと。


 人間わたしから見れば訓練時間なのだが、黒柴的にはやはり遊びの時間なのだと思う。

 木皿を遠くへと投げるたびに、黒柴は尻尾を振って追いかけていった。







 冬の終わりにコーディが運んで来てくれた荷物は、中身を確認してみれば私にも見覚えのある物があった。

 以前からオレリアが仕入れていた物に加え、ワイヤック谷で取れる素材を一緒に運んで来てくれたのだ。

 春になってから届くと思っていたのだが、コーディが急ぎの用件で王都を訪れてくれたため、偶然ながら荷物の到着も早くなった。


 ……コーディさんの甥っ子も、薬が間に合うといいね。


 雪の解け始める季節とはいえ、雪道は危険も困難も多い。

 実家はサエナード王国のクエビアに近い位置にあるとのことだったから、王都プロヴァルからはかなり距離があるはずだ。


「あ、これ。初めてオレリアさんのお手伝いをした時の石?」


 私が薬研を使って石を粉にする前に、少し大きな石を袋に入れて砕いていた。

 私が触ったのはほとんど砂になった状態だったが、袋に詰められる時になんとなく見えた石の模様と同じのような気がする。


「こっちの葉も見たことがありますね」


 オレリアの家で乾燥させたり、粉にしたりとしていた葉だ。

 あの頃はただ作業を手伝っただけで、素材の名前など教えられなかったが、今はその素材名を読みあげる立場にあるのだから、不思議な気がした。


 仕入れた素材の一覧表と実際の素材とを見比べ、研究資料に記載された素材とも照らし合わせる。

 セドヴァラ教会から仕入れた材料はやはり加工し直す必要があったし、薬師もやる気になっているしで、今回も素材から材料を作ろう、という話で纏まっていた。

 ムスタイン薬を作る際にも素材から材料を加工し、聖人ユウタ・ヒラガの書き残したままに加工することの大切さは実感しているため、薬師たちは多少どころではない面倒な作業も文句一つ零さずにおこなってくれる。


 ……これは、今回も順調に薬が完成しそうだねぇ。


 今回の薬はグリニッジ疱瘡の予防薬だ。

 オレリアの元に残っていた薬は初期であれば効果のある薬だったので、もしかしたらオレリアの死以前に失われていた秘術かもしれない。


 ……やっぱりセドヴァラ教会で加工されたものは、効力より安定が優先されてるんだね。


 前回と同じように記録をとりながら作業を続け、少しの違いでどう効果に差が出てくるのかを調べる。

 効果が安定しない理由や、変質した結果が判っていれば、作業に手を抜く薬師はいなくなるだろう。

 他者ひとの命を預かる薬師になんてなろうという人間が、毒物になると知っていて手を抜くはずはない。


 ……でも、やっぱり聖人ユウタ・ヒラガって、変態だよね。もしくは偏執狂?


 聖人ユウタ・ヒラガの研究資料には効果を最大限に引き出すための方法が調べ上げられているのだが、処方箋レシピで使う場合には故意に効力を抑えたものを使っていたりとしていた。

