第60話 クリストフの呼び出しと懲罰房のジゼル
侵入者があった翌日の離宮は少々騒がしかったのだが、段々と元の日常が戻ってくる。
離宮というよりも、隠し通路という場所が場所だったために、大掛かりには行えない捜索は成果もなく終わってしまったようだ。
静かな日常が戻ってきたことは喜ばしいが、一つだけ心残りもある。
……レオナルドさんの仮装も、見たかったなぁ。
フェリシアがせっかく衣装を作ってくれてあったのだが、お化け騒ぎでレオナルドが主導となって捜索に当たってしまったため、神王祭の期間中にレオナルドが仮装をする機会が失われてしまった。
仕事で顔を合わせることになる騎士たちに対して、レオナルドだけ仮装というのも間抜けすぎるのがその理由だ。
……仮装したらデートしてあげます、って言ったら着てくれませんかね?
私の仮装は冬季強制なのだから、保護者のレオナルドがそれに付き合ってくれてもいいと思う。
さてなんと言って仮装をさせようかと考えていると、目的の方から手段を持って来てくれた。
アルフレッド経由でもたらされたクリストフからのお茶会への招待状に、保護者同伴の名の下にレオナルドの仮装を強行してみる。
保護者とはいえ護衛を兼ねているのだから、と仮装を辞退しようとするレオナルドに、冬の私は常に仮装なのでお揃いにしましょう、とおねだりをした。
トドメに頬へとキスをすれば、レオナルドの抵抗はなくなった。
……この世界に生まれたばかりの頃は、両親からのキスにだって抵抗があったんだけどね。
人間、慣れれば慣れるものである。
今は自分から兄へのおねだりの一環として頬へとキスをしていた。
……まあ、レオナルドさん以外にはしないけどね。
甘えられる対象だからといって、アルフレッドやカリーサにしようとは思わないのだから、やはり兄は兄で特別なのだろう。
というよりも、アルフレッドは自分が面白そうだと判断すれば協力してくれるし、カリーサは私がお願いすれば大概のことは聞いてくれる。
おねだりに頬へキスをするまで折れないのはレオナルドぐらいだ。
レオナルドの仮装は私とお揃いといっても、私ほどまるまるとはしていない。
同じ部分は
まるまるっとした私の子梟とは違って、梟というよりは
「レオナルドお兄様はカッコいいけど、可愛くはありませんね」
梟の尾羽も付けられているのだが、どうしてもまるっとした梟のボディーラインにはならない。
これでは「お揃いである」と主張しなければ、お揃いには見えないかもしれなかった。
「……仮装でクリストフ様に呼ばれるのか」
「私は冬の間は誰に会う時も仮装ですよ」
少しは私の恥ずかしさが解ったか、と意図していたわけではないが、一矢報いることができたらしい。
少しだけ気をよくして、やはり着替えるとレオナルドが言い出さないよう手をとって馬車へと乗り込んだ。
レオナルドの仮装は、ある方面ではかなり受けたようだ。
クリストフの私的な応接室へと通されると、まず出迎えたティモンが口を閉ざした。
……あれは吹き出すのを咄嗟の判断で我慢した顔だったね。
次にお茶を並べる侍女がレオナルドに見惚れ、最後に部屋へと入ってきたクリストフが、侍女が退室すると同時に吹き出した。
私の前ではややポンコツ気味なレオナルドなのだが、仕事方面の顔としては勤勉生真面目だったようで、仮装すること自体が珍しいらしい。
それも、フェリシアが用意した本気すぎる衣装だ。
子梟として私が一緒にいたのもツボに入ったようだ。
子梟に親鳥と間違われた隼かと言って、しばらくはクリストフが話をできる状態ではなくなってしまった。
「あの……レオナルドが……妹のおねだり、には……嫌と言えない……の、か……っ!」
途切れ途切れに何かを言おうとしているのだが、合間に「ぷくく」やら「ぷしゅー」と笑いを噛み殺す音が混ざり、よく聞き取れない。
ただ、このままレオナルドを笑いものにしておくのも可哀想だったので、クリストフの気を引いてみることにした。
「クリストフ様、クリストフ様。フェリシア様が作ってくださった衣装です。似合いますか?」
衣装がよく見えるように、と両手を広げてその場でクルリと回る。
ついでに愛嬌を振りまけば、笑いを堪えた顔が今度は崩れた。
「可愛い、可愛い。うちの子にならないか?」
「それはお断りいたします」
ビシッといつもどおりの返答をして、用件に移る。
なにも私に付き合わされて仮装をしたレオナルドを笑いものにするために来たわけではないのだ。
