第63話 隣国の諸事情
「着心地はいかがですか? どこか突っ張ったり、苦しかったりしませんか?」
「丁度いいよ。ぴったりだ」
黒いシャツに袖を通し、レオナルドはその場で腕を曲げたり、伸ばしたりとして、今度は肩を回す。
どの動きも非常に滑らかで、シャツがキツイということはなさそうだ。
「問題がないようでしたら、これで完成ですね」
暇に任せて作ったシャツだったが、贈る前に本人の体で仕上がりの確認ができるというのは助かる。
サプライズプレゼントはできないが、奇をてらったせいでサイズの合わない物を作るよりはいいだろう。
ついでに言えば、サプライズプレゼントというものは、するのもされるのも嬉しくはない。
「それにしても、ティナはよく俺の寸法が判ったな」
「仕立屋に問い合わせたら、布が縫うだけの状態で届けられました」
本当はレオナルドの寸法だけ聞いて、ヘルミーネに教わりつつ布を裁つところから始めようと思っていたのだが、兄にシャツを縫いたいと説明しつつ寸法を聞いたら、仕立屋が気を回しすぎてくれた。
あとは縫い合わせるだけという状態で届けられた布に、私としては多少の消化不良感がある。
「……まあ、普通の淑女は自分で服など縫わないからな」
「そうですね」
ヘルミーネは淑女教育の一環として裁縫も教えてくれるが、普通の淑女は服を自分で仕立てるような真似はしない。
刺繍は優雅な趣味として行うが、服を作ったり、ほつれを直したりとするのは仕立屋や下働きの仕事だ。
私の着る子ども服も、仕立屋で作った物と
……次は仕立屋じゃなくて、生地屋だね。
一から作りたかったら、まず布を用意するべきだった、と今回の失敗を反省し、裁縫道具を箱に片付ける。
裁縫箱を片付けるのはペトロナに任せると、まだでき上がったばかりのシャツを着ているレオナルドへと向き直る。
「……レオナルドお兄様は、いつまでシャツを着ているおつもりですか? それは春華祭の贈り物なのですから、今は脱いでください」
「これは俺にくれるものだろう?」
「レオナルドお兄様に贈るものですが、春華祭にはまだ早いですよ。春華祭に新しい服をおろす風習なのですから、一度脱いでください」
「どうせ他にも何枚か用意してくれているんだろ? いいじゃないか、一枚ぐらい」
「諦めが悪いですよ」
大人なのだから聞き分けてください、と言うと、妹からの贈り物を全力で喜んでなにが悪い、とレオナルドは開き直った。
よほど『妹が縫ってくれた』というところにプレミア感があるのか、レオナルドはシャツを脱ぐことに抵抗をみせる。
「……そのシャツ、贈る前にアイロンをかける予定だったのですが」
そのまま着ていたいのなら、着たままアイロンをかけられる覚悟があるのだな、と念を押す。
これにはさすがのレオナルドも諦めたようだ。
服を着たままアイロンなんてされれば、どう考えても火傷をしてしまう。
それも、うっかりでした火傷なんて目ではない程の深い火傷だ。
「ちなみに、アイロンをかけるのは?」
「わたくしだと答えたら、レオナルドお兄様は着たままアイロンされるおつもりですか? さすがにアイロンをかけるのは大人に任せます」
子ども用のアイロンなんてものはない。
となると、私が使うとしても大人用のアイロンを持つことになるのだが、前世の軽量化された電気製のアイロンならまだしも、この国のアイロンは底の厚い鉄鍋に炭や熱湯を入れて使うといった原始的なものだ。
とてもではないが、子どもの私が片手で持つには無理がある。
「……春華祭には俺はルグミラマ砦へ向かっているから、今貰ってもいいだろう」
「これ以上抵抗するのなら、それは春華祭の贈り物から、レオナルドお兄様の今年の誕生日の贈り物になりますよ」
私の誕生日は夏の初めだが、レオナルドの誕生日は春の終わりで半月ぐらいしか離れていない。
そして春華祭は春の初めにあるので、春華祭の贈り物から誕生日の贈り物になった場合は、シャツをおろせるまでに季節一つ分ぐらい待つことになる。
いかにもしぶしぶといった顔でシャツを脱ぎ始めたレオナルドに、ウルリーカが先に着ていたシャツを差し出す。
レオナルドから受け取ったシャツをたたみながら、今度は誕生日の贈り物について考えた。
……昨年は刺繍で絵画を作ったんだけど……今年はなにも考えてなかったね。
意外にやることが多くて、悪戯を考える心の余裕がなかった気がする。
兄の誕生日の贈り物をイコールで結んで悪戯を考えるのはどうかと思うが、レオナルドは私からの贈り物であればなんでも喜びそうなので、私としては逆に変化球を贈りたくなるのだ。
「今年のレオナルドお兄様への誕生日の贈り物は、なんにしましょう?」
春の終わり頃なので、ルグミラマ砦へ行っていることは確定しているが、祝えるものならば祝いたい。
