第33話 新しい女中とバシリアの宝石箱

 スティーナが捕らえられ、その女中メイドが自殺したあと、離宮の人員が整理された。

 白銀の騎士や犬の鼻を使った捜査で、第二王子やその周辺貴族と接触があった者たちらしい。

 明確な罪に問える人間は一人もいないことが少し残念なところだ。

 怪しきは罰せず、と言えば聞こえはいいが、今回の場合は怪しい者は遠ざける、職を奪うということになっている。

 ただ仕入れ先の業者が第二王子の友人貴族と懇意にしている、というだけで職を失うことになった彼らは完全に被害者であろう。


 ……まあ、人が少ないのは、個人的には気楽でいいんだけどね?


 グルノールの館は、今はサリーサが手伝いに来てくれているが、基本的に使用人はタビサとバルトの二人しかいなかった。

 さすがにこれが少なすぎる人数だということは判るが、離宮のように料理を担当する者が料理人二人の他に台所女中キッチンメイドと複数いたりするのは多すぎると思う。

 離宮に用意された料理人の数もそうだが、今はフェリシアが滞在中ということで彼女専属の料理人もいるのでさらに多い。


 そして、多いのはなにも料理人の数だけではなかった。

 離宮には洗濯女中ランドリーメイド家女中ハウスメイド、庭師やその助手といった人間もいて、本当に人数が多いのだ。

 離宮で働いている人数に比例して、怪しい人物が混ざっているかもしれない可能性も増えるとは思うが、そんなことよりもそもそもが人見知りである私には辛い環境でもある。

 こういった意味では、顔を覚えきれない人の数が減ってくれるのは少しだけありがたい。


「離宮には優秀な人間が集められたと聞いていたのですが」


「アレのやり口は防ぐことが難しい。言葉巧みに近づいて、自覚のないままに毒を盛らされることがある」


 おまえもそうだろう、とアルフレッドに指摘されれば、否定はできない。

 毒を盛った、という意味では私もジャスパーに対して毒入りの砂糖をお茶に混ぜるという行動を確かに取っていた。

 あの時の私は糖分補給の名の下に、悪戯目的で砂糖どくを入れた。

 最初から毒を入れる自覚などなかったのだ。


「おまえを個人的に崇拝している人間であれば、アレの言葉など耳に入れないだろうが……離宮の人間は私たちが集めた人間だからな。優秀ではあるが、隙もある」


「……私が彼等の主になれていない、ってことですね」


 主従の間に完璧な信頼関係があれば、そもそも他所から毒など入り込む余地がないらしい。

 主のためにと唆されても、他人の言葉などまる飲みにはしないそうだ。


「私がもっとちゃんとした淑女あるじになって、使用人たちの心を掴まないと」


「そういえば、女中を貸すという話をしたな。この騒ぎで人も減ったことだし、次に来る時には連れてこよう」


 そんな発言の後日、アルフレッドが連れて来た女中は、実によく働く女性だった。

 侍女が半分減り、離宮の使用人自体もグッと減った職場では、仕事が多くて大変だと思うのだが、ソラナという名の女中は毎日笑顔でクルクルと働く。

 彼女曰く、「クリスティーナお嬢様はアルフレッド様と違って無茶振りをしないので夢のような職場です」だそうだ。

 いずれグルノールの街へと戻る予定であると伝えると、涙と鼻水ながらに「その時は私も連れて行ってくださいっ!!」と縋りつかれた。

 アルフレッドは普段彼女にどんな無茶振りをしているのだろうか。


 ……もしかして、ソラナ視点のアルフレッド様って、ほぼ『』の部分なのでは?


