第57話 迷子のペトロナ

 はぐれた二人を探しながら夜祭を回ろう、ということになって、私の左手の先はアルフレッドからエルケに変わった。

 これ以上の迷子を出さないようにするためだ。

 最悪、迷子になるのが大人の男性であれば心配をする必要はないし、大人の目が必要な子どもが一箇所に集まるだけでも、他へと目を向ける余裕が生まれる。


 ……ペトロナちゃんを心配してるのって、私だけ?


 もちろん、みんな迷子の二人を心配しているのだが、迷子の心配よりも私が気を遣われているような気がした。

 エルケなどギュッと私の手を握って「ペトロナなら騎士ジゼルと一緒だから大丈夫だ」と励ましてくれている。

 これはもしかしたら、私を安心させるためもあるが、エルケ自身が自分へと言い聞かせているのかもしれない。


「見つかりませんね」


「そうだな。さすがにこれだけ探してみつからないとなると、……本格的に探した方がいいかもしれない」


 来た道を戻って馬車に乗り込むと、その場でアルフレッドが護衛たちへと指示をだす。

 私とエルケ、ヘルミーネはアルフレッドと離宮へ帰ることになった。

 護衛はアルフレッドの護衛の半数が付いてきてくれることになり、残りの半数とアーロンは迷子の捜索に内街へと残る。


「馬車が移動しちゃったら、ペトロナちゃんたちが戻ってきた時にびっくりしますよ」


「ここへは連絡用に騎士を一人配置するから、気にしなくていい」


 なら私も内街ここに残る、と言ったら、私は離宮に戻った方が役に立つ、と言われてしまった。

 ペトロナの容姿を知っている騎士を使いたいので、護衛の外せない私を安全な王城の中にある離宮へと戻し、改めて騎士を使いたい、と。


「そういうことなら解りました。おとなしく離宮で待っています。……コクまろもペトロナちゃんを探しに行ってください」


「いや、コクまろは手放すな」


 足元の黒柴コクまろへと声をかけると、黒柴はピンと尻尾をあげたのだが、アルフレッドの命令の方を優先するようだ。

 ピンと上がった尻尾がパタリと下がり、心持ち表情が引き締まった。


 ……コクまろは私の犬のはずなのに、アルフレッド様の命令を優先するんだね。


 それが少しだけ面白くなくて、三角のもふもふとした黒柴の耳を軽く引っ張る。

 耳と一緒に引っ張られた皮のせいで少し間抜けになった顔に、私の溜飲も下がった。


「離宮に籠るから、コクまろも迷子探しに使ってくれて大丈夫ですよ?」


 犬の嗅覚が役に立つだろう、とアルフレッドへとお薦めするのだが、アルフレッドの答えは変わらなかった。

 最終的に私の護衛が二人とも離れることになるので、犬は手放すな、と。


 ……まあ、確かに。犬の嗅覚はすごいけど、この人通りじゃ……犬の嗅覚より、そのあたりにいる人と会話ができる人間の方がいいかもね?


 まずは迷子探しをアーロンたちに任せ、私は彼等が動きやすいよう離宮へ戻ることになった。







 ……離宮に戻るとは言いましたけど、帰りを待たないとは言っていませんからね。


 外から馬車が来たらすぐに判るように、と居間に陣取る。

 もしも本当にペトロナが精霊に攫われたのだとしたら、戻ってくるのは居間の暖炉だ。

 そういう意味でも、居間に陣を構えるのは良い考えだと思う。


 ……居間には炬燵もあるしね。


 暖炉に火を入れられない代わりは、炬燵に務めてもらう。

 早速レオナルドの買ってきてくれた猫の湯たんぽへとお湯を入れてもらい、炬燵の中に設置した。

 あとは炬燵用にと作ってもらった薄い布の靴に履き替え、回転座椅子に座る。


「コクまろも炬燵に入りますか?」


 暖炉の火がついていないため、黒柴が寒いかと思って誘ってみたのだが、黒柴は少し顔をあげただけで炬燵の中へは入ってこなかった。

 毛の短さ的には黒犬オスカーの方が寒がりそうなのだが、黒犬は誘うだけ無駄だと判っているので声もかけない。

 黒柴以上にしっかり躾けられている黒犬は、自分の仕事を理解していてアルフレッドの命令は聞かないし、ベルトランがいる場所以外では決して私の側を離れなかった。

 

 ……でも、なんか変な気がする。


 ボビンレースの指南書になる予定の原稿から顔をあげ、対面に座って刺繍をするヘルミーネとエルケの顔を盗み見る。

 二人とも子どもが一人迷子になっているというのに、それほど心配している様子がない。

 大人ジゼルが一緒にいるはずである、という安心もあるかもしれないが、アルフレッドたちの反応も落ち着いたものだった。


 ……ヘルミーネ先生は今夜の過保護を思えば、他所の子どもとはいえ心配なんてしていないはずないし?


