第9話 バシリアとの再会 1
王都の貴族街にあるマルコフ家の屋敷へは、馬車に乗って移動する。
レオナルドのエスコートで馬車へと乗り込むと、いつものように
本当に、いつの間にか私の番犬気取りである。
……下ろすのも面倒だから、いいけどね、別に。
ただ、黒犬はベルトランの飼い犬だ。
そのうちなにか言ってきそうで、そういう意味では付き纏われて困ってもいた。
飼い犬が懐いているのだから、おまえはうちの子だ、とか言い出されても困る。
一応『待て』や『来い』といった命令は聞くのだが、ベルトランの元へ帰れという命令だけは聞いてくれないのが憎らしくもあった。
……まさか本当に飼い主に苛められて逃げてきてるんじゃあ……?
レオナルドの話によると、メイユ村へ犬を連れての移動でもベルトランは特に飼い犬を気遣う素振りは見せず、馬に乗せてやったりもしなかったようだ。
犬と馬の体力的にどうしても無理があると思うのだが、連れ回すだけでベルトランからの黒犬へのフォローはない。
……『犬は人間の友だち』っていうけど、ベルトラン様のこれは、友だちへの扱いじゃないよねぇ……?
息子や孫への態度を考えると、黒犬への態度も本人的にはよかれと思った愛の鞭なのかもしれない。
私はそんな
ヘルミーネの道理が通った鞭と、レオナルドという多少ポンコツな飴があればいい。
こんなことを考えているうちに、馬車はマルコフ家へと到着した。
貴族街は多くの貴族の家々が立ち並んでいるため、一つひとつを巨大には作れない。
広めの庭が付いた屋敷がほとんどではあったが、ラガレット郊外に建てられたジェミヤンの本宅に比べれば小さなものだ。
グルノールの館と同じか、離宮より少し小さいといったところだろうか。
門番の守る正門を抜け、屋敷へと真っ直ぐに伸びた石畳の上を馬車が走る。
上品に整えられた庭が馬車の小窓から見え、庭を眺めている間に馬車は止まった。
「ようこそ我が家へおいでくだ……ひゃあっ!?」
バシリアの声がして、そちらへと顔を向けたのだが、バシリアの姿はない。
その代わり玄関の扉が動くのは見えたので、出迎えてくれたバシリアが慌てて屋敷の中へと引っ込んだのだろうことは判った。
……あれ?
出迎えてくれたのはわかったのだが、なぜ挨拶の途中で引っ込んだのだろうか。
とりあえず来客を迎えるために中から扉が開かれるのを待とうと背筋を伸ばしたら、扉が細く開かれる。
隙間からはバシリアがこちらを覗いているのが見えた。
「な、なぜですの。なぜ黒い悪魔が一緒にいますの!?」
細く開かれた扉の向こうから聞こえてくる声に、思わずレオナルドの顔を見上げる。
黒い悪魔といえばレオナルドが黒いが、王都に来てからは白い服を着ていることが多い。
この姿を見て『黒い悪魔』とは思えないだろう。
となると他に黒いものといえば、と視線を足元に落とす。
私の足元には、黒犬ことオスカーが護衛顔をして陣取っていた。
「……バシリアちゃんは、犬が苦手ですか?」
「そ、そんなことはございませんわっ!
バシリアは扉の影から必死に取り繕うとしているのだが、その姿が黒犬には不審者に見えるらしい。
私の横から少し場所を移動して玄関へと近づき、バシリアがまた悲鳴をあげた。
……うん。犬、苦手なんだね。
なんとか出迎えようと扉を開くのだが、そのたびに黒犬が警戒して扉に近づき、犬に怯えたバシリアが扉を閉める。
はたから見ている分にはコントのようで楽しいのだが、いつまでも玄関先で待たされたくはない。
「オスカー」
名を呼ぶと、黒犬の耳が動く。
扉の向こうのバシリアが気にはなるようなのだが、しばし扉を見つめたあと、私の元へと戻ってきた。
「バシリアちゃんが怖いみたいなので、オスカーは馬車でお留守番です」
「こ、怖くなどありませんわっ!」
黒犬に馬車へ戻れ、と命じていると、扉の奥からバシリアの抗議が聞こえる。
犬の姿を見た途端に扉の奥へと隠れているのに、まだ犬が苦手だとは認めないらしい。
結局、馬車の中では待ちたくないらしい黒犬は私の命令を聞かず、その代わりのように少し距離をおいたところで座った。
バシリアは黒犬から十分に距離があることを確認すると、ようやく扉の向こうから姿をあらわす。
「み、見苦しい姿をみせましたわ。……改めまして、ようこそ我が家へとお出でくださいました、ティナ様」
そう言って、静々と淑女の礼をする約一年半ぶりになるバシリアは、随分と印象が変わっていた。
少年のように短かった髪は伸び、ゆるく巻いて前に流している。
以前はフリルとリボンでゴテゴテに飾られたドレスに違和感があったのだが、今は様になっていた。
勝気そうな目元と整った顔立ち、これで中身は甘えん坊の寂しがり屋なのだから、ツンデレとして完璧である。
「こちらこそ、ご招待してくださりありがとうございます、バシリア様」
以前とは違い、バシリアが淑女として礼をしたので、こちらも淑女として返す。
どうやらもう『バシリアちゃん』とは呼べなさそうだ。
……でも、なにか物足りないような?