 公的な場では分別ある振る舞いをするアルフレッドだったが、私的な場では台風のような王子さまだ。

 それに付き従う職場と思えば、ソラナは間違いなく苦労性であろう。


 ……うん、私だって、アルフレッド様の館の女中なんてなりたくないよ。絶対心労で胃に穴が開く。


 よく働くソラナに私が慣れはじめた頃、離宮へとバシリアがやって来た。







「ようこそ御出でくださいました、バシリア様」


 淑女らしく今日は玄関ホールで出迎えてみたのだが、私の姿を見るなりバシリアは色をなして怒り始める。

 ズカズカと距離を詰めてくるバシリアに黒犬オスカー黒柴コクまろが反応したが、犬が怖いようだったバシリアは少し怯んだだけで、私の肩を掴む。


「体調を崩したと聞いてお見舞いに来ましたのに、なんでお出迎えなんてしていますの!? 寝ていなければダメでしょう!?」


「にょおおおおぉぉおお!?」


 ガクガクとバシリアに体を前後へ振られ、逆に目を回しそうだ。

 ただ、バシリアの怒りの理由は判った。

 言葉通りだ。

 体調を崩していると思われた私が、玄関ホールで出迎えたことを心配してくれているのだろう。


「ひゃわっ!?」


 ぬるっと私とバシリアの脚の間を黒犬が通り抜ける。

 周りの人間の反応から、バシリアが私に危害を加えているわけではないと理解しているのか、実力行使で引きはがしにはこないのだが、バシリアには効果覿面だった。

 ガクガクと揺すっていた私の肩から手を離すと、今度は背後へと回って私を黒犬との間の盾にする。


 ……ほんの一瞬前に平気だったのは、怒りの勢いだったんだね。


 平静になってしまえば、やはり犬が怖いらしい。

 私の背後から顔を出して黒犬の動きを警戒していた。


「……そういえば、今日はご招待していませんけど、王城へ入れたのですね」


「お姉様がフェリシア様にお願いしてくださったのですわ。なんでも、先日の借りを返していただいた、とか言っていましたの」


「先日の借り、ですか?」


 はて、なんのことだろう? と首を傾げると、カップを私の目の前に置きながらそっとソラナが耳打ちしてくれる。

 フェリシアの借りとは、前回のバシリアとのお茶会で、知らなかったとはいえ毒入りケーキをバシリアに土産として持たせてしまったことだそうだ。

 私がアーロンに毒消しを飲まされて寝ている間に、フェリシアとアーロンが対応してくれていたらしい。

 毒に気づいたフェリシアがバシリアの家へと使者を送り、土産として渡したケーキを回収したのだとか。


 ……シェスティン様、ぐっじょぶ。


 いち早くケーキの異常に気づいたシェスティンがバシリアからケーキを取り上げていたため、バシリアは毒を口にしていない。

 それでも念のため、と毒消しを飲ませたとは聞いているが、こうして元気な姿を見られて安心した。


 そろそろ庭での茶会は肌寒いから、と庭がよく見える部屋へとバシリアを案内する。

 以前のお茶会のように凝った趣向は用意できなかったが、お茶菓子自体は私のおやつとして常に用意されているため、突然の来客にも対応できた。

 バシリアは時折黒犬が気になるのか扉の方へと視線をやり、私の足元の黒柴へと視線を落とす。

