第49話 それぞれに忙しい冬

「もしかして、レミヒオ様ですか?」


 神王領クエビアにいる知人といえば、彼のことしか思い浮かばない。

 薄汚れた旅装束姿のレミヒオとは、グルノールの街で行われていた追想祭の最中に一度会っていた。


「……あれ? 仮王っていったら、たしか神王不在の神王領を、神王の代わりに預かっている統治者、でしたよね?」


 メンヒシュミ教会で習った授業の内容を思いだしつつ、首を傾げる。

 仮王が記憶どおりの役割なのだとしたら、次代の仮王はつまり神王領クエビアの王子さまと言っても間違いではない。

 立場的にはアルフレッドやフェリシアに近い人物だ。


 ……そんな人に、私は超不味い玉子サンドを食べさせちゃったんですね。


 どうりで導師アンナが特別待遇でレミヒオを精霊の寵児の席まで案内してきたわけだ、と今更ながら腑に落ちる。

 神王領クエビアの次期仮王ともなれば、たしかに追想祭において大切に扱われるだろう。

 神王の血を受け継ぐ神王領の仮王など、本来ならお目にかかること自体ないはずの人物だ。


「レミヒオ様って、偉い方だったのですね」


「世が世なら大陸の支配者だ。グルノールでティナに会ったのも、仮とはいえ王位を継ぐための儀式の途中に立ち寄ったのだろう」


 メンヒシュミ教会の授業ではさすがにそこまで教えてはくれなかったのだが、神王領クエビアの仮の王位は、神王の血を継ぐ者の中から選ばれるらしい。

 選ばれた人間は自らの足だけで大陸中を巡礼し、エラース大山脈の山頂にある氷れる湖や追想祭の元となった事件が起こった地であるヴィループ砂漠を訪れるのだとか。

 追想祭でグルノールの街を訪れたのは、ヴィループ砂漠への行きか帰りかのどちらかだろう。


「レミヒオ様には、困った時には頼っていいようなことを言われた気がするのですが……」


 そんな大物に、本気で頼ってしまっても良いのだろうか。

 神王が姿を消さずに脈々と代を重ねていたのなら、レミヒオが次の神王だったのだろう。

 グルノールの街からマンデーズの館まで信じられない距離を一晩で移動するという説明のできない不思議体験をしているため、私には実感できる。

 この世界には、本当に神や精霊というものがいるのだ。

 そして、神王は神様が選んだ人の王だという。

 社交辞令としか受け取れない「頼っていい」という言葉を、現代の神王ともいえるレミヒオに本気で使うのは少々不味い気がするのだが、アルフレッドは素知らぬ顔をしている。


「せっかくのコネだ。ありがたく使わせてもらおう」


 しれっと神王の子孫を利用させてもらおうと言うアルフレッドに、悪びれた様子はまるでない。

 神王領クエビアには、セドヴァラ教会の総本山ともいえる薬術の神セドヴァラの神殿もあるため、元から話は通りやすいはずだ、とも言いながら。


 ……本当にいいのかなぁ?


 とはいえ、困った時には力になってくれるようなことを言い出したのはレミヒオの方だ。

 私の周囲に権力者がいることなど承知していただろうし、いいように利用されるのも計算のうちかもしれない。


「問題はアドルトルの卵だな」


「それは……さすがに難しそうですね」


 アドルトルの生息地は隣のサエナード王国の、帝国に面した西側だ。

 位置的にも微妙な場所なのだが、現在の我がイヴィジア王国とサエナード王国の間には、実に微妙な雰囲気が漂っている。

 平時であれば平和的に国境を跨がせてもらえたかもしれないが、今はどう考えても無理だろう。

 セドヴァラ教会の薬師は国境を越えられるかもしれないが、護衛と荷運びのために付ける兵士は入国許可が下りる可能性は低い。


「護衛の騎士がダメなら、冒険者とかはどうでしょう?」


「冒険者?」


小説ものがたりに出てくるではありませんか。腕っ節に自信のある人が、迷宮や魔物退治に挑んで名声やお宝を手に入れる……」


 アルフレッドからの反応が思わしくないので、思いつく限りで『冒険者』というものを説明する。

 冒険者と冒険者ギルドは異世界物の小説には必ずといっていい頻度で出てくる要素だった気がするのだが、この世界では存在していないようだ。

 少なくとも、この国にはない。

 たまに博打うちのような冒険野郎がいることにはいるが、冒険を職業にしている者も、それで生活が成り立つ社会的な仕組みも、存在していないようだ。


「ティナの言う条件で言うのなら……近いのは傭兵か?」


 金銭で雇う戦力と考えれば傭兵、遠方へあるかどうかも判らない物を得るために遣いに出すのならなんでも屋だろう、とアルフレッドは言う。

 傭兵と聞けばなんとなく想像ができるのだが、なんでも屋と聞くと途端に胡散臭いものの気がしてきた。


「なんでも屋というと、すごく怪しい感じですね」


「おまえの言う『冒険者』の方が胡散臭いが」


 サエナード王国へは傭兵を護衛につけた薬師を派遣することになるだろう、ということで話が決まる。

 素材探しが人任せで、実際の調薬作業も薬師頼みと、聖人ユウタ・ヒラガの秘術を復活させると言ったわりに私ができることなどほとんどない、

 本当に、ただ研究資料を読んだだけだ。

 なんとなく申し訳ない気がして少し愚痴ると、アルフレッドに頭を乱暴に撫でられた。

 少しレオナルドの撫で方に似ていて、寂しい。







 ジャスパーが雪苺採取へと出かける準備に数日がかかる。

 研究資料には明確にどこ産の物が良い、とは書かれていなかったが、やはり当時聖人ユウタ・ヒラガが住んでいた地域の物がいいだろう、ということになって資料と古地図と見比べた。

