第10話 バシリアとの再会 2

 シェスティンは私ではなく、レオナルドに用があったようだ。

 改めて茶会の用意をした部屋へと案内しよう、とバシリアの子守女中ナースメイドが呼ばれ、レオナルドは応接室へと残された。

 少し不安にはなったが、護衛という意味ではジゼルがいるので、仕方がない。

 

 そう、今日の護衛はジゼルだ。

 

 レオナルドが同行していて、黒犬もいる。

 ならばもう一人同行するのは自分でも大丈夫だろう、と力強く主張するジゼルに、アーロンが任せてみることにしたのだ。

 レオナルドと黒犬への信頼が厚かったことは、否定しない。


 ……まあ、そのどっちも引き離されたけどね。


 オスカーは屋敷の外で、レオナルドは応接室だ。

 私の背後には、護衛としては頼りないらしい白騎士のジゼルだけである。


「王都で流行りのお菓子を用意させましたの! ノラカムは知っているかしら? いろいろな色があって、可愛いのですわよ? あと、近頃のクリストフ国王陛下はチーズケーキがお気に入りのようで、王都中の店からチーズケーキを取り寄せたそうですわ」


 国王御用達の店から買ってきたチーズケーキである、と得意満面に語るバシリアには少し申し訳ないのだが、チーズケーキが国王のお気に入りだというのは誤情報だ。

 国王クリストフがチーズケーキを気に入っているのではなく、私のお気に入りだと思って用意した時の話をどこかで聞いたのだと思う。


 ……それにしても?


 テーブルの上に所狭しと並べられたお菓子やケーキの数々に、大歓迎されているのがわかった。

 それはわかったのだが、解らないこともある。


 ……バシリアちゃんに、これほど好かれる覚えはないんだけど?


 初対面で水をかけられそうになった時はカリーサが庇ってくれた。

 その後は筋の通らないバシリアの主張に私がキレ、正論で丸め込んで泣かせてしまったはずだ。

 体よくディートフリートをけしかけたり、ディートフリートに振り回される様を生贄か首輪のような気持ちで見送ったりとしていたのだが、好かれる要素はどこにもない。


 不思議に思いつつも、促されるままに席へ付く。

 バシリアの背後にはエリアナと名乗った家庭教師が立ち、静かにこちらを見守っていた。


 ……お嬢様が付き合うに相応しい人間か見極める、ってところかな?


 バシリアの所作にも目を光らせているが、私も厳しく見定められている気がする。

 少し厳しい家庭教師に見えるが、甘い家庭教師などなんの役にも立たない。

 愛人の子とは聞いているが、ジェミヤンはバシリアに良い家庭教師を用意したようだ。


 ……でも、なんとなく見覚えのある顔な気がするんだよね?


 誰だっけ? と失礼にならない程度に家庭教師の顔を覗きみる。

 たしかに見覚えがあるとは思うのだが、考えれば考えるだけ答えの出てこない顔だった。

 となれば本人を知っているというよりも、身内にでもあったことがあるのだろうかと考えて、気が付く。


 ……エリアナ・メスナー? メスナーって、不良家庭教カーヤ師の身内?


 カーヤの親族だろうか、と可能性に気が付いてしまえば、そう見えてくるから不思議だ。

 姿勢や表情おもてへと出ている性格はまるで違うのでカーヤの面影はないのだが、個性をすべて避けて顔の作りだけを見れば、たしかに身の内に流れる同じ血筋を感じる。


 ……い、いたたまれない。


 家庭教師の正体に気が付いてしまえば、楽しいお茶会はなんとも気まずい空間に変わった。

 家庭教師として雇われた館から物を盗んだ犯罪者の妹と、その犯罪被害者である教え子の私だ。

 その教え子の訴えにより、カーヤの裁量権は貴族へと売り渡され、その後の話は聞いていない。

 エリアナが逆恨みをする性質たちであれば、私はカーヤの仇ということになるはずだ。


 ……お茶とかお菓子とか、口に入れちゃってよかったのかな。


 嫌がらせに犬の毛や辛子でも混ぜてあるのでは? と急に皿の上へと盛られた菓子に手を伸ばすのが怖くなる。

 とはいえ、すでに散々食べたあとだ。

 本当に嫌がらせでなにかが仕込んであるのなら、今頃はなにかしらの症状が出ているはずである。


 ……母親と妹は優秀な家庭教師として有名って聞いた気がするし、そんな地味な嫌がらせなんてしてこないのかな?


