第50話 尾行
材料が揃っていないからといって、ジークヴァルトの館の離れへと集められた薬師が解散することはない。
ムスタイン薬は試薬中でまだ完全に完成したとは言いがたいものであったし、完成とは言えない
そのため、薬師たちは復活させたムスタイン薬の結果が出るまでは館の離れに拘束され、ひたすらに材料作りの細やかな技術を習得し直していた。
最初は温度を一定に保って鍋を煮ることに苦戦していたようだが、バルバラを含めた五人の薬師たちは今では普通の顔でこれを行っている。
薬師たちが材料作りの手順に慣れてくると、バルバラは少しの手順の狂いで性質が変わることについてを研究し始めたようだ。
何度もメモを取りながら、実験を繰り返し、またメモを取っていた。
……今日は予防薬の、届いている材料と素材の確認でしたね。
グリニッジ疱瘡の予防薬の材料は、ワイヤック谷で問題なく集まるだろうと聞いている。
昨日届けられ、今日確認する材料と素材はその一部で、すべて揃ったわけではないのでまだ調薬はできないのだが、ムスタイン薬でも素材から材料を作り直したことを思えば、早めに材料の確認はしておいた方がいいだろう。
なによりも、薬師たちがやる気になってくれているのだ。
見習いが教えられる材料作りを、今更覚え直してくれるというのだから、このやる気には乗っておくべきだろう。
見習いが「その作り方はおかしい」と指摘するよりも、すでに薬師として活躍している人間が「その作り方はおかしい」と指摘した方が、周囲には聞き入れやすいはずだ。
「……なんですか?」
コツコツと馬車の小窓が叩かれ、ソラナが木戸を開く。
小さな窓の向こうには、ジゼルの顔があった。
護衛として私につけられている二人は、アーロンは馬に乗って馬車の周囲を、ジゼルは御者席に座って馬車の警護をしている。
小窓がノックされたということは、馬車の中へと伝えたいことがあるのだろう。
「アーロンからの報告です。一台、動きのおかしな馬車に追跡されているようです」
「……え? なにかの間違いだったりはしませんか?」
「ただの偶然か、故意に尾行しているのかを調べるために、少々馬車の進路を変更します。馬車が揺れると思いますので、お嬢様はどこかにつかまっていてください」
了承を伝えると、小窓が閉められる。
さて、どこにつかまろうかと馬車の中を見渡すと、隣へ腰を下ろしたソラナに抱きしめられた。
どうやらソラナが私のシートベルトになってくれるようだ。
ソラナは私を座席に固定するように抱きしめると、自身は座席の背宛をしっかりとつかむ。
「わっ!?」
馬車が勢いよく方向を変えたのか、体が大きく振り回される。
事前にソラナが抱きしめてくれていなければ座席から振り落とされていたかもしれない。
あまり大きくないソラナの胸に四度顔を突っ込んだ頃になって、ようやく気がついた。
……ずっと左に曲がってるってことは、同じところを回ってるのかな?
なるほど、たしかにこの方法ならば、偶然同じ方向に進んでいるだけの馬車と、故意にこの馬車を追いかけている馬車の見分けはつくだろう。
同じ方向に進んでいるだけの馬車であれば、同じ角を曲がっても、いつかは違う道に入っていくはずだ。
そして、この馬車を尾行しているのであれば、どれだけ角を曲がったところで、元と同じ道へと戻ったとしても馬車は後ろへと付いてくるはずである。
……これはもう、故意確定だね。
ソラナの胸へと抱き留められること五度目に突入し、確信した。
同じ道をグルグルと回っても付いてくるのだから、これはもうはっきりと尾行されていると考えていいだろう。
「アーロンが尾行してくる馬車の制圧に向かいます。お嬢様は決して馬車からお出でにならないようにお願いいたします」
「え? アーロンだけでですか?」
それは大丈夫なのだろうか、と心配になって小窓の向こうにいるジゼルを止めたのだが、ジゼルは苦笑いを浮かべただけだ。
背後の馬車から暴漢が数人出てくる程度なら、白銀の騎士であるアーロン一人で大丈夫だ、と。
馬車が路肩へと止められて、待ったのはほんの数分だと思う。
てっきり外から乱闘の音でも聞こえてくるのかと怯えていたのだが、外から聞こえてきたのは甲高い子どもの声だ。
……うん? この声、聞いたことがあるような?
