第41話 白騎士ウルリヒ

「まろー、とってこーい!」


 一日二回の散歩として、黒柴コクまろを連れて庭に出る。

 訓練された犬とはいえ、木皿をフリスビーのように飛ばしてキャッチさせる遊びは楽しいらしい。

 フリスビーは黒犬オスカーも好きなようなので、一日二度の散歩を黒犬と黒柴を一匹ずつ連れた犬の散歩兼遊びの時間としてみた。

 これならば犬も私も楽しいし、アルフレッドとレオナルドの言いつけを守ったことにもなる。

 そして、午後は黒柴を連れての散歩の時間だ。


 地面に転がった木皿を、黒柴がくわえて戻ってくる。

 よくできました、とひとしきり黒柴の頭を撫で、もう一度木皿を水平に投げようとして、力加減を誤った。


「……あっ!」


 木皿は狙った方向からは大きくはずれ、庭木に当たって方向を変える。

 ついでに木に当たった衝撃からか、水平だった角度も変わり、離宮を囲う生垣へ刺さった。


 ……うん?


 ザクッと木皿が生垣を抜ける音がした途端に、生垣の向こうから短い叫び声が聞こえた気がする。

 気のせいであれば嬉しいのだが、黒柴は木皿を追いかけて生垣の根元へと消え、次の瞬間には気のせいだと無視したくとも無視できない音量で男性の悲鳴が響き渡った。


「ぎゃああああああああっ!? わっ!? な、なんだ、この犬はっ!? 放せっ! はなせ……っ!!」


 ……あー、気のせいじゃなかったか。


 生垣の向こうで黒柴が仕事をしている。

 相手が男性であることは判るが、それ以上の情報は生垣の向こうへと行く必要があるだろう。

 ただの警備の白騎士が遊んでもらってご機嫌な黒柴の標的にされているのか、以前のような不審者なのかは判らなかったが、このまま無視もできない。







「……えっと、大丈夫ですか?」


 一番近い門から生垣を出て、悲鳴の聞こえた場所へと戻る。

 そこには黒柴に押し倒される、白い制服を着た男の姿があった。


「大丈夫なわけがないだろう! 早くこの躾けのなっていない犬を退けろ!」


 男がキッと顔をあげて私を睨むと、黒柴はまるで言葉が解ったかのように持ち上がった男の頭を前足で押さえ込む。

 地面とキスをすることになった男の顔が屈辱に歪むのを見て、どうしたものかと考えてしまった。


「とりあえず、コクまろに謝ってください。コクまろは砦の厳しい訓練を受けてきた、頼りになる番犬です。謝れば上から退いてくれるかもしれませんよ」


「砦の犬……」


 砦で訓練を受けた犬である。

 そう聞いた男の顔がまた歪む。

 なにかよくない思い出でも砦にあるのだろうか、と地面に伏した男を観察すると、袖口のボタンが金色であることに気が付いた。

 ということは、白い制服を着ているが、この男は白銀の騎士ではなく白騎士だ。

 それも、見栄を張るタイプの貴族である。


「砦で訓練をされてもこの程度か。下劣な犬だな。どうせその辺の野良犬でも捕まえてきたのだろう」


「野良犬ではありませんよ。アルフレッド様に教えていただいたのですが、アビソルクという犬種のようです。仔犬の頃はお人形のようで可愛らしかったですよ」


「アビソルクの仔犬……だと……」


 歪んだ男の顔が驚愕に染まり、わなわなと唇が震える。