 先日以来、飲食をする時には必ず犬を側に置くようにしているので、バシリアには少し落ち着かないかもしれない。


「リボンのお礼がまだでしたでしょう? 本日はこれを渡しに来ましたの」


「わっ、可愛い……」


 バシリアがボビンレースのお礼に、とくれたものは、宝石箱だった。

 それも、ただの宝石箱ではない。

 前回のお茶会で、私が作ったケーキに似せて作られた宝石箱だ。

 クッキーで飾った側面は柔らかい布で覆われ、お菓子や果物を飾った上部も、ノラカムで作った猫までもが再現されている。


「中のスポンジも再現してくださったのですね」


 上蓋を開けると、内側に張られている布が見えた。

 丁寧に白とピンクのモザイク柄になっていて、とにかく可愛い。


 何を入れようかな、と早速考え始めると、そっぽを向いてバシリアが一言つぶやく。


わたくしとお揃い、ですわよ」


 照れ隠しにツンと外を向いているのだが、バシリアには主張せずにはいられない大切なポイントだったのだろう。

 可愛いな、と頬が緩むのを感じながら、ありがとう、と素直にお礼を伝えた。







 折角可愛い宝石箱をいただいたので、と宝石箱の中へと私の宝物を入れる。

 宝石箱だというのに宝石は一つも入っていないが、宝は宝なので良いだろう。


 ……オレリアさんから貰ったリボンと、レオナルドさんの素描デッサンをしまっておこう。


 綺麗に巻いたリボンと素描の描かれた紙を納め、まだまだスペースのある宝石箱に頭を悩ませる。

 折角の宝石箱なのだから、何か入れたいとは思うのだが、この二つ以上のお宝が思い浮かばなかった。

 宝石箱なのだから、宝石を入れれば良い。

 そうは思うが、レオナルドが買ってくれた髪飾り等の装飾品も持ってはいるが、なんとなくこの可愛らしい宝石箱にしまう程には特別感がない。

 この宝石箱には、私にとって一等級のお宝だけをしまっておきたいのだ。


 ……まあ、いいや。お宝なんて、無理矢理決めるものでもないしね?


 次はこの宝石箱をどこに置こうか、と考えて室内を見渡す。

 せっかく可愛いのだからすぐ見られるところに置きたいが、中身は私の大切な宝物だ。

 泥棒にでも盗まれたりしないよう、誰にも見つからない場所へと隠したい気もする。


 ……な、悩ましい。


 悩ましくはあるのだが、楽しい悩みだ。

 グルノールの自室であれば巨大な熊のぬいぐるみの影にでも隠すのだが、離宮にジンベーはない。

 さて、どうしようと悩むことすら楽しんでいると、ノックとナディーンの声が聞こえた。


「クリスティーナお嬢様、新しく離宮に入る女中を紹介にまいりました」


「はーい」


 反射的に間延びした返事をしてしまい、すぐに背筋を伸ばす。

 恐るおそる今は女中として側に控えていたヘルミーネの顔を見れば、物言いたげな顔をしていた。


 ……失敗しました。淑女は何時いつ如何いかなる時でも気を抜かないもの!


 油断をして何度か失敗しているのだが、なかなか身につかない。

 それでも返事をしてしまったからには、とヘルミーネから視線を扉へと戻して姿勢を正す。


 ……あれ? でも女中が入ったからって、ナディーンが連れてくることなんてあったっけ?


