第40話 他国の事情とバルバラとの再会
ムスタイン薬については、材料がセドヴァラ教会で集まるということで、手紙を書いてアルフレッドに届けてもらうことにした。
続いて最後の一つのグリニッジ疱瘡の予防薬について調べていると、早速アルフレッドが離宮へとやって来る。
「今度は早かったな」
「ジャスパーに聞いたら一発でした」
運試しで盛大に失敗したことについては、あえて報告するのをやめておく。
あの時、パント薬を選んだ私に対し、クリストフたちは「選び直してもいい」とちゃんと言ってくれていた。
にもかかわらず、「運で選んだのだから」と選び直さないことを決めたのは私だ。
運任せの惨敗については、正直、もう考えたくない。
セドヴァラ教会への手紙をお願いしつつ、アルフレッドへと進捗状況を報告する。
グリニッジ疱瘡の予防薬は、写本に記載されている効能を信じるのなら、ワーズ病を予防できる素晴らしい薬だ。
進行してしまったワーズ病を治すことはできないのだが、病の感染を未然に防げるだけでも大きい。
ワーズ病から回復するためには本人の体力も必要だが、献身的な看病も重要になってくる。
その看病する者が次の感染者となってしまうため、一度感染が出ると終息までに時間がかかってしまうのがワーズ病の恐ろしいところだ。
それが、看病する人間への感染自体を防げるのなら、病の終息も夢ではない。
……問題は、常備薬ってぐらい飲んでいていい薬じゃないっぽいところなんだけどね。
それなりに薬効のある薬なため、不必要な時まで飲み続けてしまってはかえって害になることがある。
用法容量は守ってこその薬だ。
「セドヴァラ教会が予防薬を選んだのは、次の流行に備えてですか?」
「いや、セドヴァラ教会は国単位では物を考えない。各地に置かれた教会全体で物を考え、今一番必要だと思う物を選択したのだろう」
「え? でも、ワーズ病って一応は終息していますよね?」
「この国では、な」
少し言葉を区切られて、なんとなくだが判った。
マルセルの買った
その小動物が感染源となったのだから、仕入先やその道中にも感染は広がっているはずである。
私はグルノールの砦近くで生活し、情報が入ってくるところにいたため、ワーズ病は終息したものとばかり思っていたが、正しくは『国内では終息した』ということだったのだろう。
つまり、国外ではまだ猛威をふるっている可能性がある、ということであり、セドヴァラ教会が予防薬を求めたということは、そういうことなのだ。
「我が国としては放っておいても良いのだが、薬術の神セドヴァラに仕えるセドヴァラ教会としては放置もできないのだろう」
「うちの国が放置しても良い、となるのは、他国の不幸だからですか?」
「……もともとあちらの国からこの国へと持ち込まれたものだから、だな」
病で苦しむ民たちには同情するし、なんとかしてやりたいとも思うが、まずは自国民の生活を守ることが優先である。
故意に病を持ち込んだとは考えたくないが、あちらから持ち込まれた感染で少なくはない人数の国民が死んでいた。
こちらが少し楽になったから、とすぐに気持ちを切り替えて支援はしづらい。
「それは確かに、複雑な気分になりますね……」
「おまえが嫌だと言えば、予防薬は作らなくてもよくなるぞ」
「そんな話を聞いて、嫌だなんて言えるわけないじゃないですか」
ワーズ病に関しては思うことが少なからずあるし、感染の拡大については人災もあるが、病自体は不幸な偶然だ。
感染源となった小動物の生息地域だからといって、現地の人間が死ねばいいとは思わない。
私の気分次第で別の薬を選んでいいと言われても、別の薬を選ぶ気にはなれなかった。
手紙を持って帰っていくアルフレッドを見送り、図書室に戻る。
ジャスパーは未だに居間で写本を続けているのだが、古地図で素材の採取地を探している時は図書室で調べ物を手伝ってくれていた。
「グリニッジ疱瘡の予防薬も……材料はセドヴァラ教会で手に入るかもしれないな。なければワイヤック谷で素材が採れるはずだ」
「ジャスパーがいると便利ですね。材料の名前だけで判るなんて」
「薬師には素材の暗記なんて初歩の初歩だ」
暗記しているので、ある程度は名前さえ判ればどこで採れるのか、セドヴァラ教会に常備されているのか、ぐらいは判るらしい。
問題になるのは、パント薬に使われているようなオレリアしか扱わなくなっていた材料で、こちらは秘術を受け継いだオレリアを谷に閉じ込め、半端に知識を得てしまった
オレリアの死後、オレリアの家に溜め込まれていた素材や機材はすべてセドヴァラ教会が回収していったそうなのだが、扱い方の判らない素材など、死蔵されて終わるだけだろう。
「……薬師にとっては初歩の知識だが、ワイヤック谷は別名『薬術の神セドヴァラの薬草園』と呼ばれるほどに薬草が安定して豊富に採れる場所だ。オレリアの死後も管理者がいるのなら、素材自体は容易に集められるだろう」
素材を材料へと加工することに、今度は時間と研究が必要になってくるだろうが、とジャスパーは続ける。
時間と研究が必要になることは、秘術を復活させるという時点で決まっているようなものだ。
今さら気にすることではない。
……ワイヤック谷で、ワーズ病に関わる薬っていうと、私がお手伝いした中にもあったのかな?
