第37話 素材探しと写本の完成
会議の後半は、ちょっとした大騒ぎになった。
三つ選べるはずの薬が、休憩を挟んで突然二つに減ったのだ。
それは騒ぎにもなるだろう。
クリストフはざわめく会議場を、「ニホン古来の占術によってもたらされた神の啓示である」と言って鎮めた。
本当はただのアミダくじなのだが、日本については変な誤解があるらしく、神の啓示ならばしかたがない、と会議場の混乱が鎮まっていく実に不思議な光景だった。
残りの会議は、前半よりも白熱したものとなった。
二つになってしまった枠を、セドヴァラ教会とで平等にそれぞれ一つずつ選ぶということに決定し、会議はお開きとなる。
あとは国とセドヴァラ教会がそれぞれで会議を重ね、結論を出すことになったようだ。
……まあ、やれることができたのは嬉しいから、よし。
会議のあとは離宮に戻って、早速
完全に運で選んだ薬は、やはり運が良かったらしく、写本の終わっている範囲に処方箋の記載があった。
これならば、聖人ユウタ・ヒラガの研究資料原本を使う必要がなさそうで、なによりである。
……少しずつでも写本していて良かったね。
ある意味で自分の幸運に感謝しつつ、作業途中の写本と原本、写本の終わっている紙の束、今回復活させることに決まったパント薬の処方箋をそれぞれに分ける。
とりあえず今日はもう写本作業はしないので、原本は白銀の騎士へと返却することにした。
私以上に厳重に警備されている聖人ユウタ・ヒラガの研究資料は、基本的には白銀の騎士が管理している。
写本をする際は、彼等が研究資料を扱い、彼等に
……ジャスパーが来てくれて、本当によかったね。
処方箋に含まれる素材や材料の名前を読みあげるだけで、ジャスパーがその有無を教えてくれる。
ジャスパーがグルノールの街から来てくれなければ、この作業を初対面となるセドヴァラ教会の誰かとしなければならなかったのだ。
……それだけでも、後回しにしたくなるよ、絶対。
自分が人見知りであるという自覚はあるので、ジャスパーの存在はとんでもなく心強かった。
実際に調薬をする時にはジャスパーの手を借りる予定だが、秘術が完成した暁にはセドヴァラ教会との間に立って調薬方法を伝えてもらいたいものである。
ようはセドヴァラ教会に対する窓口扱いだ。
「アブヴリー草は乾燥させたものが常備されているはずだ。アブヴルー草とは一文字違いだが、大丈夫か? こちらは毒草だ」
「え? そうなのですか?」
一文字違いで毒草だと聞き、写本を確認する。
ユウタ・ヒラガの字は癖のある悪筆で読みにくいが、さすがに『リ』と『ル』はペン先が抜けていく方向が違うので間違えようがない。
アブヴリー草で大丈夫だ、と答えると、ジャスパーがほかにもセドヴァラ教会に常備されている材料や、採取地の確定している素材について答えてくれた。
「……素材から見つけてくる必要があるのは、三つですね」
思ったよりも少なかった、とホッと息をはいたのだが、ジャスパーは渋面を浮かべる。
材料や素材の名前が判っていても、それがどこで取れるのかから調べなければならないため、数が少なくとも楽観視はできない、と。
「雪帽子、アドルトルの無精卵、ラロシューの花粉……たしかに、採取地が判らないのは辛いですね」
だからこそ時間がかかると会議では除外され、私がうっかりアミダくじで引き当ててしまったのだ。
くじで決めたことなので、今更変えますとも言いづらい。
「この中でジャスパーに心当たりがあるものはありますか?」
「アドルトルは鳥の名だ。エラース大山脈のサエナード王国側、王都から見て北北西ぐらいか? に生息している大鷲だ」
「……疑いようもなく、サエナード王国ですね」
「そうだな」
我が国と現在緊張状態にあるらしい隣国だ。
これは「ちょっと素材採取に入国させて」とはいかないかもしれない。
不安をそのまま口にしたら、ジャスパーからは心配ないだろう、という意外な言葉が返ってきた。