 私とエルケを動揺させないために、わざと感情を隠して落ちついて見せているのかもしれない、とは考えられる。

 ヘルミーネはそれぐらいできる大人の女性だ。


 不自然なのは、エルケである。

 エルケは私よりほんの少しだけ年上ではあるが、普通の子どもだ。

 実家が商売をしているというだけあって、一通りの礼儀作法は身につけていたし、王都に来る前にカリーサから貴族を相手にする手ほどきも受けていた。

 落ち着きある行動は私以上に取れていると思うのだが、だからといって友人が迷子になっているという状況で心配を表情おもてに出さないのはなんとも違和感がある。


 なにか変だと確信したのだが、それを問い質すより先に耳が玄関から聞こえる物音に気が付いた。


「ペトロナちゃんが帰ってきたのでしょうか?」


 そのわりには静かだったな、と不思議に思いつつも、玄関ホールに向かう。

 馬車が来れば気が付くかと思っていたのだが、来訪者は馬車ではなく馬で離宮へ訪れたらしい。


「あれー? レオナルドお兄様だ」


「ティナ。なんでまだ起きているんだ? 子どもはとっくに寝ている時間だろ」


 玄関ホールに顔を出すと、レオナルドが立っていた。

 レオナルドはそろそろ日付が変わるかという時間に、私が出迎えたのが不思議なのだろう。

 かすかにアルコールの匂いを漂わせながら首を傾げた。


「お仕事は終わったのですか?」


「終わったぞ。終わったから帰ってきたんだ。……もしかして、俺の仕事が終わるのを待っていてくれたのか?」


「それは違います」


 一瞬だけ困ったような、嬉しそうな顔を浮かべたレオナルドを、間髪いれずに地獄へと突き落とす。

 私は別にレオナルドの帰りを待っていたわけではない。

 待っていたわけではないのだが、迷子のペトロナが戻らないという不安な状況で帰ってきたレオナルドは、普段よりも心強く思えるのも確かだった。

 嬉しさと心細さも手伝って、そのままレオナルドの腰へとハグをする。

 そうすると、大きな手で頭を撫でられたあとに抱き上げられた。


「……なにかあったのか?」


 私のあとに続いてやって来たヘルミーネとエルケに、レオナルドが顔を引き締める。

 私だけではなく、ヘルミーネとエルケまで出迎えれば、離宮で異常が起こっていることは判ったのだろう。

 レオナルドに抱き上げられているところをばっちり見られたので、明日はヘルミーネからお説教を戴くことになるが、今はペトロナの心配をする。

 抱っこは禁止ですよ、とヘルミーネへ『これはレオナルドが勝手にやったのだ』『私がねだったわけではない』と無駄な足掻きを見せつつ、ペトロナが街で迷子になっているのだ、とレオナルドに話した。


「……それでティナたちは、心配で寝ていないのか」


大人ジゼルが一緒のはずなのですけど、夜のお祭りでみんなとはぐれたら心細いと思います」


 私の場合ははぐれたのではなく、保護者であったはずの人間カーヤに夜の祭りで放り出されるということがあった。

 幸いグルノールの街は治安がよかったし、通りのそこかしこに騎士や兵士が立っていたため事件や事故には巻き込まれることもなかったが、それでもあの日の帰り道に感じた最低な気分は今でも記憶に残っている。