聖人ユウタ・ヒラガの秘術復活の進捗状況についてを話し、ムスタイン薬の完成を褒められる。
御褒美をやろう、と言われたので、こちらは丁重に断った。
御褒美ならすでにエセルバートから戴いている、と。
ナパジ料理のできる料理人にカリーサが料理を教わっているため、グルノールの街へ帰ってもナパジ料理が食べられる予定だ。
「……それで、先日離宮に侵入したという人物について聞きたいのだが」
「レオナルドお兄様にすべて話しましたが……」
業務連絡のあとにお茶が入れ替えられ、今度は先日のお化けの話に変わった。
レオナルドに話した以上の話はないのだが、聞きたいというのなら思いだせるだけ話して聞かせる。
「あのお化けの言うことには、前の前の離宮の主だそうです。最初は前の主だって言っていたのですが、前の主はクローディーヌ第八王女だ、と指摘したところ、それでは前の前の主だ、と言い直していました」
死んだ覚えはあるが、お化けではないとも言っていたな、と付け加えながら、ふと何かが気になった。
……なんだっけ? あの時も、何かが気になったんだよね?
引っかかりを覚えて、記憶を探る。
パッとは思いだせなかったので、順序立てて思いだしていくことにした。
「お化けならお化けらしく、お札の通りにしろ、って言ったんですよね」
「お札、というのは?」
「以前エセルバート様が書いてくださったのです。『たまには顔を出せ、馬鹿者』って……あれ? あのお化けって、つまりエセルバート様の知り合い? お札を書いてもらった時に、亡霊が使っているのだろう、みたいなことを言っていたような……?」
エセルバートは悪い奴ではないから安心していい、というようなことも言っていた気がする。
知らない人間が自分の寝泊りする離宮に出入りするなんて不気味だ、と言ったらお札を書いてくれた。
そんな流れだったはずだ。
「エセルバート様は今ご領地へ戻られているから、会いに行くのならグーモンスの街ですけどね」
「……領地に父上がいる、と教えたのか?」
「ええっと……教えたつもりはありませんが、言った覚えはあります」
なにか不味いことを言ってしまっただろうか、と急に表情の引き締まったクリストフに姿勢を正す。
少しレオナルドに似た声だったせいか、扉越しに会話をする分には警戒心が湧かなかったのだ。
私に自覚が無いだけで、余分なことまで言ってしまっているかもしれない。
どうしたものか、と助けを求めてレオナルドを見上げると、クリストフは天井を見上げた。
「父上の離宮を調べよ。亡霊とやらが紛れ込んでいるやもしれん」
……え? 天井に忍びでもいるの?
そんな時代劇みたいな、と浮かんだ考えを否定したが、すぐに思いだす。
クリストフはエセルバートの息子だ。
諸国を旅するご隠居の物語に影響を受けて世直しの旅をしてしまうエセルバートの息子ならば、忍びの一人や二人雇用しているのかもしれない。
……エセルバート様にも、風車の人とか、蜻蛉の人とかいるみたいだしね。
でも、なぜエセルバートの離宮なのか、という疑問が顔に出ていたのだろう。
クリストフが隠し通路は各離宮にあるものだ、と教えてくれた。
出口から探して見つからなかったのなら、他の離宮から王城内へと出た可能性がある、と。
「あ……わたくしがエセルバート様は領地にいる、と言ってしまったせいで、逆にエセルバート様の離宮は留守だ、と教えてしまったのですね」
「そういうことになる」
そして、本当に離宮が留守であれば、しばらくはそこに潜伏していた方が侵入者としては安全だろう。
留守の離宮の警備など、人の住んでいる離宮の比ではない。
「まぬけそうなお化けだったのに、結構頭いいですね」
「まぬけそう、と思ったのか?」
「思いました」
住む人間がかわれば、鍵の付け替えが行なわれるかもしれない。
そんなあたり前の可能性に気がついていなかった、のん気な侵入者だ。
本当に泥棒だとしたら、まぬけもいいところである。
「……本当に、お化けなのでしょうか?」
「お化けであったとしても、本当に前の前の主だというのなら、私は嬉しい。あの離宮のクローディーヌの前の主というと、私の弟だからな」
「クリストフ様の弟王子というと……ランヴァルド様、でしたよね。病死されたと聞いていますが……」
ランヴァルドは死んでいるはずである。
墓もあるし、葬式も行なわれたと以前に聞いた。
……なんだろう?
