第48話 雪帽子採取に関する相談
「わたくしの
秋が終わり、本格的に寒くなってきたので、炬燵を使うかとジャスパーに聞いてみる。
当初は寒い冬もできるだけ温かく写本作業ができるように、と作った炬燵だったが、日本語が読める私が、自分が使うため用に行う写本では、想定していた作業時間がまったく違った。
ジャスパーは一年以上コツコツと写本をしていてまだ完成していないぐらいなのだが、日本語が読めて筆跡までは真似る必要のない私の写本はすでに完成している。
写本さえできてしまえば、あとはこちらの物だ。
大切なのは聖人ユウタ・ヒラガの研究資料原本の方なので、写本であれば暖炉に火を入れた部屋で読んでも、ベッドの上で寝転がって読んでも、おやつを食べながら読んでも良い、とアルフレッドに確認はとってある。
つまりは、火の入れられない部屋で少しでも暖を取る必要があるのは、ジャスパーだけだ。
私が使うために作った炬燵だったが、より必要とする人間がいるのなら、そちらで使ってほしい。
「炬燵とは、あれだろう。秋におまえが作らせたドレスを着たテーブル。あんな可愛らしいテーブルが使えるか」
「可愛いのは不可抗力です。足が温かいように、と中の熱を逃さないように布で周囲を囲ってあるので、ドレスのようになってしまっただけです」
あれはカバーのつもりで作ったのであって、ドレスとして作ったのではない、と訂正を入れる。
ようは考え方の問題だ。
男としてはドレスを着たテーブルが使いにくいというのなら、少し丈の長いテーブルクロスか、それこそテーブルカバーだと考えればいいのだ。
「炬燵なら、暖炉が使えない部屋でも、多少暖かく過ごせるはずです」
「おまえが使う予定で作ったものだろ」
「その予定でしたが、わたくしの写本はもう終わっていますからね」
私は暖炉に火をつけた部屋で写本を読むことができるので、気にする必要はない。
そう事実だけを淡々と並べると、ジャスパーは深くため息をはいた。
事実でしかないのだが、あまりの写本にかかる時間の差に、ドッと疲れが押し寄せたのかもしれない。
「炬燵に不満があるようでしたら、ほかのことをして冬を温かく過ごしますか?」
パント薬の材料になる『雪帽子』こと雪苺をメイユ村まで採りに行こう、とジャスパーに提案すると、それまでは黙って報告書を読んでいたアルフレッドが顔をあげた。
眉間には、なぜかくっきりと皺が刻まれている。
……あれ? なにか変なこと言った?
怒らせた覚えはないので、この眉間の皺は困惑だろう。
なにかアルフレッドを困惑させるようなことを言っただろうか、と考えてみるのだが心当たりはない。
「ティナ、『採りに行こう』だと、おまえも一緒に行くように聞こえるが?」
「そのつもりで言いましたが」
なにか問題がありましたか? と首を傾げると、アルフレッドは軽くこめかみを揉み解す。
頬を抓りに手が伸びてこないので、怒らせたわけではないのだろう。
「この冬の間に雪帽子の採取を、というのは私も賛成だ。しかし、その採取におまえが同行するということは認められない」
「え? なぜですか?」
「単純に考えて、非効率的だ。普通の旅程でも子どもがいるだけで日数が増える上に、冬は雪の季節で雪道を移動することになる。おまえは連れて行かない方が、同行することになる大人の手間が減る」
一人で馬に乗れない私は、移動は常に馬車を使うように、と
落馬事故の可能性を考えれば、大人になっても一人で乗馬はさせてもらえないだろう。
雪道を馬車で移動となると、旅程にかかる日数は増える。
ついでに、私が付いていけば身の回りの世話にカリーサは絶対についてくるので、食料などの装備も増えるはずだ。
「メイユ村まで、とおまえは言ったが、雪帽子が採れるのはメイユ村だけではない。もう少し王都から近い村でも確認がとれた。聖人ユウタ・ヒラガの研究資料には産地までは記載されていなかったのだろう? ならば、雪帽子であればどこで採れたものでも良いはずだ」
「……私も採取したいです」
「冬に寒いと判りきっている外へおまえを出して、風邪をひかれても困る」