可能な範囲でなにか希望はあるか、と本人に聞いてみたところ、レオナルドは定期的に手紙がきたら嬉しい、と言う。
ルグミラマ砦は職場ではあるが、元からそこに詰めている騎士たちには周囲の村に家族がいる。
時折家族からの差し入れなどを自慢され、王都に妹を残して単身赴任をしているレオナルドとしては面白くないらしい。
もちろん、砦を預かる団長としてはそんなことで部下たちの士気を下げるわけにもいかず、差し入れの禁止などできるわけもない。
そんな状態が続いた秋に、しみじみ思ったそうだ。
手紙でいいから家族と触れ合いたい、と。
「わたくしとしては、砦へのお手紙は仕事の報告書だったり、指示書なんだろうな、と思って遠慮していたのですが……」
「家族からの手紙ぐらいは許されているぞ」
砦から家族へと送る手紙は検閲が入るが、家族から砦に詰める騎士への手紙は開戦中というような特殊な状況以外では届けてもらえるらしい。
職場なのだから、と必要以上に控える必要はなかったようだ。
「……では、季節ごとにお手紙しますね」
「週一に、とは言わないから、せめて月一ぐらいにならないか?」
あまり頻繁に送っても迷惑だろう、と三ヶ月に一度ぐらいの頻度で手紙を書きます、と言ったら、三ヶ月に一度は少なすぎるらしい。
さすがに週に一度手紙を送るのは輸送費の無駄だと思うのだが、月に一度ぐらいなら確かに良い間隔かもしれなかった。
「わかりました。では、定期的に不安になって様子を見に帰って来たくなるような手紙を送ってあげます」
「兄としては安心できる手紙がほしいのだが……」
それはお約束しかねます、と話を切り上げる。
私としては基本的に引き籠って騒動になど顔を突っ込まないようにしているのだが、離宮へと毒物が持ち込まれたり、愚かな白騎士が不審者を手引きしたりするのは、私の努力で防げるものではないのだ。
……まあ、アルフレッド様がいろいろ一掃してくれたようだし、なんとかなるよね?
まだまだ雪が残っているながらも春が近づき、レオナルドの出立の日が決まる。
レオナルドの荷造りをするのは二度目だ。
前回はヘルミーネに習いながら荷物を詰めたので、今回は一人で行なう。
……本当はレオナルドさんのお嫁さんがすることなんだけどね。
兄には嫁がいないので、妹の私が荷物を詰める。
嫁が用意するといっても、正確には
単純に、私がレオナルドのためにできる数少ないことでもあるので、やりたいだけだ。
……これで大丈夫なはず、と。
荷造りは一人でやったが、確認はやはりしてほしいのでヘルミーネを頼る。
旅の必需品と春先に必要な物をヘルミーネの視点からもう一度確認してもらい、最後にレオナルドへと荷物を届けた。
「……あれ? 今回は荷物を均等に詰めなかったのか?」
「前回は普段と違う詰め方をしたので使い難そうにしていた、と迎えの黒騎士さんに聞きました」
荷物を馬の背にくくると思えば、左右のバランスは均等にした方が良いかと思ったのだが、やはり普段と違う荷物の詰め方は、レオナルドには負担だったらしい。
レオナルドはなにも言わなかったが、ルグミラマ砦から迎えに来た黒騎士の一人が、前回の旅路についてを教えてくれたのだ。
レオナルドが自分の荷物を少し使い難そうにしていた、と。
「今回は用途ごとに詰めましたから、それほど迷うことはないはずです」
「そうか。いろいろ考えてくれたんだな」
ありがとう、と頭を撫でられて、照れ隠しに「考えたのは前回ですよ」と指摘する。
どうやら失敗してしまった試みだったのだが、考えてなにかをしたのは前回の話だ。
「前回の失敗といえば、今回はちゃんと用意できました。
前回は当日までグルノール砦へ戻るのだとばかり思っていたので、護符など用意する必要があるとも考えなかった。
実際に向うのは緊張状態にあるルグミラマ砦ということで、それを聞かされた時には怒ったものだ。
向うのがルグミラマ砦だと知っていれば、護符の一つも用意したのに、と。
「旅人の守り神アナトチュの護符と、こちらは無駄になってくれた方が嬉しいのですが、軍神ヘルケイレスの護符です」
旅路の守護をしてくれるアナトチュの加護は必要だが、軍神ヘルケイレスの護符は出番がない方が嬉しい。
軍神ヘルケイレスの護符は、戦果を願うものでもあるのだ。
戦が起こることが前提の護符である。
「……今度は、ほぼ一年のお出かけですね」
護符はレオナルドへ渡し、確認の終わった鞄の蓋を閉じた。
テーブルに二つ並んだ鞄を見つめていると、またしばらく兄とは離ればなれかと実感がわき、近頃ようやく落ち着いていた甘えの虫が疼き始める。
なんだかもう寂しくなり始めたので、そんな自分の気持ちを誤魔化すようにレオナルドの隣へと腰を下ろした。
「戦が終われば、もっと早く戻ってこれるけどな」