 当時の聖人ユウタ・ヒラガの拠点はワイヤック谷に近い山にあり、雪苺は一番近い村との中間あたりにあったようだ。

 メイユ村まで行く必要はないと言っていたが、結果的には村の近くでもある。


 ……まあ、レオナルドさんが王都で冬を過ごすのなら、無理についていきたがる必要はないしね。


 私が風邪を引くことを避けたいようなので、おとなしくジャスパーたちを見送ることにした。

 ジャスパーは火のつけられない暖炉のある部屋で写本作業をするのと、火に当たることはできるが冬の旅と、どちらが良かったのか、少しだけ心配でもある。


 着々と出発の準備が進むジャスパーたちを手伝っていると、エセルバートの離宮から料理人が派遣されてきた。

 約束通りエセルバートが領地に戻る冬の間、離宮の料理人としてナパジ料理を作ってくれるようだ。

 ありがたいことに、エセルバートの離宮で余った食材も持ち込んでくれたため、餡子もネマールも今日からだって食べられる。


 ……エセルバート様、素敵っ!


 これですぐに「孫になれ」とか言い出す悪癖がなければ、最高のお爺ちゃんだ。

 間違っても『お祖父ちゃん』ではない。

 あくまで他所の『お爺ちゃん』だ。


「……バート様の、料理人がいる間に、餡子作りを教わりたいと思うのですが……」


「頑張ってください、カリーサ。餡子がグルノールでも食べれたら最高です」


 料理人から餡子作りを習うため、時々仕事を外れてもいいか、と聞いてきたカリーサに、二つ返事で了解を出す。

 私の身の回りの世話は侍女たちがしてくれるが、餡子作りを知っている料理人は借り者だったし、離宮の料理人に覚えてもらってもグルノールへは連れ帰れない。

 それだったら意志の疎通にまだ少し時間がかかるが、私の世話は侍女にしてもらって、カリーサにはナパジ料理を覚えてもらった方がいい。

 カリーサなら、グルノールの街へと戻る時に連れ帰ることができるのだ。


 できればネマールも覚えてきてください、とカリーサを厨房へと送り出す。

 カリーサがネマールを覚え、そこからサリーサへとレシピが渡れば、味噌ラーメンやとんこつラーメンとの再会も夢ではなくなる気がした。


 ……ちょっとナパジには行ってみたいね。


 主な移動手段が徒歩か馬という交通事情を考えれば、海を越えた先にあるというナパジに行くことはちょっとした海外旅行なんてものではないだろう。

 基本的に引き籠りな性質の私に、本気で海を越える覚悟などない。

 ナパジの調味料や食べ物には興味があったが、気長にあちらから海を越えて来てくれることを待つしかないだろう。


 ……まずはカリーサが餡子作りを覚えてくれることに期待しましょう。







「防寒具は大丈夫? 換えの手袋はもった? 厚い靴下を用意してたけど、詰め忘れてない?」


 いよいよ出発という日になって、小さな馬車へと乗り込むジャスパーにしつこく話しかける。

 私の毛皮の襟巻きを持っていく? とジャスパーの返事も待たずに自室へと戻ろうとしたら、ジャスパーに止められた。

 おまえは俺の母親か、と。


「どちらかというと、ジャスパーはわたくしの父ぐらいの年齢ですけどね。母親というよりは、頼りない父の旅路を心配するしっかり者の娘の心境と言いますか……?」


「しっかり者の娘なら、兄がいなくて寂しいと言ってベッドに引き籠ってベソベソ泣いたりはしないと思うんだが……」


 からかわれた、と判ったので遠慮なく旅装束のジャスパーの脛を蹴る。

 残念ながら、王都に来てから作った冬靴はつま先に鉄板を仕込んだ特注靴ではないため、ろくに攻撃力がなかった。

 これではいけない。

 これではレオナルドが帰って来た時に、妹からの愛を込めた洗礼が送れないではないか、と密やかな危機感もわく。


「黒騎士が一緒に行ってくれるので、山賊などの襲撃は心配していませんが……」


 冬の寒空の下を旅することになり、大丈夫なのだろうか。

 そう心配になって聞いたところ、荷物や暖を取るための装備を積み込むため、結局は移動が馬車になったので、その辺は少しだけ楽になるはずだ、と護衛として付く黒騎士が教えてくれた。

 私がついて行く場合には生活そのものをすべて馬車の中で過ごすため、馬車自体が大きく、また薪などの荷物も膨大に増えるために足が遅くなるが、荷車に近い小さな馬車であれば、それほど旅程に影響はないらしい。


「騎士さんたちも、風邪を引かないように気をつけてくださいね。ジャスパーのこと、よろしくお願いします」


 そう言って黒騎士に頭を下げると、今度こそジャスパーは嫌そうな顔をした。

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