 そうだといいな、と願いつつ、香りの良いお茶を口へと運んだ。







「また負けましたわ。……もう一回勝負しますわよ!」


 いつかのリベンジか、リバーシをしようと言い出したバシリアに付き合い、もう五回ほど勝ち続けている。

 本当にいつの間に用意したのか、アルフレッドのリバーシ盤ほどではないが、豪華な作りのリバーシ盤が作られていた。

 私がグルノールの館で始めたリバーシは、館を訪れたアルフレッドから王都へと持ち帰られ、ディートフリートに伝わり、ラガレットでバシリアへと広がった。

 ラガレットではサンルームで何度も遊んでいたため、ほかの宿泊客にも知られることとなったのだろう。

 その伝手でシードルがリバーシ盤の注文を個別に取ったり、販売をしたりと貴族や富裕層の間で広がり始めているそうだ。


 ……惜しいことしたかもね?


 商売にしていれば、一山稼げたかもしれない。

 横で見ていたシードルがしっかり商売に繋げているあたり、さすがは商人といったところだろう。

 私はただ自分が遊ぶことに夢中で、リバーシ盤を売ろうだなんて思いつきもしなかった。


 ……まあ、本当に商売にしようとしたとしても、ボビンレースと同じですぐに躓くと思うけど。


 シードルは商人だったからこそ、販路の確保や職人へと注文を出すことが容易だったが、私は違う。

 私には資本になるお金もなければ、職人たちとの繋がりもない。

 どちらにせよ、私にはリバーシを商品にすることなどできなかったはずだ。


「バシリア、次はセークにいたしましょう」


 落ち着いてくれ、と願いを込めて『バシリアちゃん』ではなく『バシリア様』と呼ぶ。

 淑女らしく、遊戯ゲームで負けても悔しさを顔へは出さずに、粛々と結果を受け入れてほしい。


 ……それに、ルールが単純なリバーシだとまだできないけど、セークなら故意に手を抜く練習もしてるしね。


 セークに強いカリーサやアルフと遊んでいたおかげだと思うのだが、現在の私の腕前は、この年齢としてはそこそこ強いと分類される。

 はじめた頃に感じた苦手意識が、今は不思議なぐらいだった。


「セークなら負けませんわよ!」


 リバーシより長くやっているのだ、と胸を張るバシリアは年相応な思考回路をしているようだ。

 強すぎず、弱すぎず、ヘルミーネから習ったとおりにやれば手心を加えることができそうだった。


 ……目標は、勝たず、負けすぎず。接戦を演じてバシリアちゃんを勝たせること、と。


 勝ってはいけない、というのは地味に辛い。

 普段は自分より数段どころではなく上の腕前を持つアルフたちを相手に遊んでいるので、常に勝つ方法を考えることがどうしても頭の中にある。

 その勝つことを考える頭を、今日は上手く負けることに使わなければならない。

 それがなんとも難しく、また刺激になった。


「わ、わたくしの勝ちですわっ!」


 チェスで言うのならチェックメイト。

 私の王のコマを握り締めて、バシリアは感無量といった顔でセーク盤を見つめる。

 私としては、やっと勝ってくれたか、と一安心だ。


 ……まだまだ故意に負けるのは難しいです、ヘルミーネ先生。


 負けよう負けようと頭の中で計算しながら打ってはいたのだが、どうしても思考は勝つ方法を探り、四回目にしてようやく負けることに成功した。

 負けが成功というのも、おかしな話だが。


 ……まあ、バシリアちゃんの機嫌も直ったし、今日のところはこんなものかな?


