第34話 子守女中とチーズケーキ

 離宮の女中メイドにカリーサが加わって、気が緩んだのだと思う。

 思うというか、緩みすぎた。

 少しだけ淑女の仮面を被り直すことに苦労して、ヘルミーネのお説教内容が増える。

 これはまだまだ完全に感情の制御ができない私のせいでもあるので、甘んじて受けるしかないだろう。


 ……なんか、王都って私まで愉快犯に毒盛られるような場所なんだけど、ホントにエルケたちにいてもらっていいのかな?


 知らず知らずに持ち込まれる毒に、今度はエルケとペトロナがスティーナやその女中と同じ目に合わせられるのではないかと不安になる。

 私が物を口にする時には犬が側へと置かれるようになったが、毒物というものは口から入れるものだけではない。

 食べ物以外へも警戒が必要となれば、エルケたちが知らずに毒を運ばされることもあるかもしれないのだ。

 そうなってしまえば、二人はあっという間に罪人にされてしまう。

 私へ毒を盛ろうとした、という罪でだ。


 ……絶対に、エルケとペトロナは無事グルノールまで返さなきゃ、ね。


 私にできることといえば、自分でも毒に気をつけることぐらいだろう。

 それでも、これまでのようになんの疑いもなく過ごすよりかは役に立つはずだ。







「……ジンベーが居ません!」


「ジンベー?」


「なんですか、それは?」


 新しい職場である、と私の部屋を三人へと見せていたのだが、ベッドの天蓋の中に巨大な熊のぬいぐるみがないことにカリーサが反応した。

 突然『ジンベー』だなどと名前を言われても解らないエルケとペトロナは、先輩女中であるカリーサの反応に戸惑っている。


 ……そういえば、グルノールの私の部屋にエルケたちを呼んだことってなかったかもしれない。


 館へと二人を招くことがあったとしても、居間や応接室だったはずだ。

 私のベッドに陣取る巨大な熊のぬいぐるみは見たことがないはずである。


 ……っていうか、十一歳にもなって、ぬいぐるみと一緒に寝てるって、ありなんだろうか。


 ぬいぐるみというサイズ感ではないのだが、字面的には『ぬいぐるみと寝ている』で間違いない。

 立たせればレオナルドの身長などゆうに超える巨大なぬいぐるみであっても、だ。


 ……でも、ジンベーはぬいぐるみというより、枕扱いだしなぁ……?


