第51話 ミカエラからの言伝

「細かいメモって大事ですね」


 グリニッジ疱瘡の予防薬については、到着している材料の確認が容易だった。

 素材のほとんどがワイヤック谷で採れるということもあり、材料にはパウラの手が入っている。

 パウラは一時とはいえオレリアの指導を受けることができたため、材料作りに間違いはない。

 離れに集まった薬師たちは、研究資料に記載されたものとまったく同じ状態で届けられる材料に肩透かしを食らったように一度落ち込んだあと、やはり素材から作りたいと言いはじめた。


 ……これも職業病かな。


 凝り性なのかもしれない。

 とはいえ、これは良い兆候だとも思うので、望まれるままに研究資料の素材から材料を作るくだりを何度も読んでやる。

 私にできることは日本語を読むぐらいなのだが、これがいずれはセドヴァラ教会へと広がり、それがまた世界中の人の口へと入る薬に繋がっていくのだ。


 ……それにしても、こんなに細かく丁寧に書かれた研究資料があったのに、なんで途絶えたんだろうね?


 翻訳された本がセドヴァラ教会の古い教えに拘る一派に燃やされたという話は聞いた。

 そのためか、本当ならばこちらが先に途絶えていたのであろう、口伝で引き継がれてきた物がオレリアの代まで残っていたのだ。

 紙もインクもある世界で、書き物よりも口伝の方が長く正確に伝わるとは少し考え難い。


 ……翻訳本を燃やした以外にも、セドヴァラ教会が何かやったのかな。


 それまで病気の快癒を願うだけの場所だった教会に、調薬技術を持ち込んだのだから、反発がおきるだろうことは私にも判る。

 セドヴァラは薬術の神だ。

 神の御業を人間が行うなど恐れ多い、という意味でも反発はあっただろう。


 写本を元に自分でも素材から材料を作っていると、白銀の騎士がジークヴァルトへと手紙を持ってきた。

 ジークヴァルトはその手紙を確認すると、今度は手紙を私へと差し出してくる。

 なんだろう、と思いながら手紙へと視線を落とすと、手紙には待ち望んでいた報せが書かれていた。


「ムスタイン薬の効果が確認できたそうです」


 喜びのままに要点を読み上げると、作業の手を止めて薬師たちが集まってくる。

 私としては、動物実験をしたあとに人間にも試すのかと思っていたのだが、動物実験と人への投与はほぼ平行して行なわれていたらしい。

 これはさすがにどうかと思うのだが、効果の確認に対してはセドヴァラ教会に丸投げしてしまったので仕方が無い。

 文句があるのならおまえがやれ、と言われてしまえば、私には動物や人への投与についての手順も伝手もないのだ。

 結局は誰かに頼ることになり、その誰かとして真っ先にあがるのがセドヴァラ教会である。

 せめて安全性を確認してから人に投与してくれ、という苦言ぐらいしか言えないだろう。


「……これで本当に秘術が一つ完成ですね」


 思うことはあるが、まずは一つ完成だ。

 効果が認められたのなら、完成したと受け止めていいはずだ。

 白銀の騎士が報せを持って来たということは、同じ報せがアルフレッドやクリストフの元へも届いているのだろう。

 あと二つ薬を完成させたら、グルノールへと帰ることができる。


「ムスタイン薬は材料を処方箋レシピに倣って作るだけだから、簡単だな」


「その材料を作るのが大変だったけどな」


「春先にはまた必要になるだろう。次の薬の素材が届く前に、できるだけ多くのムスタイン薬を用意するか」


 ムスタイン薬の完成に薬師たちはひとしきり喜びあったあと、すぐに次の仕事に戻って行く。

 グリニッジ疱瘡の予防薬の素材と材料が揃うのは、輸送にかかる時間を考えれば春先だ。

 春先に必要になるムスタイン薬を用意するのは、時間を有効活用するという意味でも丁度いいかもしれなかった。







 離れでの私の仕事は、離宮にいる時とあまり変わらない。

 ひたすらに写本を読み込み、薬師たちが材料作りに悩むと呼ばれ、該当する箇所を写本から探し出して読み上げる。

 研究資料に記載されたとおりの材料になるまで、材料作りの研究が行なわれるのだが、実際の材料作りで私に役立てることなどほとんどなかった。