 アビソルクは番犬として優秀な犬種、というぐらいしかアルフレッドからは聞いていないのだが、この男の顔を見るとそれだけではないのかもしれない。

 見栄っ張りと判る男が黒柴への罵倒を続けられずにいるのだ。

 今度はどこにケチをつけてくるのだろうか、としばらく待っていたら、罵倒の標的ターゲットがかわる。


「ああ言えば、こう言う。これだから下賎な人間は……」


 ……今度はかいぬしへの文句になりましたね。


 彼の言う「ああ言えば、こう言う」が、まさに今自分が発言している内容だということに、彼自身は気がついていないのだろうか。

 彼の言葉を「まったくもってその通りだ」と認めれば、彼自身が『下賎な人間』ということになる。


 ……ジゼル以外の白騎士と話すことなんてほとんどないけど、これが白騎士か。


 呆れて物が言えないとはこのことか、としげしげと黒柴に踏まれた男を見下ろす。

 黒柴に退くように命じることはできるのだが、すぐに退けてやる気にはならない男だった。


「失礼いたします、クリスティーナお嬢様」


「レベッカ」


 スッと私と男の間にレベッカが割り込んでくる。

 侍女は緊急に知らせなければならない用件や、主に助け舟を出す以外では会話へと入ってこないので、レベッカが割り込んでくるのは本当に珍しい。

 もしかして黒柴に踏みつけられている彼は、レベッカの知人なのだろうか。

 首を傾げながらレベッカを見上げると、レベッカは私に一瞥したあと、男を見下ろした。


「この男はクリスティーナお嬢様より下位の家の者なので、このような無礼を許されては困ります」


「そうなのですか?」


「クリスティーナお嬢様のご実家は功爵、お兄様も功爵をいただくご予定。どちらにせよ、このような痴れ者に『下賎の者』と呼ばれるいわれはございません」


 レベッカの講釈に相槌を打っていると、黒柴の下で男が蠢く。


「おい、こら! 子どもに物事を教えるのなら、正しく教えろ! 忠爵の私と、功爵のその子どもでは私の方が上位……がっ!?」


 顔をあげて叫ぶ男の頭を、黒柴が再び押さえつける。

 今度はしゃべっていたため、地面にキスどころか歯をぶつけていた。

 さすがに少しだけ気の毒な気がしてきたが、それだけだ。


「……彼はこのように言っていますが?」


「この痴れ者の名はウルリヒ。以前は忠爵家の次男だったのですが、個人的な罪科によって、本人のみ爵位を剥奪されました」


 貴族でもないので本来は白騎士としても雇ういわれはないのだが、妻子があるため完全に平民として追い出すことは躊躇われ、温情で門番として王城で働くことを許されているらしい。


「えっと……つまり、縁故採用?」


 ただでさえ役に立たないと評判の白騎士に、輪をかけて雇う価値のない人間がいたようだ。

 なんらかの罰によって爵位を奪われ、白騎士など続けられない身分に落ちていながら、妻子がいたために温情で働き口を用意されているだなんて、本当に罰と呼べるのだろうか。

 なにか変だなと首を捻ると、ウルリヒが黒柴の前足から逃れるように三度みたび顔をあげた。


「縁故採用などではない! クリストフ国王陛下が、私をお見捨てになられていないだけだ! 今に見ていろよ。すぐに私の名誉は回復されて、杖爵となるのだか……がふっ!?」