 もしくは、背もたれだろうか。

 およそ「ぬいぐるみと一緒に寝ている」と言って想像される使い方ではない。


「王都のお部屋は、グルノールのお部屋と似せて整えられるから、お嬢様に違和感はないはずだとアルフ様からお聞きしていたのですが……」


 話が違う、とカリーサは憤慨していた。

 アルフ経由で聞いた話は、アルフレッドがグルノールの私の部屋に似せて離宮の部屋を整えるので、私が違和感やストレスを覚えることはないはずだ、とのことだったらしい。


「……アルフ様が、大丈夫だとおっしゃられるので、安心して二人を教育していたのですが」


 こんな状況ならば、教育を後回しにしてでも真っ先に王都へ来るべきだった、とカリーサの子守女中ナースメイド魂に火がついた。

 王都へは女中として来てもらっているはずなので、いつまでも子守気分で甘やかされても困るのだが、なんとなくホッとして肩から力が抜ける。

 そろそろ兄に甘えてばかりいていい年齢ではないだとか、淑女としての振る舞いだとか、早く大人になれと急かされている気がして、少し窮屈だったのだ。

 もちろん、必要なことだということも解ってはいるのだが、私は自分の速度で大人になりたい。

 それが許されないことだとしても、あまりにも急かされるのは嫌だ。


「カリー……」


 もう一度カリーサにハグをしよう。

 ここしばらくの寂しさを埋めるのだ、とカリーサに向かって手を伸ばしかけたのだが、カリーサは妙なスイッチが入ってしまったらしい。

 いい笑顔で私に振り返ると、レオナルドが言いそうなことを言い始めた。


「お嬢様、ジンベーを作ります!」


「え? 作りましょうでも、作りませんか? でもなくて、作ります! ですか?」


 必要かどうかを問われるのではなく、必要であると断定口調だ。

 カリーサにとって、私の部屋に巨大な熊のぬいぐるみがないということは、それだけ重要なことだったらしい。

 マンデーズの館も私のためにと整えたのだが、グルノールの私の部屋に鎮座する熊のぬいぐるみに、密やかな衝撃を受けていたのだとか。

 あれほど存在感のあるぬいぐるみのないマンデーズの部屋など、まったく「私の部屋として整えた」とは言えないものであった、と。


 ……そこまで拘ってくれなくてもいいんだけどね。や、あったらいいな? とは思ってたけど。


 バシリアから贈られた宝石箱の隠し場所に、とついさっきまで考えてもいた。

 カリーサが作ってくれるというのなら、言葉に甘えてもいい気がする。


「……ジンベーはグルノールでお留守番をしているので、猫か犬がいいです」


 熊でなくて良いのか、と聞かれたので、猫も犬も好きだ、と主張しておく。

 熊のぬいぐるみはレオナルドが思いつきで買ってきたものであり、私が好んでおねだりしたものではない。

 せっかく作ってくれるというのだから、ジンベーはグルノールにいる一体のみとして、別のぬいぐるみと判りやすい動物が良い気がした。


「……では、犬にいたしましょう。お嬢様にはすでに犬が二匹付いていますので、もう一匹いたら、グルノール騎士団の紋章と同じになります」


「グルノール騎士団の紋章というと……ケルベロスでしたね」


 前世の知識では冥府の番人だったと思うのだが、この世界の知識としては宝の番人だ。

 お宝の隠し場所としては、最適かもしれない。


 カリーサがせっかく作ってくれるというので、少し欲を出して注文してみた。

 ジンベーより一回り小さく、季節ごとに部屋を移ることになるので、腕や胴体はばらして運べると嬉しい。

 熊のぬいぐるみに対しても少し考えたことがあるのだが、腹部に扉を付けて中に物をしまったりできるようには作れないだろうか。

 あれもこれもと思いつくままに要望を出すのだが、カリーサはそれを実現可能な案へと修正してくれる。

 カリーサがとてもやる気を出してくれているのは良いのだが、エルケとペトロナは若干置いてけぼりだった。

 もしかしたら、王都に来るまでは少し人見知りでおとなしいカリーサしか知らなかったのかもしれない。







 カリーサが来てくれたおかげで、離宮での暮らしがグッとグルノールに近いものになった。

 料理人が入れ替えられた影響もあるのだが、カリーサは私の味の好みを知っている。

 以前の主が好んだ味から少しずつ変えていった味付けが、カリーサが主導となって私の好みを伝えに行ってくれるため、一気に私好みの味付けへと変わった。


 休憩時間のお菓子も料理人が作ってくれていたのだが、これもカリーサ作に変わる。

 控えの間に作られた簡易の台所でプリンやチーズケーキを作りながら、エルケとペトロナの教育を引き続き行なってもいた。


「……違和感、少しでもあったら、絶対に手を触れない。護衛のアーロン様へ報告するように」


 説明をしながらカリーサは、鍵のかかった棚の扉を開いてエルケとペトロナに中を見せる。

 私が口にするものが納められている棚の中身は、すべて未開封の新品だ。

 そのため、誰かが開封をして何かを混入させれば、すぐに気づくことができる。

 以前はこの棚の鍵をヴァレーリエとナディーンが管理していた。

 普通であれば女中ではなく侍女が預かる大切なものなのだが、アルフレッドの紹介と、私の子守女中をしていたという経歴から、カリーサが預かることになったのだ。

 自分が守ってきた子どもを、間違っても危険になどさらさないだろう、と。


 ……とても大切な教育をしている、ってのはわかるんだけど?


