閑話:レオナルド視点 小さな淑女(?) 5
軍神ヘルケイレスの祭祀が終わって、まっすぐに離宮へと帰る。
少々酒の匂いが体に付いた気がするが、離宮へと寄った俺にティナは匂いを嗅ぐ仕草をみせた。
下手に匂いを落として帰れば、風呂屋に寄ったことがバレたように、また寄り道を疑われるだろう。
今夜のところは真っ直ぐ帰り、ティナの機嫌を取った方がいい。
……まあ、真っ直ぐ帰ってもティナは寝ているんだがな。
夜祭に出かけるにしても、出かけないにしても、離宮に到着するのは深夜で、どう考えてもティナは眠っているはずの時間だ。
今夜のうちに可愛い妹の顔をもう一度見ることはできない。
そう思っていたのだが、離宮の扉をくぐるとティナが眠そうな顔をしながら出迎えてくれた。
「もしかして、俺の仕事が終わるのを待っていてくれたのか?」
出迎えに来てくれたティナに、淡い期待を込めて聞いてみたのだが、俺の妹は正直者だ。
眠そうな顔をしているのだが、そこはきっぱりと「違います」と言い切る。
無常にも兄の期待を裏切ってくれた妹なのだが、やはり思うことはあるのか腰へとひっついてきた。
ほぼ四ヶ月離れていただけなのだが、ティナの頭が少し近くになった気がする。
この四ヶ月の間に背が伸びたのだろう。
ティナが可愛くなってつい抱き上げてしまったのだが、ティナのあとに続いて出てきたハルトマン女史と目が合い、その目が光るのを見逃さなかった。
……あれは『またティナを甘やかして』という顔だ。これは後でくどくどと言われる。間違いない。
一応は砦から帰って来たばかりの身なので、長い説教は勘弁してもらいたいものなのだが、ティナは「レオナルドお兄様、抱っこは禁止ですよ」と言って、兄を売って己の保身に走る。
ティナを抱き上げたのは俺なので、たしかに俺が悪いのかもしれないが、もう少し
そんなことを考えつつも、ヘルミーネに続いてエルケまで姿を見せたことから、離宮で何かが起こっていることはわかった。
何があったのかと聞くと、ティナはしゅんと顔を伏せ、夜祭でジゼルとペトロナが迷子になっているのだ、と教えてくれる。
……ペトロナはまだしも、
それはおかしい、とすぐに判った。
まだ子どもであるペトロナが迷子になるのなら解るが、大人のジゼルが迷子になるなんてことはありえない。
ジゼルはペトロナと違って、王都に住む貴族の娘だ。
自宅は貴族街にあるはずだが、内街へはそれこそ子どもの頃から出ているはずだ。
隅から隅まで知っているはず、とは白騎士であることを加味すれば期待のしすぎかもしれないが、祭りの露店を回るだけならそう入り組んだ道へ入ることはない。
……エルケの様子も、落ち着きすぎているな。
友人が迷子になっている、という意味ではティナと条件は同じはずなのだが、エルケはペトロナの心配よりもティナを宥めることに務めているようだ。
不安そうは不安そうな顔をしているのだが、切羽詰った雰囲気はない。
ペトロナを待つというティナに付き合って居間へ行くと、暖炉の火は入れられていなかった。
精霊に攫われた子どもは暖炉から帰ってくる、ということで、ペトロナが帰ってくるまでは暖炉の火が入れられないらしい。
それでは寒いだろう、と言ったら、ティナは秋に作ったという炬燵についてを話して聞かせてくれた。
中の熱を逃がさないようにカバーをかけたので、それなりに暖かいテーブルだ、と。
……湯たんぽは炬燵に使うために欲しがったんだな。
炬燵の中央に置かれた湯たんぽがほのかに温かい。
ティナたちは炬燵の中で布の靴をはいているそうなのだが、湯たんぽがあるのなら確かにそれで暖かいだろう。
お互いの近況を語りながら、ペトロナの帰還を待つ。
起きて待っていると言うのだが、ティナは時折舟をこぐ。
これは完全に寝てしまったか、と思ってベッドへ運んでやろうとするとビクリと起きて、「寝てませんよ、起きてまふ」と舌っ足らずに言っては怒った。
起きてペトロナの帰りを待つのだから、ベッドへ運び込む必要はない、と。
そうこうしている間に夜明け近い時間となり、アーロンがペトロナを連れて戻った。
