第62話 旅の商人コーディ
あるだけの材料を使ってムスタイン薬が作られ、すべてをセドヴァラ教会が納めた。
その旨をジークヴァルト経由でバルバラから受け取り、再びジークヴァルトの館の離れへと通う日々がやって来る。
まだすべての材料は揃っていないが、素材から一つひとつの材料へと加工していくだけでも時間がかかるので、できる物はできるうちに作業を進めておく。
「……順調そうだな、ティナ」
カタカタと揺れる馬車の中で手紙を読んでいると、横からレオナルドに話しかけられる。
なんのことだろうと一瞬だけ考えてしまうと、秘術の復活についてだ、とレオナルドが補足してくれた。
……やっていることが多すぎて、順調だなって言われても、すぐには判らないんだよね。
必要があってしていることが、聖人ユウタ・ヒラガの秘術の復活とヘルミーネによる淑女教育だ。
趣味でやっているのは、ボビンレースの指南書作りである。
王都に来てからはやっていないが、グルノールの街にいた頃は内職で刺繍の仕事をしていたりもした。
すべてチマチマとした作業なのだが、地味に忙しくもある。
「パント薬の素材集めは順調とは言えませんが、他はおおむね順調です」
パント薬については、運を天に任せた結果だ。
私が引き当ててしまった物なので、仕方がない。
出掛けに受け取ったジャスパーからの報告書によると、『雪帽子』こと雪苺の確保はできたようだ。
今しばらく雪の上での乾燥作業があるが、春先には無事に戻れそうだというようなことが書かれていた。
「……春なんて来なければいいのに」
読み終わった手紙を封筒の中へと戻し、隣に座るレオナルドの体へと寄りかかる。
春になれば、この大きな体とも当分はお別れだ。
「それじゃあ、みんな困るだろう。種は蒔けないし、薪で森の木が刈りつくされてしまう」
「言ってみただけです」
秋の間離れているだけでも寂しかったのだが、冬になるまで砦を離れられないということは、隣国との関係が落ち着かない限り今度は冬以外の季節すべてでレオナルドと離れることになるのだ。
兄に甘えたい盛りのお子様としては、これはちょっと我慢できる気がしない。
「いっそサエナード王国なんて、なくなっちゃえばいいのに」
「神王領クエビアに併合されるのならそれでいいが、王の首が替わるだけなら、あまり変わらないな」
「クリストフ様が併合したらどうでしょう?」
「あの方は国土を広げることは考えておられないよ。今ある国土で、民の幸福を願っている」
もちろん降りかかる火の粉は振り払うが、こちらから仕掛ける真似はしないだろう、というのがレオナルドの見解だ。
クリストフという王様を見ていると、私でもそう思う。
手間とお金と兵士の命を使って国土を広げるよりも、今ある土地で農法や工法を新たに作り上げて国を富ませるだろう、と。
「……あれ?」
「外で少し揉めているな」
そろそろジークヴァルトの館に到着するか、というところで馬車の進みが緩やかになる。
ついに止まってしまったと思ったら、外から言い争うような声が聞こえてきた。
「少し様子を見てきます」
御者席の小窓を開いて、ジゼルが断りを入れて馬車を降りる。
少し待っていると御者席の小窓ではなく、馬車の扉がノックされた。
「クリスティーナお嬢様、コーディと名乗る商人がお嬢様に面会を求めております」
「コーディさん、ですか?」
はて、誰だろう? と首を傾げつつもジゼルの後ろで膝を折っている男へと視線を向ける。
頭を下げているために顔は見えないが、赤毛の小柄な男性だ。
少し薄汚れてはいるが、不衛生といった印象はうけない。
「とりあえず、そこでは寒いでしょう。馬車の中へ……」
「ティナ、護衛がいるとはいえ、不審な人間を馬車などという密室へと呼び込むのは……」
「たしかに不審ですけど、レオナルドお兄様がいるから大丈夫ですよ。それに、ジークヴァルト様の館や離宮へ連れ帰れないでしょう?」
