第31話 グルノールの土産話と研究資料の読み込み作業

「ジャスパー、『三ベン笑ッテ、にゃんト鳴ケ』って、解る?」


「いや、三、笑って、ニャンは解るが……」


 なんの言葉だ、と聞き返されたので、国王から聞いた日本語だ、と答える。

 本当に日本語が解るのかと試してみたのだが、ジャスパーが意味として聞き取れるのは本当に簡単な言葉だけのようだ。

 これはジャスパーに日本語を教えたアルメルが子どもだったからだろうか。

 言葉遊びのようなことはできそうにない。


 他にどんなことが解るのかと聞いてみたところ、五十音は完璧に話せるようだ。

 あとは単語と音の繋がりさえ覚えてしまえば、私と日本語で内緒話ができるだろう。


 ……そっか。子どもの頃にアルメルの日本語を聞いていたから、日本語が拾いやすい耳ができてるんだね。


 それは確かに、私の暴言も聞き取れたはずだ。


 聖人ユウタ・ヒラガの研究資料警備のため、写本を続けることになるジャスパーは離宮の客間へと滞在することになった。

 研究資料は国の宝とされているため、その警備のための白銀の騎士はグルノールの館と同様に離宮へと滞在することになる。

 アーロンだけだった白銀の騎士の護衛が、一気に増えた気分だ。


 ジャスパーを案内するように玄関ホールへと入ると、フェリシアがアルフレッドを抱きしめていた。

 おかえりなさいのハグだと判るのだが、淑女どころか王女でもハグをするのか、と妙な感心をする。

 私はヘルミーネから「そろそろ兄とはいえハグは控えるように」と注意を受けることがあるのだが、淑女の見本のような王女がハグをしているのだ。

 これからも遠慮なくレオナルドにハグをしよう。


 ……それにしても、仲のいい姉弟だね。


 第八王女いもうとに対しては二人とも辛口だったが、姉と弟の仲は良好らしい。

 グルノールへと出立する際には特にハグなどしていなかったと思うのだが、やはり帰還は特別なのだろう。

 無事でよかった、おかえりなさい、と微笑むフェリシアの顔は、信者たちや年少者わたしに見せる顔とはまるで違う、姉の慈愛に満ちたものだ。


「アルフが帰ってきたのなら、クリスティーナのお守りもお役御免かしら?」


「いえ、できれば姉上にはこのまま離宮へ滞在していただきたい。男の私が少女とはいえ未婚の女性の離宮に住むのは外聞が悪い」


 手間をかけさせて悪いが、王都に私がいる間は離宮へと滞在してほしい、とアルフレッドは言う。

 それは少し多く望みすぎな気がするのだが、アルフレッドの『お願い』にフェリシアは微笑んで快諾した。

 姉さまに任せなさい、とアルフレッドの頬へとキスをしていたので、実は弟に頼られるのが嬉しかったのかもしれない。







 使用人たちが馬車から荷物を下ろし、秋冬の服を衣装部屋へと運び込んでいる間に、庭に出て小さなお茶会をする。

 ジャスパーはフェリシアが眩しかったのか、王族と同席など恐れ多い、と早々に離脱していた。

 今頃はジャスパーの滞在用に整えられた客間で、自分の荷物を広げている頃だろう。


 ……そういえば、馬車もアルフレッド様とは別だったしね。


 もしかしなくとも、ジャスパーの反応が普通の平民の反応だろう。

 王族と同乗・同席など恐れ多い、と遠慮する。

 私のように呼ばれたからといって素直に同席する方が珍しいのではないだろうか。


「……あれ? アルフレッド様、髪の毛が短くなりましたか?」


 以前はアルフより少し長い髪をしていたのだが、今はアルフと同じぐらいだ。

 これでは本当にアルフに見えてしまい、うっかり呼び間違えそうだ。


 ……まあ、呼び間違えたら呼び間違えたで、アルフレッド様は喜ぶんだろうけど。


 短くなった髪について指摘すると、アルフレッドは「よくぞ気付いた」とでも言いそうな誇らしげな顔で胸を張る。

 頭の後ろへと手をやり、前へと髪を流す仕草は本当に様になるのだが、見惚れはしても、惚れはしない。