 なぜジゼルまでカリーサの講義に加わっているのだろうか。

 ジゼルは護衛として私の背後に立っているのだが、時折「なるほど」「そんな意味が……」などといった感心しているらしい声が聞こえる。

 こうして私の護衛につくことになってから学んでいるさまを見ると、本当に白騎士はお飾りなのだな、としみじみ思う。

 公平で公正なレオナルドですら「門番ぐらいしか任せられない」と言ってしまうような騎士団だ。

 夜這いの斡旋をしでかした白騎士を知っているので、私の感想としては「門番すら任せられない」となっている。


 棚から未開封の小麦粉と砂糖を取り出し、エルケとペトロナに『確かに未開封である』と確認をさせる。

 卵とバター、チーズといった調理場から持ってきた他の材料は、また違う確認の仕方をしていた。


「それではお嬢様、本日はどのようにいたしましょう?」


「えっとですね、チーズケーキは天板に水をはって蒸し焼く、底にはクッキー生地が敷いてあって、中にヌゼールを入れると美味しいと聞いたことがあります」


 ヌゼールとは、前世で言う干し葡萄のことだ。

 前世で聞いた美味しいチーズケーキの作り方を思いだし、材料などの細かい数字はわからなかったので、お気に入りの店のレシピを元に再現してもらうことにした。

 なにしろ本当に聞きかじった程度の記憶しかないので、本当に美味しい物が作れるのかはわからない。


 ……でも、蒸し焼くのも、底にクッキー生地を敷くのも、干し葡萄を入れるのも、不味くなる要素はないと思うんだよね。


 問題があるとしたら、初めての試みということで、それぞれの味が調和しないであろうことだろう。

 これは本当に美味しかった場合にカリーサが何度か作って調整してくれると思うので、今日は考える必要はない。

 現に、少し思いつきとして語っただけのことなのだが、カリーサはすでに味の調整についてを考え始めている。

 底にクッキーを仕込むのだから、甘さは控えめにするべきか、むしろ味ではなく食感を意図してのものだろうか、と。


「それでは、お嬢様。完成しましたら休憩時間にお出ししますので、お仕事がんばってください」


「はーい」


 写本作業頑張れ、と送り出してくれるカリーサに、つい気の抜けた返事をしてしまい、慌てて口を押さえる。

 カリーサが来てくれてからというもの、私の気は抜け続けていた。

 そのため、すぐ横には物言いたげな顔をしたヘルミーネが立っている。


「えっと……、楽しみにしています、カリーサ」


 これでどうだろう、と姿勢を正して淑女らしく言い直す。

 チラリとヘルミーネを見上げると、ヘルミーネは苦笑いを浮かべていた。







「……少し長すぎる気がします」


 約束通り、休憩時間に運ばれてきたチーズケーキ改を口へと運び、今日も私の休憩に付き合ってくれているジャスパーに愚痴る。

 聞きかじっただけの改良点だったのだが、チーズケーキの仕上がりは随分変わった。

 まず、蒸し焼いた効果なのか生地はしっとりと柔らかい。

 そのくせ底に敷いたクッキー生地のおかげでさっくりとした歯ごたえもあり、干し葡萄の味も良いアクセントになっていた。

 クリストフのおかげでさまざまな店のチーズケーキを食べていたが、これだけ食感に差が出てくるのなら、あれらの中に蒸し焼きにしたものはなかったのだと思う。

 これならば、いつかバシリアへのお土産にしても良いかもしれない。

 そういえばレアチーズケーキは見かけないな、と考えていると、ジャスパーから愚痴に対する慰めのようなものが返ってきた。


「お偉いさんの会議なんてものは、こんなものだろう」


「長すぎますよ。いっそ、わたくしを王都へ縛り付けておくためにわざと会議を長引かせているのではないかと、勘繰りたくなります」


 そう愚痴ってはみるのだが、やはりジャスパーの言葉の方が一理ある。

 国どころか、セドヴァラ教会の恩恵を受けられる範囲に住むすべての人間に影響のあることだ。

 聖人ユウタ・ヒラガの秘術を復活させる順番など、確かに一朝一夕に決められることではないのかもしれない。

 リストを作りました、この中から三つ復活させます。その三つを選んでください、と言ったところで、じゃあコレとコレ! とすぐに決められる為政者せきにんしゃはいないだろう。


 ……早く薬作って、グルノールに帰りたいよ。


 自分で使うための写本はまだ半分もできていないが、そろそろ写本作業にも飽きてきた。

 残念なことに、私には写本に対してジャスパーほどの根気も集中力もないのだ。

 早く次の作業に移りたかった。

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