ジゼルは報告書という名の反省文を書いているという説明に、ティナはあまり怒らないであげてくださいね、と言ってペトロナたちを連れて寝室へと消える。
ペトロナが戻って、ようやく安心して眠れるのだろう。
ジゼルがいない分、今夜はアーロンと交代で不寝番をすることにして、最初はアーロンに任せる。
アーロンと一緒に離宮へと現れた人物に、どうしても確認しておきたいことがあったのだ。
「……それで、どうしてグルノールにいるはずのうちの副団長が王都にいるんだ?」
ティナにアルフレッドとして扱われているらしいアルフを捕まえて、そのままズバリと聞いてみる。
回りくどいことは得意ではないし、アルフ相手に俺の搦め手など、のらりくらりとかわされて終わるだけだ。
ならば最初から直球で訊ねた方が早い。
「やはりおまえにはバレるか」
母親以外にはバレなかったのだけど、とアルフは肩を竦める。
アルフは
考え難いのだが、なにか理由があってのことだろう、と見逃されているか、アルフレッド本人よりもきっちり公務をこなすため、これ幸いと考えているのかもしれない。
あの二人はアルフより、一枚も二枚も
「……ティナは結構おまえに懐いていたと思うんだが、気付いていないのか?」
「それらしい反応はないな。人真似のコツは、少し大げさに演じることだ」
アルフレッドのしでかした数々の迷惑行為をアルフレッド視点で語ったところ、ティナはアルフに同情しつつも、自分の隣にいる男がアルフだとは気付きもしなかったらしい。
それでいいのかと少しだけティナの将来が心配になったが、もともと顔の似ているアルフとアルフレッドだ。
お互いがお互いとして振舞えば、絶対の自信を持って見分けられる人間は少ないだろう。
「それで、今夜はティナに隠れて何をしていたんだ? 王都育ちの
「ティナから近況は聞いているだろう? ジゼルとウルリーカの行っていた潜入捜査の大詰めだな」
髪の色が判らないように仮装させたペトロナをティナの代わりに誘拐し、加担した人間を一網打尽に捕縛してきたのだ、とアルフは言う。
ペトロナは捕り物騒ぎに付き合ってこんな時間まで戻ってこられず、ジゼルは捕まえた人間たちの中に自分の評判の悪い兄弟と叔父の名まで見つけ、ショックを受けているらしい。
兄弟の犯した罪は、自分の罪でもある、と。
「……潜入捜査だったのだろう? ジゼルに咎はないはずだ」
「私もそう言ったのだが……とにかく親族と牢に入りたいの一点張りだ。さすがに同じ牢には入れなかったが、落ち着くまでは隔離してある」
ジゼルの扱いを聞いて、ひとまず安心する。
これならば、ティナが悲しむ結果にはならないだろう。
親族の裏切りにショックが大きすぎて興奮しているようだが、時が経てば落ち着くはずだ。
「それにしても、まさか子どもを囮に使うとは……」
「ペトロナにもエルケにも、事前に事情を話したうえで協力を求めたぞ。エルケは、落ち着いたものだっただろう?」
「落ち着きすぎだ。俺でもおかしいと気が付いたぞ」
ペトロナが戻る前のティナとエルケの様子を思い返し、エルケの落ち着いた様子に納得がいく。
事前に話を聞いたうえで協力をしていたのだから、何も知らないティナを宥めることに集中もできただろう。
ティナに何も知らせなかったのは、知ればティナは自分が囮になると言い出しかねないからか。
方法はともかくとして、ティナへと事前に知らせるか知らせないかについては、俺でも同じ選択をする。
「とりあえず、これでティナ周辺の厄介ごとはある程度掃除できたかな」
不穏な華爵・忠爵が一掃できて、クリストフも喜んでいるらしい。
今夜捕まったのは、他人を陥れてまで自分を上げようとした人間たちだ。
遅かれ早かれ、なんらかの企てを起こして失脚することになっていたかもしれない人間たちである。
潜入捜査として犯行を煽りはしたが、実際に犯行に手を染めたのは彼等の責任だ。
ジゼルが気に病む必要はない。
「……おまえの手腕が見事すぎて怖い」
アルフが「一掃できた」と言うのだから、本当に一掃したのだろう。
これで俺も安心して次の春も王都を離れることができる。
できるのだが、手放しでは喜べない何かもやはりあった。
……ティナにこの腹黒さが