可愛らしく着飾ったバシリアだったが、僅かなひっかかりを覚える。
疑問を顔へは出さないように笑みを浮かべ、ヘルミーネから教わった型どおりの挨拶をして屋敷内へと招き入れられた。
バシリアが淑女として澄ましていられたのは、挨拶だけだ。
玄関扉をくぐり玄関ホールへと入ると、すぐに頬を膨らませて仁王立ちになった。
「やっと来ましたわねっ!」
「へ? やっと?」
やっと、ということは、私が来ることを待っていた、ということだろうか。
それならそれで、今日来るという約束で、時間もそれほど遅れてはいない。
バシリアに文句を言われる筋合いはないはずだと思うのだが、バシリアは見るからに不機嫌そうな顔をしていた。
「私がもう何週間も前から王都へ滞在しているというのに、今日やっと来た、ということですわっ!」
「……えっと、つまり?」
私の王都入りに合わせて、バシリアも王都に来ていた、ということだろうか。
言われてみれば「そうなのだろうか?」とも思えるが、だからといって今まで会いにこなかったことを責められても困る。
「わたくしは、バシリア様が王都に滞在されていると、シェスティン様からお手紙を頂いて初めて知ったのですか……」
バシリアが王都に滞在していること自体、つい先日知ったばかりだ。
私からバシリアに会いに来ることなど、不可能である。
「それは……そうかも、しれません、けど……」
自分の主張が理不尽であることは、バシリアにもわかるのだろう。
次第に声が小さくなっていくバシリアに、私の中でムクムクと新しい気持ちが湧いてきた。
……そういえば、私の周りにツンデレっていなかった。素直で可愛いミルシェと、少しお姉さんなエルケとペトロナだけだった。
「そ、それでもっ! ……おともだち、なのですから……気づいてくれても、いいじゃありませんの」
……なんだろう、この可愛い生き物。とても初対面でいきなり水をかけてきた子とは思えない。
「な、なんですの? その顔は! にまにまと笑って、気持ちがわる……」
「お嬢様」
「ひっ!?」
横合いから投げかけられた言葉に、バシリアが小さく悲鳴をあげて背筋を伸ばす。
声の方へと視線を向けると、家庭教師と
「
どうやら私の教育がいたらなかったようですね、とスッと細められた家庭教師の目に、思わず私まで背筋を伸ばす。
厳しい家庭教師だということは、この一言だけで理解できた。
「失礼しました、お客様。改めまして、私はエリアナ・メスナー。ジェミヤン様のお召しにより、こちらのバシリアお嬢様の家庭教師をしております」
私やバシリアのまだまだ練習中とわかる付け焼刃の礼ではなく、板に付いた完璧な淑女の礼をしてエリアナはバシリアと案内を代わった。
しっかりとバシリアの手を掴んでいるところを見ると、このあとはお説教が始まるのだと思う。
「ようこそお出でくださいました、クリスティーナ嬢。それから、レオナルド殿」
案内された応接室では、バシリアとはあまり似ていない女性に迎えられた。
バシリアとは異母姉妹であるはずなので、シェスティンは母親に似たのかもしれない。
「はじめまして、お招きありがとうございます、シェスティン様」
廊下で厳しいエリアナを見ているため、自然とシェスティンと対峙する私の気も引き締まる。
お友だちの家なのだからと緩む気を引き締めて、ヘルミーネに教わったことを頭の中で復唱しながら淑女の礼を返した。
「クリスティーナとは、なんのことですのおおぉおおぉ?」
バシリアの語尾が不自然に延びたのは、エリアナがバシリアの頬を抓ったからだ。
たぶん今のは、私とシェスティンの挨拶の間に割り込んだため、即座にダメだしを頂いているのだと思う。
その場で強制的な制止を行なってくる家庭教師であるのなら、扉を開けて出迎えてくれたことについては耳に入れない方がいいかもしれない。
淑女たるもの、来客のために自ら扉など開けず、使用人に開かせて自分は玄関ホールで待つべきだった。
私たちはまだ子どもと数えられる年齢なので、仲の良い友だちを玄関先まで出迎えただけのつもりだが、バシリアの行いは淑女としては完全に落第点だ。
「……この通り、ヤキモチ焼きの妹が拗ねているので、しばらく相手をしてやってはくれないだろうか」
はじめまして、お招きありがとうございます、と型どおりの挨拶を続けていただけなのだが、次第にバシリアの目が据わってくる。
涙目になっても会話に割り込んでこないのは、エリアナに肩を捕まえられているからだろう。
「でも、わたくしへお手紙くださったのはシェスティン様ですのに、バシリア様のお相手ばかりしていてもよろしいのでしょうか?」
「バシリアの名前では、まだ王城内で大切に隠されているクリスティーナ嬢へは手紙を届けることができなかったんだ。それで私の名前で手紙を出した」
相手が女性である、というだけで、シェスティンからの手紙は気が楽でもあったのだ。
しばらくバシリアに付き合ってやってくれ、と言葉を重ねられたので、私はこれに了承した。
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