風邪をこじらせて死ぬ人間も珍しくないのだぞ、と言われてしまえば引っ込むしかない。
この世界よりも医学の発展した前世でも、風邪をこじらせて死んでしまう人間は年に何人もいたのだ。
今のところ日本語が読める人間は私だけなのだから、そんな危険は冒させたくないだろう。
「長旅のあとは必ず熱を出すティナに、冬の旅行などさせるわけにはいかない」
「……レオナルドお兄様の冬の移動で、冬に旅行をしたこともありますよ?」
私のための装備だとは思うのだが、携帯用の薪ストーブを持ち込んだ馬車での移動は意外に快適だった。
二年前の冬を思いだすと、意外にいけるのではと思えてくる。
もう少し粘ってみようか、とムクムクやる気が湧いてきたのだが、それを見抜いたのか今度こそアルフレッドの手が伸びてきた。
「それは、おまえが日本語を読めると判明する前だろう」
むにっと頬を軽く抓られ、頬を抓ったアルフレッドは眉を寄せる。
最近ますますアルフに似てきたように思うのだが、喜ばせるだけなので言ってはやらない。
「最初から日本語が読めると知っていれば、レオナルドは冬におまえを連れ回そうだなんて言わなかったはずだぞ」
「その場合は、レオナルドお兄様の冬の移動自体がなくなっていた気がします」
「それは否定しない」
むしろこれ幸いとばかりに三砦の主である任を返上するのではないか、とアルフレッドは言う。
私の護衛を兼ねてレオナルドはグルノールから動かなくなっただろう、と。
日本語の読める転生者の護衛をダシに使えば、クリストフもレオナルドに四つの砦の主でいろとは言えないはずだ。
「素材集めには人を使えばいいだろう。実際にムスタイン薬は素材も材料も、セドヴァラ教会から取り寄せただけだ」
ほかにも取り寄せる素材があったな、と話題が変わる気配を感じて、慌ててアルフレッドを引き止める。
自分の手で採取したいというのも本当だが、少しだけ別の目的もあったのだ。
「……冬の間に、少しだけグルノールの街に帰っちゃダメですか?」
今年のレオナルドの冬の予定は、グルノール砦で神王祭に祭司を務めることになっていた気がする。
となれば、私がグルノールの街へ戻れば、少しだけ長くレオナルドと過ごせるはずだ。
「レオナルドは……今年の神王祭は王都で祭祀をすることになっているぞ?」
グルノールの街へ戻れば、逆にレオナルドと過ごす時間が減る、と突然出てきた情報に目を瞬かせる。
順番的に今年はグルノール砦で祭祀を行なうはずのレオナルドが、なぜ王都で祭祀を行なうことになっているのだろうか。
……あ、闘技大会?
レオナルドは今年の王都での闘技大会で、すべての対戦者に勝っている。
白銀の騎士団・団長を務めるティモンにも勝った。
それはつまり、王都で一番強い騎士ということだ。
そして、神王祭に砦で行なわれる軍神ヘルケイレスの祭祀は、砦で一番強い騎士が祭司を務める。
これを考えれば、王都で白銀の騎士たちが行なう祭祀をレオナルドが務めることになるのは、当然の流れなのかもしれなかった。
「……レオナルドお兄様が王都にいるのなら、わたくしも離宮でおとなしく待っています」
「なんだ。レオナルド目当てか」
「甘えたい盛りの子どもですからね。もう三ヶ月も会ってない兄に早く会いたいです」
ダメな理由を並べて冬の旅行を反対していたはずなのだが、レオナルドは王都で過ごすと聞いてあっさり意見を変えた私に、アルフレッドは肩を竦める。
そんなに甘えん坊だったか? と不思議そうな顔をしていたが、私だって意外だ。
中身は実年齢より少しだけ大人のつもりでいたのだが、これでは実年齢より下の子どもだと思う。
……いいんですよ。こんなに長く離れてたことってないしね。
寂しくて当然である、と開き直る。
妹が兄を恋しがってなにが悪い。
「雪苺は雪に覆われてから熟すので、採取が難しいですね。最低でも雪が積もってからでなければ実がなりません」
脱線していった話を無理矢理に軌道修正する。
パント薬のための素材を集める相談をしていたはずなのだが、いつの間にかレオナルドの冬の予定になっていた。
