第32話 砂糖壺と二匹の犬

 私がクリストフへと提出したリストは、当たり前のことだが大仰に扱われることとなった。

 私としてはすぐにでも秘術を復活させる作業に移りたかったのだが、復活させる薬の数は三つとしていたため、その三つを選ぶために連日会議が開かれているのだとか。

 特に、実作業において絶対に手を借りることになるセドヴァラ教会の権利の主張が激しいらしい。

 労働力を提供するのだから、復活させる秘術の選定にも加わらせろ、と。

 クリストフもこれには一理あるとして、セドヴァラ教会の人間が会議へと加わることを許したため、会議が長引くこととなった。


「ひ~ま~で~す~」


 早くやることをやってグルノールの街へと帰りたいのだが、なかなか決まらない復活させる三つの薬に、手持ち無沙汰になって愚痴る。

 作業が作業なので、作業中の居間へはヘルミーネが近づけない。

 そのため、ここしばらくは取り澄まして淑女の仮面を付けていたのだが、素を出して愚痴っていた。


「……いっそ、わたくしが使う用の写本でも作りましょうかね?」


 読み込んでいる間にどうしてもメモや走り書きをしたい部分が出てくる。

 そのたびに別の紙へとメモを取っていたのだが、あとで元になった一文とメモを照らし合わせるのが大変だったのだ。

 それならば、書き込み自由な写本を作ってしまった方がいいだろう。

 なにより、写本であればベッドや畳の上でゴロゴロと粗雑に扱ってもいいはずだ。


「読み込むのもアレだが、写すのも早いな」


「わたくしの場合は、筆跡まで真似る必要はありませんからね。自分が読めればいい、ということもあります」


 また後ろから覗かれても平気なように、と日本語の文章を日本語で書き込んでいく。

 書き損じの黒い毛虫も、下の文字が読めた場合には一応写しておいた。

 今度の写本作業は、筆跡を意識しなくてもいいので、読み直しながら作業ができる。

 一度目に読んだ時は処方箋レシピを拾い取ることに注視していたので、改めて読み直すと初見では気づかなかった発見もあった。

 完全ではないから、と一度は除外した処方箋を完成させるためのヒントがあったり、処方箋として纏められてこそいなかったが雑記部分では完成させられていたりと、見落としも多い。


「二時間で三枚、ってところでしょうか?」


「俺は一日一枚も進まないことがあるんだが……」


 これが日本語の読めている者と、読めていない者の差である。

 私としては二時間で三枚しか書き写せない、と落ち込みもするのだが、他者ひとの文章をそのまま写し書くというのは案外時間がかかった。

 こんな作業を筆跡まで真似て延々続けてきたジャスパーの根気は凄い。


「どうせ写本を作るのなら、先に翻訳本を作ったらどうだ?」


「それもいいと思いますが、翻訳が終わったらわたくしは用済みですからねぇ……」


「役目から開放されて、結構なことじゃないか」


「国王様の庇護がなくなったら、今度は祖父やら求婚者で面倒なことになります」


 そういえばジャスパーには話していなかったな、と王都に来てからのことを少し話す。

 なにやらこの顔をお好みな貴族がいるようで、贈り物や恋文が届き、夜這いをしかけて離宮への不法侵入を試み、捕縛された者もいる、と。

 恋文辺りではからかうような顔をしていたジャスパーも、夜這い未遂の話になると顔色を変えた。

 日本語が読める転生者として離宮にいるうちは国によってあらゆるものから守られるが、ただの功爵の娘となれば政略結婚や上位者からの理不尽な要求に晒されることになるだろう。


