第38話 カレーライス
座椅子が完成した、ということで商人が納品にやって来る。
座面が回転する座椅子という注文は、脚と座面を完全に分けてしまうことで対応したようだ。
試行錯誤の成果か、前世では当たり前に見かけていた形状とは少し違って新鮮味がある。
緊張といった面持ちの商人に見守られながら、商品の確認をした。
私の出した条件は達成されているので、私としてはすでに満足しているのだが、細かい箇所の確認も必要だろう。
特に商人は「課題をくれ」と言って回転する座椅子を作ってくれたのだ。
本当に細部まで確認することが、私にできるお返しだと思う。
一通り触ってみて、仕上げを確認する。
木製の椅子は綺麗に研磨されていて、ササクレなど一つもなかった。
艶出しのニスに液だまりの跡など一筋もなく、本当に美しい。
ならば座り心地は、と座って座面を動かしてみるのだが、回転部分が擦れて軋む音などしなかった。
私よりも体重のある人間ならどうだろう、とアーロンにも試してもらったのだが、音はならない。
これならば、レオナルドの加重にも耐えられるだろう。
座椅子には満足したので、今度は座椅子カバーを確認する。
炬燵カバーとあわせて中の熱を逃さないように工夫が凝らされていた。
注文以上の仕様としては、座面にお尻の形に合わせてクッションが追加されていることだろうか。
これならば肘掛と体の隙間から熱が逃げてしまうこともない。
「大満足です、ありがとう!」
と言いたいのだが、淑女はこんなことは言わない。
内心の興奮を押さえ込んで、「大変満足いたしました。ご苦労様です」と侍女越しに感想と評価を与えた。
「……そちらは?」
私は注文をした覚えがないのだが、商品の確認をし始めたのがカリーサであることを思えば、彼女の注文なのだろう。
「……お嬢様の、ベッドの番人の骨組みです。ジンベーのようにお嬢様が抱き枕にしても潰れないよう、中には頑丈な芯を入れます」
ベッドの番人とは、製作中の大きなぬいぐるみのことだ。
熊のぬいぐるみの中には綿だけではなく芯があることには気が付いていたが、籐で編まれた籠が入っているとは思わなかった。
「これでようやく完成します」
ほっこりと微笑むカリーサは、本当に満足気だ。
私が頼りまくるせいでカリーサの仕事量は多いのだが、その合間を縫うようにカリーサはぬいぐるみを繕っていた。
作ると言い始めてからひと月ほど経ったが、骨組みさえ入れれば完成の目途が立ち、今から達成感があるのだろう。
いずれ離宮のベッドにも大きなぬいぐるみが、と思っていたら、翌日の夜にはベッドの上に大きな黒い犬のぬいぐるみが鎮座していた。
「……カリーサ、ぬいぐるみは嬉しいですが、ちゃんと寝てください」
昨日の今日でもうぬいぐるみが完成している、ということは、カリーサは寝ずに綿や芯を入れ、布を縫い合わせたのだろう。
カリーサの仕事量を思えば、睡眠時間を削ったと考えて間違いはない。
「……ません、お嬢様」
「怒っているのではありませんよ。ぬいぐるみありがとうございます。でも、カリーサが倒れたら嫌ですからね。ちゃんと休んでください」
「……はい」
言うべきことを先に済ませ、改めてベッドに陣取る黒い犬のぬいぐるみを見る。
頭は犬だが、体は熊のぬいぐるみと大差ない。
これは犬の体型どおりに作ったら、枕として使いにくいためだろう。
熊のぬいぐるみと同じようにシーツ代わりの服を着て、洗い替えることができるようになっていた。
「名前は何にしましょうか?」
早速あちらこちらを押したり撫でたりとしてぬいぐるみの感触を堪能しながら、黒い犬のぬいぐるみの名前を考える。
別に名前などなくても良い気もするのだが、これまでに貰ったぬいぐるみには名前をつけていた。
カリーサが作ってくれたぬいぐるみにだけ名前をつけない、というわけにも行かないだろう。
「今度こそ『レオ』にしましょうか? それとも、レオナルドお兄様推薦の『テオ』? でも、テオは弱そうですしね……」
黒い犬のぬいぐるみを撫で回しながら、真剣に名前を考える。
私の周囲に黒い犬がいるから、という理由で黒い犬のぬいぐるみになったのだが、顔は
三角の耳がピンと立ち、目のすぐ上には白い布で麻呂眉が再現されていた。
「……カリーサが作ってくれたから、タリーサ?」
アリーサ、カリーサ、サリーサ姉妹の名前から、パッと思いついたのがこれだ。
しかし、この名前で姉妹との名前に統一感を覚えるのは、日本人の転生者ぐらいだろう。
この世界の言葉としては、特に繋がりらしい繋がりは見えない。
「うーん? でも『タリー』は響きがいまいち? じゃあ、やっぱりカリーサで。カリーサ……カリー……カリー?」
カリーといえば、カレーが発音よく読まれた時にそう聞こえるな、と思いだせばあとは早かった。
これしかない、という天啓が脳裏に浮かぶ。
「カレーライス! カレーライスにしましょう!」
「……カレーライスは、強そうなのですか?」
「強くはありませんが、美味しいです!」
美味しいのならば、とカリーサがカレーのレシピを知りたがったのだが、そこは申し訳ないが答えることができない。
カレーとは私にとってルーを買ってきて作るお手軽な料理であり、香辛料から作る本格的なものは一度も作ったことがなかった。
もしも目の前にすべての香辛料が揃えられ、分量まで整えられていたとしても、今度は混ぜる順番がわからないといって逃げ出すだろう。
それほどまでに、私にとってのカレーは『市販のルー』から作るものだった。
作り方は判らなくとも、どのような食べ物なのか、とカリーサに食い下がられ、記憶を探る。
完璧どころか最低限の知識すらない自覚はあるのだが、香辛料で味を調えた茶色のドロッとしたピリ辛スープである、と答えておく。
ほかに思いだせることといえば、飴色になるまで炒めたたまねぎだとか、ウコンで色をつけていた気がする、という本当に曖昧なものばかりだ。
……林檎と蜂蜜っていうけど、あれはどこに入っていたんだろうね?
