第54話 従兄弟とのお茶会 3
一人にして大丈夫かと思っていたのだが、バシリアは意外に私がいなければいないで上手く周りと馴染めるようだ。
これならば二人目、三人目の友だちができるのも、そう遠いことではないと思うのだが、私を見つけた途端に輪から出て来るぐらいなので、もう少し時間はかかるかもしれない。
「リバーシは人気のようですね」
「遊び方が簡単で、覚えやすいのですもの」
子どもたちが集まっているのは、
大人もチラホラと盤上遊戯をしているが、リバーシ盤の置かれたテーブルを使っているのは圧倒的に子どもが多い。
ルールが複雑なセークとは違い、リバーシは遊び方を聞きながらでもすぐに始めることが可能なぐらい簡単な遊びだ。
子どもが社交を学びながら行う遊びとしては、丁度よかったのだろう。
「セークが覚えられなくて始めたのですが、たった二年で貴族の間に広がっていることが不思議です」
「リバーシはアルフレッド様とアンセルム様が広めたそうですわ」
グルノールの街からリバーシを持ち帰ったアルフレッドが弟と甥へリバーシを教え、弟はアルフレッドと共に王都でリバーシを広め、国中に甥を連れ回していたエセルバートの影響でラガレットの街や他の街に住む貴族へもリバーシが伝わった。
一度リバーシをしてみれば、その簡単なルールと一手で戦局がひっくり返ってしまうこともある奥深さに、子どもだけではなく大人も夢中になったようだ。
……流行は上から下へ流すと広がる、って聞くけど、エセルバート様の行動範囲の広さも影響してるよね。
たった二年でここまで広がるとは思わなかった。
アルフレッド経由で王族の間にもあっという間に広がったようなので、彼等の遊び相手になるためにも、貴族たちは競ってリバーシを始めたのかもしれない。
「……一人、すごい子がいますね」
一際観客を背負ったテーブルを見つけ、そちらへと目が吸い寄せられる。
子どもたちが群がるテーブルなのだが、大人もチラホラとそのテーブルを覗いていた。
「すごいはどちらの意味ですの?」
「それはもちろん、仮装的な意味で?」
周囲を観客で固めたそのテーブルには、馬の耳をつけた育ちのよさそうな少年と、少々不細工な猫の被り物をした少年が座っていた。
本日のドレスコードはたしかに仮装なのだが、みな犬耳をつけたり、背中に小さな羽をつけたりと、顔が隠れるほどの本気の仮装はしていない。
それなのに、猫の被り物少年は頭をすっかり猫の頭で覆ってしまい、手には肉球つきの手袋までしていた。
あれでどうやってコマを掴むのかと手元を観察すると、肉球部分がポケットになっているようだ。
ポケットから指を出してコマを掴み、器用にも挟み込んだコマを裏返していた。
……さっきまで、あんな子いたっけ?
あれだけ目立つ仮装をしていれば印象に残ると思うのだが、まったく記憶に残っていない。
もしかしたら身内たちとの茶会のため、別室へと行っている間にやって来たのだろう。
「……あれ?」
「ご指名ですわよ」
猫と馬耳少年の間で決着がついたらしい。
少しだけ悔しそうな顔をした馬耳の少年が席を立ち、ぐるりと周囲を見渡した猫頭の少年がこちらを見てピタリと動きを止めた。
そのまま肉球のついた前足で手招かれ、その意図を察した周囲の子どもたちがワッと歓声を上げる。
「王者が挑戦者を指名したぞ!」
「今度の挑戦者は女の子だ!」
子どもたちが『王者』とはしゃいでいるところから察するに、少年があの辺りのテーブルで一番強いのだろう。
次の挑戦者は私だ、と周囲の子どもたちから期待に満ちた目を一斉に向けられ、困惑する。
……王者だ、って喜んでるところに、私が勝つのは空気読まなすぎるよねぇ?