 オレリアの家にいた頃のように、簡単な手伝いができるぐらいだ。

 あとは時折運ばれてくる素材と材料の確認作業を、帳簿を見ながら行なう。

 セドヴァラ教会から借りてきたのは薬師のため、放っておくと事務仕事は後回しにされる傾向があるのだ。

 持ち込まれた素材の名前と量を、書類を見て確認するよりも、実際の素材を触って材料を作る方がいいのだろう。

 ある意味では心強くもあった。


「クリスティーナ嬢。少しいいだろうか?」


「はい」


 ジークヴァルトに呼ばれて写本から顔をあげる。

 普段はグルノールの街にいた時のように『ティナ』や『お嬢さん』と呼んでくるのだが、ジークヴァルトは仕事中の私のことを少しだけ改まった呼び方をした。

 子ども扱いでも、淑女扱いでもなくて、少々むず痒い。

 一人前の大人扱いともまた違うのだが、見習いぐらいには仕事仲間扱いされている気がした。


「ミカエラからの言伝なのだが、ソフィヤ殿がお嬢さんをお茶会に招待したがっているらしい」


「ソフィヤ様が、ですか?」


 仕事部屋と化している離れを出ると、途端にいつもの『お嬢さん』呼びに戻る。

 私的すぎる内容から判るように、これはジークヴァルト的には仕事ではなく、サボりになるのだろう。

 仕事をサボって私を連れ出し、奥様からの伝言を私に運んできたのだ。


「今回はお嬢さんに助けを求めているのだろう、というのはミカエラの見解だな」


 ソフィヤの元に、舅であるベルトランから連絡があったらしい。

 『らしい』というのは、間にミカエラとジークヴァルトという人間が入り、すべてが伝達だからだ。


「ベルトラン様というだけで、お断りしたい気がヒシヒシとしますね」


「そう言ってくれるな。あれでもお嬢さんの祖父だろう。……ベルトラン殿が今回ソフィヤ殿とアリスタルフの面会を許したため、ソフィヤ殿はその場に同席してほしいそうだ」


 ソフィヤを家から追い出したというベルトランが、孫との面会を許したことに驚くべきだろうか。

 面会を許すぐらいなら、最初からソフィヤを追い出さずに、もしくは従兄弟も一緒に出せばよかったのだ。

 自分勝手で放置癖のある祖父と暮らすより、従兄弟も母親であるソフィヤと暮らした方が心安らかに過ごせるだろう。


「……ソフィヤ様は、ご自分の子どもに会うのですよね? そこにわたくしの同席は必要なのですか?」


「ソフィヤ殿は繊細な性質たちだからな。久しぶりの息子に緊張しているのだろう」


 そんなものだろうか、と少し首を傾げて考える。

 前世のその辺りはわからないが、今生の私に息子はいない。

 久しぶりに息子に会える母親の心情など、想像することもできなかった。


「ソフィヤ様のお話は判りましたが、そのお茶会ってベルトラン様は同席されるのですか?」


「ベルトラン殿とはグルノールでは結構仲良くやっていただろう。そう嫌ってやるな」


「あの頃はまだ祖父だなんて知りませんでしたからね。祖父でなければ、気のいいおじ様だと思います」


 ただし、祖父としてのベルトランは遠慮したい。

 子育て法についても遠慮をしたいが、なによりも嫌なのは、たびたび母クロエについて悪し様に罵るところだ。

 そのうえで、子どもを引き取ることについて何の準備もしていないだろうに、『祖父だから』といって私に対しての権利を主張してくるのだ。

 できる限り近づきたくないと思う私は、間違っていないと思う。

 たとえ離宮のようにグルノールの私の部屋に似せて整えた部屋があったとしても、ベルトランの下へは行きたくない。

 今さら兄と認識しているレオナルドから引き離されたくは無いのだ。


 ……あ、レオナルドさんがベルトラン様のところへ養子に入って、ソフィヤ様と結婚したら、丸く収まるような……?


 ベルトランは功績持ちの養子を得て、ソフィヤは息子と暮らせることになる。

 レオナルドとソフィヤの間に子どもでもできれば、私に家へ戻れとしつこく付き纏うこともなくなるだろう。

 レオナルドがいるのなら、妹としてどこへでも付いていく予定だ。


 ……あれ? 私って、レオナルドさんと離れるのが嫌なだけで、レオナルドさんが一緒ならベルトラン様の家でもいいの?