アルフから貴族としての立ち回りを吸収するのは、これ以上いないと言える手本なのだが、貴族の裏の顔までアルフから学ばれては、可愛い妹が最凶の妹になってしまう。
ティナが貴族社会で生きていくために必要なことだと解ってはいるのだが、ティナには今のままでいてほしい気もしている。
「そういえば、おまえがよく王都に来る気になったな」
「王都に寄り付きたくないのは、おまえも同じだろ。私の場合は、近寄りたくないものは私の代わりに砦へ詰めてきたしな」
アルフが王都でアルフレッドの振りをしているのだから、当然といえば当然なのだが、グルノールの街で砦を守っているのはアルフレッドらしい。
この時期に王子を国境近くに配置するのはどうかと思うのだが、アルフとアルフレッドの間で合意しているのなら、俺が考えることではないのだろう。
というよりも、正直二人の間に入ってアルフレッドの嫉妬を受けるのが面倒だった。
「俺はティナのためなら王都ぐらい来るさ」
「私も同じだ。オレリアが大切にしていたティナのためなら、苦手な相手が一人や二人いるぐらい……なんということはない」
アルフが苦手としている人間の一人は、意外というか、第一王子エルヴィスだ。
中身が腹黒いところもあるアルフには、あの善意の塊といったエルヴィス王子が恐ろしいらしい。
およそ他人を嵌めようだなんて欠片も考えていなさそうな穏やかな微笑みに、なんともいえない敗北感を覚えるのだとか。
「……そうだ。ティナの厄介ごとといえば、ベルトラン殿のことはもう少し様子を見てやってくれ」
「ベルトラン殿の様子をか?」
「ティナが自分の功績を譲るから縁を切ってくれ、と言い出したところ、かたくなに功績を受け取ることを拒んだ。不器用すぎるが、功績を得られる跡取りより、孫そのものを取り戻したいようだった」
ベルトランにはティナへ歩み寄る気があるようだった、と言うアルフの言葉に瞬く。
あのベルトランから歩み寄りの姿勢を引き出すとは、ティナはいったいベルトランに何をしたのだろうか。
それとも、それほどまでに自分の
……そう、だな。俺もベルトラン殿の立場だったら、なんとしてでも家族を取り戻したいと思うかもしれない。
もしも将来ティナが誰かと駆け落ちをして、見つけ出した時に子どもを残して死んでしまっていたとしたら、俺はその子どもを引き取りたいと思う。
俺の元から可愛い妹を攫った憎い男の血が半分流れていようとも、その子どもはティナの半分を受け継いでいるのだ。
俺にとっても甥姪であることに変わりは無い。
「……そんな鬼みたいな形相にならなくても、ティナからの和解の条件は『おまえと一緒にいられること』だったぞ」
祖父と孫と認め合うことがあったとしても、俺の妹として一緒にいることだけは譲れないとティナが言ったらしい。
たまに会う程度の距離感なら、祖父と孫でも良いのだとか。
「たまに会う距離感というと……ティナが王都に住むか、カンタール領に住むか、ベルトラン殿が頻繁にグルノール砦へと来ることになるが……」
最後はおよそ現実的ではない。
それを可能にするのなら、ティナの従兄弟へと家督を譲ってベルトランがグルノールへと引っ越してくる方が簡単だ。
そしてこの場合、とてもではないが『たまに会う程度』にはならないだろう。
……たしかに、しばらく様子を見るしかないようだ。
夜明け近い時間に眠ったティナは、昼過ぎに起きだしてきた。
昨夜は疲れただろうということで、エルケとペトロナは引き続き休暇扱いだ。
普段は違う時間に別室で食事をとっているのだが、今日はティナの友人として朝食であったはずの昼食をとっていた。
どこかあじあじとナッサヲルクを齧っているように見えるティナは、まだ疲れが完全に抜けていないようだ。
「今日は祭りで、街でいろいろやっているが……一緒に行くか?」
「昨日は疲れたので、お祭りへは出かけたくありません」
久しぶりに兄と出かけよう、と誘ってみたのだが、ティナには振られてしまう。
しかし、ティナの体力を考えれば、夕べの騒ぎからの睡眠は仮眠を取った程度のものなので、無理にも誘えない。
俺の体力と同じに考えてはダメだろう。
「祭りは三日間あるんだが……」