 離宮での女中の地位は、どちらかと言えば使用人に近い。

 侍女が新しく入ったというのなら紹介に連れてくるかもしれないが、女中は普通連れてこないだろう。

 知らないところで雇い入れられて、知らないところで解雇されていそうなのが使用人だ。


 なにか変だぞ、と扉を見つめ、ナディーンに続いて部屋の中へと入って来た人物を見て頭が真っ白になる。

 ほんの数瞬前まで宝石箱をどこへ置くかで思考を占められていたのだが、その宝石箱を机の上に置き去りにして新しく入ったという女中の元へと駆け寄った。


「カリーサだっ!」


 スコーンと見事に淑女という名の猫が脱げて、目の前のカリーサへと抱きつく。

 喜びのあまり力いっぱい抱きしめたら、背後からヘルミーネの咳払いが聞こえた。


「クリスティーナお嬢様」


「淑女は一時的に強制終了しました! カリーサ分を充電中です。充電が終わるまでしばらくお待ちください」


「ティナさん」


「怒っても無駄ですよ! わたしはカリーサ分を充電するまでは、ここを動きませんっ!」


 勢いに任せてヘルミーネに反抗しつつ、それでも怒り顔が怖い気がするのでカリーサの胸へと顔を押し付けて隠れる。

 最近の私には、ハグが足りなかったと思うのだ。

 レオナルドがいれば特に不足することはない成分なのだが、そろそろ二ヶ月近くハグがない。

 グルノールの館であれは熊のぬいぐるみに背を預けることで多少寂しさを誤魔化せたのだが、やはり本物には劣る。

 アルフレッドやフェリシアも私を甘やかしてはくれるが、家族ではないのでハグはなかった。


 後日反省会です、と呆れつつもヘルミーネが引く気配を感じ、安心してカリーサへと擦り寄る。

 少しだけ呆れたような溜息が上からも聞こえたが、カリーサは優しく私の頭を撫でてくれた。


「……たお世話になります、お嬢様」


「うん! お世話してっ!」


 人肌を求めて心行くまでカリーサを満喫しようと思ったのだが、なにやら小さな笑い声が聞こえてくる。

 なんだろう、と少しだけカリーサの体から顔を上げて声のした方へと視線を向けると、そこには知った顔が二つあった。


「エルケちゃんとペトロナちゃん? なんで離宮に……?」


 グルノールの街にいるはずの友人二人の姿に、これは幻かと自分の正気を疑う。

 カリーサの登場に浮かれすぎて見ている幻か、ハグが足りなくて寂しさから見ている幻か、どちらにせよ、二人が王都にいるはずがない。


「……アルフ様の、手配です。お嬢様が王都で、寂しくないように……アルフ様が、二人を女中として雇い入れ、ました」


 カリーサの到着が予定よりも遅くなったのは、エルケとペトロナに女中としての仕事を教えていたためらしい。

 本当はミルシェも送り込みたかったそうなのだが、平民とはいえお嬢様である二人とミルシェでは教育にかかる時間に差がありすぎる。

 エルケたちならば少しの指導で離宮の女中として送り出せるが、ミルシェを離宮に入れようと思えば立ち居振る舞いのすべてを躾け直す必要があるだろう。

 もしかしなくとも、ミルシェを女中として教育し終わる前に、私がグルノールの街へと帰っているはずだ。


「本日より、ティナお嬢様付の女中として働かせていただくことになりました。エルケと申します」


「ペトロナと申します。ティナお嬢様を精一杯支えさせていただきますので、なんなりとお申し付けください」


 綺麗な貴人向けの礼をとり、エルケとペトロナが私に頭を下げる。

 グルノールから友人たちが駆けつけてくれたことは嬉しいのだが、二人を女中として扱うことには抵抗があった。


「二人はわたしの友だちです。お友だちがいなくなっちゃうのは……嫌、ですよ」


 きっちりと主従の線引きをして見せたエルケとペトロナに、悲しくなって駄々を捏ねる。

 自分がこんな風に我儘を言う子どもだなんて、今の今まで知らなかった。

 お嬢様と商人としての買い物や、ミルシェを買うかとレオナルドに問われた時にだって、ちゃんと正しいと思える判断ができていたのだ。


 ……女中として近くにいてくれるんなら、当たり前の態度なのに……なんかヤダ。


 二人を使用人メイドと認めることができなくて、きゅっと唇を引き結ぶ。

 なんと言えば元の関係が取り戻せるのかと必死に考えていると、顔を見合わせたエルケとペトロナが、そっと私の手を取った。

 僅かに視線が上へとあがり、カリーサになんらかの許可を取る間が空く。


「ティナちゃん、私たちが女中としてお仕えするのは、ティナちゃんが王都にいる間だけですよ」


「グルノールの街に帰ったら、また元通りのお友だちだよ」


 あ、もちろん商人として館に呼んでくれた時はお嬢様と商人だけど、と苦笑いを浮かべつつ追加された。

 どうやら、二人の中ではすでに主従の線引きが終わっているらしい。

 あくまで王都にいる間だけだ、と繰り返し、私の手を撫でてくれた。

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