「ここの家系だったら、なにか大それたカラクリで死んだ振りして外の世界に旅立っちゃいました~、とか、やっていても不思議じゃないような……?」
むしろ、ありそうで怖い。
つい思ったままが口から出てしまったのだが、さすがに言葉を崩しすぎた。
訂正するためにも一度詫びて、とクリストフへと視線を戻すと、クリストフは今までに見たこともないような真顔になっている。
その顔から読み取れる感情は――
「――うちの家系ならありえる」
「冗談ですよ。冗談で、ちょっと思いついたままを言ってみただけですよ」
「そういう
……自覚があるなら、直してくださいっ!!
あくまで冗談である、と念を押したのだが、可能性に気がついてしまえばクリストフは放置もできないようだ。
再び天井を見上げたかと思ったら、ランヴァルドの墓を調べるようにと命じていた。
死んだはずの王弟ランヴァルドが実は生きているのでは、という話になって、王城の中は静かに大騒ぎだ。
静かに大騒ぎというのは、大騒ぎにしかならない内容だというのに、ことがことなだけに慎重に調べる必要があり、あまり外へは漏らせない内容ということもあって、事情を聞かされた者だけが何事もない顔をしながらも大急ぎで裏づけを調べている、ということらしい。
離宮に滞在する一平民ともそろそろ言えなくなってきたのだが、子どもでしかない私のところまでは捜査状況が聞こえてくるわけもなく、私の周囲はこれまで通りの日々が続いていた。
そして、これまでと変わらない日々を送っているはずの私はというと、変わらない日々を取り戻すために騎士棟にある懲罰房へと来ている。
……部屋のつくり自体はグルノール砦の懲罰房と大差ないね。
神王祭の日に迷子になったというペトロナとジゼルは、私の知らないところで囮捜査をしていたらしい。
迷子の反省文を書いているにしてはジゼルが戻ってこない、と不審に思ってアルフレッドに問い合わせたところ、ようやく本当のことを教えてくれた。
私の提案した潜入捜査の仕上げが、神王祭の夜に行なわれていたのだ、と。
……ペトロナちゃんを囮にするとか、酷いですよ。
話を聞いた瞬間に猛烈な抗議をしたのだが、当のペトロナにこれを止められてしまった。
エルケとペトロナ二人へと話があり、二人とも了承してこの囮捜査に加わったのだ、と。
……フードで顔が隠れる仮装は丁度よかったそうです!
まさか最初からその予定で仮装の衣装を作ったわけではないが、ペトロナが迷子になるまでは楽しかった思い出に水を差された気分だ。
フェリシアが用意してくれた衣装、と喜んでいた影で、私の友だちが危険に晒されていただなんて。
……ジゼルもジゼルですよ。潜入捜査なんだから、ジゼルが捕まる必要なんてないのにっ!