リバーシについては一日どころではない長があるため、子どもたちの遊びの輪に加わっていくことには抵抗がある。
セークならば私も条件が同じだと思えるし、故意に勝負を操る方法も勉強中なので子どもの輪に入っていけるが、リバーシは別だ。
私が子どもたちの輪に混ざることは、卑怯がすぎる。
「わたくしは遠慮いたします。他の子と遊んでください」
そう言って断ったのだが、猫頭の少年は椅子から立ち上がって私を迎えに来てしまった。
これは角を立てずに断るのは面倒そうだ。
そう思っていると、私と猫頭少年の間にアリスタルフが割り込んでくる。
いつの間に別室から出てきたのだろうか、と瞬いているうちにアリスタルフが猫頭の少年と対峙していた。
「従姉妹はリバーシを知らないようだから、僕が相手になるよ」
……リバーシをこの世界に持ち込んだの、たぶん私ですけどね。
どうやらアリスタルフが代わってくれるようなので、この誤解は解かないことにしておいた。
王都ではアルフレッドがリバーシを広めているので、私がリバーシでそこそこに強い、なんてことは誰も知らないはずだ。
この誤解に甘えて、アリスタルフに猫頭少年を任せてしまってもいいだろう。
……それにしても。
アリスタルフは体が弱いと聞いているが、心根の優しい少年のようだ。
とてもベルトランの孫だとは思えないのだが、それを考えれば父のサロモンも同じことなので、祖母の血が色濃く出ているのかもしれない。
まさか、私を庇ってくれるような少年だとは思いもしなかった。
……あれ? アリスタルフってリバーシ強い?
代わりに対戦してくれることになったので、アリスタルフと猫頭少年の勝負を見守る。
周囲の子どもたちが猫頭少年を『王者』と呼ぶから、猫頭少年は強いのだろうと思っていたのだが、思い違いだったようだ。
それなりに強くはあるし、盤面は今のところ猫頭少年が優勢なのだが、すぐに戦局はひっくり返るだろう。
リバーシとはそういうゲームだ。
「アリスタルフ様は、リバーシがお強いのですね」
「あまり外に出られる体じゃないからね。盤上遊戯ぐらいしか、することがないんだ」
予想通りすぐに戦局をひっくり返したアリスタルフによって、勝負は終わる。
新たな王者の登場に、観客をしていた男の子たちはアリスタルフを讃え、女の子たちは猫頭少年の健闘を讃えた。
「セークもお強いのですか?」
「どうだろう。セークは母様に教わって……最近はずっと一人で棋譜を並べるだけだったから」
では私と遊びましょう、と言ってアリスタルフをセークの準備されたテーブルへと誘う。
セークなら私も人並みの子どもだ。
子どもと遊んだところで、卑怯でもなんでもない。
「……負けました。アリスタルフは強いのですね」
意気揚々と始めたものの、セークでの勝負はアリスタルフの勝ちだ。
結構粘れたつもりなのだが、今一歩力が及ばなかった。
本当にあと少しと言うところまではいけた気がするので、経験の差かもしれない。
棋譜を並べるという勉強方法は同じだが、人生経験で私の方が数年アリスタルフよりも短かった。
「クリスティーナも強いね。同い年の中だったら、一番強いんじゃないかな?」
「そちらは上手に引き分ける勉強中です」
アリスタルフの言葉から、なんとなく手心を加えられていたことがわかる。
勝ちすぎても、負けすぎてもいけないと、私で練習していたのだろう。
……これはアリスタルフと同じ年になったからって、勝てるか怪しいね。
そして、ベルトランの望む跡取りとしては違った方向の才能だろう。
あの脳筋で武功を上げた祖父殿は、孫にも自分と同じような武功を上げることを望んでいるはずだ。
孫のひ弱な体を嘆き、健康な息子たちへは体を壊すほどの鍛錬を強要した男だ。
別種の才能など、伸ばす必要はないと考えている可能性もある。
……うん?
ぬっとセーク盤に影が落ち、影の主へと顔をむけた。
そこには、先ほどアリスタルフにリバーシで敗れた猫頭の少年が立っていた。
「えっと、……代わりますか?」
アリスタルフと再戦したいのかな、と思い、聞いてみる。
セークはリバーシよりもルールが複雑なのだが、猫頭少年にできるのだろうか。
そんなこと考えたのだが、猫頭少年がこくこくと頭を揺らして頷いたので、場所を譲ることにした。
バシリアに新しい友人ができることも大事だが、アリスタルフにも友人は必要だろう。
放置癖のあるベルトランと二人だけで暮らすよりは、時折遊びに来てくれる友人ができたほうが良いはずだ。
……あらら、負けちゃった。
見たところ、猫頭少年はバシリアと良い勝負か、少し負けるぐらいの腕前だろうか。
私よりも強いアリスタルフには物足りない対戦者だったことだろう。
猫頭少年は、リバーシに続きセークでも負けたことで、ふるふると肉球のついた手を震わせていた。
『お、覚えていろよ! 次は絶対に私が勝つからな!!』
猫頭のせいでくぐもった声が響き、猫頭少年がビシッとアリスタルフを指差して宣戦布告をしたかと思ったら、椅子を蹴って立ち上がる。
そのままの勢いで出口へと向かう猫頭少年に、なぜかバシリアがあとを追った。
……そういえば、聞いたことのある声だったような?