「クリストフ様は、自分の身を守るための武器を持てとおっしゃられたので、わたくしが情報を出し惜しみすることに関しては黙認してくださると思います」


 日本語が読めるということ自体が私の価値であり、それ以外の価値など何もない。

 ならば、できるだけ長くこの価値を握り続け、情報は小出しにしていく。

 これが私に考え付く、私が平穏に暮らすための最良の手段だ。


 ……人として、ちょっとどうかとは思うけどね。


 とはいえ、研究資料を翻訳したとしても、すぐに私の価値がなくなるわけではない。

 翻訳内容が本当に正しいかと確認するための研究が必要になってくるし、それにはまだ私の手が必要になるだろう。

 秘術の復活には私も賛成なので、自分の平穏な人生さえ保障されるのなら、翻訳本を作ることに異論はない。


「一応は、ちゃんと考えていたんだな」


「一応は余計ですよ」


 意外そうな顔をしておどけるジャスパーに、唇を尖らせて抗議する。

 私は若干馬鹿正直ではあるが、そこまでの馬鹿ではないつもりだ。

 多少なりとも考える頭はある。







 使用するための写本作業の合間に休憩を取る。

 休憩時間ぐらいはテーブルの上を片付けてお茶を飲む。

 これはジャスパーから聞いた話なのだが、グルノールの館でのジャスパーはひたすら写本作業に打ち込み、休憩時間などほとんどなかったらしい。

 少しでも早く写本を作りたい、と食事の時間すら惜しく、くたくたになるまで煮込んだ野菜のスープと、それにパンを浸したものを飲み込むように食べていたのだとか。


「なんですか、それ。もっと早く言ってください。そんな食生活で、いいわけないじゃないですか」


「言っとくが、これは俺がおまえのトコの使用人に出した注文だからな。虐待とか、奴隷扱いとか、そういうんじゃないぞ」


 あくまで合理性を考えての決断である、と言うジャスパーに、かける言葉が見つからない。

 ただ、合理性がどうのと言う割には、私の休憩には付き合って手を休めてくれているので、ジャスパーなりに私を気にかけてくれていることはわかる。

 それが解ったのでさらにかける言葉が見つからず、苛立ちまぎれにジャスパーのお茶へと砂糖を山盛り三杯投入した。


「……おい」


「糖分補給ですよ。頭を使うお仕事には、糖分が必要です」


「それにしたって入れすぎだ。お茶菓子も甘いのに、茶まで甘くしてどうする」


「離宮の味付けは、これでも薄くなった方ですよ」


 王都に来たばかりの頃は味付けが濃かった、と主張する。

 現在の味付けは、料理人の日々の研究の成果だ。

 以前の濃すぎる味付けは、私の好みではないと少しずつ味を改良してくれた結果である。

 料理人の努力を馬鹿にするな、とプリプリと怒りながらお気に入りのチーズケーキを口へ運ぶと、料理人に対する文句ではなく、砂糖の入れすぎである、と訂正しながらジャスパーがお茶を口へと含む。

 甘すぎると文句を言いつつもちゃんと飲むのだから、ジャスパーは甘党かお人好しだ。


「……おまえの茶にも、砂糖を入れていたな」


「入れましたよ? 二杯ですけど」


 それがどうかしましたか、と聞き返そうとしたら、ノックが響いた。

 レベッカがアルフレッドの来訪を告げて扉を開けてくれたのだが、その扉の隙間から黒犬オスカー黒柴コクまろがスルッと居間へと侵入してくる。

 インクを使う作業なので、と写本作業中は部屋から出していたのだが、休憩中であると気が付いて入ってきたのだろう。

 二匹を迎えようとフォークを下ろすと、黒犬が耳を伏せる。

 なにか変だぞ、と異変を感じた時には、黒犬は助走を付けてテーブルの上へと飛び乗っていた。


「オスカー!? 何するんですか!?」


 驚いて椅子を倒して立ち上がり、まずは黒犬をテーブルから下ろさなければと考える。

 自分がやるべきことは判るのだが、いつもとは違う黒犬の様子に、なんとなく怖くなって次の行動に移ることができなかった。

 呆然とテーブルの上を見つめることしかできない私に、黒犬は目を向けることなくテーブルの上を嗅ぎまわると、砂糖壷を鼻で押し倒す。

 中から砂糖が零れ出ると、背後からスティーナの悲鳴が聞こえた。


「今度はなんですか?」


 黒犬の乱入の次はなんだ、と背後を振り返ると、あろうことか黒柴がスティーナに襲い掛かっている。

 執拗に腕へと噛み付こうとしているように見えるのだが、狙っているのはエプロンのポケットにも見えた。

 ポケットを押さえようとするスティーナの手を狙って、黒柴は噛み付いているのだ。


「コクまろ! 何してるんですか! ダメですよ! 噛んじゃダメっ!」


 二匹の犬の凶行に、事態が理解できなかったのは私だけだった。

 レベッカが部屋へと踏み込んできて私を抱き寄せると、視界が塞がれる。

 何も見えなくなった、と理解した時には少し大きな音が響く。

 何の音だろうとレベッカの胸から顔を出すと、床に伏せられたスティーナと、スティーナを組み伏しているアーロンの姿があった。


「……なんですか? 何があったんですか?」


「説明はあとでいいから、おまえは毒消しを飲んでおけ」


「毒消し?」


 なんで突然毒消しなど、とテーブルの反対側にいたはずのジャスパーへと顔を向ける。

 突然テーブルへと飛び乗ってきた黒犬に驚いているはずのジャスパーはというと、手にしたカップの臭いを黒犬に嗅がせていた。


 ……毒消しを飲む必要があって、カップの中身をオスカーに確認させて……?