珍しくも離宮を離れ、騎士棟まで来たのは、いつまでも帰ってくる様子のないジゼルを懲罰房から引っ張り出すためだ。
ジゼルは自分の親族も誘拐に加担していたため、これ以上私の護衛は続けられないと言って、親族と一緒に裁かれることを望んでいるとのことだった。
自ら牢屋に入ろうとしたジゼルを、アルフレッドたちが懲罰房へ入れることで引き止めたのだとか。
「ジゼルは護衛の仕事の一環として、潜入捜査をしていただけなので、なんの責任もありません」
懲罰房へ入るなりジゼルへと先制攻撃を仕掛けたのだが、ジゼルの表情は暗い。
いつもなら適当に持ち上げれば気分まで持ち上がってくれるジゼルなのだが、今回の問題はさすがに根が深そうだ。
「馬鹿だ、馬鹿だと思っていましたが、兄弟と叔父がここまで馬鹿だとは思いませんでした。やはり我が家はこのまま平民に戻った方が、ゆくゆくは国のためになります」
いっそ平民落ちなど生ぬるい。
極刑になるべきだ、と暗い顔でどんどんと罪状を勝手に積み上げていくジゼルに、私の方が落ち込みたい。
軽い気持ちで「功績になるのでは?」とジゼルに潜入捜査を持ちかけたのは私だ。
「功績を求めてのこととはいえ、潜入捜査でトドメなんて刺されません」
潜入捜査とはいえ犯罪に加担したのだから、と潜入した者を犯罪者として扱えば、次から同じ捜査方法はとれなくなる。
犯罪の証拠を押さえるための捜査へ参加したというのに、自分が犯罪者として捕まることになるのなら、誰もそんな捜査に協力などしたくはないからだ。
「物事は良い方向に考えましょう。ジゼルのご両親は加担していなかったのでしょう? 冷たい言い方になりますが、なんと言えばいいのか……」
家のガン細胞としか言えない借金ばかり作ってくる兄弟たちと叔父と縁が切れてよかったね、言いたいのだが、これをそのまま言うのはさすがに不味いと判る。
もう少し淑女らしく言葉を柔らかくしたいのだが、なにも思い浮かばなかった。
周囲が甘い顔をしてくれるから、と咄嗟には言葉をこれまで通りに使っていたツケが、ここにきて私に返ってきてしまった。
ジゼルを慰められないのは、私の不勉強のせいだ。
「……わかっています。兄たちと叔父様がいなくなるだけで、我が家の暮らしは楽になりますし、これ以上借金を作ってくる人たちがいなくなれば、借金の完済だって可能です。でも、それでも……」
親類の犯した罪が、自分に無関係だとは思えないのだ、とジゼルは言う。
自分ならば功績を立てられる、と叔父たちが安心して見守っていられる人間であれば、叔父たちも犯罪には走らなかったのではないか、と。
……ジゼル、ごめん。そういった手合いの人は、どうあっても楽な方に逃げると思うよ。
この場合の『楽な方』とは、いつかジゼルが功績を挙げるのを待つより、功績自体を自分たちの手で捏造する、ということだ。
今回の潜入捜査で行なわれた誘拐事件がこれにあたる。
しかし、私にとっては資料で見ただけの兄弟と叔父だが、ジゼルにとっては良い思い出も悪い思い出もある叔父たちなのだろう。
簡単に切り捨てて考えることができないというのも、判らなくはない。
……お父さんは、それでもベルトラン様を捨ててお母さんを選んだんだね。
こんな時であったが、思考はどこか遠くへと逸れて行く。
必要以上に自分を責めているジゼルを連れ戻しに来たのだが、肉親を切り捨てたという意味での父を思っていた。
……そして、私もベルトラン様を捨てようとしてる。
祖父だと聞いてもピンと来ない。
これまでの人生で祖父なんて人物は出てこなかったし、両親も極力話題に出さなかった。
レオナルドを私の家族かと聞かれたら一も二もなく「そうだ」と答えるが、ベルトランでは少し変わってくる。
反射で「そうだ」とは答えられないし、じっくり考えたとしても「そうだ」とは出てこないだろう。
……薄情なのは血筋かな?
父が捨てた祖父を、孫の私がまた捨てようとしている。
突然現れた祖父を祖父と思えないのは、核家族化が進んでいた前世の知識の影響かとも少し思ったが、これが私の素の性格な気もした。
薄情な私には、ジゼルにかける言葉を見つけることができなかった。
慰めの言葉などなにを言っても嘘くさく、逆に切り捨てろと言い切ることもできない。
ただ一言、ジゼルのせいではないと搾り出すだけで精一杯だった。
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