今回の秘術の復活については、セドヴァラ教会が協力することになっている。
敵国になりかけている隣国とはいえ、セドヴァラ教会の恩恵を受けているからには、セドヴァラ教会の要請は蹴れないだろう、と。
「そういえば、薬の輸出入に関しては信じられないぐらい融通が利くのでしたね、セドヴァラ教会」
「その辺りも聖人ユウタ・ヒラガの功績だな」
調薬技術の確立やいくつもの薬を生み出したことで知られる聖人ユウタ・ヒラガだが、それ以外にも彼はさまざまな影響をこの世界に残している。
風呂文化の定着や人命第一のセドヴァラ教会の在り方もそうだが、意外なところでは『ふくよかな人妻を好し』とする風潮も、聖人ユウタ・ヒラガが根付かせたものだった。
出産という大役を担う女性が、さらに不必要な減量で体に負担をかけることがないように、と元からあった風潮に理由付けという形で後押しをして根付かせている。
「セドヴァラ教会の協力があれば、国境自体は問題がない、と」
「国境を越えて素材を集めることはできるが、まずはその場所を特定しないことにはな」
調べ物ならば図書室だろう、と場所を移して地図を引っ張り出す。
緩やかな曲線で描かれた地図は、あまり正確なものではないのだろう。
国内はそれでも少し細かく書かれているのだが、隣国ともなると主要な街や砦の名前が書かれているぐらいだ。
エラース大陸と呼ばれているこの大陸には、現在四つの国がある。
大陸中央にはエラース大山脈と呼ばれる巨大な山脈があり、その西と東でざっくりと別れていた。
大陸の南東にあるのが我がイヴィジア王国で、北西にあるのが神王領クエビアになる。
地図で見ると帝国は恐ろしく広大なのだが、これは二百年ほど前に現れた転生者が火薬武器を作った影響だった。
もともとは小さな五つの国だった、とメンヒシュミ教会でも教わっている。
「アドルトルの生息地域はこの辺りになる」
そう言いながらジャスパーが大山脈の東側に指で丸を描くのだが、残念ながら地図上にはなんの記載もない。
目印になりそうなものといえば、そこから東にかなり外れたアルスターという城だ。
地図を見るだけでは一番近い目印なのだが、サエナード王国の西端から東端といった距離がある。
……江戸時代に正確な日本地図を徒歩で測量して作った人って、誰だっけ? この世界に転生していらっしゃいませんか? 正確な地図作ってくださーい!
ついでにもう少し細かく町や村の位置を書き込んでほしいのだが、これは戦の時に利用できてしまうため、難しいだろうとのことだった。
他国間で公開できる自国の情報など、商人などの口からどうしても漏れてしまう大きな町ぐらいのものだ。
「雪帽子とラロシューの花粉も、地図ではわかりそうにありませんね」
「花粉の方は植物を纏めた本を探せば見つかりそうだが……、雪帽子の方は『冬に採れるのだろう』ということぐらいしか判らないな」
とにかく、調べることのできる国内の資料から地名などを探していくしかないだろう、という話になって、王国史を読み込むことにした。
人も国も生き物だ。
町や村の名前が変わり、歴史から消えていく名前なんてものはいくつでもある。
現在の地図からは名前が消えていたとしても、昔は地名として使われていたのかもしれない。
それでなくとも、聖人ユウタ・ヒラガが生きていた時代の歴史書ならば、なにかヒントになるものが隠されているかもしれなかった。
「昔の地図や、もう少し正確な地図がほしいですね」
ただの愚痴でしかなかったのだが、これを聞いたジゼルの行動は早い。
物が物なので扱いには気をつけろと再三の注意を戴いたようなのだが、ジゼルが図書館から古地図を借りてきてくれた。
「……そういえば、王城には図書館という物がありましたね」
基本的には引き籠りな性格をしていたし、離宮の中には図書室もある。
あまり外へ本を求めに行く用事がなかったため存在自体を忘れていたが、以前にもジゼルが離宮の設計図を借りてきてくれたことがあった。