「よりアルフに近づけるよう、グルノールでアルフと同じ長さに切ったのだ」


「二人が並んだら、見分けられる気がしません」


 本音としては「ややこしいことをしてくれるな」と言いたいのだが、さすがにオブラートに包む。

 アルフに似ているということは、アルフレッドに対しては褒め言葉にもなるので、あまり気にする必要もない気がするが、相手は一応王子さまだ。

 思ってはいても、「この変態め」だなんて伸び伸びとしすぎた発言は避けた方がいい。


「……まあ、せっかくアルフの長さに切ったのだが、アルフにはその場で髪を切られてしまった」


「え? アルフさん、今はショートカットなのですか?」


「長い髪のアルフも麗しいが、短い髪がふわりと風を含んで広がる様もまた美しかったぞ」


 適当な相槌を打って、アルフレッドのアルフ語りを聞き流す。

 アルフは元から美形なので、髪の長さなどに左右されず麗しいだろうが、長さを揃えたその場で髪形を変えられるとは、アルフレッドは少々アルフに迷惑がられている気がする。

 否、少々どころではない。


「短い髪のアルフも、それはそれで幼き日を思いださせて愛らしい」


「アルフレッド様は、その場でさらに髪を切りはしなかったのですか?」


「うむ、そんなことをすればアルフが髪を剃るような気がしたのでな。諦めた」


 頭の形も良いアルフならば髪を剃りあげても似合うだろうが、あの美しい金色こんじきの髪が失われるのは惜しい、と言ってアルフレッドは内ポケットから取り出した金色の紐を取り出す。

 紐に見えたソレは、よく見れば金髪で編まれた三つ編みだと判る。

 もしかしなくとも、アルフがその場で切ったという髪の毛だろう。


「……それは、懸命なご判断だったかと思います」


 本心としては「このド変態め」とツッコミたいのだが、我が国の王族はみな公私をきっちりと分けて振舞っている。

 アルフレッドの『アルフ大好き』も、彼のの部分でしかなく、公の彼は文句の付けようもない完璧な王子さまとして働いているので、わたしがどうこう文句を言うことではない。

 アルフには多少迷惑をかけている気がするが、他人ひとに迷惑をかける趣味でもないので、あとは二人の問題だ。


 ……アルフさんは変態アルフレッドの犠牲になって、国民を守っているのです。


 尊い犠牲であった、と内心でグルノールの街にいるアルフに合掌したのだが、アルフレッドには私の内心が読まれたようだ。

 にゅっと長い手が伸びてきて、軽く額を弾かれた。







 黒犬オスカー黒柴コクまろの主導権争いは、やはり黒犬が勝ったらしい。

 私には判らなかったのだが、アーロンが解説してくれた。

 黒柴が私のより近くに陣取っているので、黒柴の方が勝ったのかと思ったのだが、部屋の隅に控える黒犬は、より多くの情報を拾えるようにと広範囲を警戒し、黒柴の失敗もフォローできるようにと控えているそうだ。

 いわば、黒柴は先輩オスカーに見守られながらの護衛研修中である。


 ……ジゼルとアーロンの関係だね。


 私の近くにいることが多いのはジゼルだが、必ず少し離れたところにアーロンがいる。

 頼りにならない白騎士なりに努力を重ねているジゼルに、アーロンが手を貸しつつ私の護衛をしてくれているのだろう。


 ……さて、いよいよだね。


 扱いには気をつけるように、とアルフレッドから何度も釘を刺され、聖人ユウタ・ヒラガの研究資料と向き合う。

 古い紙の束であるし、貴重品でもあるし、ということで、グルノールの館でのジャスパーと同じ状況になっていた。

 周囲を白銀の騎士に固められ、貴重品に対しておかしな真似などしないようにと睨まれている。


 ……どうせなら部屋でゴロゴロのんびり読み込みたかった。


 后の毒についての報告書は比較的新しい紙であったし、依頼自体がレオナルドにも秘密扱いで部屋に閉じ籠って、ある意味でリラックスして読み込むことができたが、今度は違う。