 量で調節したり、素材を荒く整えたりと、やり方はさまざまだったが、聖人ユウタ・ヒラガはこれらの調薬技術を一人で作り上げたというのだから恐ろしい。

 人生をどれだけ薬術に捧げたのだろうか。


 そんなことを考えながら素材を整えているうちに、待ちに待った春華祭がやってきた。







「おはようございます、春華祭ですよ! 猫耳とも冬までお別れですよっ!」


 やったー! と毛布を跳ね除けて起きたら、レベッカがぷるぷると震えていた。

 あまりにも淑女らしからぬ寝起きの態度に、吹き出したいのを堪えているのだと思う。

 衣裳部屋からカリーサが今日の服を持って来てくれたのだが、そっと後ろ手に隠した物がある。

 今日が春華祭だと気がつかなかったら、素知らぬ顔をして今日も私に猫耳と尻尾を付けるつもりだったのだろう。


 私に猫耳を付ける楽しみは失われたが、それならばそれで編み込みを凝ればいい、とカリーサは切り替えたようだ。

 複雑に編みこまれたハーフアップに、花を模した髪飾りとリボンが飾られる。

 リボンはカリーサが作ってくれたボビンレースだ。

 私が作るものより格段に精緻せいちで複雑な模様のレースには、小花が連なっていた。


「クリスティーナお嬢様、春華祭の贈り物が届いていますよ」


 朝食後、居間でお茶を飲みながら寛いでいると、ソラナからこんな報告を受ける。

 すべて部屋へ運ぶかと聞かれたので、不審に思いながら玄関ホールへ移動すると、たしかに部屋に運ぶには無理のありそうな量の贈り物が届いていた。


「……フェリシア様宛の贈り物と間違えていませんか?」


 いくらなんでも、私宛にここまで多くの贈り物が届くのはおかしい、と指摘してみる。

 私に春華祭の贈り物をしてくれそうな人物など、レオナルドと社交辞令的にアルフレッドが送ってくるかどうかであろう。

 そう思ってあて先と差出人を確認していると、ソラナがフェリシア宛の贈り物であれば離宮へではなくフェリシアの館へと届けられるだろう、と教えてくれた。

 もしくは、贈り物を口実にフェリシアへ直接渡しに来るはずだ、と。


 ……そういえば、近頃のフェリシア様には求婚者が殺到中だったね。


 フェリシアの求める夫の基準に達している者がいないようで、しばらくはあの騒ぎが続くだろう。

 フェリシアの好みは顔でも財力でもなく、王爵の自分を支えられる器量と理性を備えた男性だ。

 付け焼刃の勉学で振り向いてもらえる相手ではない。


「あ、レオナルドお兄様からの花がありますね」


 顔も知らない人間からの贈り物の中に、小さな鉢植えのエノメナと花の閉じ込められた飴の詰まった瓶を見つけた。

 お菓子と一緒だったことから、これはレオナルドが差出人だろう。

 そう思ってソラナに確認をしたら、本当にレオナルドからの贈り物だった。

 春が近づいてルグミラマ砦へと旅立ったレオナルドだが、しっかり春華祭の贈り物を手配してくれていたらしい。


「クリスティーナお嬢様、お客様ですよ」


 これだけは自分の部屋に飾ろう、とエノメナの鉢を抱き上げると、ウルリーカに声をかけられる。

 誰だろう、とエノメナの鉢を抱いたまま振り返ると、ウルリーカの背後にどこかで見た猫の被り物をした少年が立っていた。


「あれ? たしか、ミカエラ様のお茶会にいた……」


 そういえば名前を聞いていなかった、ということを思いだす。

 お茶会では盤上遊戯ボードゲームを挟んで話しもしたが、お互いに名乗りあってはいなかったはずだ。


 リバーシとセークでアリスタルフに負けていた猫頭の少年に、彼が私のお客様なのだろうかと考えて、遅れて気がつく。

 杖爵の娘であるバリシアでもおいそれとは入って来られない王城内の離宮に、猫頭少年は一人でやって来られるらしい。

 ということは、バシリアより有力な家の子どもなのかもしれなかった。


「こんにちは、わたくしに何か御用……」


 御用ですか、とすべてを言い終わる前に、猫頭少年は走り去ってしまった。

 これには「お客様です」と彼を案内してきたウルリーカも驚いて瞬いている。

 私としても、まさか客を名乗る人物に話しかけただけで逃げられるとは思わなかった。


「……なんだったのでしょう?」


 足音を立てて玄関から飛び出していった少年に、取り残されて首を傾げる。

 猫頭少年は余程慌てていたのか、扉の向こうで一度盛大に転んだ音がした。

 べふっという奇妙な悲鳴が聞こえたが、そこは彼の自尊心のために確認はしないでおいてあげることする。

 彼としても、盛大に転がった姿など他人わたしに見られたくはないだろう。







「さて、今日はどうしましょう?」


 エノメナの鉢を日当たりの良い窓辺に飾り、改めて考える。

 エルケたちを連れて内街の春華祭を見に行ってもいいし、行かなくてもいい。

 神王祭で迷子になったことを考えれば祭り見学は避けた方が無難だが、あれはあとから聞けば承知ではぐれたとのことだった。

 となれば、祭りは懲りただろう、と気を遣って避ける必要もない。


 ……昨年はオレリアさんの訃報で落ち込んでて、春華祭どころじゃなかったんだよね。


 ほかに春華祭の思い出は、と記憶をさぐれば、一昨年のテオとの恋の仲立人キューピッド対決が思いだされる。