ありがたくも用意された古地図に、現在の地図と歴史書とを睨めっこをする生活が始まる。
古地図と歴史書を睨みつつ、気が滅入ってきたら写本作業をする。
そんな生活を続けた結果、秋の後月には私の写本が完成した。
聖人ユウタ・ヒラガの研究資料から処方箋を拾い出す作業同様、早すぎるとジャスパーにはやさぐれられたが、仕方がない。
日本語は前世での母国語だ。
スラスラ読めたところで、なんの不思議もない。
「写本の方でしたら、ベッドの上で読んだり、横でお茶を飲んだりしてもいいですよね?」
「そもそもベッドの上で寝転がって読んだり、菓子の食べかすをボロボロと零すのはどうかと思うが、おまえが使いやすいように作った写本だろう。メモに書き込んだ文字と、写し取った文字の違いが判るように使うのなら、それで問題はない」
こんな感じにアルフレッドからの許可はとれたので、遠慮なく写本は自室へと持ち込むことにした。
これは世界に一つしか残っていない聖人ユウタ・ヒラガの研究資料原本ではなく、あくまで写本だ。
また新たに作り直すことができるので、火のある部屋でも扱うことができる。
……本格的な冬が来る前に写本できてよかった。
暖炉が使えなくとも暖が取れるように、と
冬でも火が使えるようになったおかげで、暖かい部屋で炬燵に入ることができる。
……冬に炬燵でアイス、とかできそうだね。
氷菓子という意味では、実は王都よりもグルノールの方が手に入りやすい。
これは単純な距離の問題で、エラース大山脈で採れる氷を運ぶ手間を考えれば、王都よりグルノールの方が安いのは誰にでも判るだろう。
ただ、グルノールの方が安く手に入るというだけで、王都で氷がまったく手に入らないというわけではない。
私が滞在している離宮は王城の中にあるので、贅沢をするぞ、と腹を決めれば氷を取り寄せることも可能だ。
「……ティナ、よだれ」
また食べ物のことを考えていただろう、と指摘されて口を閉じる。
慌てて口元を撫でてみたのだが、よだれらしい感触はない。
少しからかわれたようだ。
「で、今度はどんな菓子のことを考えていたんだ?」
「アルフレッド様、失礼ですよ。わたくしだって、いつもお菓子のことを考えているわけではありません」
「では、私との話しの途中に何を考えていたのだ?」
「え? おコタでアイスは最高だなぁ、と……」
促されるままに答えて、気が付いた。
たしかに、直前まで考えていたことは食べ物についてである。
「ティナ、アイスは判るが、おコタとは?」
「炬燵のことです」
やはり食べ物のことを考えていたのではないか、とアルフレッドが呆れているのがよく判った。
物言いたげな目で見つめられ、場を誤魔化すために一枚の紙をアルフレッドからよく見えるように掲げもって自分の顔を隠す。
アルフレッドの視線が紙の上を走るのを感じながら、次の話題はないかと忙しく思考した。
「……クリスティーナ、この書類はなんだ?」
「昨日までに、新たに発見した秘術の処方箋です」
これを提出すればまた会議が長引くと思うのだが、どうしようかと相談したくて、アルフレッドの訪れに合わせて書類として纏めておいたのだ。
予想通りというのか、書類を前に私の頬へと伸ばされるはずだったアルフレッドの手が下りる。
「これ、提出しない方がよろしかったでしょうか?」
会議がまた延びるよね? とあとから処方箋を追加している身ではあったが、心配になってきた。
怖々と書類の影から顔を出してアルフレッドを見上げると、一度盛大な溜息をはいてから、下ろされたはずの腕が私の頬へと伸びてくる。
「だからといって、黙ってもいられないだろう」
ムニッと頬を抓るのは、アルフレッドなりの意趣返しだろう。
仕事を増やされて腹も立つが、内容が内容なので怒ることもできない。
そんなやるせない感情が込められている気がしたので、甘んじて頬を抓られることにした。
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