 あんな夜の思い出と似たものを、ペトロナに持たせたくはない。

 夜が明ける前に、ペトロナが一人で離宮へ戻る前に、ちゃんと誰か大人に見つけられて、保護されてほしかった。


「……よし。では、俺も一緒に待つか」


 ペトロナの帰りを待ちたいと伝えると、レオナルドは先に寝ろとは言わなくなった。

 王都へと戻って来たばかりのところで軍神ヘルケイレスの祭祀という仕事を終えてきたはずなのだが、休息を取るよりも私に付き合ってペトロナの帰りを待ってくれるらしい。

 ならば、と居間の炬燵へと誘い、カリーサに夜食を用意してもらう。

 今夜の夜食は、『イツラテルの四つの祝福』になり損ねた材料で作った、一口サイズのタルトだ。

 中に陶器の人形は入っていないが、昨年と同じカリーサ作の『イツラテルの四つの祝福』である。







 炬燵で夜食とお茶をいただきながら、レオナルドの近況を話せる範囲で聞く。

 私の近況はすでにあらかた話してあったので、あとは平和的な報告をするだけだ。

 さっそく聖人ユウタ・ヒラガの秘術の一つが完成したという話をすると、さすがのレオナルドも驚いていた。

 オレリアの死でセドヴァラ教会に激震が走っていたのだが、まさかこんな短時間で一つとはいえ秘術が復活するとは思ってもいなかったらしい。


「レオナルドお兄様は、冬はいつまで王都にいられるのですか?」


「冬の間はいられると思うが……春になったらまたルグミラマ砦へ行きたいと考えている」


 一人で留守番はできるか、と顔を覗きこまれたので、一人じゃないですよ、とレオナルドの鼻を指ではじいてやった。


「グルノールの街からエルケちゃんとペトロナちゃんが来てくれたり、カリーサが来てくれたり、ヘルミーネ先生もついていてくれるので、ちゃんとお留守番できます」


 任せてください、と薄い胸を張って気が付いた。

 そういえば、エルケとペトロナにはうっすらと胸らしい膨らみができ始めている気がする。


 ……まさか少しずつ大人に近づいていく微妙な年齢の少女を狙った誘拐事件……っ!?


 あまりにも帰りが遅い、と心配した結果、こんな妄想が頭を過ぎる。

 以前に偽ゴドウィンの顛末を聞いたので、余計にこんなことを思いついたのかもしれない。


「……馬車が近づいてくるな」


「ぁい?」


 夜明けにはまだ早い、それでも夜とは言いがたい、世界がうっすらと明るい時間になって、レオナルドがこんなことを言い始めた。

 離宮へと近づいてくる馬車の音が聞こえる、と。

 レオナルドが顔をあげて窓へと視線を向けるので、寝落ちしそうな頭で私も窓を見る。

 馬車の音など聞こえないと思うのだが、遠くにランプの明かりが見えた。


「本当れす。今度こそペトロナちゃんれしょうか?」


 半分寝ぼけて舌が回らないながら、窓辺に張り付いて外を見る。

 馬車の影が目に捉えられる距離になって、ようやく車輪の音が聞こえてきた。

 炬燵から出て玄関ホールへと迎えに出ると、アルフレッドとアーロン、それから眠そうな顔をしたペトロナが入ってくる。


「おかえりなさい、ペトロナちゃん!」


「ただいま、もどりました……」


 微妙に反応が悪いのは、ペトロナも寝落ちしかけているからだ。

 迷子になって気疲れをしたのが原因かもしれない。


「ペトロナも疲れているだろうから、今夜のところはもう眠るといい。事情を聞くのは明日でも構わないのだろ?」


「事情はすでにジゼルから聞き始めています」


 ジゼルは自分おとなが一緒にいながら、こんな時間まで迷子になってしまったことについてを報告書として纏めているらしい。

 今夜は離宮へは戻れないので、私の不寝番はレオナルドと交代で行いたい、とアーロンが言う。


 ……レオナルドさんだって、今日帰ってきたばっかなのにね。


 と、考えて思いだした。


 ……違った。レオナルドさん、昨夜はお楽しみだったんだ。


 じゃあ、お疲れのところへさらにもうひと働きしてもらってもいいか、と思えるのだから、私は王都に戻って真っ先に自分の元へと顔を出さなかったレオナルドに対して相当腹を立てていたらしい。

 娼館ふうぞく通いは以前からあったが、下半身を長く顔を見せていなかった家族いもうとより優先したことが面白くないのだと思う。


 今夜は一緒に寝よう、と言ってエルケとペトロナを寝室へと連れ込む。

 主従の区切りとしてこれまではしてこなかったのだが、今夜ばかりは特別だ、とヘルミーネが許してくれた。

 ヘルミーネはレオナルドには厳しいのだが、私にはけっこう甘いと思う。


 ……ジゼルも、あんまり怒られないといいね。


 事情は聞いてみないと判らないが、ドジなところのあるジゼルである。

 迷子になったとしても、故意ではないはずだ。

 同情の余地はあるはずなので、それほど怒られなければいい。


 そんなことを考えながら、ペトロナを挟んで三人で並んで眠った。

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