第7話 王都の闘技大会 2
「お招きありがとうございます、エセルバート様」
「堅苦しい挨拶などよいよい。靴を脱いでこちらへおいで。一度靴を脱ぐ気軽さを知れば、澄ました顔で一日中椅子に座っておるのは辛かろう」
「はい」
お言葉に甘えて、と靴を脱いで畳の敷かれた座敷へとあがりこむ。
そう、座敷だ。
王爵の席からは
その中で、エセルバートは涼しげな籐で編まれた座椅子に座っている。
今日は正座ではないらしい。
御簾のおかげで風通しがよく、エセルバートの老体を気遣ってか日除けはより念入りに対策がされていた。
この一室でなら、黒い正装でも快適に過ごせそうだ。
「エセルバート様のお席は、外からは見え難くて素敵ですね」
「
警備の手間を考えれば闘技大会を見にも来るが、本来はあまり人目に付かないようにしているのだと、エセルバートは言う。
王位をクリストフへと譲ってまだ十年も経っていないので、前国王であるエセルバートが王城でウロウロしているのは、あまり良いこととは言えないのだとか。
……まあ、たしかに引退した人にいつまでも頼るわけにはいかないよね?
普段は領地であるグーモンスの街にいて、祭祀やクリストフから何か相談を持ちかけられた時にだけ王城へと顔を出しているらしい。
とはいえ、ラガレットやグルノールで不意に遭遇したことを思えば、この話は信じてよいものかどうか怪しくもある。
現在王都に滞在している理由は、察するまでもなく私が原因だともわかった。
「以前わしが贈った畳はどうした? 気に入っているかね?」
「部屋に敷いて、時々足を伸ばさせていただいております。ただ、ナパジの畳は馴染みがないようで、ヘルミーネ先生からは「お行儀が悪い」と怒られてしまうのですが……」
たった二畳の畳ではあったが、自室に土足厳禁スペースを作った。
はじめはヘルミーネも不思議そうな顔をして眺めていたのだが、靴を脱いで畳に座る私にまず怒った。
淑女が靴を脱ぐとはなにごとか、と。
畳とはそういうものだと説明をして、エセルバートの離宮ではスリッパが採用されていたという話になり、ならばスリッパを用意するという話になって落ち着いたのだが、正直畳へは裸足で上がりたい。
スリッパ越しでは、やはり少し物足りなかった。
キュウベェの入れてくれた麦茶を飲みつつ、王都に来てからの近況を話す。
そうしているうちに、外では試合の準備が整ったようだ。
クリストフと白銀の騎士の団長であるティモンの声が闘技場へと響き渡り、最後に銅鑼のような大きな金属音が響くと、観客席から大きな声があがった。
「やっぱり、距離があってよく見えませんね」
少しお行儀は悪いのだが、転落防止の柵の際まで寄って試合会場を見下ろす。
席が高い位置にあるため見晴らしは良いのだが、距離がありすぎて人が棒人形のように見えた。
特等席ではあるはずなのだが、あまり迫力はない。
……そのおかげで今日はそんなに怖くないから、試合を見ていれそうでもあるけどね。
白銀の騎士は精鋭中の精鋭ということもあって、人数はそれほど多くない。
そのため、グルノールとは試合形式が違うようだ。
グルノールでは団長であるレオナルドは最初と最後に試合があるぐらいだったのだが、白銀の騎士は序列に関係なく全員が同じ条件、同じ回数だけ試合を行う。
そのため、昨日まで一番下位だった騎士が、翌日からは騎士団長になっている、ということが起こりうる可能性はグルノールよりも高い。
「これはナパジの
「ナパジにはいろいろな物があるのですね……」
演技派のキュウベェが懐から出してきた遠眼鏡は、望遠鏡というよりもオペラグラスに形が近い。
折りたたみ式で小さく収納ができるようなのだが、覗き穴が二つと、持ち手がついている。
……望遠鏡があることに驚くべきなのか、小さく折りたためることに驚くべきなのか?
とはいえ、海を渡った国と貿易をしているのだから、望遠鏡ぐらいは元からあったのかもしれない。
そうでなければ、気づかれていないだけで転生者が齎した知識という場合もある。
物を必要以上に小さくしていくことは、前世でも世界中で見られた現象だ。
折りたためることも、それほど驚くことではない。
……あれ?
ありがたくキュウベェから遠眼鏡を借りて、闘技場の中央を見てみる。
入場用の門から出てきた白銀の騎士は二人とも兜を被っているため顔までは判らないのだが、短めのマントを付けている方がレオナルドだとすぐに判った。
……なんでレオナルドさんだって判るんだろう? 前は兜してると判らなかったのに。
グルノールで行なわれる闘技大会は二回見たが、兜を被った騎士が誰かは見分けることができなかった。
白銀の騎士の顔と名前がわからないのは当然のことだったが、黒騎士には何人も顔と名前の一致する人間がいる。
それでも判らなかった個人の識別が、今日はついていた。
……あ、わかった。姿勢がレオナルドさんなんだ。
顔は見えないのだが、立ち姿や剣を抜く動作でレオナルドなのだと判る。
自分でも不思議なのだが、人違いだとは少しも思わなかった。
「おじいさまっ!」
「ひゃっ!?」
不意に子どもの甲高い声と勢いよく扉を開く音が響き、驚いて肩を震わせる。
いったい何事かと背後を振り返ると、六歳ぐらいの黒髪の男の子が私を見て目を丸くしていた。
……えっと、誰? エセルバート様を『おじいさま』って呼ぶってことは、アルフレッド様の弟?