「そういえば、神王祭のお祭りって、開始の夜祭しか見たことがないような……?」
何をしているのですか、とティナが少しだけ興味を持ってくれたので、王都の神王祭について話してみる。
俺が王都の神王祭を見たのは数年前なのだが、祭りといったものは数年ぐらいではそれほど変わらないから大丈夫だろう。
「そうだな……騎士は神王祭の始まる深夜に軍神ヘルケイレスの祭祀を行うだけだが、クリストフ様は『精霊の座』で三日間祭祀を行う」
「それは……本当に三日間祭祀をしているのでしょうかね?」
クリストフ様はすごいぞ、と国王の仕事を教えてみたのだが、ティナの反応は微妙だ。
祭祀にかこつけてサボっているのでは、と疑わしそうにしている。
……まあ、たしかに祭祀の間は『精霊の座』に籠るからな。何をやっているか判らないというのはあるが。
それにしても、サボっているのでは、と国王を疑うのはいかがなものか。
仮にも、国王が大地とこの地に生きる民のために行う祭祀である。
茶化して良いものではない。
そう反省を促すと、ティナは素直に頷いた。
何事も最初から疑うのはよくないですね、と。
……最初から疑っているじゃないか。
どう伝えればティナが国王の仕事の大変さを理解し、クリストフを尊敬するのか、と考えて思いだす。
ティナは追想祭で閉ざされた『精霊の座』での祭祀を見ている。
ということは、ティナには最初からクリストフを疑ってかかるような何かがあったのかもしれない。
……そういえば、追想祭の帰りに、ティナは持たせた覚えのないお菓子を服から取り出していたんだよな。クリスなる人物にもらった、と言って。
クリスといえば、クリストフの愛称だ。
随分仲良くなったのだな、と驚きはしたが、まさか最初から本当に祭祀を行なっているのかと疑うほど砕けた関係になっているとは思わなかった。
「内街の平民は収穫祭や春華祭とあまり変わらないな。露店がいつもより増えて、旅芸人や吟遊詩人が芸を披露している。あとは……各教会しだいだな。王都のメンヒシュミ教会は神話を題材に人形劇をしている」
メンヒシュミ教会の人形劇は終わったあとに子どもたちへと焼き菓子を配るので、子どもの頃は毎年孤児院の仲間たちと見に行っていた。
他にも新しい年を迎えたその日に結婚したい、という新郎新婦が毎年何人かはいるので法と秩序を司るソプデジャニア教会から派遣される司祭の跡をつけて振舞い料理を貰ったりもした。
……食べ物の記憶しかないな。
王都で暮らしていた少年期の神王祭を思いだしてみるのだが、思考が食べ物へと逸れて行く。
ティナほどではないが、当時はいつも腹を空かせていたので、季節ごとの祭りで各教会にて振舞われる料理は数少ない楽しみだった。
あまりにも思いだされることが食べ物関係であったため、あまり思いだしたくない騎士となってからの神王祭を思いだす。
……騎士になってからは、警備の仕事をしていたな。
王城内か貴族街かという違いはあるが、それだけだ。
ティナの興味を引きそうな思い出が、俺には少ない。
「……とりあえず、今日は離宮でのんびりするか」
「そうですね。ゆっくりしてください」
無理に誘うことを諦めた俺に、ティナは可愛らしく微笑んで席を移動してきた。
対面の方が話しやすいと思うのだが、ティナは俺の隣がいいらしい。
昨夜は近況として報告の必要があることばかりを教えてくれたのだが、今日は取るに足らない内容ばかりを話してくれる。
カリーサが大きな黒い犬のぬいぐるみを作ってくれただとか、それに『カレーライス』と名をつけただとか、バシリアに可愛らしい宝石箱を貰っただとか、報告ではなく、ティナの楽しい思い出ばかりだ。
……
あれこれと思いだしながら話してくれるティナに、家族のいる家に帰って来たのだな、と心が和むのを感じる。
魔境ルグミラマ砦でささくれた心が、妹の存在だけで癒され、次の瞬間に絶望へと叩き落とされた。
「あ、あれを見つけましたよ。レオナルドお兄様が裸で壺をもった噴水!」
うちの妹は、俺にだけ容赦がない。
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