商人を連れ込める手ごろな場所がすぐに思いつかないのだから、仕方がない。
そう説明してみたのだが、レオナルドの渋面は晴れなかった。
なので、少し作戦を変えてみる。
お兄様は私を守ってくださらないのですか? と近頃再修業中の淑女の笑みを浮かべてレオナルドを見上げると、レオナルドは困ったような顔をしつつも商人を馬車へと乗せることを了承した。
自分がいれば私には指一本触れさせない、と胸を張っていたので、妹の
馬車を路肩へと寄せてもらい、改めて商人を呼び入れる。
馬車の中へと呼ばれた商人は恐縮しながらも、淑女に対する礼をした。
「このような場での不躾な願いにお応えいただき、クリスティーナお嬢様の寛大なお心には感謝します。俺……私の名はコーディ。ワイヤック谷の賢女オレリアの求めに応じ、さまざまな物を運んでいた商人です」
誠実そうな顔つきの若い赤毛の青年に、名乗ってもらえば警戒心はすぐに消えた。
ようはオレリアの元へと薬の材料を卸していた商人が、パウラへと送った手紙に従って王都まで顔を見せに来てくれたというだけのことだ。
「あなたがオレリアさんのところへ来ていた商人さんだったのですね。パウラさんに手紙を送っておいたのですが、それで王都へ?」
「王都へは
道で偶然にも出会えてよかった、というコーディの言葉に少し引っ掛かりを覚える。
本当に偶然出会うことはあるかもしれないが、その場合、コーディは馬車の中身が私であると、どこで知ったのだろうか。
この疑問は、すぐに解けることとなった。
「……まずは、これらの商品を受け取っていただいてもよろしいでしょうか」
「どういうことでしょうか?」
こちらをどうぞ、と渡されたのはコーディの運ぶ荷物の一覧だ。
注文主がセドヴァラ教会で、商品はセドヴァラ教会へと納められることになっているのだが、商品の名前を見る限りは私が必要としている物だ。
セドヴァラ教会を通じて、後日ジークヴァルトの館へと運ばれてくるはずのものだと思われる。
「実は、少々セドヴァラ教会の奴等……じゃない。薬師と口論をしてしまって……」
話を聞いてみれば、実に馬鹿馬鹿しい話だった。
セドヴァラ教会の事務方の仕事をしていた薬師と口論になり、商品を卸す・卸さないという喧嘩の果てに物別れ、荷を積んだままセドヴァラ教会を出てきてしまったそうだ。
このまま商品を持ち帰ってしまっては、コーディは商売にならないし、私としても困る。
セドヴァラ教会の代わりに代金を支払って商品を受け取るのは構わないのだが、それはそれであとで揉める要因になりそうな気がするので、一度セドヴァラ教会へ話を通しておいた方がいいかもしれない。
……純朴そうな顔をしてるけど、喧嘩っ早いのかな?
少し恥ずかしそうに薬師との口喧嘩のくだりを話すコーディに、人は見かけによらないと判断しかけ、これを否定する。
喧嘩っ早い商人であれば、あの人間嫌いのオレリアが懇意にするわけがない。
誠実そうなコーディを見れば、オレリアが商人として重用していたことも納得できるが、オレリアが重用する人間と、薬師に対して喧嘩を売る人間というのが一致しないような気がした。
「喧嘩の原因はなんだったのですか?」
「それが……パウラさんから、王都プロヴァルではムスタイン薬の復活が研究されていると聞いて来たのですが……」
コーディの言葉に、内心でだけ盛大に首を傾げる。
聖人ユウタ・ヒラガの秘術の復活を試みている、という話は大々的に触れ回るようなものではない。
復活が成功してからならまだしも、現段階で他国から来た商人の耳へと入っているのは、少しおかしい気がした。
パウラへは秘術の復活の試みを手紙で知らせはしたが、それがどの薬かまでは伝えていなかったはずだ。
……セドヴァラ教会の情報の秘匿って、ガバガバ?