 犬が部屋へと乱入してくる前に、ジャスパーは自分になんと言っていたか。

 それを思いだすと、自分がしでかしてしまった事実にも気が付く。


「わ、わたし……ジャスパーに、毒を……?」


「おまえが盛ったわけじゃない。砂糖壷に混入されたものを、知らずに茶へと入れただけだ」


 現におまえも被害者だろう、と言われてみれば、確かに私は砂糖を入れてお茶を飲んでいる。

 何杯入れたかと、犬が入って来る直前に聞かれもしていた。


「ジャスパーは飲んだ時に判ったんですね」


「鼻から抜ける香りに少し混ざったものがあった。この香りならイセクコッド茶で十分だろう。今晩あたり少し熱を出すかもしれないが、死ぬようなことはないはずだ」


 テーブルの上に広がった砂糖をジゼルが回収している間に、スティーナが両手を縛られて連れ出されていく。

 犬たちの判断では毒を混ぜたのはスティーナらしいのだが、当のスティーナはなぜ自分が捕らえられたのか解らないといった顔をしている。

 しかし、縛られたあとにアーロンがポケットを探ると、白い粒がかすかに残った小瓶が発見された。







 ジャスパーに指示されたように、毒消し茶をちゃんと飲んだのだが、夜に私は熱を出した。

 なんだか長旅のあとでもないのに熱を出しているな、と思いだせば、先日の熱も怪しい。

 あの前日は苦い毒消し茶を二回も飲まされたし、ヴァレーリエが離宮から姿を消している。

 私へはなんの知らせもなかったが、やはり何かあったのだろう。


 翌朝にはジャスパーの見立てどおりに熱が下がったが、念のためにともう一日ベッドで過ごすことになった。

 丸一日とさらに昼近くまでベッドに縛り付けられ、退屈してゴロゴロとベッドの中で泳ぎ回る。

 そうしているうちに、アルフレッドが見舞いに来てくれた。

 これで少しは退屈がしのげるかと思ったのだが、扉を守るアーロンが一緒にベッド近くまで来ることは珍しい。

 途中、扉の守りをジゼルと交代したことも、不思議といえば不思議だ。


「スティーナの供述によると、毒を盛ったという意識はなかったそうだ。写本作業という頭を使う仕事に、疲れが取れればと普通より甘い砂糖を用意した程度の認識だった」


 こんな出だしで始まった話は、やはりここしばらく離宮の中で起こっていたことについてだった。

 アルフレッド自身報告でしか知らない箇所については、アーロンが補足してくれる。


「……今回は聞かせてくれるのですね」


 一連の流れを聞き終わり、まず思ったことがこれだ。

 前回はどんなに食い下がっても教えてくれなかった内容が、今回は多少暈されている印象はあっても、しっかりと話してくれているのがわかる。


「ティナには下手に隠す方がよくないと判断した。いつまでも大人に守られているだけの年齢ではいられないしな」


 つまりは、少しだけ大人扱いされ始めている、ということだ。

 これまでは大人たちにただ守られているだけで良かったのだが、これからは自分でも気をつけろ、ということだろう。


「隠さず話そう、ということで、ティナには少し残念な知らせがある」


 ひとつ呼吸を置いたあとにアルフレッドが聞かせてくれた話は、スティーナの女中メイドの訃報だった。

 スティーナは私の侍女として離宮で働いているが、貴族の令嬢でもある。

 当然、彼女にも私と同じように女中がついていて、その仕事や生活を支えていた。

 その女中が、スティーナが捕らわれたあとに毒を呷って死んだらしい。


「それは、スティーナが毒を持ち込んだのではなく、その女中がスティーナを騙して毒を混入させたということでしょうか?」


「それは判らない。というよりも、それらの前後関係を調べる前に逃げられたという方が正しいな」


 これから背後関係を調べるところだったのだが、実行犯だと思われた侍女を捕らえている間に、その侍女の下についていた女中が毒を呷って死んだ。

 より怪しく見えるのはどちらかと考えれば、大方の人間は女中が怪しいと考えるだろう。

 事実、実行犯となってしまったスティーナは、自分が毒を混入させた自覚などまるで持ってはいなかった。


「犬を使って追ってはいるが、あまり期待はできないだろう」


「犬の鼻でもダメなのですか?」


「薬の入手先を追いかけても、代理人を使われていたら、その者が切られて終わりだ」


 なんだか奇妙な物言いをするのだな、と首を傾げる。