 聖人ユウタ・ヒラガの研究資料を、ベッドや畳の上でゴロゴロと寝転がりながら読み込むことなど、私がしたくても他の誰も許してはくれないだろう。

 たとえ許してくれる人がいたとしても、異性である見張りの白銀の騎士を何人も私室になど入れたくはない。


 結果として、読み込み作業は居間で行なう。

 私が少しだけリラックスでき、他人ひとが多くてもそれほど気にならない広さがあるのだ。


 ……原本これを扱うから、見張りが厳重なんだよね?


 ならば多少雑に扱っても許されそうな写本を読むことはできないだろうか。

 そうアルフレッドに提案したところ、読めるのだからまずは原本を読んでほしい、と言われてしまった。

 雑に扱える写本がほしければ、自分で写し取ってもいいぞ、というお許し込みで。


 ……写本か。


 もう転生者であるとは知られているので、私の筆跡で写し取ってもいいだろう。

 そう考えれば、ジャスパーのようには時間がかからないはずだ。


 ……や、でもさすがにジャスパーが一年以上ずっと写してるのを、私がサラサラーって写本しちゃったら、ジャスパー拗ねるよね。


 拗ねるというよりも、なんだか気の毒になってくる。

 連日恐ろしいまでの集中力で筆跡まで写し取ってきた写本を、字が読めるからというだけの理由で倍以上の速度で別の写本を作られてはたまらないだろう。

 私がジャスパーだったら、最初からおまえがやれよ、と八つ当たりしたいぐらいだ。


 ……余計なこと考えていないで、とにかく読み込もう。


 扱いやすい写本を今から作るより、見張られながらも原本を読み込む方が絶対に早い。

 時折メモを取りつつ研究資料という名の日記から薬の処方箋レシピを拾い取る作業をしていると、不意にジャスパーに話しかけられた。


「後ろの騎士が覗いているぞ」


「え?」


 指摘をされて、背後を見上げる。

 そうすると、すぐ後ろに立っていた騎士と目が合う。

 ジャスパーが言うように、手元を覗かれていたようだ。


「……覗かれたらダメなのですか?」


 最終的にはクリストフへと提出書類になる。

 その時には誰かしらが検閲をするはずなので、騎士が覗くぐらいなんということはないと思うのだが、ジャスパーの考えは違った。


「半端な知識を外に漏らされるとセドヴァラ教会が困る。他にも、その半端な知識で薬と称して毒を作られても困るだろう」


「あ……そうですね」


 聖人ユウタ・ヒラガの秘術は、少し製法や量を間違えるだけでも毒になると聞いている。

 私がオレリアへと処方箋を伝えようとしたように、簡単な処方箋であれば見て覚え、あとで別の紙へと書き写すことができるのだ。

 たしかに、下手な人間に見られては困るものだった。


「ただの好奇心かもしれませんが、見たらダメですよ」


 指で『×』を作って背後の騎士を睨む。

 私に注意された騎士は、ばつが悪そうに苦笑いを浮かべて少し後ろへと下がった。


 ……でも、つい手元を覗き込みたくなる心理はわからなくもない。


 興味がない内容であっても、誰かが何かをしていれば、そこに注意がいってしまうものだ。

 研究資料の警備兼見張りという役割の白銀の騎士が、覗きをするのはどうかとも思うが。


 ……よし、メモは日本語で書こう。


 これなら誰が覗き込んでも、うっかり紛失しても、誰にも読めないはずである。

 これまでのメモをすべて日本語に書き直し、以前のメモは小さく切って燃やすことにした。

 聖人ユウタ・ヒラガの研究資料がある部屋では火気厳禁を言い渡されるので、焼却の立会いはアルフレッドにお願いする。

 私が一番頼ることになるのはアルフレッドなので、この件に関してはアルフレッドを疑う必要はない。

 半端な情報を外へ漏らされて困るのはアルフレッドも同じだ。


 一度方向性を決めれば、私の集中力はすごい。