「パント薬に必要なのは熟す前の赤い実ですね。雪を掘るのが早すぎたら実はなっていないし、遅すぎたら熟して黄色くなってます」
正体が判ればパント薬の素材のうちで一番入手が簡単なのだが、採取のタイミングがやはり難しい。
メイユ村で暮らしていた時は、熟した黄色の実はそのまま食べて、未成熟な赤い実はジャムやジュースにして飲んでいた。
食べ物として消費するにはどちらでもいいのだが、雪帽子という素材としては未成熟な赤い実だけが欲しい。
「採取した未成熟な赤い実を雪の上に放置して乾燥させるらしいのですが……」
聖人ユウタ・ヒラガの研究資料にそう書いてあったのだから、間違いではないと思うのだが、少々疑問が残る。
写本によれば、採取した赤い実を雪の上に放置すると一晩で実が凍り、そのまま雪の上でひと月ほど干し続けると薬の素材として保存ができるようになるそうだ。
研究資料には自信ありげに「フリーズドライっぽい状態になる!」と書かれていたのだが、私の記憶ではフリーズドライというのはインスタント食品を作る時に工場で使われていた方法である。
研究資料に残された自然乾燥のような方法でフリーズドライになどなるのだろうか、と半信半疑にしかなれなかった。
「雪の上でひと月乾燥させるのか……」
「難しいですね」
私としては、こんな方法で本当にフリーズドライになどなるのだろうか、と疑問に思っていたのだが、アルフレッドとジャスパーの関心は別のところにあったらしい。
フリーズドライになるかどうかということよりも、ひと月という期間が問題になっているようだった。
「雪帽子の収穫は冬の半ばから、そこからひと月雪の上に干すのは……少し開けた場所で、それでいて山の獣に荒らされない場所が必要になりますね」
「冬の貴重な食料になるから、できれば村人が採取する場所とは違う場所から集めたいが……獣から守りながら干すことを考えれば、やはり人里で作業をした方がいいな」
見張りに人手が必要になる、そもそも荷運びにも護衛が必要だ。
精査されていく雪苺採取の相談に、口を挟める雰囲気ではなくなってきたのでおとなしく話を聞く。
二人の話が纏まる頃に、ひと月以上干す雪苺を見守る必要もあるので、やはり私の同行は無理だったな、となぜか先ほど諦めた話題を蒸し返され、ムッと唇を尖らせる。
「雪帽子の確認と、保存のための処置が必要になることを思えば、今後のことも考えて薬師を同行させたい」
「それでしたら、私が同行します。雪苺は私も幼い頃に採って食べていました」
「では、同行者は黒騎士だな。獣や山賊からの護衛も必要になる」
暖炉に当れない冬の間に別の仕事を、と雪苺採取をジャスパーに提案したのだが、採取は採取で大変そうだ。
これで本当に暖かく過ごせるのだろうか、と心配になったのだが、二人の話はどんどん先へと進んでいく。
「ラローシュの花粉については……神王領クエビアへ問い合わせが必要だな」
名前を借りるぞ、とすっかり蚊帳の外にいた私へとアルフレッドの視線が向けられ、意味が判らずに首を捻る。
神王領クエビアへ問い合わせを入れるとして、なぜ私の名前を使うのだろうか。
「アルフレッド様のお名前の方がよろしいのではありませんか?」
王子であるアルフレッドの名前ならともかくとして、私の名前など神王領クエビアにはなんの価値もないはずだ。
むしろ、なぜ私などの名前で連絡を入れてきた、と連絡を入れられた神王領クエビアの人が困惑するだろう。
「ティナは神王領クエビアの次代仮王と懇意にしている、と聞いたが?」
「身に覚えがございません」
仮王が字面通りの意味ならば、仮の王様だ。
王様に知人なんて一人しかいないし、それが外国の王様ともなれば、そもそも知り合う機会がない。
いったいなんの話をしているのだろうか、と考えて、僅かにひっかかりを感じた。
王様の知人はクリストフしかいないが、神王領クエビアには私の知人が一人だけいる。
「もしかして、レミヒオ様ですか?」
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