バシリアが追いかけて行ったことを思えば、バシリアの知り合いだったのかもしれない。
次にテーブルを使う者のために猫頭少年がそのまま行ってしまったセーク盤とコマを片付けていると、神妙な顔をしたアリスタルフに「クリスティーナ」と名を呼ばれた。
「なんですか?」
「……さっき、お祖父様に言っていた言葉を取り消してほしい」
「さっきというと……どれのことでしょうか?」
ベルトランに対しては散々毒を吐いた自覚があるので、取り消せと言われても、どれを指してのことかが判らない。
まさか、すべてを取り消せとは言われないと思う。
「僕はまだ何もしていないし、できてもいない。従姉妹に功績を譲ってもらうようないわれはないよ」
……あ、
ベルトランへの毒を取り消すのではなく、功績を譲ると言ったことが、アリスタルフにとっては譲れないことだったらしい。
少し話しただけでも正直者と判るアリスタルフには、たしかに誰かから譲られた功績というものは重荷になってしまうのだろう。
「でも、こう言ってはなんなのですが……アリスタルフ様に功績を立てることはできるのですか?」
健康な体を持たず、表舞台に立つことが難しいアリスタルフに、功績を立てることは困難を極める。
武功以外の方法で、例えば新しい農耕技術を開発するだとか、聖人ユウタ・ヒラガのように薬を開発するといった腕力の必要ない研究で功績を挙げようにも、それらを研究するためにはまず体力というものが必要になってくる。
一年に何度も死に掛けるというアリスタルフには、とてもではないが出来ることではないだろう。
「……それでも、誰かから譲られた功績では、僕が納得できないんだ」
「わたくしとしては、ベルトラン様への手切れ金代わりでしかないのですが……」
男の矜持というものだろうか。
何もしなくとも手に入る功績に、アリスタルフは納得がいかないようだ。
自分では手に入れることが難しい功績だと解ってはいても、目の前にぶら下げられた功績へは手を伸ばしたくないらしい。
……真っ当な性根の従兄弟ですね。
これで健康な体さえ持って生まれていれば、ベルトランは私を連れ戻そうなどとは考えなかっただろう。
病弱な体だけが、本当に惜しい少年だった。
「……では、まずはアリスタルフ様が健康になってください」
健康になって、自分で功績を立ててベルトランが不安を感じない跡取りになってくれ、と言ってみる。
そんなことができる可能性は低いと思うのだが、本人にやる気があるのだから、応援をするぐらいはいいだろう。
私の功績を押し付ける、というのは最後の手段に取っておいてもいいはずだ。
「あ、健康への第一歩として、手始めにベルトラン様の家を出て、ソフィヤ伯母様と暮らしたらどうでしょうか?」
あんな気まぐれに怒鳴り始める祖父が近くにいては、心健やかに暮らすこともできないだろう、とアリスタルフを唆す。
心の健康は体の健康にも繋がるのだ。
ベルトランから離れるだけでも、心労は減るだろう。
「……クリスティーナは、お祖父様に冷たすぎはしないかい?」
「母を悪く言う人ですからね。このぐらいは言います」
家を出れば
独裁者な祖父ではあっても、見捨てたくは無いのだと。
「でも、それだとソフィヤ様と一緒に暮らせませんよ?」
「母様が戻ってきてくれると嬉しいのだけど……」
「それは無理でしょうね」
ソフィヤの話によると、ベルトランが一方的にソフィヤを追い出しているのだ。
どんなに息子が可愛かろうとソフィヤからは家に入れてくれとは言えないだろうし、ソフィヤの実家だってそれを言わせはしないだろう。
ついでに言えば、ベルトラン自身が己の行動を誤りであったと認めない限り、ソフィヤに頭など下げないはずだ。
私に対してだって、母への暴言については一度も詫びたことがない。
……ベルトラン様が『誰かに相談してから決める』って行動できる人だったら、違っていたんだろうけどね。
もしかしたら、それは祖母が行ってきた仕事なのかもしれない。
残念ながら、その祖母は数年前に他界しているそうだ。
暴走するベルトランを止められる家族は、残念ながら一人もいない。
「アリスタルフ様から、功績は譲られたくないと言われたのですが」
ベルトランには功績を譲るから、二度と自分に付き纏うなと言った手前、アリスタルフの願いをそのまま聞き入れることはできない。
すでに私の願いに沿う形でアルフレッドがベルトランと話しをしてくれていたはずなので、アリスタルフの願いはアルフレッドの耳へと入れておいた方がいいだろう。
帰りの馬車に揺られながらアリスタルフとの話をアルフレッドへと聞かせると、アルフレッドはすでにアリスタルフの気持ちを聞いていたらしい。
私が退室したあとの別室で、ベルトランに向かってアリスタルフが言ったそうだ。