これは無事に秘術の復活ができたとしても、調薬する人間は見張った方が良いだろう。
これなら簡単にできる、と見よう見真似で秘術を模倣・拡散し、毒を作られては賢女が魔女と呼ばれた時代の再来だ。
そんな時代を呼び込むわけにはいかない。
ムスタイン薬を求めて王都へとやって来たコーディは、セドヴァラ教会へ商品を卸す際にムスタイン薬を売ってくれと交渉したらしい。
その時にはすでにムスタイン薬は完成していたのだが、セドヴァラ教会はこれを断った。
これらは国内で使う分の薬であり、外国へと回せる余裕などないのだ、と。
「それは……たしかに、難しいかもしれませんね」
ムスタイン薬はオレリアの他界と共に失われ、在庫など国中のセドヴァラ教会に一つとしてなかった。
研究資料に書かれていたことなのだが、聖人ユウタ・ヒラガの秘術には日持ちする物としない物がある。
ムスタイン薬は後者で、理想としては作って数日中に、すぐに使う場合でなくともひと月以内に使いきった方が良いとされていた。
今回作ったムスタイン薬は、作成できる薬師が五人しかいなかったため王都で作った物が各地へと運ばれることになったが、本来なら薬が必要となる各地の薬師が調薬するのが一番良いのだ。
ムスタイン薬を調薬できる薬師の数が限られている以上、雪解けの季節に必要になるムスタイン薬の余分はない。
「どうしてもムスタイン薬が必要なんだ。子ども一人分で構わない。お嬢様はムスタイン薬を持っていないか?」
「子ども一人分では商売にならないと思いますが……」
コーディがジークヴァルトの館の前にいた理由は判った。
口論の最中にでもセドヴァラ教会の薬師からジークヴァルトの館の離れで行われている秘術復活の話を聞きだし、それの主導が私だと知ったのだろう。
あとはジークヴァルトの館の門番と揉めることになり、そこへやって来た馬車につけられた王家の紋章から中の人間に当たりをつけて、事情を聞きにいったジゼルに食いついたのだ。
私の使っている馬車は離宮の物で、離宮は普通王族に与えられる。
少なくとも、秘術復活に一枚かんでいる人間の馬車である、と考えたのかもしれない。
「ムスタイン薬は商売のために必要なんじゃない。兄貴の子どもに必要なんだ」
最初はオレリアに注文する予定で商売がてらワイヤック谷へ寄ったらしい。
そこでオレリアの訃報を知り、同時に王都で聖人ユウタ・ヒラガの秘術の復活を試みている、という話を聞いた。
なぜムスタイン薬を作っているという具体的な名前が出たのかは判らないが、コーディはそこで商売を途中で切り上げてまっすぐ王都まで向かってくれたらしい。
一刻も早く甥に薬を届けたいとすがったセドヴァラ教会で、ムスタイン薬復活という朗報を手にすることはできたが、国内に届ける分で精一杯である、とムスタイン薬の販売は断られてしまった。
そうして薬師と口論になったらしい。
セドヴァラ教会は病に苦しむすべての人間へ平等にその恩恵を与えるものである、という教義に反するではないか、と。
これに対する薬師の答えは、教義に反してなどいない。ただ救える可能性のある者を優先しているだけだ、と言ったそうだ。
……薬の有効期限を考えたら、薬師の方が正しいんだよね。
大陸を一年かけて旅するコーディは、実家は隣国サエナード王国の北西にあり、神王領クエビアの近くでもあるらしい。
今日できたばかりのムスタイン薬を持たせたとしても、遅くとも使いきった方が良いというひと月以内に甥の元へと届けることは難しいだろう。
それを考えれば、今回のムスタイン薬は国内での消費に回す、という考え自体は正しい。
薬が効力を保っている間に持ち帰れるとは限らない、持ち帰れたとしても患者がまだ生きているとは限らない。
そんな相手のために薬を使うぐらいなら、有効期間内に投薬できる患者へと薬を優先した方が合理的であろう。
感情を切り捨てて考えれば、誰が考えてもこうなるはずだ。
私が考えてもこうなる。
こうなるのだが。
「……わたくしが報告のためにクリストフ様へ納めたものがあるかもしれません」
ただし、作ってから時間が経っているし、帰路にかかる日数によってはまだ効力を保っていたとしても失われる可能性が高い。
少しだけ薬としての効力を望めるかもしれないものが、セドヴァラ教会の管轄外に一つ存在しているというだけの話だ。
クリストフとしては飾っておいても効力を失うだけの薬など、必要はないだろう。
「無駄になる可能性の方が高いのですが、それでも構いませんか?」
「構わない! 可能性があるのならそれでいいっ!」
ありがとう、と言いながら私の手を取ろうとしたコーディに、レオナルドが珍しい行動に出た。
コーディの手が私に触れる前に、その手を払い落としたのだ。
「……レオ?」
「いや、妹に近づく悪い虫を……」
「え? 今の流れでどうしてそんな話になるのですか?」
付け加えるのなら、コーディは悪い虫どころか、好印象の虫だ。
将来お嫁さんになるのなら、コーディのような純朴そうな旦那さんが良い、と思うぐらいには兄と甥っ子思いで印象が良い。
……あ、だから?