拾い取れた情報から男の子が誰かを推察していると、男の子の方は私よりも先に驚きから立ち直ったようだ。
まだ小さいながらも紳士然とした顔つきをして、淑女に対する礼をした。
「おどろかせてしまって、ごめんなさい」
「いえ、こちらこそご丁寧に……」
スラスラと丁寧な言葉遣いで詫びてくれる男の子に、私の方が困ってしまう。
男の子はいかにも良家の子どもといった
対する私はというと、咄嗟のことに淑女としての言葉遣いも曖昧で、靴を脱いですっかりリラックスモードである。
見るからに私の方が年上なのだが、振る舞いでは私の方が男の子以下の子どもだ。
……ヘルミーネ先生っ! 淑女は
私の内心に吹き荒れる後悔の嵐を知ってか知らずか、エセルバートは男の子を手招いて私に紹介してくれた。
「この子はセルム。今のところは
……なぜ愛称の方を教えるのですか!? 知らなかったら、うっかり信じて愛称で呼ぶところでしたよ!
エセルバートは『セルム』と紹介してくれたが、事前にヘルミーネに現国王周辺の家系図を教えられているので、知っている。
男の子の名前は『セルム』ではなく、正しくは『アンセルム第四王子』だ。
ジョスリーヌの産んだ五人の子どもの中で、唯一の男児である。
「今のところ、というのは?」
王子と王女で十五人も子どもがいて、まだ増えるのだろうか。
一人で十人以上子どもを産んだ女王がいたと聞いたことがあるが、私の感覚としては子どもの数は一人から三人ぐらいが普通のご家庭だと思う。
三人の妻が十五人の子どもを産んだということは、単純に三で割っても一人で五人産んでいる。
すでに産みすぎだと思うのだが、この上まだ増える予定があるのだろうか。
「少し前に息子を激怒させた王女がいてな。その影響でもう三人増えるとみておる」
「三人、ですか?」
クリストフを怒らせた王女が第八王女だということは判るのだが、そこからどうして子どもが三人増えるのかがわからない。
子どもは授かりものだ。
増えるにしても、一人か二人かなんて、誰にもわかるはずがない。
「息子はすべての妻を平等に扱うことを条件に、複数の妻を迎えた。そのため、妻の誰かが子を授かれば、あとの二人も子を授かることになる」
「それは……なんというか、すごいですね」
なんともコメントに困って、言葉を濁す。
どこから驚けばよいのか判らなかった。
孫のいるクリストフが現役なことか、高齢と判るジョスリーヌの年齢か、十五人も子どもがいてまだ増やす気があるということか、とにかくツッコミたい事柄が多すぎる。
「……じゃから、おまえさんも息子の言うことなど聞かずに、じゃんじゃん子を産むとよい」
「え?」
なぜ突然私の子どもの話になどなったのか、と考えて気がつく。
これは私の子どもの話ではなく、私個人の将来の話だ。
できることなら子どもは産んでほしくないと、アルフレッドから聞かされている。
「
嫁ぎたい相手ができたら、その男の子どもを産みたいと思ったら、国になど操をたてずに嫁にいけ。
子どもも産みたいだけ産めばよい、とエセルバートは言う。
日本語を民のために役立ててくれるのは嬉しいが、私も民の一人なのだと。
民一人の個人的な幸せを握りつぶすことを是とはしない、と。
真面目な話をしたり、アンセルムとリバーシをしたりとしている間に闘技大会は終わった。
今年は距離があったため、レオナルドの試合をすべて見ることができたのだが、なんとレオナルドはすべての試合に勝利した。
騎士団長を務めるティモンとの試合にも、だ。
「……王都にはレオナルドお兄様よりも強い人がいると聞いていたのですが」
「何年前の話じゃ? 白銀の騎士は精鋭中の精鋭揃いじゃが、黒騎士は常に前線におる。前線でより鍛えられるレオナルドが、いつまでも昔のままのはずがないじゃろう」
今年は負けるわけにはいかない試合もいくつかあったようだ、と教えられれば、レオナルドが発奮した原因がわかる。
私への虫除けと、求婚者を全員倒したらお祝いに頬へとキスをする、と言ったことだろう。
……レオナルドさん、シスコンパワーでうっかり王国最強の騎士になっちゃったよ。
これは本当に、レオナルド以外の元へは嫁にいけそうにない。
そうは思うのだが、まあいいか、と闘技大会が終わって迎えに来たレオナルドの頬へと約束のキスをした。
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