 ふとそんなことに気がついた。

 一人でベルトランの家になど戻されたくはないが、レオナルドが一緒なら、それほど抵抗はない。

 問題としか思えないベルトランの教育法も、レオナルドなら涼しい顔でこなしてしまいそうだ。


「それで、どうだ。ソフィヤ殿の誘いに乗ってはくれぬか?」


「ベルトラン様は正直ご遠慮申し上げたいのですが、ジークヴァルト様とミカエラ様には離れを貸していただいたりと、ご恩がございますからね」


 顔を立ててあげます、と少しおどけた仕草で答える。

 いざベルトランが面倒なことを言い始めたらクリストフに泣きつくという手が私にはあるし、従兄弟という存在にはほんの少しだけ興味もあった。

 ベルトランとは違うタイプと判る血縁者だ。

 もしかしたら、従兄弟として良い関係が築けるかもしれない。







 ミカエラへお茶会の参加を伝えた数日後、約束をしたバシリアの家を訪ねる。

 バシリアとのお茶会は、お茶会とは言っても、ほとんどただのおしゃべりなので気が楽だ。

 とはいえ、態度を崩しすぎては同行しているソラナとレベッカの口からヘルミーネへと筒抜けになり、離宮に戻った途端に反省会が開催されてしまうため、気も抜けない。

 そんな私の今日の話題は、離宮での近況だ。


「グルノールからエルケとペトロナが来てくれたのですが、冬ということで二人ともわたくしに付き合って獣の仮装をしてくれています」


 今離宮に来ると可愛い猫耳女中メイドが見れますよ、と二人の知らないところで猫耳メイドっぷりをバシリアに宣伝してみる。

 まだ少女と呼べる年齢の猫耳をつけた女中など、好きな人にはたまらない代物だ。


「一見の価値ありな可愛らしさですよ」


「獣の仮装が冬の装いだとおっしゃるのなら、なぜ事前にわたくしへは教えてくださらなかったのです?」


 ムッと眉を寄せるバシリアからは、エルケとペトロナの存在にヤキモチを焼いているのか、彼女たちと私が揃いで獣の仮装をしているということにヤキモチを焼いているのかの判断がつかない。

 おそらくは両方だとも思うのだが、冬の装いについては報せる必要などあったのだろうか。


「……初めて会った時も、私は猫の耳を付けていたと思うのですが」


 ラガレットの街での私は、常に猫耳を付けて行動していた。

 外していた時間はお風呂と寝る時間、あとは誘拐されていた少しの間だけだ。

 それを考えればバシリアの記憶にある私は、常に猫耳を付けていたはずである。


「精霊に攫われたことのあるわたくしは、大人になるまで冬は獣の仮装ですよ」


 大人になるまで、とは聞いているが、明確な年齢は決まっていないようだ。

 この世界の成人年齢までは保護者レオナルドの意向に従っておとなしく獣の仮装をしようと思っているが、十五歳をすぎたらさすがに神王祭以外での仮装はやめると思う。


「……え? つまり、従兄弟との初対面は猫耳ですか?」


「従兄弟?」


 気づきたくない事実に気がつき、思っていることがつい口から漏れてしまった。

 まだ顔も知らない従兄弟に、神王祭でもないのに獣の仮装をしているコスプレ好きだとは、さすがに思われたくは無い気がする。

 春華祭が過ぎるまでお茶会を延期できないだろうか、と呟いたら、その呟きをバシリアが拾った。


「従兄弟とお茶会……つまり、あなたお見合いをしますの!?」


「違いますよ。お見合いなんてものではありません」


 おかしな誤解をされても困るので、ベルトランの家庭についてをバシリアに話す。

 ベルトランが私の祖父だという話は、当のベルトランが触れ回ったせいでバシリアの耳にも入っている。

 ベルトラン周辺の事情を聞かせれば、お見合いだなんてのん気な話ではない、ということは理解できるはずだ。


「……やはりお見合いではありませんか!」


「どう聞いたらお見合いになるのですか」


 事実だけを伝えたはずなのだが、伯母と従兄弟の面会に付き合わされることになったというだけの話が、バシリアにはお見合いに聞こえるらしい。

 母子の面会に同席させられる意味も解らないが、従兄弟と会うだけでお見合いと判断されるのも理解しがたい。


「仮にお見合いだとしても、わたくしの旦那様になる方はレオナルドお兄様より強くありませんと」


 そもそも、国王からは将来的に子どもは産まないでほしいと望まれている、ということはさすがに伏せる。

 伝えても意味のない言葉であったし、今の私には結婚だとか、子どもを産むだという話は未来さきのことすぎてまったく実感が湧かない。

 本当に、ただ従兄弟とその母親の面会に同席するだけのつもりなのだ。


「お困りのようでしたら、私が同席して差し上げますわ」


 そしておかしな空気になったらお見合いをぶち壊して差し上げます、と続けるバシリアに、だからお見合いではない、と何度目かの訂正を入れる。


 ……でも、バシリアちゃんが一緒に来てくれたら、少しは心強いかもね?


 伯母であるソフィヤとはまだ数回しか会ったことがない。

 ジークヴァルトの館へは気分的に気軽に行けるようになったが、ソフィヤと会ったこともない従兄弟と会うのに自分一人だけ、というのは人見知りという自覚のある私には少々辛いものがある。

 同じ子どもとしてバシリアが付いて来てくれるのなら、それは本当にありがたくもあった。


 ……や、親戚の集まりに他人バシリアを連れて行くってのも、おかしいけどね?


 保護者レオナルドのいない場で、親戚とはいえそれほど親しくない人間に囲まれるのは辛い。

 ここは一つ、子どもの我儘として聞き入れてはくれないだろうか、とミカエラに相談してみることにした。

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