 悪戯目的とはいえ、刺繍で絵画を一枚縫い上げるような人間だ。

 日本語でメモをとりつつ、どんどん研究資料を読み込んでいく。

 ひたすらに読み込み、時折メモを取り、最後の一枚まで読み込むのにかかった日数は十日ほどだ。

 二百年近く誰も読めなかった研究資料が、日本語を読める転生者が現れたというだけで、わずか十日ほどで読み込めてしまう。

 生涯をかけて日本語研究をしているという学者がこれを聞けば、あまりのデタラメさに世を捨ててしまいそうだ。


「……冗談みたいな速度で、嫌になるな」


 俺は一年以上写本をしていたのに、と私が知る限りでは日本語研究の代表者とも言えるジャスパーがこめかみを押さえる。

 これで彼が心血を注いで写し取っているものの半分以上が聖人ユウタ・ヒラガの雑記だと知れば、自殺でもしてしまうのではなかろうか。


「読むのと筆跡を真似して写本するのとでは、違いますよ」


 ジャスパーに自殺などされたくないので、一応のフォローを入れておく。

 読むと書くとでは速度が違ってあたり前であったし、ただ書くのと写し取るのとではさらに速度が違う。

 比べる必要などないのだ、と。


「次は何をするつもりだ?」


「完全な処方箋が載っているものと、そうでないものの仕分けをします。完全な処方箋があるものだけ名前と効果を纏めてアルフレッド様経由でクリストフ様へ提出してもらおうかな、と」


 私が「する」と言ったのは、秘術を三つ復活させる、だ。

 写本を作ることでも、翻訳本を作ることでもない。

 翻訳作業も、四つ目以降の秘術の復活も、いつかはやっても良いと思っているが、まずはグルノールの街へと帰る許可をもぎ取っておきたかった。


 聖人ユウタ・ヒラガの研究資料からは、完全な処方箋が十四と、研究途中と判る記録が二十六見つけられた。

 文面からして、研究資料と呼ばれている日記は、これだけの量ではない。

 城の中のどこかに眠っているのか、別の場所にあるのかはわからないが、それらが見つかれば不完全な処方箋を完成させることもできるだろう。


 ……まあ、それは私の仕事じゃない気がするけどね。


 完全な処方箋が残っている薬の名前と効能をリストとして書き出し、アルフレッドへと提出する。

 いくら気さくな国王様とはいえ、自分から届けに行く勇気はさすがにない。


「……この端に印の付けてある薬はなんだ?」


「オレリアさんが処方した、お后様の薬です」


「お后様の薬?」


 訝しげに眉を顰めるアルフレッドに、アルフレッドは知らなかったのか、と遅れて気づく。

 レオナルドにも秘密でと渡された報告書だ。

 もしかしたら、お后の体調については伏せられているのかもしれない。


「お后様が体調を崩されている、ってクリストフ様がおっしゃられていました」


 過去の資料から判明した薬が、この印の付けられた名前である、と声を潜めてアルフレッドに伝える。

 内緒話かと思い声を潜めたら、アルフレッドも声を低くした。


「なぜお后様の薬を、ティナが調べているんだ? というより、后の体調不良など、おいそれと外に漏らして良い話じゃないだろう」


「クリストフ様からのご依頼で、クラリスさんってアルフレッド様の乳母から報告書を見せていただきました」


 ご自分のお母様の体調なのに、知らなかったのですか、と聞くと、アルフレッドは僅かに目を逸らす。

 アルフレッドの館は貴族街にあるし、しばらくはグルノールへ行っていたし、と王城どころか王都からも離れていたため、何も聞いていなかったらしい。


 クリストフへとリストを届ける際に見舞ってこよう。

 そう言うアルフレッドは、これまでに見たこともないほど複雑そうな顔をしていた。

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