「戦は戦で嫌なので、そこは複雑です」
レオナルドには早く帰って来てほしいが、だからといって戦争は始まってほしくない。
戦争が始まれば、レオナルドの命が危険に晒されることはもちろん、敵も味方も多くの兵士の命が失われるのだ。
戦争なんてものは話に聞くぐらいしか知らないが、それだって怖くて恐ろしいものだということぐらいは判る。
「お隣、サエナード王国でしたか? 素直にごめんなさいすればいいのに」
「あの国は無理だろう。血筋をなにより尊ぶせいか、変なプライドでガチガチに凝り固まった国だからな。この国とは違う」
「この国は……王族の血筋でも、平気で平民に嫁ぎますよね」
貴族や王族と聞けば、高貴な自分たちの血筋を守り、平民の血と混ぜるなんてとんでもない、と反発するのが普通だろうと思うのだが、この国の王族はおおらかだ。
取り入れたいと思えば平民相手にでも王女を嫁がせるし、婿や嫁に行っても王族としての籍が保たれる。
嫌なことを考えれば、王族の血を引く庶子を旗印に王位の簒奪を目論む貴族だって出そうなものなのだが、それすらも容認している気がした。
革命を起されるような暗君であれば、それまでだとでも思っているのかもしれない。
「サエナード王国では考えられないことだな、王族が平民と婚姻を結ぶなんて」
「……本当に元は同じ国だったのですか?」
「歴史上はそういうことになっているな」
イヴィジア王国とサエナード王国は、遡ると一つの国だった。
百三十年ほど昔に、イヴィジア王国の王座を巡って王爵を持っていた妹王女と、王爵のない姉王女が争い、負けた姉王女が自分の味方をした貴族を率いて独立を宣言したのが今のサエナード王国の始まりだ。
そんな始まりをした隣国であるので、建国以来ずっと我がイヴィジア王国とは仲が悪かった。
王爵を持った妹王女が治めたイヴィジア王国は実力主義で、現在も王族といえども甘えを許さず、王爵を持たない王の子に権力というものは発生しない。
逆に王爵を得ることができなかった姉王女が治めたサエナード王国は血統主義に走り、能力や実力がなくとも貴族の血筋さえ引いていれば要職に就ける有様だ。
当然、王位継承者が愚者であっても、サエナード王国は血筋においてその愚者を王位に据えることになっている。
「なんというか……いつか絶対破綻しそうな国ですね」
最初のうちはそれでも良いかもしれないが、絶対にどこかで歪みが生じ、腐って行くだろう。
特に、無能でも要職に就けてしまうというのが怖い。
「それでも百年以上続いている国ではあるが……これからも続いて行くのか、分裂するのかはわからんな」
「分裂する要素があるのですか?」
「もう五年以上前になるが……失脚した王子が一人いる。今はアルスター城に閉じ込められていると聞いたが、その王子は国民の人気が高いからな。何かあるとしたら、あるかもしれない」
「アルスター城の王子さまと言うと、どこかで聞いたことがあるような……?」
誰だっけ? と記憶を探ると、答えを見つける前にレオナルドが教えてくれた。
ラガレットの街で私を誘拐した男の上司である、と。
「誘拐犯の親玉が国民に人気なのですか?」
「あの誘拐は一応、誘拐犯とその一味の独断ってことになっているぞ。そこで国同士の交渉が拗れて今の国境が緊張状態になっているんだが……」
誘拐犯ウィリアムの証言によると、アルスター城に閉じ込められている王子コンラッドの復権のために、レオナルドを引き抜こうとしていたらしい。
しかし、それはすべて自分の独断で行なったことであり、コンラッド王子の知ることではない、とも証言していたそうだ。
コンラッド王子には自分のせいで迷惑をかけてしまい、申し訳がない、と。
そして
ウィリアムの暴走とも、自分の指示であるとも証言はしていない。
「……アルフの見解としては、コンラッド王子の人気を奪いたい別の王子か王女が、この件を口実にイヴィジアへと戦を仕掛けようとしている、ということだったな。失脚中のコンラッド王子は静観するだろう、とも」
「アルフさんは、どうして隣国の王子が静観するだなんて思ったんでしょうね?」
「直接会ったことがあるからだろう。俺だって、コンラッド王子とは会って話したことがあるぞ」
コンラッド王子は、隣人としてはそう悪い人物ではないらしい。
レオナルドとアルフが会ったという場所が、話を聞けばどう考えても戦場でのことなのだが、そこは指摘しないでおく。
直接コンラッド王子と話をしたことがあるらしいアルフが、アルフの判断で「コンラッド王子は静観」とみたのだ。
レオナルドも同じ意見なのか、これについてなにかを追加する気はなさそうだった。
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