第56話 王都の神王祭

 ほとんど荷物を下ろしただけで、レオナルドは神王祭の打ち合わせへと出かけていった。

 次に離宮へ戻ってくるのは、軍神ヘルケイレスの祭祀が終わったあとだ。

 まだまだ甘え足りないのだが、こればかりは仕方がない。


 ……お仕事が終わったら、甘え倒しますよ。


 神王祭に備えて居間の暖炉が掃除されているため、自室で猫の湯たんぽを撫でる。

 戻ったばかりですぐに出かけていったレオナルドに気を遣ってか、フェリシアとアルフレッドがそれぞれにお菓子を持って訪ねてくれた。


 ちなみに、親子猫の湯たんぽは炬燵の中で使うことにして、可愛い猫湯たんぽと少し不細工な猫湯たんぽはエルケとペトロナに贈った。

 私が自室で使うものは「リアルで怖い」とペトロナに不評だった湯たんぽだ。

 ベッドの中で使うので、リアルで怖かろうとあまり意味は無い。


 ……この湯たんぽ、正面から見せるとコクまろの尻尾が下りるんだよね。


 どうやら黒柴コクまろはリアルな見た目をした陶器製の湯たんぽが不気味なようだ。

 今も時々テーブルの上を気にしながら、それでも私の足元に控えていた。


「今年の神王祭も、レオナルドお兄様と別々ですね」


 神王祭は家族で夕食を取るようなのだが、神王祭に私がレオナルドと夕食をとったことはない。

 一度目の冬はレオナルドがマンデーズ砦へ行っていたし、昨年はオレリアの家で過ごした。

 砦で祭祀を行うことを考えれば、今後もレオナルドと夕食をとることはないだろう。

 それこそ、レオナルドが砦の主を辞めない限りありえないことだ。


「レオナルドがいなくて寂しいのなら、夕食は国王夫妻の席へ呼ばれるか?」


 兄弟の数だけは多いから、寂しさなんて感じないだろう、とアルフレッドに誘われて、少し考えてみる。

 エセルバートは領地へ戻っているので、国王一家の夕食の席に付くのはクリストフ、その妻三人、十五人の子どもたち、さらに孫が何人かいたはずだ。

 少なくとも王女が二人抜けているはずだが、それでも多い。


「……それだけ人がいたら、逆に寂しくなる気がします」


 どれだけ多くの人間がいようとも、その中に私の家族はいないのだ。

 周囲が賑やかなのと、孤独を感じないのとでは、また違う話だと思う。


「ご家族水入らずを邪魔するのも嫌なので、お二人は楽しんで来てください」


「邪魔だなんて思わないから、クリスティーナもいらっしゃい」


 レオナルドを神王祭に拘束するのは国の都合でもあるのだから、とフェリシアは言う。

 レオナルドの不在で寂しいのなら、一緒に過ごそう、と。


「……今年はグルノールから来てくれた友人と過ごすことにします」


 家族と離れて寂しいというのなら、エルケとペトロナも同じはずだ。

 神王祭は二人を休暇ということにして、私の友人として離宮で過ごしてもらうのもいいと思う。


「では、私も離宮で過ごすか」


「アルフ」


 子どもだけというのも不安だろう、と言ってアルフレッドが神王祭を離宮で過ごすことにすると、フェリシアが可愛らしく唇を尖らせた。

 普段は『お姉さん』といった大人の余裕をみせるフェリシアだったが、弟にはこういった甘えた仕草も見せるらしい。


 ……しっかり者の美人で、甘えん坊可愛いとか、フェリシア様卑怯だ。


 これで服を着るようになってからは近づき難さが緩和されたため、ますます信者が増えている。

 ただし、新しく増えた信者はフェリシアの美の崇拝者ではなく、恋の奴隷たちだ。


「あなたも父上たちのもとへ顔を出しなさい」


「顔を出すぐらいはしますよ、フェリシア姉上。顔を出したあとは、離宮こちらへ戻ってクリスティーナの子守をしますが」


 ならばアルフレッドの代わりに自分が残る、と言いはじめたフェリシアに、アルフレッドが少し困ったような顔をする。

 アルフレッドにしては珍しい表情だな、と眺めながらフェリシアを宥めて送り出した。


「……アルフレッド様も、行ってきてくれて大丈夫ですよ?」


 留守番はできるし、離宮には護衛もいる。

 友人二人も、カリーサもヘルミーネもいるので、それほど寂しくもない。

 今日は充分とはいえないが、一度レオナルドの顔を見ているのだ。


「実のところ、私の顔を見るたびに母上から早く結婚しろと催促をされてな」


「体よくわたくしをお断りの理由につかったのですね」


 私の子守というのはただの言い訳で、母親の結婚しろコールから逃れたかっただけらしい。

 そんな理由で神王祭の家族での晩餐を辞退していいのだろうか、とは思うが、私が遠慮をする必要はなさそうだ。

 アルフレッドには、ありがたく留守番に付き合ってもらうことにした。







 ソラナに掃除が終わったので、と呼ばれて居間に入る。

 掃除したばかりの暖炉へと薄く引かれた灰に、エルケとペトロナと並んで三人分の手形をつけた。

 このおまじないは子どもの居る家でするそうなので、エルケとペトロナの手形をつけておく必要もあるのだ。


「クリスティーナ、クリスなる人物から贈り物が届いているぞ」


「クリス?」


 アルフレッドがソラナから受け取った贈り物の箱に、誰だろうと考えて、思いだす。

 頻繁に使ってはいないが、クリスというのはクリストフのほとんど自称としか言えない偽名だ。


「王都の『イツラテルの四つの祝福』は、チーズケーキなのですか?」


「そんなわけはないだろう。クリスなる人物の特注だ」


 今年の『イツラテルの四つの祝福』は、見た感じはエッグタルトだろうか。

 タルト生地を皿にして、スフレタイプのチーズケーキが収まっていた。


 ……タルトのお皿でチーズケーキを作るんなら、レアチーズケーキでいいと思うんだけどね?