 離宮に戻ったらヘルミーネに報告しよう。

 そう一息ついていると、私とバシリアの勝負を見守っていたエリアナが声をかけてきた。


「バシリアお嬢様、今日はよく持ちこたえられました。次回は二勝できるようにがんばりましょう」


「簡単ですわ。すぐに全勝できるようになってみせます」


 正確には一勝三敗という成績なのだが、バシリアは得意気だ。

 余程私に勝てたことが嬉しかったらしい。

 エリアナはバシリアをひとしきり褒め、所々の解説をしたあと、セーク盤を子守女中に片付けさせる。


「クリスティーナ様も、良き師に鍛えられておいでですね」


 たった一言だったのだが、この一言で理解した。

 エリアナには、私が故意に負けようと奮闘していたことが見抜かれている、と。


 ……見抜かれたってことは、まだまだ修行が足りないってことだね。


 まさかバシリアの目の前で手を抜いていたとは言えないので、小さく肩を竦める。

 それだけで、私の言いたいことはエリアナに通じたようだ。

 小さな声で「まだまだ練習は必要なようですが、バシリアお嬢様には気付かれなかったようなので、今回は合格です」と及第点をいただいた。

 エリアナはカーヤとは違い、たしかに家庭教師としての仕事をしているようだ。

 他家の子どもである私の仕上がり具合までチェックしてくれたらしい。


「私が勝ったのですから、あなたのリボンをいただきましてよ」


「リボン?」


 なんのことだろう、と首を傾げる。

 別に賭けごとをしていたつもりはないのだが、自分が勝ったのだからリボンを寄こせ、とバシリアが言い始めた。

 バシリアが一勝してリボンを寄こせというのなら、先にリバーシと合わせて八勝している私は何がもらえるのだろうか。


 ……そして、なぜリボン……って、そういうこと?


 ふと、屋敷に到着して早々に覚えたバシリアへの違和感を思いだす。

 リボンとフリルがふんだんに使われたお洒落なドレスを着ているのだが、頭には髪飾りの一つも付けていない。

 贅沢なドレスを着るバシリアがお洒落に手を抜くとは考えられないし、リボンや髪飾りを持っていないということもないはずだ。

 ということは、今日のバシリアは故意に髪飾りをつけていない、ということになる。

 そして、セークで勝ったからリボンをくれ、ということは、最初からこれを考えていたのだろう。

 リボンが欲しくて、おねだりのために髪飾りを付けてはいなかったのだ。


 ……わ、解り難い……よっ!


 しかし、試しに「リボンをおねだりするために、今日は髪飾りをつけていないのか」と指摘してみたところ、バシリアは判りやすく頬を赤く染めた。


「そ、そんなことはございませんわ! リボンぐらい、お父様がいくらでも買ってくださいますもの!」


 つんっと顔を逸らすのだが、バシリアはチラチラと私の顔を見る。

 図星を突かれたらしいバシリアが面白くも可愛らしかったので無言で見つめていると、引っ込みが付かなくなったのか顔は横を向いたままなのだが、眉根は下がって唇がわなわなと震え始めた。


 ……これ、たぶん、心の中で素直になれない自分を反省して、でも引っ込みが付かなくなってるんじゃあ……?


 ツンデレを開花させたバシリアが可愛いので、もうしばらく見ていたい気はしたが、子守女中が背後でハラハラとしはじめたのが見えるので、意地悪はこの辺りでやめておくことにする。