 犯人を捜しているはずなのだが、アルフレッドの言い方では犯人自体は決まっているかのようだ。

 その犯人が代理人を使って女中へと毒を渡している前提で、その毒を渡すための経路を犬の鼻を使って追いかけている、と取れる気がした。


「アルフレッド様の考えている犯人は、アルフレッド様の知っている人ですか?」


「国王陛下から報告書アレを渡されて読んだのなら、以前から王城内で毒物が用いられてきたことは知っているはずだな?」


 アレ、と暈されたのは、お后の容態についての報告書だろう。

 レオナルドにも秘密と言って渡された報告書の内容なのだから、アーロンがいる場では言葉ぐらい暈されるかもしれない。


 ……お后様の毒って、あれだよね。本人も周りも気をつけているのに、なぜか盛られちゃうっていう、経路が判っていないやつ。


 報告書にはエヴェリーナの容態とオレリアの診断、その投薬の経過などが記載されていたが、犯人については調査中であったり、あと一歩で捕縛という場面で自殺されたりとしていた。

 生きた犯人が捕らえられたという記載はなかったはずだ。


「アルフレッド様は、誰が犯人か知っていらっしゃるのですか?」


 アルフレッドが知っているのなら、もしかしなくともクリストフやフェリシアも知っているのではないだろうか。

 知っていて、捕らえることのできない相手なのかもしれない。


「証拠がないので捕らえることができないことが忌々しいが、犯人の心当たりはある。やり口が同じことを思えば、二十年以上前から王城で毒をばら撒いている者も同一犯だろう」


「そこまで怪しいと思うのなら、捕まえることはできないのですか?」


「罪状が罪状だからな。犯人を捕らえれば当然死刑になる。しかし、これは人の命がかかわってくることだ。冤罪でした、というわけにはいかない」


 限りなく黒であると睨んではいるが、決定的な証拠を掴ませてくれないために踏み込めない。

 そんな苛立ちを、アルフレッドから感じる。


 ……でも、確かに。どんなに怪しくても、間違いだったら困るもんね。


 冤罪で捕らえられた人間が死刑になったあとで真犯人が見つかる、という事件が前世でもあった。

 どんなに怪しくとも、被害者が自分の妻や母であっても、確実な証拠がない限りは犯人ではなく容疑者だ。

 どうにかならないものかと歯がゆくは思うが、ここはクリストフやアルフレッドが強権を振り回す暴君でなくてよかった、と尊敬すべき事柄だろう。


「……どなたを怪しんでおられるのか、聞いてもよろしいでしょうか?」


「私の二番目の兄にあたる人物だ」


 アルフレッドの兄というと、王子になる。

 二番目の兄と言うのだから、第二王子チャドウィックのことだろう。


「あの、お后様はともかくとして、わたくしに第二王子から毒を盛られる覚えはないのですが……?」


「アレはただの愉快犯だ。理由などない。自分が面白いと思ったことをする」


 おそらくは、父親クリストフが私を気にかけているから、というだけの理由で毒を盛るだろう、とアルフレッドは兄を称する。

 第二王子であれば、日本語を読める貴重な転生者、という肩書きも毒を盛る対象から外す理由にはならず、むしろ『父親や周囲が困る』という理由だけで面白がって積極的に毒を盛り始めるだろう、と。


 ……なに、その大迷惑なアホ。


 犯人として捕らえることはできなくとも、容疑者として身柄を拘束してどこかへ閉じ込めておくことはできないのだろうか。

 そう伸び伸びと聞いたところ、容疑者としてすら捕らえることができない周到さで尻尾をつかませないのだと答えられてしまった。


 ……逆に、それだけ綺麗に証拠がないなら、アルフレッド様はなんでお兄さんが犯人だと思ってるの?


 アルフレッドだけではなく、クリストフも第二王子を犯人と思っているそうなのだ。

 本当に証拠も何も残していないのなら、疑われることすらないだろう。


 ……でも、この間のお茶会でグロリアーナ様が途中で退室した理由は解ったかも。


 ヘルミーネに教わった王族の家系図によれば、エルヴィスと第二王子は一つ違いの同母の兄弟だ。

 あの場にいたグロリアーナもまた、后エヴェリーナへと毒を盛っているのが自分の息子だと思っているのだろう。

 息子の不始末といった耳の痛い話など、聞きたくはなかったのかもしれない。

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