 相変わらずレアチーズケーキは見かけないので、この世界にはまだないのかもしれない。

 夏場に氷菓子を食べることもできるが、氷を運ぶ費用がかかりすぎて貴族でもなければやり難い贅沢だ。

 レアチーズケーキは作るのに冷蔵庫が必要だった気がするので、レシピを記憶する転生者がいたとしても、再現し難いのだろう。


「ソラナ、今年の『イツラテルの四つの祝福』が届いたので、厨房でカリーサが頑張っていたら止めてきてください」


「はい」


 もしも途中まで作業をしているようだったら、一口サイズのケーキにしてしまって、陶器の人形を入れないようにすればいい。

 修正もできない段階まで進んでいるのなら、使用人たちで切り分けるのもいいかもしれなかった。


「三人とも、今日は昼寝をたっぷりしておくように」


「お昼寝ですか?」


 エルケとペトロナには午後から休みを与えるということで、二人とも今は女中メイドのお仕着せではなくお嬢様らしい服を着ている。

 今日は私の友人として過ごすということで、アルフレッドからの扱いは私と同列だ。

 三人仲良く、子ども扱いである。


「フェリシア姉上が仮装を作っていただろう。せっかくだからな。夜祭に連れて行ってやろう」


「夜祭って、危なくはないのですか?」


 王都の夜祭ともなれば、グルノールよりも人通りが多いだろう。

 少し想像するだけでも、子どもが出歩いて良いものとは思えなかった。


「内街の子どもは毎年普通に参加しているぞ? それに、連れて行く子どもは三人。その付き添いの大人は私とアーロン、ジゼルの三人だ」


 子ども一人につき、大人が一人付き添うことになるので、それほど危険はないだろう、とアルフレッドは言う。

 付け加えるのなら、アルフレッド自身の護衛も付いてくることになるので、余程のことでもないかぎりは迷子の心配もないだろう、と。


 午後はヘルミーネの授業があるので、夜祭への外出について相談してみた。

 グルノールの街ならばある程度の人ごみの予想もできるのだが、王都はまだほとんど知らない。

 アルフレッドの引率で出かけても大丈夫なのだろうか、と相談したところ、ヘルミーネも同行すると言い始めた。

 よく考えなくとも、一度神王祭で精霊に攫われているので、私から目を離すのが怖いのだろう。


 たっぷりと昼寝をしたあとは、普段より少し豪華な夕食だ。

 家長役にアルフレッドがいるのだが、『イツラテルの四つの祝福』を切り分けたのはソラナだった。

 ソラナに切らせると、大きさが不揃いになるらしいのだが、アルフレッドにはそこが良いらしい。

 夕食のあとにみんなでリバーシをして遊び、勝った人から不揃いに切られた『イツラテルの四つの祝福』を選んでいる。

 もしかしなくとも、リバーシの賞品にするためだけにソラナに切らせたのだろう。


 ……今年は間違えませんよ。淑女ですからね。


 思考が淑女かはともかくとして、『イツラテルの四つの祝福』を皿の上で少しずつ崩して食べる。

 以前は何も考えずに食べて、口の中から陶器の人形を取り出していたが、この方法は淑女として少々お行儀がよろしくない。