 前脚ではらちが明かないと思ったのか、黒柴が向きを変えてウルリヒの頭にお尻を置く。

 黒柴は綺麗好きな犬だが、人間としてはお尻を頭に置かれるということには精神的に来るものがあるだろう。

 それを知ってか知らずか、黒柴はお尻をウルリヒの頭へと押し付けている。


 ……あの動き見たことあるよ。仔犬の頃、ウンチの切れが悪かった時に地面へお尻をこすりつけて落としてた。


 悲鳴をあげるウルリヒを見下ろしつつ、彼の発言を振り返ってみた。

 爵位を奪われたということは、ウルリヒはもう貴族とは数えられない。

 そのくせ、すぐに杖爵になるのだと言う。

 聞けば聞くほどに筋の通らない話だ。


「忠爵が杖爵になるためには、何代も領地を安定して治める必要があったはずなのですが、貴族ですらない者がいきなり杖爵になどなれるものでしょうか?」


「聞く価値もない、たわ言です。妄言といった方が正しいでしょうか……」


 やはりそんなものか、とレベッカの解説に納得していると、ウルリヒが黒柴のお尻を乗せたまま頭を持ち上げる。

 ある意味ではガッツのある男なのかもしれない。


「王女の父親が無爵でいいわけがないだろう」


 王女、と何番目の王女かは判らない単語が出てきて、私もウルリヒの言葉に耳を傾けることは無意味である、と理解した。

 罪を犯して爵位を奪われた男が、どうして王女の父親になどなれるというのだ。


「……本当に言葉の通じない方なのですね」


「はい。ただの虚言です。クリスティーナお嬢様が真面目に取り合う必要などございません」


「何が虚言だっ! 私は虚言などいってぇええええええっ!?」


 懲りないウルリヒに、ウルリヒの頭にお尻を乗せていた黒柴は、目の前にあるウルリヒの尻へガブリと噛み付いた。


「ウルリヒ、これ以上白騎士を貶めるような真似はやめてください」


「華爵の娘風情が、気安く私に話しかけるな」


 ……涙目ですごんでも、全然怖くないよ。


 気の毒になったのだと思うのだが、そっとウルリヒを諌めたジゼルを、ウルリヒは華爵の娘と呼んであなどる。

 レベッカの説明によれば、今はウルリヒこそが『下賎の者』であり、ジゼルの方が上位者となるのだが、彼にはそういった身分差が理解できないようだ。


「今はその華爵ジゼル以下なのでは?」


 そろそろウルリヒという男への興味がなくなってきたので、私のツッコミも自由に出てくる。

 伸び伸びとしすぎたいつもどおりの指摘ツッコミに、ジゼルは困ったような微笑みを浮かべ、黒柴はウルリヒの上で欠伸をしていた。


「これが元・忠爵ということは、忠爵といっても華爵目前の忠爵だった、とかでしょうか?」


「ウルリヒの家は息子のしでかしたことを、勘当という処置をとって切り捨てました。内情はどうあれ、反省をして見せるだけの知恵はあるため、まだしばらくは今の爵位を保つでしょう」


「そうですか。それは良かったのか、悪かったのか……」


 いずれにせよ、今度こそ本当にウルリヒへの興味が消える。

 黒柴の名を呼んでウルリヒの上から退かすと、脱線し続けた最初の用件を述べた。







「……ところで、なぜ離宮に?」


 ウルリヒが埃を払いながら立ち上がるのを待って、離宮の生垣付近にいたことについて聞いてみる。

 ウルリヒが離宮警備の白騎士であれば、黒柴が仕事の邪魔をしていることになるので、飼い主としては詫びる必要があるだろう。

 そう思って聞いたのだが、ウルリヒは僅かに頬を引きつらせ、黒い目を泳がせた。


 ……ピンと来ましたよ。よからぬことを考えていましたね?