アーロンの怒声や、暴漢の叫び声のようなものは一切聞こえない。
ただ甲高い子どもの声が切れ切れに聞こえ、やがて静かになった。
……誰の声だっけ?
どこで聞いた声だったか、と考えているうちに馬車の扉がノックされる。
外から聞こえてきたジゼルの声に、閉めていた内鍵をソラナが開いた。
「ジゼル、何が起こっているのですか?」
「それが……尾行してくる馬車を止め、中を制圧してみたのですが……」
とにかく馬車の外へと促され、話を聞きながら外へと顔を出す。
ジゼルのエスコートで馬車のステップを降りれば、後方の馬車の前で仁王立ちをしたバシリアとアーロンがにらみ合っている姿が見えた。
「えっと……バシリア様?」
「
なぜかご立腹といった風体のバシリアに、思いだす。
どうりで聞き覚えのある声だと思ったはずだ。
バシリアの声なら、何度となく聞いたことがある。
「……なぜにお怒りで? というか、尾行していたのはバシリア様なのですか?」
「尾行だなんてはしたない真似、しておりませんわっ!」
バシリアは腰に手を当てたままツンと顔を反らしているのだが、
とにかく怒っていると判るバシリアを扱いかねて、対峙しているアーロンへと視線を向ける。
私の視線を受け、アーロンは事の次第を教えてくれた。
王城を出る際に、城門の横に見慣れない黒い馬車が停まっていたらしい。
それだけなら注意も払わなかったのだが、馬車は私の馬車の後をついて移動しはじめ、角を曲がっても、それこそ左折を繰り返して故意に同じ場所を回っても後をつけてくるため、尾行されていると判断した。
「わたくしも、そこまでされたら尾行だと判断します」
判断はするのだが、バシリアに尾行をされる覚えはない。
一体どういうことだろうか、と説明を求めてバシリアへ視線を戻すと、淡々とした口調でアーロンに己の行動を指摘されたバシリアは、羞恥で顔を真っ赤にしていた。
尾行ではないと言ってはいたが、他者の口から聞かされた自分の行動が、どう考えても尾行であると自覚したのだろう。
「バシリア様は、どうしてわたくしの尾行を? そもそも、この馬車はどうしたのですか? いつもはマルコフ家の紋章が入った馬車を使われていますよね?」
家紋が入っていれば、アーロンも尾行だとは判断しなかっただろう。
馬車の中身がバシリアであると気付き、子どもの悪戯と判断して生暖かい目で尾行を許していたはずだ。
下手に見慣れない馬車であったために、今回は逆に警戒されてしまっていた。
「私、知っていますのよ。近頃は随分と頻繁に貴族街へお出でになられているのだとか」
「そう……ですね。毎日と言うほどではありませんが、頻繁といえば頻繁かもしれません」
ジークヴァルトの館に通っているため、王都に来たばかりの頃に比べれば頻繁に貴族街へと来ている。
内街へと行くことはほとんどないが、ジークヴァルトの家であれば、そろそろ気軽に出向ける気がした。
「でも、わたくしが貴族街へ来るのと、バシリア様の尾行にどんな関係が?」
「あなたが、私のところへは全然遊びに来てくれないからですわっ!」
貴族街まで出てくるというのに、自分のところへは一向に足を向けないとはどういうことか、とバシリアは怒っているようだ。
理由を聞いてしまえば、実に女児らしいヤキモチだった。
「エリアナなら屋敷に置いてきましたわよ」
バシリアの家庭教師はこの蛮行を止めなかったのか、とエリアナの姿を探してみたのだが、姿が見えない。
馬車の中にいるのかとも思ったのだが、私の視線の動きから考えていることが判ったのか、何か言う前にバシリアが教えてくれた。
約束もなしに離宮を訪ねるなんて、とどうせ止められると判っているので、内街へ買い物に行くといって屋敷を出てきたそうだ。
「バシリア様」
「なんですの?」
そろそろ私以外の友だちも作ろう、と指摘しようとして、やめる。
言葉は喉元まででかかったが、思いとどまった。
以前これと同じことを言って、盛大に泣かれたことがあったはずだ。
「わたくしはこれからお仕事に向かうので、今日はバシリア様のお相手をしている時間はありません」