 バシリアの子守女中には、ラガレットの街で庇われたという恩があるのだ。

 あまり彼女を困らせたくはない。


「でも、なぜリボンなのですか?」


「だって、手紙に書いてありましたわ。グルノールのお友だちにはリボンをあげた、と」


 ようやく続きを促され、バシリアはホッとしたように正面を向き、今度は逆を向く。

 忙しいな、とは思ったが、拗ね始めた原因が解ればなんということはない。

 今度は素直にリボンをねだる理由を話すことが、気恥ずかしかったのだろう。


「バシリアちゃんは、お友だちのリボンが欲しかったんですね」


「そんなことはありませんわ! 私が勝ったので、リボンを貰ってあげてもよろしくてよ、と言っているのです」


 ……その論法で行くんなら、私が勝った時に言い出せばよかったような? 負けたから仕方がない、もらってあげる、って。


 相変わらずバシリアは支離滅裂で筋が通らない主張をする。

 けれど、なぜか意外にも好かれてのことらしいので、それほど不快にも思わなかった。

 せいぜいが、「困った子だなぁ」という程度だ。


「バシリアちゃん」


「なんですの?」


「……友だちいないの?」


 一年半ほど前の、本当に短期間だけ交流をもった私をこれだけ歓迎し、友だちに配ったリボンを欲しがるとは。

 もしかして他に同年代の知人がいないのだろうか。

 ほんの少しの好奇心だったのだが、伸び伸びとした私の疑問は、バシリアの心の柔らかいところを抉ったようだ。

 カッと真赤になったかと思ったら、見る間に瞳が涙で揺れる。

 まずい、と思った時には、バシリアはボロボロと泣き始めていた。


「ち、ちがいます……わっ! わたくしにだって、したしいおともだち、ぐら……おともだち、ぐらい……」


「うん、そうだったね! バシリアちゃんにもお友だちいたね! わたしとか、ディートとか……っ!」


 この場合、勝手にディートフリートをお友だち枠に入れてもいいのだろうか、とは思ったが、頭の片隅で冷静に突っ込む自分の声に知らんふりを決め込む。

 不用意な一言で泣かせてしまった自覚はあったので、あとはひたすら低姿勢でバシリアを慰めるしかない。


 ……どうしよう、女の子を泣かせる男の子の気持ちがちょっと解った。


 言葉では強がって「友だちはいる」と繰り返すバシリアだったが、顔は正直で涙をポロポロとこぼしている。

 そして、困ったことにバシリアの泣き顔は可愛いのだ。

 普段がツンツンと澄ましているだけ、ギャップがすごい。


 ……レオナルドさん、ごめんなさい。私、女の子に目覚めるかも……っ!


 泣きじゃくるバシリアを慰めつつも、泣き顔が可愛いとか思っている自分に驚いて、心の中でレオナルドに詫びる。

 アルフレッドたちが私に将来子どもを産んでほしくないというのなら、女の子をお嫁さんにもらうという方法も有りだな、と気がついた。


 ……あれ? でも私、レオナルドさんの困った顔も好きだよ?


 レオナルドの困り顔が好きで、たまにわざと悪戯を仕掛けたりもする。

 妹のすることに仕方がないなぁ、と困りつつもつい許してしまう情けない兄の顔が好きなのだとばかり思っていたが、どちらにも共通していることは、私が相手に仕掛けている、ということだ。


 ……つまり、私はいじめっ子!?


 自覚は無かったのだが、思い返してみればそういうことだろう。

 どちらも故意に、私が行なったことだ。


 ……ごめんなさい。反省します。いじめはダメです。世間の常識です。


 自覚してみれば、反省するばかりだった。

 私だって友人と呼べる人間がいるのは、レオナルドが意図してメンヒシュミ教会へと通わせてくれたからである。

 ヘルミーネという家庭教師は用意してくれたが、彼女が教えてくれるのは主に淑女としての振る舞いについてだ。

 メンヒシュミ教会でも教えてくれる基礎教養については、メンヒシュミ教会の教室へと通うことで私は学んだ。

 その教室に通っていたおかげで、ミルシェたちと知り合うことができている。

 そして、バシリアは貴族の娘だった。

 貴族の娘ともなればメンヒシュミ教会へは通わず、自宅へと教師を派遣させて学を授かることになるだろう。

 バシリアに歳の近い友人がいないことには、なにも不自然なことはない。


 ……ほかの貴族の子どもとだって、王都みたいに貴族の館が密集してるようなところじゃないと、知り合えないだろうしね。


 自分はいじめっ子である。

 そう自覚したので、大いに反省した。

 反省をして、改めてバシリアを慰める。

 まずは私が無自覚にも泣かせてしまった被害者を泣きやまさなければならない。


「バシリアちゃんはリボンが欲しいんですね? 何色がいいですか? 今なら色の注文も聞けますよ?」


 もともとバシリアには質の良い糸を使って別のリボンを、とも考えていたので丁度良い。

 本人の希望を聞いてみよう。

 それだけの提案だったのだが、バシリアの泣き声はピタリと止まった。


「わ、わたくしのものも、ちゃんと予定して、くれてたんですの……?」


「へ? ああ、うん。グルノールのお友だちとは違って、バシリアちゃんには質の良い糸じゃないと、使ってもらえないなぁ? って思って……」


 そのまま後回しにして忘れていました、は余計な一言なので黙っておく。

 もともとバシリアと王都で再会できる予定はなかったのだ。

 プレゼントを用意していなかった私は、別に悪くはない……はずである。


「わ、私の物は特別、ですのね……?」


「え? そう、だね。バシリアちゃんのリボンだけ、質が違うことになるね」


 単純に持つ者によっては災いを呼びかねないだとか、平民と貴族で糸の質を変えた方が良いかもと思ったのだが、バシリアの中では『自分だけ特別』という単語が響いたようだ。

 数瞬前までボロボロと泣いていたはずなのだが、もう得意気で勝気そうな表情が戻ってきていた。


「なら、仕方がないから受け取ってあげないこともありませんわ」


 ツンと胸を張り、すっかり涙を引っ込めたバシリアに、私は心の中で誓う。


 ……ボビンレースを広めるための広告塔に、って考えてのことだってのは、一生黙っておこう。

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