従姉妹から譲られた功績など要らない、と。
「ベルトラン殿は、おまえの出した条件を飲まなかったよ」
「そう、なのですか?」
功績が望める跡取りが欲しかったはずなのに、目の前にぶら下げられた功績に飛びつかなかったとは、不思議な話もあったものだ。
あの家庭内独裁者のベルトランが、アリスタルフの気持ちを汲むとも思えないのだが、どういった風の吹き回しだろうか。
「わたくしに不干渉を誓ってくれるだけで功績が手に入るのに、何を考えているのでしょうね?」
「わからないのか?」
アルフレッドの声が少しだけ低くなり、真面目な話をされているのだと判る。
別室を出る時にも覚えた違和感に、姿勢を正してベルトランのことを考えてみた。
「……やっぱりわかりません」
考えてみたのだが、ベルトランが功績を取らなかった理由など想像もできなくて、早々に白旗を上げる。
わかり合える気のしないベルトランの考えなど、考えたって私にわかるわけがない。
「ティナ、ベルトランが功績を得るとどうなる?」
「功爵が忠爵になって、アリスタルフ様の子どもも貴族として数えられます」
また
先ほども妙に居心地が悪いと思った時に、愛称を呼ばれていたはずだ。
「ティナの言うそれは、功績がカンタール家に
……あ、わかった。子ども扱いだ、これ。
普段から子ども扱いをされてはいるのだが、アルフレッドのこれは、いつも以上に子どもとして扱われているのだと思う。
子どもに噛み砕いて物を説明するように、丁寧に咀嚼して私に何かを気づかせようとしているのだ。
……ベルトラン様が私から功績を受け取ったら、どうなるかってことだよね?
それはもちろん。
「わたくしへ干渉をしない、という約束を飲むことになるのですから、祖父だと触れ回ったり、家に連れ戻そうとしたりはできなくなりますね」
平和になりますね、と続けたら頬を抓られた。
何か間違えたらしい。
「ティナは少し身内に冷たすぎないか?」
「それ、アリスタルフ様にも言われましたが、わたくしの身内は、今はレオナルドお兄様だけですよ」
あとはグルノールの館にいるタビサとバルト、カリーサも含まれる。
大切な人間という意味では、今はエルケとペトロナも含まれるかもしれない。
「もとからの性格か、レオナルドが囲い込みすぎたのか……」
「もとからだと思います」
レオナルドも私を構うことは構うが、基本的には家庭教師や
兄と認識している大切な家族ではあるが、囲い込まれたと言われれば疑問がある。
……や、私自身は引き籠りがちだけどね?
それにしたって、囲い込まれたという言葉から想像するものとは違う。
「……功績を拒むベルトラン殿は、功績よりも
考えてみれば妻に先立たれ、三人いた息子すべてにも先立たれ、数人いた孫も今はアリスタルフだけである。
そこにもう一人孫が生きていると知ったのならば、手元へ呼び寄せたいと考えても不思議はないだろう、とアルフレッドは言う。
「見損ないましたよ、アルフレッド様。懐柔されてきましたね」
「ティナだって、祖父と本当にこのままで良い、というわけではないだろう」
それを指摘されれば、否定はし難い。
たしかに祖父や祖母がいるのなら存在が気になる、とは一度や二度考えたことがあるのだ。
ベルトランと父の間のすれ違いを聞いてからは断固拒否と考えを決めたが、ベルトランが他所のお爺さんとしては好印象であったことも確かだ。
「レオと離されるのは絶対に嫌です。……けど、程よく距離を保ってなら、祖父と孫でもいいですよ」
あくまで、盆や正月にたまに会う距離感の祖父であれば、ベルトランが祖父でもかまわない。
父が逃げ出した実家へは連れ戻されたくないし、
「今のままではお断りですが、そうですね……ソフィヤ様に謝罪して家に帰ってきてもらって、アリスタルフ様をまず幸せにしてみろ、ってところでしょうか?」
母を悪く言うところも気になるが、まずは手元にいる孫を幸せにしてから、新しい孫に声をかけてもらいたい。
アリスタルフを幸せにできないベルトランに、私を幸せにすることなどできるわけが無いのだ。
祖父なのだから
孫一人ぐらい幸せにする甲斐性ぐらいある、と証明して安心させてほしいのだ。
「和解は可能だが、一緒には暮らしたくない、というところか?」
「そんな感じ、だと思います」
ベルトランが功績を受け取ることを保留にした以上、こちらからはこれまで通り何もできないし、何もしない。
しばらくは様子見になるだろう。
……早くレオナルドさん帰ってこないかな。
あまり良好には見えなかったが、祖父と孫が並んだ姿を思いだし、
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