逸れていく思考に、これ以上の情報はないようだ、とカリーサが引く。
カレーの再現についてはひとまず置かれることになったようで、カリーサが『カレーライス』と名付けられた黒い犬のぬいぐるみについて解説しはじめた。
「お嬢様のご希望どおり、お腹に金庫を付けてみました」
ペラリとシーツ代わりの服を捲り、ぬいぐるみのお腹を見せる。
立体に縫うための曲線と布の裁ち位置だと思ったのだが、カリーサは中央の縫い目に指を沿わせると、その指を縫い合わされたお腹へと押し込む。
そこに指を引っ掛ける箇所が作ってあったのだろう。
ほんの少しだけ力を込める気配がして、ぬいぐるみの腹部が縫い目に合わせて開いた。
「すごいです、カリーサ! これなら、お腹に扉があるだなんて思いません!」
「お嬢様の大切な物をしまっておきたいとおっしゃられたので、中には金庫が入っています」
これが鍵です、と手渡され、お腹の中を覗き込む。
さすがは商人に注文を出して作ってもらった籐の籠というべきか、中にはぴったりのサイズで金庫が収められていた。
「さっそくバシリアちゃんに貰った宝石箱をしまいましょう」
黒い犬のぬいぐるみの腹部を開いたまま、鏡台の上に置かれた宝石箱を取りに行く。
蓋を開けて中身を一度確認し、宝石箱をぬいぐるみのお腹の中へと収めた。
「これで泥棒対策はばっちりですね」
鍵を首から下げてぬいぐるみのお腹を撫でる。
縫い目と扉が一体となっているため、蓋を閉じてしまえばそこに扉があるだなんて誰にも判らない。
捲りあげたシーツ代わりの服を戻せば、そのお腹の縫い目さえも隠れてしまった。
可愛いから見えるところに飾りたい。
しかし、可愛いからこそ盗難や失くしてしまうことが怖くて隠したい。
相反する感情の板ばさみになった結果、私が選んだのは後者だった。
大事なものは大事なものとして、大切にしまっておく。
私にとってベッドの上の大きなぬいぐるみは、なくてはならない物だったらしい。
ないのならなくても平気だと思っていたのだが、黒い犬のぬいぐるみを背もたれにして休憩をしていると、ホッと落ち着くのが判る。
大きい物が背中にあると落ち着くのか、レオナルドがいなくてホームシックになっているのかもしれない。
思えば、レオナルドに引き取られて以来ずっと私の背中には大きな背もたれがあった気がする。
メイユ村からワイヤック谷へと向かう馬の上では、馬から落ちないようレオナルドに抱え込まれていたし、砦が落ち着いてすぐに熊のぬいぐるみが館にやって来た。
少し距離を歩く時にはレオナルドが私を抱き上げていたし、館に慣れるまで屋根裏部屋を使っていた頃も、わざわざ三階の自室へ下りて熊のぬいぐるみを背もたれに寛いでいる。
体調を崩した日などはそれこそ熊のぬいぐるみを背もたれに、一日中ベッドの住人になってもいた。
……大きい物を背もたれにすると落ち着くのは、レオナルドさんに引き取られてからの習性ですね。
少し寂しくなって黒い犬のぬいぐるみの腹で身じろぐ。
よく考えてみれば、冬に一月半ほどレオナルドと離れることはあったが、季節一つ分も離れるのは初めてのことだ。
……早く帰ってこないかな。
冬までルグミラマ砦に詰めると言っていたので、秋の間は帰ってこないのだろう。
そのあとは例年のように、四つの砦のどこかで冬を過ごすのだろうか。
……あれ? 冬に帰ってきても、一緒にいれるのって少しだけ?
冬を砦で過ごすのなら、王都へは顔を出すだけかもしれない。
そのまま冬をどこかの砦で過ごし、隣国との問題が解決していなければ春からもルグミラマ砦へと詰めるのだろう。
……あ、本格的に寂しくなってきたぞ。
寂しすぎて、情けないことに少し泣いてしまった。
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