「あ、中から竜が出てきましたよ」


 竜の人形の意味は知恵と長寿だった気がするのだが、私の来年の運勢ということは、順調に聖人ユウタ・ヒラガの秘術の復活が進むと思いたい。

 続いてペトロナのお皿から花の人形が出てきて、王冠はアルフレッドの皿から現れた。


「また王冠か。なぜか毎年王冠が出てくるのだが……」


「王冠が不満でしたら、アルフさんと『イツラテルの四つの祝福』を食べたらいいですよ」


 グルノールの街ではアルフが王冠を引き当てていた。

 アルフとアルフレッドだったら、アルフの方に運があってほしいと思うのは秘密だ。

 なんとなくだが、アルフはアルフレッドに振り回される人生を送っているような気がするので、こういった遊びでぐらいは幸せを掴んでほしい。


「……まず、アルフが私と神王祭を一緒に過ごしてくれないのだが」


「そこはアルフレッド様が口説き落とすしか?」


「嫌がられそうだな。しかし、そんな嫌がるアルフもまた愛おしい……」


 ……そんなことばっか言ってるから、嫌がられるんだと思いますけどね。


 アルフが妹のように可愛がっているソラナを人質にとればあるいは、などとアルフレッドが物騒なことを言い始めたので、平和的な方法でお願いします、と釘を刺す。

 アルフレッドの口から自分の名前が出るたびにソラナがビクリと震えるのが、私の座っている位置からはよく見えた。


 ……アルフレッド様、なんでこんなにソラナから怖がられてるの?


 私に対してはそれほど迷惑な人ではないのだが、アルフレッドのの部分を知るソラナには恐れる理由があるのだろう。

 グルノールへ戻る時には一緒に連れて行ってくれ、と以前泣きつかれたことがあるが、少し本気で考えてあげた方がいいのかもしれない。


 ……や、そもそもソラナって、アルフレッド様から借りてるんだった。じゃあ、引き抜きでもしないと、連れて行けないや。


 ごめんねソラナ、と心の中でだけ詫びて、美味しく今年の『イツラテルの四つの祝福』を口の中へと運んだ。







 神王祭は仮装ということで、フェリシアの作ってくれたふくろうのコートを着込む。

 今夜は以前のお茶会とは違って、仮装のフル装備だ。

 毛皮と作り物の羽で作られたワンピースと、膝丈のかぼちゃパンツはかなり温かい。

 梟のまるっと感を出すために裏地にも毛皮が使われているため、冬の夜空の下を歩いても風邪はひかないだろう。


「意外に前が見えますね」


 梟の顔がフード部分にあるため、今夜はフードを目深く下ろす。

 視界は少し悪いのだが、思ったほど何も見えなくはない。

 私自身は確認することができないのだが、これで人間サイズの梟の完成だろう。


 馬車から降りると左手をアルフレッドが、右手をヘルミーネが掴む。

 迷子対策だと思うのだが、さすがに赤ん坊扱いのしすぎだ。

 振り返ってエルケとペトロナを確認すると、二人は引率役の大人と手など繋いではいなかった。


 ……まあ、視界不良については二人も同じぐらいかな?