 対決と銘打ってはいたが、ある意味では地の利で私が圧勝した。

 地の利というか、ほとんどズルだ。

 気を利かせてくれた黒騎士が砦にいる黒騎士宛の贈り物を受け付けてしまったため、私は街へでることもなく一日中砦と館を往復していただけだった。


 そういえば昨年はどうしたのだろうか、と今更ながらに気がついてヘルミーネへと聞いてみる。

 一昨年だけ砦への贈り物を受けつけるだなんて、そんな特別な処置で終わらせられたとは思わない。

 一度受け付けたのだから今年も、と大なり小なり問題になったはずだ。


「黒騎士の家の子が、砦への贈り物を運んでいましたよ」


「グルノール砦の黒騎士は、恋人を作る暇が無いって聞いたことがあるのですが……」


「そうは申しましても、既婚者がまったくいないというわけではございません」


 既婚者がいるということは、黒騎士の家庭には子どもがいて、その子どもが砦への贈り物を運ぶ恋の仲立人として働いてくれたらしい。

 私とエルケとペトロナだけで運んだ一昨年とは違い、人数も少し増えたので楽だったようだ。

 昨年の様子を聞けば、今年もつつがなくグルノール砦でも春華祭が行われていると思う。


 ……どうしようかな。いつもどおりに過ごすか、せっかくのお祭りだし、出かけるか。


 春華祭は恋人を探すお祭りでもある。

 うちの侍女や女中メイドには若い女性も多いので、交代で休みを取るように言ってあった。

 ソラナとカリーサは休みなど必要ないというので、いつもどおりだ。

 レベッカとウルリーカも、親の決めた婚約者がいるため、春華祭など関係がないらしい。


 ……ここでヘルミーネ先生に話を振ったら、怒られそうなのは判ってる。


 ヘルミーネは相変わらずの男嫌いで、自分から好きこのんで春華祭に出かけることはないだろう。

 だからといって同性愛者ということもないようなので、どちらかといえば男性不信なのかもしれない。


 ……でも、一昨年のヘルミーネ先生はメンヒリヤの娘から花を渡されてたよね?


 未婚の女性はもうすぐ恋人ができる、というような迷信があったそうなのだが、ヘルミーネの浮いた話は聞いたことがなかった。

 どうやらメンヒリヤの娘の祝福は、ヘルミーネの男性不信の前に完敗したらしい。


「ティナお嬢様、ペトロナに休みを与えて、わたくしたちは内街へ参りましょう」


「ペトロナにだけお休み、ですか?」


 エルケが小さく手を挙げて発言を求め、口から出てきた発言がこれだった。

 自分の休みを求めるのではなく、ペトロナの休みを求めている。


「それだとペトロナを置いてけぼりにすることになりますが……」


 三人で春華祭へ遊びにいこう、と言うのなら解るのだが、ペトロナだけを置いていく、というのがなんとも納得ができない。

 言い間違いかとエルケに確認をするのだが、ペトロナに休みを、と考えていることは変わらなかった。


「お休みでしたら、ペトロナも意中の殿方へ贈り物を届けに行くことができるでしょう? 私たちは邪魔をしないよう、春華祭にいきましょう」


「え? 待ってください。それだとペトロナに意中の殿方がいることに……?」


「やはりお気づきになられていなかったのですね。ペトロナは少し前から……」


 エルケの口からペトロナの意中の殿方の名前が出そうになったのだが、それをペトロナがエルケの口を両手で塞いで阻む。

 そのような気遣いはいらない、と顔を真っ赤にしているところが可愛かった。


「だいたい、ティナお嬢様がお出かけになれば、贈り物を届けたい相手も出かけることになるではありませんか!」


「……つまり、ペトロナの想い人は私が出かけると一緒に来る人?」


 ハッとした顔で固まったペトロナと、その背後で扉を守るアーロンの姿を視界に捉える。

 アーロンは私の護衛として、私の移動に合わせてどこへでもついてくるのが仕事だ。


「へぇええええ? ええ?」


 いつからそんな関係に、とあまりのことに口から変な声が出る。

 友人の初恋は祝福するべきだと思うのだが、相手が身近な人物すぎてなんとも微妙な気分だった。

 たとえるのなら、親友の恋人が自分の兄だったような心境だろうか。


 ……いや、ペトロナちゃんが好きなのはレオナルドさんじゃないけどね。


 それにしても意外だ。

 意外すぎて変な声しかでない。

 別にからかう意図はないのだが、聞かなかったことにもできなくて、反応に困ってしまった。


「ち、違いますよ。そんな特別な意味はないです。神王祭でお世話になったから! そのお礼に……刺繍をしてみただけで……」


 次第に声が小さくなり、最後にペトロナの頬がポッと赤く染まる。

 これで特別な意味などないと聞いても説得力はないのだが、当のアーロンは説得されたようだ。

 自分は仕事をしただけなので、礼など必要ない、と。


 ……そこは素直に受け取っておこうよ! アーロンのあほーっ!


 知らないうちに咲いていたらしい小さな恋の花に、この恋は前途多難そうだ、と勝手ながら心配になった。

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