 護衛の二人も私と同じ考えに至ったらしい。

 ジゼルは私の横へ、アーロンは少しだけ距離を詰めていつでもウルリヒを取り押さえられる位置に立つ。


「私がこの場にいた理由など、どうでもいいだろう。白騎士が守るべき王城内にいて、なにが悪い」


 フンッと鼻を鳴らしながら粋がっているのだが、目は完全に泳いでいるのが滑稽だ。

 背は、この世界の男性としては低めだろうか。

 肩まで真っ直ぐに伸びた髪はよく見かける黒髪だ。

 黒い目は少し垂れていて、犬に押さえ込まれるという醜態を見せられたあとでは納得の情けない顔つきをしていた。


 ……これで妻子もちだとか、なんでうちの兄にはお嫁さんが見つからないんだろうね。


 レオナルドの方が何倍もいい男なのだが、レオナルドには嫁がおらず、この頼りない顔つきをしたウルリヒには嫁に加えて子どもまでいるそうなのだ。

 世の中、なんともままならない。


「その犬に噛まれて私の服によだれが付いたではないか。責任を取れ」


「あ、『下賎の者』がする強請ゆすりやたかりが目的でしたか」


貴族わたしがそんな真似をするかっ!」


 意図して先ほどウルリヒが使っていた言葉を混ぜてみたのだが、見事に反応してくれた。

 先ほどから目を泳がせて、実にわかりやすい男で助かる。


「私は強請りでも集りでもないが、この制服にいったいいくらかかっていると思っているんだ!?」


「そもそも、なぜ犬に噛まれたのですか?」


 さあ、洗濯代を払え、と続けたかったのだろうが、そこへすかさず合いの手を入れさせていただく。

 見るからに怪しい人間を、ここで放置はできない。

 真正面からの私の質問に、レベッカが追撃を乗せてきた。


「コクまろは優秀な番犬です。面識のない白騎士を不審者と判断したのでしょう」


「え? 白騎士なのに、不審者と判断されるのですか?」


「この男は離宮の警備の者ではありません」


 記憶力が良く、生きた貴族名鑑として私を支えるために選ばれたレベッカは、離宮の警備にあたる白騎士の顔と名前をすべて覚えているらしい。

 番犬たちが間違えないように、と顔合わせもさせてあるそうだ。

 そのため、黒柴たちは白騎士が本来配置されている場所と離宮の外にいる分には無視をするが、教えられた場所以外にいる白騎士に対しては侵入者と同じように対処をする。

 今回については、そもそも警備の白騎士として紹介もされていない男が、離宮のすぐ側にいたため取り押さえたのだろう。


「この痴れ者の手口を考えれば、おそらく手っ取り早く功績を挙げようとして、自作自演の事件でも起こそうとしていたのでは?」


 例えば、王族に大切に匿われている少女の誘拐と、誘拐犯の逮捕、少女の救出。

 思いつきでしかないとは思うのだが、レベッカの口から出てきた言葉にウルリヒの顔色が目に見えて悪くなる。

 目が泳ぐどころか、はっきりと挙動不審な動きをしはじめ、一度は私の元へ戻ってきた黒柴が臨戦態勢を取り始めた。


「……さすがに妻子のある身で、そこまで馬鹿な真似をする人間はいないでしょう」


 いないですよね? と本人ウルリヒに向かって聞いてみるのだが、当然のことながら応えはない。

 ウルリヒはジッとレベッカから距離を取るように後ずさり、後ろへと下がった分だけ黒柴とアーロンが前に出る。


「どうしました? ウルリヒ。この離宮の側にいた理由をクリスティーナお嬢様へお答えしなさい。そうでなければ、不審者としてこのまま連行されますよ」


「いや、私は……たまたま? そう、たまたま! たまたま離宮の側を通りかかっただけでええええええっ!?」


 視界に違和感を覚えたのだが、それが何か気付くより先に黒柴がウルリヒへと襲い掛かる。

 黒柴はウルリヒの左腕へと噛み付いていたので、私の覚えた違和感はウルリヒが左手を動かしたことだったのだろう。

 黒柴の動きに合わせてアーロンが動き、あっという間にウルリヒは取り押さえられる。

 何かを必死に隠そうとポケットを握っていたのだが、それもあっさりと探られることとなった。


「……黒いハンカチ、でしょうか?」


「黒い頭巾ですね。夜盗が顔を隠すのに使うことあります」


「顔を隠す……」


 アーロンの手に握られた黒い頭巾に、思わずジゼルと顔を見合わせてしまう。

 先ほどの誘拐うんぬんはレベッカの思いつきだったのだが、なにやら様子がおかしくなってきた。


「ち、違うぞ! 私は何もしていない! 私は無実だっ!!」


「そうだな。何もしていないな」


 何もしていない、という主張へと同意が返り、ウルリヒの顔がホッと緩む。

 そこに、いつか孤児院で見た慇懃無礼な笑みを浮かべたアーロンがトドメを刺す。


「これから『する』ところだったら、確かに『何もしていない』だろう」


 一応容疑者でしかないのだが、ウルリヒには離宮からお引取り願うこととなった。

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