 私の梟に合わせて、とカリーサが作ってくれた二人の衣装はフード付のコートだ。

 やはりフード部分に梟の顔がついていて、フードを被ることで梟の仮装の完成になる。


「さて、まずはどこへ行きたい?」


「アルフレッド様にお任せします。どこにどんなお店があるかも、知りませんので」


「そうだな……。まずはクリスティーナが好きそうなお菓子の露店に行くか」


「お菓子は買っても食べられませんよ」


 見てください、と両手をパタパタと振って見せる。

 私が両手を振ると、それぞれを握るアルフレッドとヘルミーネの手も振られた。


「……特別に私が食べさせてやろう。本当に特別だぞ。アルフ以外にはしたことがないからな」


「よくアルフさんが素直に食べましたね」


「素直に食べてくれないから、食べてくれるまで付き纏った」


「うわぁ……」


 ここにはいないアルフに同情しつつ、美味しくお菓子を食べさせてもらう。

 食べさせてやる、とアルフレッドは言ったが、棒についた飴菓子であったため、ほとんど口に突っ込んだだけだ。

 口に棒飴を入れて歩くというのも行儀が悪い気がするのだが、今夜ばかりはヘルミーネも見逃してくれるらしい。

 あれもこれも、とお薦めの物を買い始めたアルフレッドに、ヘルミーネの空いた右手にはどんどんと荷物が増えていった。


「可愛い」


 ランタンを並べた露店で足を止める。

 手にとってみたくて手を伸ばすと、するりとアルフレッドの手が解かれた。

 売り物なので落とさないよう両手で手にとりたい、と思ったのだが、ヘルミーネの握っている右手はランタンへと手を伸ばそうとした時に強く握りしめられてしまう。

 アルフレッドは少しの自由は与えてくれるが、ヘルミーネはダメらしい。


 ……そういえば、精霊に攫われたのって、ヘルミーネ先生と神王祭を回っている時だったしね。


 ヘルミーネが私の手を離せないのは、仕方がないことなのかもしれなかった。


 ……あれ?


「今夜精霊に攫われたら、オレリアさんに会える?」


 もしかして、と思ったことを口にしたら、ランタンを見上げたためにずり落ちそうになっていたフードをアルフレッドに直される。

 冗談でもそういうことは言うな、と少し低い声で注意されてしまった。


 ……あの時、お父さんたちに逢えたから、オレリアさんにも会えるかな? って思ったんだけどね。


 冗談では済ませられない程に心配をかけたという自覚もあるので、故意に仮装を解こうとは思わない。

 今私が姿を消せば、グルノールで行方不明になった時以上の迷惑を周囲にかけることになるだろう。


 ……あ、でもレオナルドさんは王都にいるわけだから、私が帰ってくるのも離宮の暖炉?


 それならそれほど心配はかけないはず、と思いかけて、ゆるく頭を振る。

 そもそも、忽然と姿を消すこと自体が問題なのだ。

 すぐに見つかる可能性があるからといって、故意に精霊に攫われるわけにはいかない。


 可愛いな、と思って見ていた魚の形をしたランタンを買ってもらい、アルフレッドへとお礼を言う。

 これは自分で持ちたいのだが、今夜の保護者たちはそれを許してくれるだろうか、と顔色を窺い、ヘルミーネの表情に気がついた。


「あれ? ペトロナちゃんは?」


 背後を振り返って固まっていたヘルミーネに、私も背後を振り返る。

 エルケとアーロンのコンビはすぐ後ろにいたのだが、その後ろに続いていたはずのペトロナとジゼルの姿が見えなかった。


「まさか、ペトロナちゃんが精霊に攫われた!?」


 もしくは、ジゼルがいつもの調子で迷子にでもなったのだろうか。

 ペトロナを心配する私とヘルミーネの横で、アルフレッドは余裕の表情をしていた。


「……迷子にしても大人ジゼルも一緒なのだから、そう心配することはないだろう」


「え? 一緒にいるのジゼルですよ? むしろ心配しましょう!」


「クリスティーナの中でジゼルの信用度はどうなっているんだ?」


「コクまろ以下です!」


 ジゼルは誠実で真面目な努力家だとは思っているが、少々どころではなくドジで抜けたところがある。

 大人と一緒だからといって、ジゼルは安心していられる『大人』ではない。


「ジゼルはあれでも一応騎士だから、近づいたら不味いところへは子どもを連れて近づかないだろう」


 しばらくは二人を探しながら露店を回ろう、ということになって、周囲をよく見るためにフードを下ろそうとしたら止められた。

 迷子の友人を探すためであっても、私は仮装を解いてはいけないらしい。

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