尾行という形で突撃された理由は判ったので、ここは穏便にお引取りを願う。
バシリアは正論が通じる相手なので、ちゃんと話せば引き下がってくれるはずだ。
「あなたの年齢で働いているわけがないではありませんか」
それに貴族のお仕事というのなら、王城で行うはずだ、とバシリアは言う。
バシリアの考える貴族の仕事は、ラガレットの街で父親であるジェミヤンがしている領主としての仕事や、王城で大臣や文官の行う書類仕事なのだろう。
王城から貴族街へと出てきて行う仕事があるだなどと、想像もできないのかもしれない。
「平民の子は、わたくしぐらいの年齢でも働いている子はいますよ。わたくしも一応は平民です」
「クリスティーナ様は功爵家の娘ではございませんか! シェスティンお姉さまから聞いたことがございますわ。それに、お兄様はあのレオナルド様なのですから、あなたがその歳で働く必要などないはずです」
騙されている、とでも思っているのか、バシリアの機嫌が徐々に悪くなってくるのが目に見えてわかる。
むむっと眉間に皺が刻まれたと思ったら、刻々とその皺が濃くなりはじめた。
「わたくしは、わたくしの年齢でもできる、秘密のお仕事をしているのですよ。お疑いならば、フェリシア様かアルフレッド様にご確認ください」
王女と王子の言葉なら信じられるだろう、とバシリアをけしかけてみる。
一人では離宮のある王城へ入れないバシリアには少々無理な話かもしれなかったが、このぐらいの意地悪は許してほしい。
今まさに女児のヤキモチという面倒ごとに巻き込まれているのは私だ。
「……意地悪ですわ。私が一人では王城へ入れないのを知っていますのに」
「お手紙という方法もありますよ」
「それこそ意地が悪いというものです」
私への手紙すら届けられなかったバシリアに、王女や王子へ手紙を届けることは難しいだろう。
無理難題を出されたバシリアは、一度大きく頬を膨らませたあと、気持ちを切り替えるかのように話題を変えた。
「お仕事をしているのでしたら、私がお手伝いをして差し上げますわ」
これなら一緒にいられるだろう、という発想だとは思うのだが、これはお断りをするしかない。
セドヴァラ教会の薬師ですら、人を選んでいるのだ。
私のお友だちだからといって、ジークヴァルトの館へとバシリアを連れて行くことはできないし、そもそも役にも立たないだろう。
バシリアは日本語が読めるわけでも、調薬技術を持っているわけでもないのだ。
「先ほども言いましたが、秘密のお仕事なのでお手伝いはしていただけません」
「知っていますわ。薬師を何人も囲っているのでしょう? そのぐらいは調べがついています」
調べがついている、というのなら、そろそろ諦めてほしい。
あの場にバシリアを連れて行くわけにはいかないのだ。
……うん、違う話をしよう。
違う話で話題を逸らそう、となにか良い話題はないかと考える。
バシリアが好みそうな話題など、ほとんど引き籠っている私に引き出せるはずがないのだが、無いのなら無理矢理に作るしかない。
「そういえば、バシリア様は神王祭にラガレットの街へはお帰りになられないのですか? 王都で過ごされるようですと、ご両親が寂しがられるでしょう」
「お父様は私がお傍にいようが、いまいが心配はなされないと思いますが、お母様たちが心配されますもの。神王祭にはラガレットへ戻りますわ」
だからその前に一度遊びたいと思って、誘われるのを待っていたのだ、と唇を尖らせて拗ねるバシリアが可愛かった。
女児特有のヤキモチは少々面倒に感じるが、このツンデレを可愛いとも感じているのだ。
もう少し気にかけるべきだったかもしれない。
「……バシリア様がラガレットへ戻る前に、一度遊びに行きますね」
エセルバートから料理人を借りたので、饅頭をお土産に持っていきます、と続ける。
ようやく私から望む言葉を引き出せたらしいバシリアは、パッと顔を輝かせたあと、気恥ずかしそうに顔を背けた。
約束ですわよ、と少しだけ唇を尖らせて。
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