名前も知らない葉っぱを乾燥させたり、石を粉になるまで薬研で潰したりと、私が手伝えたことなど本当に些細なことだったが。
巡りめぐって繋がっていたのかもしれないと思えば、なんとも不思議な気がした。
王都のセドヴァラ教会にいるバルバラからの手紙は、ジャスパー宛の手紙に同封されていた。
私宛の手紙としてはバシリア同様に接点がないとみなされ、届くまでに時間がかかるらしい。
……変な気を使って手紙を差し止めてくれるんなら、恋文こそ止めてよ。
追想祭のあとに比べれば随分減ったが、それでもまだ何通かの恋文が届いている。
バルバラへは私から一度手紙を送っているのだが、恋文の送り主とは面識はおろか接点すらない。
どう考えても差し止めるべき怪しい手紙は恋文の方だと思うのだが、貴族は貴族というだけである程度の信用あり、とされるらしい。
実に理不尽だ。
……内街へのお出かけ、一日二回のお散歩に該当してくれませんかね?
手紙が直接届かないことと似たような理由で、バルバラが王城内にある離宮へと来ることは難しいようだった。
ならば、と私の方から内街にあるセドヴァラ教会へと出向くことにした。
広い王都内に、セドヴァラ教会は全部で四つある。
王城と貴族街の近くにあるのがプロヴァル中央支部と呼ばれ、他は南支部や西支部といった方位で呼ばれている。
中央支部は、場所的に貴族街のセドヴァラ教会なのだろう。
他の支部はどちらかと言うと城門近くに教会の建物があり、外町からも頼りやすくなっているようだった。
「お久しぶりです、バルバラさん」
「お久しぶりです、クリスティーナ様」
私に対する呼び方が変わったが、そこには触れないようにする。
本来はこちらの方が正しい呼び方であるようだったし、もともと愛称で呼び合うほど親しくもないし、バルバラは他人とは一線引いている人間だ。
王城に囲われた生まれは貴族の娘に対してなど、知っているのなら愛称よりも本名で呼ぶ方を選ぶだろう。
淑女として扱われているようなので、とこちらも淑女の礼をする。
よく考えなくとも、護衛を連れて馬車でやってくる人間など、バルバラでなくとも平民とは扱い難い。
「オレリアさんの遺品を送ってくださり、ありがとうございました。パウラさんから聞きました。バルバラさんがわたくしに、と送ってくださったと」
「……今さら親族が受け取るよりは、と思ったのです。クリスティーナ様へ送った方が、師が喜ぶだろうと」
これは照れ隠しだな、と僅かに逸らされたバルバラの視線に気がつく。
冬の間にワイヤック谷で暮らすオレリアとバルバラを見ているが、あくまで師と弟子といった関係でしかなかった。
それも、あまり良好な関係には見えなかったのだが、判り難いがバルバラの中にはしっかりと師に対する思慕のようなものがあったようだ。
僅かに目じりに皺が生まれ、オレリアを想っての行動だったのだとわかる。
「そんなことよりも、大切な話をいたしましょう。ここへは師の思い出話をしに来たのではなかったはずです」
こちらへどうぞ、と案内されたのは、バルバラの私室として用意されている部屋だった。
簡素なベッドと勉強用の椅子と机、本棚には本や調薬に使う器具が入った箱が詰められている、無駄な物など何一つない部屋だ。
「お聞きしたいのは、師がどのようにして遠隔地の素材を集めていたか、でしたね」
カリーサの淹れてくれたお茶を飲みつつバルバラが聞かせてくれた方法は、ワイヤック谷で私が見たものとあまり変わらなかった。
私が見たのは黒騎士が荷台に素材や材料を積んで運んでくる姿だったが、あれは有事の際だけの特別な措置で、いつもは半年に一度ほどの間隔で商人が外国から集めた素材を売りに来ていたらしい。
私が滞在していた時には一度もこなかったが、弟子としてしばらくワイヤック谷に住んでいたバルバラは商人と顔を合わせる機会もあったのだとか。
「手に入れるのが難しそうな素材もあったのですが……」
「相手は商人ですので、商品になると思えば集めてくれます。今頃は師の死で得意先の一つを失って、集めてきた商品が売り物にならなくなった、と困っているのではないでしょうか」
時期的にそろそろワイヤック谷に姿を現すだろう、と教えてくれたので、パウラへと急いで手紙を出すことにした。
商人の名前すら知らないので私から直接商人へ手紙を出すことはできないが、パウラへと言付ければ連絡ぐらいは取れる。
商品の買い取り手を失って困っているのなら、多少値段が上がったとしても、王都まで売りに来てくれるかもしれない。
「……そういえば、バルバラさんにお手伝いはしていただけるのでしょうか?」
なにを、とはあえて言葉にしない。
見張り代わりの護衛として扉の前にアーロンが立ってくれているが、セドヴァラ教会内であまり不必要な発言はしない方がいいだろう。
言葉は濁したが、バルバラにはしっかりと意味が通じた。
唇を引いて表情自体は引き締められたのだが、なぜか微笑んでいるのだと確信する決意に満ちた顔つきだ。
「個人としても、実に興味深いお誘いです。学べることも多いでしょう。学びの途にあるまだまだ未熟な薬師ですが、喜んでクリスティーナ様のなさる偉業へ協力させていただきます」
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