地味に私の好みに合致する、と気がつき、牽制したのかもしれない。
お嫁に行くのが大変そうだとは思っていたが、レオナルドが武力面以外でも妨害してくるとは思わなかった。
……や、そもそもコーディさん、レオナルドさんより若そうだけど、それでも私の方が年下すぎるよ?
さすがにその日の内にアルフレッドや国王に会って掛け合うことなどできないので、とコーディとは彼が宿を取っているという宿屋を待ち合わせ場所にして別れた。
ジークヴァルトの館で人を借りてアルフレッドへと事情をしたためた手紙を送ると、離宮へ戻る頃にはソラナがムスタイン薬と手紙を預かって戻ってきた。
手紙によると、ムスタイン薬をコーディへ個人的に渡すことは構わないが、タダでは渡すなと書かれていて、要求は金銭ではなく手紙の配達とのことだ。
彼が神王領クエビア近くの実家へと戻るのなら丁度いい。
神王領クエビアの商人へとラローシュの花粉の採取を注文し、それを届けてほしいというものだった。
……さすがアルフレッド様。使えるものはなんでも使うね。
私はコーディに手紙を運ばせようだとか、代わりにラローシュの花粉を入手させようだなんて考えつきもしなかった。
彼の実家の位置を思いだせば、たしかに便乗させてもらうには打ってつけの人材である。
……後出しの条件みたいになったけど、その代わりムスタイン薬は新しいものをアルフレッド様が用意してくれたし、いいよね?
私が作ったモノとは違うが、その分鮮度は新しい。
これから国を跨いで実家まで帰ることを思えば、ムスタイン薬は新しい方がいいはずだ。
コーディが交渉してもムスタイン薬を譲ってくれなかったセドヴァラ教会だったが、さすがに王子さまの交渉は聞いてくれたようである。
朝を待ってコーディの宿屋を襲撃した。
まだ眠そうな顔をしているコーディを叩き起し、アルフレッドからの手紙と新しいムスタイン薬を託す。
手紙の概要を伝えると、コーディはそのぐらいならお安い御用だ、と請け負ってくれた。
早速故郷を目指すというコーディに、優先的に城門を抜けられるようにと、北門まで馬車で案内をする。
白銀の騎士が護衛としてつくこの馬車は、存在するだけで目立つので、すぐに城門を開いてもらえた。
「お嬢様、本当にお世話になりました。このご恩は絶対に忘れません。必ず手紙は届けるとお約束します」
「挨拶はいいので、気をつけて。急いで薬を持って帰ってあげてください」
次に王都へと寄る時には良い報告を聞きたい、と言ってコーディを追い立てる。
夜は城門が開かないので朝まで待ったが、日が昇ったからには早く移動を開始した方がいい。
「本当にありがとうございました!」
何度も頭を下げて旅立つコーディに、門を出たところで見送りをやめた。
このままここで見送っていたら、いつまでたってもコーディが背後を気にして馬車の速度を出せないと思ったのだ。
早く薬を届けた方がいいのだから、薄情でも見送りは早々に切り上げた方がいい。
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